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金泉道路公社から大邱ガス公社まで、4日間の闘争

[寄稿]料金所労働者闘争勝利と労働改悪阻止のための闘争事業場4日間の巡回闘争紀行文

シヤ(記録労働者) 2019.11.18 12:09

11月5日から4日間、 料金所労働者闘争勝利・労働改悪阻止のための闘争事業場 4日間巡回闘争が行われました。 巡回闘争は料金所直接雇用市民対策委と非正規職もうやめろ共同闘争が共同で主催し、 参加しました。 4日間の記録を読者に伝えます。

料金所労働者は勢いが強い

闘争事業場巡回闘争をするというしらせを聞いて半日悩んだ。 私がついて行ってもいい場なのかが分からず、 知らない人や不慣れな空間で長い時間を過ごすことも私には容易なことではなかった。 ただ闘争事業場を尋ね歩く良い機会なのは確実だった。 紅葉狩りをするように秋の旅行だと思って、 3泊4日間の旅程を楽しもうと決心して荷物をまとめた。 寝る時に敷いて寝るマットと毛布を包んでついて行った。

料金所労働者が座り込んでいる韓国道路公社(以下公社)は金泉にある。 私が住んでいる星州邑から距離は遠いが、 THAADが配置された谷間の村、韶成里から曲がりくねった山道、 私は道路に沿って走れば20分ほどで到着する近い距離だった。 料金所労働者がソウル高速道路のキャノピーに上がったという知らせを聞いた時は、 訪ねて行けない申し訳なさと残念さが大きかった。

大法院は公社が派遣法に違反したという趣旨で、 直接雇用しなければならないという判決文を出した。 だが公社は大法院の判決文を履行する意志を見せず、 むしろ労組弾圧と労働者の正当な要求を握りつぶしてしまった。 結局、9月9日、怒った牡牛のように料金所労働者は奇襲的に公社の金泉本社に攻め込んだ。 韓国道路公社の李康来(イ・ガンネ)社長と会うためだ。 その日から金泉本社のビルの中で300人ほどの料金所料金徴収員労働者が座り込みを始めた。 建物の外でも座り込みテント村ができた。

闘争事業場4日間巡回闘争を始める日、金泉本社で発隊式を開いた。 公社の正門から裏門まで、料金所労働者のテントが色とりどりの色と形で 道路を飾っている。 ちょうど巡回闘争を始める日に料金所労働者の相当数がソウルで五体投地をするために出かけた。 建物の定員は空のテント村でがらんとした感じもしたが、 巡回闘争に行くために遠くから連帯する人々が一人二人と集まり始めた。

[出処:起亜車非正規職支会ファン・サンユン]

発隊式のためにゼッケンを配って着て、ビル内の座込者を一番近くで見える所に隊列を整備した。 司会者が挨拶をするたびに料金所座込者の雷のような拍手の音と歓声が公社のビルを揺らした。 労働者たちの勢いの強さを感じることができた。 がらんとしたテント村が孤独に感じられたのは、冷たい秋の気候のせいだったようだ。

2か月近く金泉本社のビルに閉じ込められているのに、 料金所労働者の疲れをしらないエネルギーはどこから出てくるのか不思議に思った。 バスに搭乗する時間が近付き、 行ってきますと挨拶をして背を向ける時まで、 料金所労働者の応援の声はやまなかった。

紫の波、巡回闘争団

バスに乗った人たちは、ほとんどが闘争する労働者たちだ。 料金所労働者と旭非正規職支会労働者、 昌原工場から来たGM非正規職労働者、 起亜車非正規職労働者と鉄道公社非正規職労働者、 そして公共運輸労組ソウル支部が参加した。 社会運動の活動家まで30人程度がバスに荷物と身をのせて動き始めた。

巡回闘争団はみんな紫色のゼッケンを付けた。 ゼッケンの胸には「非正規職もうやめろ」と書かれていて、 背中には「料金所闘争勝利、子会社廃棄、直接雇用争奪! 労働改悪阻止」と書かれていた。 自分のからだにかける時はやぼったく見えたゼッケンは、 写真を撮ると豪華で柄と色合が良く見えた。 豪華な春の日を迎えたように、ただ明るくて美しかった。

初めて巡回バスが到着したのは旭非正規職支会テントの座込場がある工場の前だ。 広い厨房と寝る空間を区分して、荷物を積む倉庫まで兼ね備えた整った座込場だ。 テント座込場をまるで博物館を見物するように几帳面に見て回った料金所労働者の口から 感心の声があがる。

しかし、さらに感心するのは旭硝子で働く正規職約800人と非正規職約200人が 1年間に稼ぐ金が1兆ウォンという事実だった。 旭非正規職労働者が5年間闘争して5-6千億に減ったといううわさもある。 ナム・ギウン主席副支会長は、会社の社内留保金が9000億ウォンから 最近は8000億ウォンに減ったと話した。

4年を越えて、5年になろうとする闘争にも希望はある。 検察は旭の不法派遣を起訴し、刑事裁判が続いている。 勤労者地位確認訴訟ではすでに労組が勝った。 しかし長い戦いを続ける必須の条件は、 闘争する労働者たちの犠牲だけに頼ってはいけないということだ。 生計を維持できる最低限の費用を作るために 苦労して周期的に財政事業をする。 ナム・ギウン首席は来月、解雇労働者に生計費として払う100万ウォンがないのが現実だと慎ましく告白した。 11月22日、生計費作りのための後援酒屋を開く計画だという ゴマ粒のような広報も忘れない。

