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「欲望」に矛先を転じるな[ワーカーズ]レインボー
ナヨン(地球地域行動ネットワーク) 2018.03.08 10:29
[出処:サゲ] 2月19日、「ヨニダンコリペ」の李潤沢(イ・ユンテク)氏が性暴力被害者に謝罪するとし、公開記者会見を行った。 しかし彼は「被害当事者に心から謝罪を申し上げる。 私の罪に対して法的責任を含み、どんな罰も甘受する」と話しつつも 「性暴行は認められない。 もし法的手続きが強行されれば誠実に捜査に臨む」と二律背反的な発言をした。 ではいったい彼は何に謝罪するというのか。 彼は続けてこのように話す。 「18年近く行われてきた慣行だ。 慣習的に生じた悪い態度だと考える。 悪い罪とは知らずに行った時もあり、 ある時は汚い欲望を抑制できなかった。」 つまり、彼は性暴行とは認められないが、 自分が「汚い欲望を抑制できず」申し訳ないといっているのだ。 数日後、同じ劇団のある男性俳優は自分のFaceBookにさらに衝撃的な事実を暴露する。#metoo運動を通じて、李潤沢とヨニダンコリペに対する告発が続くと、 ヨニダンコリペはなんとかして事実を隠そうとして対策会議を開き、 その上記者会見の状況まで練習したという。 彼らは謝罪文と告発内容を台本にして、セリフを修正して哀れな表情を練習した。 性別を問わず、多くの人々が20年近く続いてきた性暴力と隠蔽に共謀してきた。 そして李潤沢はそれを「慣行」と表現した。 性暴力とは認定できないが「汚い欲望を抑制できず」申し訳ないという李潤沢の言葉は、 この残忍な「慣行」を維持させてきた誤った認識が何に起因しているのかを示す。 この暴力の過程をただ誰かの欲望解消だと理解してきたこと、 だからたとえ誰かが無理にそれに動員されたとしても、 それは暴力ではなく劇団のためにしばらく我慢して耐えるべき慣行になったのだ。 多くの性暴力加害者が欲望を恨む。 性暴力に対する韓国社会の認識も同じだ。 それで性暴力事件があらわれれば簡単に「性器を切り取れ」という非難があふれ、 いわゆる「化学的去勢」と呼ばれる「性衝動薬品治療」が処罰の一環として施行されたりもする。 しかし実際の性暴力事件を解決するにあたって、欲望はむしろ良い言い訳になる。 欲望を恨むことによって暴力は「誤り」になり、 加害者と彼が属する集団権力構造の問題は簡単にその枠から抜け出す。 そして何よりもここには被害者の欲望もまた相互作用したという前提が敷かれているはずだ。 このような形で加害者は「欲望に耐えられなかった誤り」に対する自己憐憫と周辺の理解を獲得するが、 被害者は自分にはそんな欲望がなかったことを証明しなければならないという 皮肉な逆転が起きるようになる。 欲望という言い訳が隠す権力構造の問題一方、映画〈恋愛談〉の監督イ・ヒョンジュの事例では、 この欲望を解釈する司法体系のもうひとつの問題を発見させる。 実際、多くの場合に同性間の性暴力は性的指向とは無関係に発生しているのだが、 性暴力をエロスによる性的欲望の問題だという前提で同性間の性暴力問題を扱うのだ。 「同性愛者でなければ同性間の性行為をするはずがない」という強い前提は、 裁判の過程で加害者や被害者に自分の性的指向について防御したり証明することを要求する。 問題は同意なく行われた性関係の暴力なのに、 被害者は自分の性的指向を証明しなければならない状況に置かれる。 このような認識がイ・ヒョンジュ監督事件の大法院判決文にもそのままあらわれる。 裁判所は被害者にボーイフレンドがあり、周辺の人たちも彼を同性愛者だと思っていなかったという事実を根拠として、 被害者が積極的に性的接触をしたはずはないと判断した。 またイ・ヒョンジュ監督の立場文によれば、 判事が「もしも無罪を宣告することになれば、 被害者を同性愛者と見なされるようになるのではないのか、 それならむしろ被害者に被害をもたらしかねない」と話したともいう。 しかしそれがどんな関係があるというのか。 もし被害者にボーイフレンドがなく、周辺の人々が被害者の性的指向を 「自分の判断に基づいて」証明できなかったとすれば、 被害者は被害を主張できなくなるのは? 被害者を同性愛者と見られるようにすることが、 なぜ被害者に「被害をもたしかねない」のか? この質問を通じて、裁判所はむしろ同意ない性関係に対する被害主張の重要性を隠し、 特定の被害者像を要求するという問題を行っている。 イ・ヒョンジュ監督は立場文で判事から 「同性愛者は無条件裸の女を見れば良いのではないか」、 「性関係をする時、どんなポジションか、どんな性行為をするか、どのように満足するか」、 「あなたが男ではないといったことを証明しなさい」といった質問を受けなければならなかったと明らかにした。 このような質問も同性愛に対する偏見に基づいており、事件の本質を曇らせる。 これらの問題は軍刑法92条の6を扱う時にも同じように適用される。 他の条項を適用して十分に性暴力を扱えるにもかかわらず、 「男の同性愛者の行為」と見なされる特定の行為に対する条項を別途に扱うことにより、 被害者の同性愛者軍人がむしろ加害者になったり、 共に処罰を受けるという問題が発生しているのだ。 性暴力を単にエロスの問題として、欲望の問題として扱う態度がむしろ暴力を暴力として扱うことをできなくしている。 しかし続く#metooを通して、 今私たちが再度確認しているのは、性暴力は加害者個人の性欲問題ではなく、 そのような暴力が可能にする権力構造の問題だという事実であり、 したがってその構造を省察することなく欲望の問題に切っ先を向ける以上、 われわれは誰でもその構造に共謀することになりかねないという事実だ。 欲望ではなく、暴力の構造を直視しなければならない。[ワーカーズ40号] 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2018-04-26 08:10:31 / Last modified on 2018-04-26 08:10:41 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ | |