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韓進重工業35年解雇労働者キム・ジンスク「現場に戻る最後の時間」

今年定年を迎え…「指導委員ではなく溶接工に戻る」

ウン・ヘジン記者 2020.07.28 17:11

今年の定年を前にして、 韓進重工業35年解雇労働者、 キム・ジンスク氏の最後の復職闘争に向けた応援の声が続いている。

7月28日午前、汝矣島産業銀行の前で韓進重工業の最後の解雇者である キム・ジンスク民主労総釜山本部指導委員の復職闘争を応援する記者会見が開かれた。 「希望バス司法弾圧に対抗する回し蹴り」の主催で開かれた記者会見には、 金属労組韓進重工業支会をはじめ、 2011年にキム・ジンスク指導委員の85号クレーン高空籠城の時に 連帯した組織や大宇バス労働者、 アシアナケイオー整理解雇労働者など約100人が参加した。

キム・ジンスク指導委員は1981年に韓進重工業に入社し、 1986年に労組の代議員として活動して解雇された後、今年定年をむかえた。 彼女は記者会見で 「(造船所の溶接工になって)仕事があまりつらく、25歳で暮らしに何の希望もなく、 死のうと智異山天王峰にのぼった」とし 「日出がとても美しくて、もう1年生きてみようと降りた後、労組を知った」と話した。 続いてキム指導委員は「トイレがなく、食堂がなければ要求して戦わなければならないということを知った」とし 「宣伝ビラ何枚かで不純分子アカにされて解雇された歳月が35年。 パク・チャンス、キム・ジュイク、クァク・ジェギュ、チェ・ガンソも生きて みんな戻りたかった所、現場に戻る最後の時間が残されている」と伝えた。 故パク・チャンス、故キム・ジュイク、故クァク・ジェギュ、故チェ・ガンソ労働者は、 韓進重工業の烈士だ。

記者会見には今年、復職を要求して大邱嶺南大学校本館の高さ74mで227日間、 高空籠城を行った保健医療労組のパク・ムンジン指導委員が同席し、 彼は「(嶺南大高空籠城当時)キム・ジンスク指導委員は釜山から大邱まで うちわ一枚を持ってやみくもに道に出た」とし 「それで私は何を持って釜山に行こうか悩む」と話した。 またパク指導委員は「キム・ジンスクは当時、私に赤いパーカーをくれた。 ドライクリーニングして返してくれと言われたが、返さない」とし 「キム指導委員はパーカーを着る前に、 愛する韓進組合員の所に戻らなければならないからだ」と伝えた。

金属労組韓進重工業支会は6月にキム・ジンスク指導委員の復職を要求する記者会見を行った後、 影島造船所正門の前で朝出勤宣伝戦を続けている。 韓進重工業支会のシム・ジンホ支会長は 「指導委員キム・ジンスクではなく、 溶接工キム・ジンスクとしてまた動き始めなければならない」とし 「支会の組合員と共にキム・ジンスクがまた動き始められるように最善を尽くす」と明らかにした。

5月に整理解雇されたアシアナケイオー支部のキム・ゲウォル副支部長も復職闘争に力を貸した。 彼は「私も若い時に労組に加入して、 キム・ジンスク同志の生活の話を聞くと感情が高ぶって鬱憤がわいた」とし 「キム・ジンスク同志はクレーンから降りた後も、上の仲間たちのことを考えて ボイラーをつけなかったという。 その文を読んで仲間に会えば熱く抱いてやりたかった」と目がしらを赤らめた。 キム・ゲウォル副支部長は記者会見場所でキム・ジンスク指導委員と抱擁をした。

文正鉉(ムン・ジョンヒョン)神父は記者会見で 「定年までいくら残っていないが、 解雇者キム・ジンスクは復職するという」とし 「キム・ジンスクがずっと復職闘争をする理由は、 解雇労働者のことを忘れないということだ。 発生し続ける解雇労働者を防ぐべきだという意味だ。 今日は労働運動史で重要な日」と声を高めた。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2020-07-29 19:09:43 / Last modified on 2020-07-29 19:09:44 Copyright: Default

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