短い時間を効率的に使うために出かける前に、旭硝子工場の正門に上がった。 紫のゼッケンをつけて押しかけてくる私たちを見た警備は、 あわてたように忙しく門を閉めたが、 私たちが踏み込む勢いではないことに気付くと、また扉を開いた。 工場の前で戦犯企業旭を糾弾し、工場の前で団体写真を撮った。 4日間、場所を変えて、団体写真を撮る旅程を知らせる信号弾のようなものだった。

巡回闘争は抵抗の強さを強める旅行

慶山市庁前のテント座込場、 慶山環境支会がいつもテント座り込みをしていた場所には、 デリムタクシーの労働者がいた。 彼らは140日を越える間、悪質使用者の処罰と労組認定を要求してきた。 タクシー月給制も深刻な問題であった。 タクシー労働者も最低賃金を適用されるが、 社納金制度が撤廃されない以上、 最低水準の月給制施行さえも夢のような話でしかない。 さらに恐ろしいのは、巨大な資本がタクシー事業に飛び込む傾向で、 小さく零細なタクシー会社はつぶれる一歩手前だ。 タクシー業界に新しい秩序が作られようとする兆しだ。 深刻な危機の中でも余裕を失わない慶山地域のタクシー労働者の闘争集会には、 いつも参加する地域の連帯があった。 そこには環境美化員と障害者が長い間、席を守っている。

[出処:起亜車非正規職支会ファン・サンユン]

バスは30人の巡回闘争団をのせて巨済に向かって走って行った。 巨済統営固城造船下請支会(略して巨統固)が出迎えにきた。 テジクッパ屋に入り暖かい汁で腹をしっかり満たして 造船所下請労働者に会いに行った。

巡回闘争に立ち上がった料金所労働者のヘオク氏は、 人前で話をするのは震えるが、 料金所労働者の闘争を知らせるために勇気を出した。

「われわれ料金所料金徴収員は6500人ほどになりました。 2013年から不法派遣訴訟を始めて、2015年に1審と2審で勝訴して、 大法院判決を控えているのですが 道路公社が子会社を作り5000人ほどが子会社に行きました。 私たちの事業場の職員数は180人でしたが、ハイパス(日本のETCカードに相当)が入って人員が削減され、 私たちが辞めるころには86人程度しか残っていませんでした。 私たちは多いからいいのですが、 地方の小さな所は人が少ないので一対一で脅迫して脅し、子会社に送られたのです。

私たちが今年の6月末で解雇されましたが、解雇作業は5月から始まりました。 公式に子会社で行かない1500人は、7月1日付で解雇されました。 闘争が何かも知らないまま、ソウル高速道路のキャノピーに上がることで始めました。 キャノピーに上がって、座り込みして、8月29日に大法院勝訴判決を受けました。 ああ、私たちが勝った。 大法院で勝訴したから、これで道路公社に直接雇用されると思って、 大法院の前は雨がどしゃ降りでしたが、その雨にぐっしょり打たれても、 私たちは嬉しくてしきりに踊りまわったのです。 その感動は話にできません。うれしかったです。

しかし大法院勝訴の喜びは少しの間でした。 9月9日、道路公社の李康来(イ・ガンネ)が立場発表をしました。 大法院判決者に限り直接雇用を受け入れる、 その他はそれぞれ裁判所の判決を受ければ直接雇用するといったのです。 大法院判決勝訴者が300人ほどでした。 その言葉を受け入れられず、9月9日に金泉本社で250人ほどが占拠座り込みを始めたのです。

私たちは実は韓国労総の所属でした。 しかし韓国労総の交渉内容がひどいもので、 私たちはその交渉を受け入れませんでした。 それで70人ほどが韓国労総から脱退して民主労総所属の民主連合労組にきました。

今日、もっと巡回闘争に参加しなければいけなかったのですが、 ソウルで6キロの五体投地をしなければならず、たくさん来ることができません。 私たちは本当にこうしたことをよく知りません。 私だけが大変だと思いました。 実際に旭や慶山タクシー労働者のテント座込場行ってみると、 とても劣悪な環境の中で戦っているのを見て、ずいぶん考えました。 私たちも残り少ないようです。 直接雇用されても、がんばって連帯しなければならないと決心しました。」

ヘオク氏の話を聞いた造船下請労働者の一人が 「いくらも残っていないと肯定的におっしゃるが、 子会社に入って働いている人を見てうらやましくないのか?」と質問をした。 ヘオク氏も初めは子会社に行くことを希望するとサインしていた。 夫も若くないので、あとどれだけ働けるのかと、子会社に行くことを望んだ。 そんなヘオク氏が子会社に行くというサインを無効にするために、 韓国道路公社に直接雇用されることを願うという内容証明を送った。

だが社会的に非正規職問題が深刻だし、 子供が代を継いで非正規職になる世の中になってはいけないと思い、 直接雇用に考えを変えた。 そのうちに韓国労総の料金所労働組合委員長がおかしな交渉をしてしまった。 大法院勝訴判決と2審判決を受けた人は直接雇用して、 1審待機者は臨時職で雇用するという交渉だった。 ヘオク氏も1審裁判をしているが、まだ判決を受けることができず待機状態だ。 今まで直接雇用を争奪するために活動したのに臨時職とは、 受け入れられない結論だった。 何よりもヘオク氏が料金所料金徴収員として働いて13年を越えた。 正規職になっても号俸が十数号俸上がる時間だ。 臨時職と言われた瞬間、憤りが爆発する。

ヘオク氏は、韓国労総の料金所労働組合組合員だった時、 労組に対する不満は一つや二つではなかった。 まず情報交換がなかった。 気になって聞けばきちんと返事をしてくれず、聞く所もなかった。 組合のバンドに色々な話を書き込むと、むしろ押されて行動を制約された。 ヘオク氏は脱退したのではなく、バンドで除名されてしまった。 民主労総に移りたい気持ちは煙突のようだったが、 その時は民主労総と韓国労総の料金所労働者たちが共同闘争をしていた時なので、 移ることができなかった。

そんなときに韓国労総の料金所労組委員長が乙支路委員会が出した案で 李康来(イ・ガンネ)と野合する事態が発生した。 そして闘争の現場を離れてしまった。 直接雇用を熱望していた70人ほどの組合員は韓国労総について行かずに脱退を選択した。 金泉本社で座り込みをしている仲間たちを残して行くことはできなかったからだ。 ヘオク氏は早く除名されたことを幸運に感じた。 彼女はすぐ民主労総民主連合労組に移り、闘争を続けている。

巨統固の造船下請労働者の現実も少なくなかった。 政府が超過勤労時間を12時間に強制し、 週52時間制という言葉は韓国の社会では基本勤労時間のことのように自然だった。 造船所は日雇い労働者たちが溶接技術を持っていて、 日当が高いと期待するが、包括賃金形式で受けとる日当には 各種の超過勤労と手当てが含まれている。 これを計算すると最低賃金水準を少し越える程度の薄給に苦しんでいる。 そのため仕事があれば無条件に出なければならず、残業と特別勤務を拒めない。 支会の幹部は4日間の巡回闘争団と懇談会があると組合員たちに知らせても、 残業に命をかけなければならない造船所の日雇い労働者の現実が苦しいだけだ。

その上、造船所で行われている労災隠しの証言も生々しい。 彼らは人が怪我をしても救急車に乗せられず、 トラックに乗せられるみじめな状況を毎日見聞きしてきた。 毎日のように労災事故が発生する造船所は、 まだ産業構造調整が終わらず巨大な津波を待っているようだった。

巨済が用意してくれた青少年文化センターで一夜をゆっくり泊まり、 午前5時30分に起床した。 朝6時30分、宣伝戦のために大宇造船所の西門に続く橋の上に立った。 足もとがふらふらした。 突然めまいがするようだったが、混迷症が上がってきた。 道の反対側から作業服を着た大宇造船所労働者たちが雲のようにやってきた。 あちこちで渡すチラシを片手に持ち上げて、出勤するのに忙しい。 横断幕を握っていたわれわれは大声で挨拶をした。

[出処:起亜車非正規職支会ファン・サンユン]

「こんにちは。私たちは料金所労働者です。 大法院で不法派遣を認められたので、 韓国道路公社は私たちを直接雇用しなければなりません。 しかし道路公社は判決文を履行せず、逆に弾圧しています。 私たちは戦って直接雇用を争奪します。 権利を取り戻します。 皆さんも労働組合に加入してください。 皆さんの労働の権利を見つけてください。」

巡回バスは大宇造船労働組合事務室へと向かった。 大宇造船の警備室と船が作られる現場を通り、労組の建物の前でおりた。 大宇造船のものすごい光景を目で見ていると、突然口から昔、歌った歌が流れ出た。

闘争の槌で労働者の空を見よ
ついに全労協戦線にそびえ立つ
闘争は胸の中にやどり、心臓は高鳴り
仲間は胸の中にやとり、解放を歌うよ
夕立ちが降り注ぐ玉浦の造船所で
吹雪を飛ばすソウルの鉄道の上で

いつだったか、夕立ちが降り注く玉浦の造船所が、 まさに私が足を踏んで立っている大宇造船所ではないか? 30年も前の歌をここで歌うことになるとは思わなかった。 その当時の全面ストライキは見ていないが、想像してみた。 あの巨大なクレーンの上で民主労組の旗が立てられている姿を、 その下の数万の労働者たちの拳と雄壮なスローガンが世の中を揺るがす声を。

肩を組んで 労働者の夢と力を集め
捉えた手を離せない 置くことができない
労働解放の約束で
全労協戦線で

30年前には労働者の総団結で、全面ストライキで労働解放の世の中を建設しようと叫んだ。 労働解放の旗の下に立つだけで胸が熱くなった。 運動の展望は新しい世の中、労働者が主人なる世の中を建設することだった。 われわれはそんな世の中を労働解放の世の中と呼んだ。 明らかに夢みたいな話だったかもしれないが決して夢ではなかったし、 いつかは私たちが建設する歴史だと信じていた。 長い旅程を歩いきながら夢見なかったとすれば、 今までどうして耐え抜いて歩いてこれたのだろうか?

いつになるのか約束できないが、玉浦の造船所からソウルの鉄道まで、 労働解放の旗ひるがえってストライキをする日に、 また造船所の扉をあけて入るだろうと期待しながら、 巡回バスは昌原に向かって走った。

資本は潰れない簡単な廃業

料金所労働者が9月9日に公社に入った時、 5つの労組が共同闘争をしていた。 民主労総一般連盟所属の民主連合労組と公共連帯労組、 そして慶南一般労組と仁川一般労組の組合員がいて、 韓国労総料金所労組所属の組合員がいた。 5つの労組が協力してソウル高速道路のキャノピーで80日を越える共同闘争をしたのも珍しく思うが、 公社のビルを占拠する時、外の広場のあちこちにテント村を作り、 野宿座り込みをする韓国労総の組合員がいた。 金泉本社の中での座り込みは、 民主連合労組と公共連帯労組、仁川一般労組、 そして慶南一般労組の組合員が集まって、 9月9日から2か月ほどの期間を越えて占拠座り込みを続けている。

慶南一般労組の拠点は昌原地域だ。 昌原地域の民主労総と市民社会団体は、 闘争事業場4日間巡回バスが来るのを待って、 民主党慶南道党で料金所事態を悪化させる執権与党を糾弾する集会を開いた。

空き時間が残った。 民主労総慶南本部の講堂に集まったわれわれは、 巡回闘争が終わる最終日に全国労働者大会前夜祭を 道路公社金泉本社で開く予定だった。 巡回闘争団の解団式とともに、素敵な文化公演を披露することにしたが、 意欲あふれる料金所労働者のジュヨン氏が非正規職撤廃連帯歌を モムジ宣言から習って練習していた時なので、 私たちに非正規職撤廃連帯歌のユルトンをしようといった。

初めは知らず、後からまねすれば良いと思った。 実際に一節ずつ手の動作と足の動作を習ったが、 手をすっと伸ばして足も出さなければならない動作だった。 雑にまねては恥をさらすのは明らかだった。 とうてい初心者が短い時間ではできないレベルだった。 いろいろ言葉が多い中で、全体集団のユルトンは「明日の歌」にした。 労働組合の社会では、認められるダンスチーム旭非正規職支会の「空」と 昌原地域労働者のチーム「年末団」の構成員が一緒にいて、 初心者は後からよくまねるだけでもよかった。 その上、いまやっと民主労総に移ってきた駆け出しだが、 今韓国で一番よく戦っている料金所労働者が金泉本社で毎日ユルトンの練習をしながら ベテランになっていた。 文化公演のパートをさっと解決して韓国GM昌原工場に移動した。

[出処:起亜車非正規職支会ファン・サンユン]

韓国GM昌原工場は10月24日、下請企業7社に対して12月末までの解約通知をした状態だった。 昼間2交代勤務を1交代昼間勤務に転換し、 非正規職の工程を正規職に変えると知らせてきたのだ。 生産物量が減ることを予想した措置だとし、 社内下請労働者650人の大量解雇を予告した。 GMは韓国で工場を運営する条件で韓国政府から8100億ウォンの支援を受けた。 しかしGMの構造調整は止まらず、むしろ構造調整による解雇は避けられないと主張する。

韓国政府は国民の血税で8100億ウォンを支援した企業が韓国で何をしても制裁を加えることなく、 むしろ解雇以後の対策として就業斡旋を語るというとんでもない状況になっている。 GM非正規職労働者は今年末に起きることが不安なだけだ。 手をこまねいてやられてばかりはいられず、 労組は解雇に対応するための組織化と闘争をしようと努力する。

巡回闘争団は午後班の出勤と退勤時間に合わせて、 GM非正規職労働者と共に工場の門の前でしばらく宣伝戦をした。 退勤して出てくる労働者たちは、足を止めて私たちが入っている横断幕の間に入って席についた。 通る人と自転車に乗って走る人を捕まえて、チラシを配った。 宣伝カーでマイクをつかんで声を限りに話した。

平凡な人が大胆に闘争する

蔚山に向かうバスの中で青瓦台に行った料金所労働者約100人が 文在寅(ムン・ジェイン)大統領との面談を要求して進撃闘争している間、 警察の暴力により失神して病院で運ばれたというしらせを聞いた。 料金所労働者の一部は民主党のイ・ヘチャン代表事務室で占拠座り込みに入り、 別の一部は世宗市の国土部の金賢美(キム・ヒョンミ)長官室で占拠座り込みに入ったという知らせが立て続けに聞こえてきた。 金泉本社で占拠座り込みしている隊伍は相変らず拠点を死守していた。 バスの中は怪我をした同僚の知らせを聞いて沈うつになったりもしたが、 料金所労働者は果敢に闘争しながら、自分の闘争を拡大していた。

蔚山での懇談会場所は北区非正規職センターであった。 広い空間に巡回闘争団と私たちを迎えた蔚山労働者たちが集まって座った。 現代重工下請労働者、現代自動車下請労働者、現場組織と社会団体活動家が 席を埋め尽くした。 その場で多くの話をやりとりした。 蔚山地域の労働者たちは、料金所労働者の一言一言に耳をそばだてた。 料金所労働者の闘争を勝利に導くためにどうすればいいのか、額を突き合わせて考えた。

「私は労組活動を始めて一年ほど、解雇されて闘争してやっと5か月程度だったので、 闘争だの、同志だのという言葉に慣れていませんでした。 私たちの営業所では職員が18人ですが、私以外はみんな子会社を選択しました。 誰が何と言っても私は直接雇用に行く、そんな考えに追われました。 さっき話をきかれたが、公社の職員が夜12時にも訪ねてきて、 週末、休日にも訪ねてきて、子会社に行けと懐柔して脅迫して大変でした。 しかし私はその道でないと思い、最後まで子会社に行きませんでした。

その間、偶然ではなく私がソウル高速道路のキャノピー高空籠城に参加するようになりました。 今年はなぜ雨もよく降り、台風もたくさんくるのか、 明け方の3-4時になれば寝ていても雨でふとんがぬれて、 泣きながら雨水を払いのけ、 台風がくればテントが飛ばすかと思ってしっかりつかんでいました。 一番つらかったのはトイレの問題でした。 どうにかみんな生き延びました。 それと共に韓国労総トール労組委員長が先に降りて行きました。

私のような人は判決を受けられませんでした。 地方は労組に加入していくらも経たず、直雇用と子会社を分けることになって労組を始めて、 労組が何かも知らない状態で訴訟をしながら、 本当に私は何も知らずに3日間だけ行ってくれば良いよといったのですが、 81日もキャノピーで暮らすことになりました。 私がここまでくるようになったのは、韓国労総の野合に同意できず、 その合意文に同意するのは自分にとても申し訳なかったからでした。 私が臨時職や期間制を分けるために戦ったのではないからです。 それでまた民主労総にきて、最後まで闘争して、 直接雇用される姿を見せてあげたい。 機会があれば巡回闘争のように連帯して、 他の非正規職労働者の力になる人になるように努力します。」

自分は平凡な主婦だったと紹介した闘争する料金所労働者、 ミョンソン氏は熱い焼き付ける陽射しの下、 ソウル高速道路のキャノピー高空で81日を生き延びた、 決して平凡でない大胆な人だった。

われわれの闘争は連帯として続ける

いつもと同じように、午前5時になると、水があふれる声、 バサバサという音があちこちから聞こえる。 6時10分までバスに搭乗するためにこまめに動いた。 巡回闘争団を乗せたバスは、現代重工の正門で私たちをおろした。 準備したチラシをまとめて、横断幕とプラカードを上げ下ろしした。 出勤する人からよく見える位置について、朝の宣伝戦を始めた。

[出処:起亜車非正規職支会ファン・サンユン]

まだ朝6時30分なのにバイク軍隊が過ぎ去った。 信号で立ち止まっている人波の間から宣伝戦をする巡回闘争団が見えた。 こんなに多くの人たちはどこからきたのか、現代重工正門にどんどん入っていった。 いったい現代重工の出勤時間は何時なのか気になって聞いてみると8時だという。 こんなに早く出勤する理由はわからないが、 社内で朝食も取り、ヘルスクラブがあって、運動してシャワーとご飯を食べて作業場へ行くことが習慣のようになっているという話があった。 正規職や事務職員ならともかく、現場職で可能だろうか? そこまで重工業についてよく把握できないのは残念だった。

宣伝戦を終えて現代重工労組で用意してくれた朝食でしっかりお腹を満たした。 料金所労働者闘争は大きな関心と愛情を受けて、 蔚山科学大清掃労働者たちと会うために移動した。

料金所労働者のカプスン氏は、子育ての暮らしだけして、 料金所料金徴収員の仕事が初めての社会経験と違わなかった。 韓国労総料金所労組に入って民主労総に移ってきたが、 テント座り込みをしている旭非正規職支会と慶山のタクシー労働者たちを見て、衝撃を受けたという。 自分たちはソウル高速道路のキャノピー高空籠城と青瓦台の前での野宿座り込みをして、 今は公社を占拠しているけれど、自分たちよりさらに劣悪な座り込みが多いことを巡回闘争しで見て感じた。 カプスン氏が蔚山科学大清掃労働者のとても古いテント座込場を見れば、 どれほど驚くだろうか。

蔚山科学大のキム・スンジャ支部長と組合員たちは、 相変らず座り込みを続けながら、巡回闘争団が来ることを待っていた。 座込場は長くなってぼろぼろだが、 いつ終わるかわからない座り込み闘争に備えるかのように、 壁の一角には水のボトルがいっぱい積まれていた。

装具一つだけあれば、どこでも歌1000曲は歌うことができるというキム・スンジャ支部長は、話し方もすごい。 司会者が話を短くしてくれという要請をしなければ、二時間でも休まずに話せる程、 蔚山科学大清掃労働者たちの座り込み闘争6年の話がさらさらと出てくる。 労組を作って、今まで戦った話をすべて聞くには二時間では不足する。

最近、蔚山科学大と交渉があったようだ。 蔚山科学大側が他の良い就職を斡旋するという案を出したようだが、 一刀のもとに拒否したという知らせだ。 蔚山科学大清掃労働者は2007年に闘争して解雇された。 その時も戦い、働いていた所に復職をした経験がある。 組合員を追い出して新しく採用した清掃労働者がいたが、 組合員たちは勝って学校に戻った。 学校側に解決する意志さえあれば、 十分に元職復帰が可能だ。 仕事は作ることができるためだ。

そして会社側の提案を拒否する重要な理由はまたある。 清掃労働者のこの6年の闘争は、彼らだけの力で行った戦いではない。 地域の多くの労働組合や全国の多くの連帯者の後援と介護を受けながら、 今まで戦うことができた。 彼らが後援して連帯してくれたのは、良いところに就職しろという意味ではない。 権利を剥奪された清掃労働者が民主労組の旗を握りしめて 現場に復職することを願っていた。

清掃労働者の平均年齢は67歳だ。 働いて馴染んだ所に戻り、名誉の定年退職を迎えるという願いは無理ではない。 最後にキム・スンジャ支部長は学校側に警告した。

「私は当分復職できなくてもいい。 私はここで老いて死ぬまで、蔚山科学大を困らせながら闘争し続けるから いじめられたければ勝手にしろ。 良い雇用は若い世代に与え、われわれは学校を清掃すれば良い。」

6年間の闘争が決して無駄ではないことをよく示す言葉だ。 解雇されたのは清掃労働者が悪かったからではない。 清掃労働者が最低賃金も受けとれない。 生活のために働きに出てきた労働者たちが、 生活賃金を望むのはあまりにも当然の道理だ。 清掃労働者が労組を作って人間らしく生きるために生活賃金を要求したという理由で 解雇して路上に追い出した蔚山科学大の野蛮な労務管理の態度は非難されて当然だ。 清掃労働者が元職復帰を要求して名誉を回復しようとしていることの意味は、 労働者の自尊心のためにもとても重要な意味だ。

やはり秋の旅行は海だ。 蔚山まできて、海を見ないわけにはいかない。 蔚山科学大清掃労働者に別れを告げて、巡回闘争団は海に向かって走った。 朱田という所だ。 砂の代わりに丸い小石が集まっている浜辺の町に紫の波巡回闘争団がおりた。 蔚山で分厚い後援支援金封筒を作ってくれたといううれしい知らせと 海辺にきたついでにさしみは食べられないまでも、 海鮮丼とムルフェのどちらかメニューを選択できる喜びを味わった。

偽物正規職化の包装紙をはがした声「子会社は消えろ!」

大邱に向かった。 韓国ガス公社の退勤宣伝戦をするためだ。 暗くなる大邱の東区革新都市に入るときらびやかなガス公社のビルが輪郭を表わした。 金泉にある韓国道路公社はまるで巨大な城のように高くて雄壮だった。 ガス公社は低いが屈曲ある線を持つ華麗で贅沢な建物だった。 公共機関の本社建物の規模に、巡回バスに乗った搭乗者はみんな舌を巻いて驚き、 非難があふれた。 あの城は誰の血の汗で作ったのか問わざるを得なかった。

華麗な城門の前に赤いチョッキを着た人々が 「子会社政策廃棄、直接雇用要求」を書いたプラカードと横断幕を持って 宣伝戦を始めた。

ガス公社の非正規職労働者は2年ごとに契約を更新する用役業者に所属している。 労組ができる前は、業者が変わるたびに雇用不安に苦しまなければならなかったが、 労組を作ってからそうした不安はちょっと減ったように見えた。 文在寅(ムン・ジェイン)政権になって公共部門の非正規職ゼロを宣言した時、 正規職化への期待が高まった。 政権が非正規職労働者に甘言利説で期待を大きくしたのだ。 しかし実は、正規職化は私たちが思っているような正規職化ではなかった。 ガス公社も非正規職労働者を子会社に押し込もうと動いている。 まだ言葉だけの状態だという。

彼らは文政権になってから今まで直接雇用を要求しながら闘争してきた。 料金所の労働者たちが子会社を拒否して1500人の直接雇用を争奪するために闘争する姿を見ながら、 ガス公社の非正規職労働者たちはさらに奮発するようになったという。 公共部門の非正規職を正規職化するための戦線が作られず、 大きな闘争に拡張できないことが残念だった。

巡回闘争の最後の夜は大邱で過ごした。 寝床は全教組大邱支部が用意した。 最後の夜を過ごす前に巡回闘争の中間評価の時間を持った。 広い講堂に丸く座って、30人の巡回団が3泊4日間の所感を聞くことにした。

料金所の労働者たちは「4日間歩き回ってみると、 私たちが一番大変だと思っていたのに、私たちより大変な人が多いということを知った時間だった」としつつ、 ヘオク氏は「私たちが闘争しながらトラの害や天然痘より恐ろしいのが発言だといいました。 4日間の巡回闘争が初めてなので、どうするのかも知らずについて行ったのに、 行く所ごとにマイクを持って発言すると言われてものすごく負担になったし、 主催側が事前に知らせてくれず当惑する時が多かった」と話す。

行く所ごとに知らない労働者たちの前で料金所労働者の闘争を知らせるために最善を尽くして声をあげた人々だ。 トラの害や天然痘より恐ろしい発言を、勇気をもってやり抜いた。 苦情もあったが、ヘオク氏は感激だったという。

「とても感動的だったのは私たちのことです。 もちろん大きく見れば非正規職問題ですが、 今、料金所の問題で皆が一緒にしてくれて、 私たちより劣悪な環境の人のために皆がしてくれるのを見て、 とても大きな感動を受けました。」

巡回闘争団参加者は順番に所感一言ずつを発表した。 話をする中に鋭い批判の声も聞こえた。 宝城で地場種を保存して栽培する農夫は、料金所闘争の中で現れた問題点を指摘した。

「大法院で勝訴した判決者たちがある日突然、自分たちが働いていた料金受納ではないところに発令されて復帰し、 またある日突然、2審裁判の勝訴者が現場に復帰したという報せに接した。 明らかに料金所労働者たちが1500人の直接雇用を争奪するために闘争に立ち上がり、 連帯が組織された。 今日まで3日間、必ず直接雇用争奪できると自信を持ち、 その理由は私たちが正しいと信じているためだが、 今まで料金所労働者たちの闘争に連帯した人たちに率直ではない姿を見せた。 使用者側の分断に巻き込まれているということは、とても残念な問題で、 連帯した人々にどう答えるのか、一度整理しなければならない。」

筆者は蔚山宿舎で眠る前にSNSで金泉本社で占拠座り込みしている料金所労働者のうち、 2審判決者が現場に復帰するという知らせを聞いた。 眠れなかった。 料金所労働者6500人のうち1500人が子会社に転換されることを拒否して直接雇用を自ら争奪するとして、 ソウル高速道路キャノピー高空籠城を、青瓦台野宿座り込みをしながら 今まで守ってきた原則は、 「子会社なくせ! 直接雇用争奪!」であった。 韓国労総料金所労働組合が先に屈辱的な野合で闘争が挫折する危機もあったが、 その瞬間にも原則を固守して現場を守った民主労総所属の組合員たちと、 韓国労総を脱退して民主労総に来た人により闘争は続けることができた。

しかしある日、民主労総所属の労働者たちのうち、大法院勝訴者が現場復帰をした。 現場に戻り、闘争を続けていくといったのだ。 しかし問題は、韓国道路公社の李康来(イ・ガンネ)社長は 当初から大法院勝訴者を正規職に転換しても、 料金徴収員業務に配置しないという立場を明らかにしていた。 補助業務に配置するということだった。 それどころか、現場に復帰した労働者たちは料金徴収員業務ではなく、 仮眠シェルターで清掃をしたり、雑草むしりなどのあらゆるつらい仕事をしている。

私たちが巡回闘争を始めた日も現場に復帰した労働者が草をむしっているとき、 鎌で指を切ったという知らせが聞こえてきた。 怪我をしてもすぐ病院に行くこともできず、 翌日指を縫ったという知らせも聞こえた。 さらにあきれるのは、韓国労総料金所労組の委員長が 労災処理はするなと頼んだということだ。

明らかに公社の現場復帰命令を履行しなかった時に発生する不利益があり、 解雇に対する威嚇と負担が存在する。 労組指導部は現場の状況を把握することも必要だと主張する。 しかし、われわれは今までの戦いの過程で、 闘争はさらに団結して拡張することで勝利できるということを学習してきた。

すでに1500人のうち韓国労総の組合員数百人が民主党乙支路委員会と 李康来社長の悪賢い策略に負けてしまった。 ストライキ参加者の数は以前よりかなり減った。 労組指導部が大法院勝訴者を引き抜いて、現場に押込んだ瞬間ごとに、 なにか法的な決定が発生するたびに、 闘争隊伍から離脱する人が着実に発生する。 闘争隊伍はますます減り、弱まることは火を見るより明らかな事情だ。 使用者側が分断する方式を知らないわけではない労組が、 使用者側の意図した通りに行けば、百戦百敗の結果を招くだけだ。 問題は労働者の団結だけが生きる道だと信じ、こん身の力で戦っている組合員たちが挫折することにしてはいけないということだ。

今まで料金所労働者たちは、よどみなく前進した。 巡回闘争団が4日間の闘争事業場巡回闘争をしている時、 ソウル市光の化門広場にテント8棟を張り、 午後2時にはなら文在寅大統領と会うために青瓦台に向かった。 民主党のイ・ヘチャン代表事務所の占拠座り込みと 国土部の金賢美(キム・ヒョンミ)長官事務所の占拠座り込みを続けた。

巡回闘争団は大邱市寿城区にある民主党の金富謙(キム・ブギョム)事務所に抗議訪問をした。 紫色非正規職もうやめろチョッキを着た巡回闘争団は、 エレベーターに乗ってゆうゆうと金富謙事務所を探して上がった。 民主党本部の事務所に入った時、 党役員は軽蔑と嘲笑に満ちた視線を送った。 あつかましくも彼が自分も一時、民主労総であったと話したとき、 私はその瞬間頭のてっぺんまで怒りがみなぎった。 彼に向かって背信者、その口を閉じろと大声を張り上げた。 しかし私はすぐ恥ずかしくなった。 彼は何を裏切ったのか?

[出処:起亜車非正規職支会ファン・サンユン]

1500万の労働者を代表して民主労組に表象された民主労総の委員長出身の李氏は、 辞めるとすぐ民主党のソン議員の補佐官になった。 民主労総は批判の声をきちんとあげず、 原則を堅持するために厳格ではなかった。 野合ではないとしても、取り引きはされたのが現実だ。 彼らは民主党に気兼ねなく行き、 労働者の権利を剥奪する法と制度を整備するために先頭に立ちながら、 民主労総出身だと厚かましく話すことができた。

以前、民主労総大邱本部長出身のクォン氏が民主党に移った。 あらゆる美辞麗句を使って、労働者のための政治を名分に打ち出した。 しかし労働者政治をする暇もなく、 執権与党民主党は労働法を改悪するために刀を抜き、剣舞を踊っている。 すでに最低賃金は食事代と部屋代を削減できるようになり、 労働時間はゴムのように伸ばしたり縮めたりできるようになった。 勤労基準法はぞうきんになって、ぼろぼろになってしまったが、 労組する権利は地面に下ろせという。 果たして誰が労働者のための政治をできるのか疑わしい。 そんな民主党の一介の議員に料金所直接雇用に関する立場を聞くのも ナンセンスだとしばらく考えた。 巡回闘争団はヨンデ病院へと向かった。

われわれの闘争が民主労組運動の羅針盤になるのを

ヨンデ病院の屋上でパク・ムンジン氏が両腕を力いっぱい広げて巡回闘争団を歓迎する。 とても遠くて人の形がはっきり見えないが、 とても小さな身振りも彼女としては最善だということが分かる。 もっと近くで彼女を見られる4階の駐車場に上がった。 私たちが近付くと、風に吹かれる小さな体で大きな横断幕を広げ、 私たちをむかえてくれた。「頑張れパク・ムンジン!」を喉が張り裂けるばかりに叫んだ。

一時は千人も越える組合員を率いた委員長だった。 ヨンデ病院の労組破壊シナリオで犠牲になった解雇13年目の看護師で労働者だ。 彼女は頑強に意を曲げずに高空籠城に耐えている。 手遅れになる前に現場に復職するべきだが、 そのより解雇の原因になった労組破壊シナリオを作成して実行した責任者の処罰を望んでいる。 病院のてっぺんでひとりで孤独な闘いをしている彼女は、 民主労組運動がどこから崩れ、何を復元すべきか、 多くの質問を投げかけている。

[出処:起亜車非正規職支会ファン・サンユン]

4日間の巡回闘争日程は終わろうとしている。 始まりで、最後の行先地は、金泉韓国道路公社本社だ。 公社の広場テント村は寂しそうに見えた。 かなり多くの人が青瓦台に行ってしまったためだ。 寂しい席は闘争事業場4日間巡回闘争団が埋めた。 巡回闘争で会った自動車を作る労働者と船を作る労働者たち、 火薬を作る労働者たち、そして鉄道公社、ガス公社、病院などの公共機関の労働者たち、 世の中を動かす主役が続々と韓国道路公社に入り始めた。 いつの間にか闘争文化祭が開かれる道路公社裏門の広い広場は、 連帯に来た人々でいっぱいになった。 ビルの中で座り込んでいる料金所労働者たちは、 私たちを見送った時より活気に満ちた勢いで私たちをむかえてくれた。

巡回闘争の中でときどき練習した「明日の歌」ユルトンも無事に終えた。 舞台に立った4日間の巡回闘争団を代表して、 料金所闘争する労働者ジュヨン氏の発言でこの文を締めくくる。

「仲間の皆さん、私たち8人の料金所料金徴収員をはじめ、 35人で構成された巡回闘争団は、 4日間のぎっしり埋まった日程を無事に終えて、 健康なからだと気持ちで復帰しました。

われわれは解雇されて肉を焼く夏の強い陽射しさえ、どう勝ち抜いたのか記憶がないほど 本当に熱く闘争しながら、私たちほどくやしくて、私たちほど苦しい人は 世の中にいないと思いました。 しかし頭を少し回して見ると随所に非正規職労働者たちの呻吟です。 大韓民国がすっかり非正規職労働者たちの叫びで病んでいます。

私たちが訪問したどの現場ということなく、一か所も胸が痛まないところはないが、 特に1か月に27日、28日働いても最低賃金に満たない金額でなんとか暮らしていかなければならないデリムタクシー労組の仲間たちを見て胸が痛み、 劣悪で危険な環境で働いて怪我をしたり死んでも、 すべての責任を労働者の不注意のせいにして、 社長の処罰はせいぜい罰金30万ウォンで免責し、 負傷した労働者をトラックにのせて病院に搬送する大宇造船下請労働者の仲間を見て、 口があるのに話す言葉を失いました。

そして13年間、さまざまな苦難をあじわいながら復職闘争する平均年齢66歳の 蔚山科学大学校清掃労組の仲間たちを見て、 せいぜい3か月で苦しいからと会社の懐柔に力なく出て行って辞めて行った 徴収員の仲間たちのことを考えて恥ずかしい気持ちまでしました。

たちが悪い非正規職がどう誕生しましたか? 22年前、無能な為政者の誤りで無理にOECDに加入して国家を不渡り直前まで追いやり、 危機克服を口実に苦痛分担を要求して労働者の膏血を絞ったのではありませんか? 危機を卒業したらシステムを正常に戻すべきなのに、 企業には産業用電気料金タダ水準、法人税割引など、 各種の特典を施して腹を肥やしてやり、 大韓民国全労働者の半分ほどを非正規職に追いやって、 社会をしっかり支える中産層が崩れ、 持てる者は腹が膨れて死に、庶民らは腹がへって死ぬ世の中にしてしまいました。

資本家は、こうして搾取した私たちの血と涙をどのように使っていますか? 良質の雇用創出、研究開発などの健全なところに再投資せず、 留保金という名前で金庫に積み上げたまま、 不動産投機などでひたすら自分たちの財産を増やすことだけに血眼になっています。 一つ例として、約8年前に現代グループで時価3兆5千億ウォンの江南の韓国電力の土地を 何と4倍の10兆5千億ウォンで買収しました。 自分たちが血の汗を流して稼いだ金なら、そんなに湯水のようにぼんぼん使えますか? この怪物のような非正規職をもう私たちの手で断ち切らなければなければなりません。

そして運動の中心にわれわれ徴収員がいます。 われわれ徴収員の闘争に必ず勝利して、非正規職ない世の中作る礎石になることを望みながら、 育つ青少年に努力しただけの代価が戻り、 一生懸命働けば自分も豊かに暮らせるという希望を持てる社会を譲りたいです。

そしてさらに重要な一つは、 今回国会通過を控えている労働法改悪、 これは私たちが必死に防がなければなりません。 労組を無力化して労働者を奴隷化するこの悪法こそ、 元請、下請、正規職、非正規職を問わず、 韓国の労働者なら互いに区別することなく、 一つに結集して命がけで防がなければなりません。

昨日、青瓦台前の警官による暴力鎮圧で、 盾で殴られて負傷した同志が発生しました。 その場面を見た瞬間、わき立つ怒りを禁じえませんでした。 この法が通過すれば、われわれはもうどんな不当な処遇にも抵抗できず、 言われたとおりに働いて、払うと言われただけをもらい、 それこそ本当に犬豚のように暮らさなければなりません。

お願いですから、周囲の同僚や家族、知り合いにこの事実を広く知らせ、 明日の全国労働者大会に10万、いや100万の大軍を結集させて、 私たちの雄壮な声が世の中を変え、労働が尊重されて労働者が正当な扱いを受ける世の中になるよう願います。」

(闘争する料金所労働者ユン・ジュヨン11月8日闘争文化祭発言全文)

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


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