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双竜自動車解雇労働者、希望テント村の寒い冬!

[派遣美術-現場美術]非正規職ない世の中のための希望のツリー

シン・ユア(文化連帯) 2017.10.27 15:34

本当に雪が多い冬だった。 韓進重工業に駆けつけた希望バスは、309日間の旅程を終えて整備中だった。 2009年の暑い夏の玉砕ストライキから闘争を続けていた双竜自動車の解雇労働者たちは切実だった。 工場の屋上で、煙突の上で、たっぷり叩かれ、殴られ、踏み付けられて地面に降りてきてからもう3年になる。 希望バスが初めて出発した時、双竜自動車の解雇労働者たちは話した。 労働者が労働者と連帯することこそ、私たちがするべきことだと。 1年ほどの間、希望バスは双竜自動車労働者だけでなく、韓国で闘争するすべての労働者たちにとって希望の小さな火種になった。 この火種に火をつけるために、双竜自動車の解雇労働者たちは希望テント村を作り、 平沢工場前で無期限テント座り込みをすることにした。

2011年12月23日、死の工場を希望の工場にして双竜車工場を包囲しようというスローガンの下で、希望テント村1次包囲の日を宣言して準備に入った。 クリスマスは目の前だった。 筆者はさまざまな企画で忙しく、派遣美術チームと共にテントに絵を描くことと工場の前で連帯する人たちのために象徴物を製作しなければならないと考えた。 悩みが多かった。 クリスマス…。 ではツリーを作らなければならないと思い、一般的ではないが私たちの主張を見せられる「希望ツリー」について考え始めた。 インターネットを検索してみたり、これまでの記憶に基づいてツリーの形と材料について検討を始めた。

インターネットを検索するとさっと目に入ってくるツリーが見えた。 弘大通りに設置されたという素敵なツリー。 リサイクル瓶を利用して作ったとある。 誰が作ったのだろうか? まさにこれなのだが。 設置作家を探してみた。 シン・ジュウク。 ああ、よかった。 知っている作家だった。 すぐに電話をかけた。 シン・ジュウクは2009年に竜山惨事現場レア・ギャラリー展示で知りあった作家だ。 双竜自動車労働者たちの話を伝え、弘大側に設置された作品と同じ作品で平沢工場の前に作ってくれるのかも尋ねた。 お金もなくて時間もなかった。 それでもしてもらえるかと尋ねた。 彼は快く作ってみると言い、一人では難しいので労働者たちと一緒にできればいいと言った。 労働者たちと一緒という言葉に、気持ちが傾く。 いつも現場で望んでいた方式だ。

そして準備が必要だった。 緑のマッコリの空き瓶を集めなければならなかった。 1000本ほど集めたのだろう。 双竜車解雇労働者たちは町のリサイクルセンターに連絡し、 古物商も歩き回ったが、なかなか集まらなかった。 それでその日から双竜自動車解雇労働者たちはマッコリばかり飲んだという。 マッコリ瓶を集めた後、ラベルをはがしてきれいに水で洗うのは、 真冬に手にあかぎれができ、かじかんで切れて、簡単なことではなかった。 木を切って枠組みを作り、緑の布で巻いて、空き瓶が入る空間を作り、 中央の空いた空間に布を付けた後、「一緒に暮らそう」と書いた。 シン・ジュウクの可愛い文字が格好良く似合う形だった。 クリスマスツリーらしく、豆電球を付けて点灯した。 もう希望テント村にお客さんを迎える準備を終えたような気持ちだった。

12月23日、白い雪がこんこんと降る。 工場の前の道路には、舞台が作られてその周辺で小さなテントが広げられる。 イ・ユニョプ版画家はかちかちに凍りついた染料を溶かしている。 一筆ごとにすぐ染料が凍ってしまう。 また塗って、また塗る。 テント一棟一棟に数字を書いて、テントごとに多様な絵が描かれる。 工場に戻ろう。 非正規職ない世の中。

1次包囲の日「ワラク クリスマス」の夜が深けていく。 舞台の上にはサンタの服装をした双竜自動車解雇労働者たちが歌を歌う。 全国のすべての労働者たちの希望になってくれるように願う。 サンタのプレゼントが皆の気持ちに近付いてくる夜だった。 寝袋を持ってテントの中に入った。 メガネに霜が付く。 鼻からは白い息が出てくる。 夜中に凍え死にはしないだろうか。心配だ。 夜が明けた。誰かが焼酎の瓶で作った可愛らしい雪だるまが見える。

2012年1月13日、2次包囲の日、われわれは爆竹を放った。 ミツバチになって、連帯した人々に蜜を集めてくれと叫んだ。 もうすぐ闘争1000日になる。 1000日間の戦いの中で多くの労働者たちが死んでいった。 19人の死の後、これ以上の死はあってはならない。 必ず工場に戻ろう!

希望テント村の後、労働者たちは力をあわせることにした。 道路で闘争するみんなが一緒に、互いが互いと連帯する場を作ることにした。 希望の歩みという名で集まった労働者たちは、2012年1月28日に才能教育1500日を共にして、 1月30日から2月11日までは才能から双竜自動車まで、 整理解雇非正規職事業場が共に歩く日程だ。 2月15日は双竜自動車闘争1000日目になる日だ。

希望の歩みは二チームに分かれて動いた。 一つのチームは希望の歩みチーム、他の一つのチームは希望の塩の花の木の実チームだ。 木の実チームは韓進重工業労働者たちが全国を回りながら、 闘争する労働者たちと会って短冊に願いを書いてもらうことにした。 集めてきた短冊は、希望の実というかごに入れて、木にかけて希望の歩みの最終日、 実を放り投げて全国の労働者たちが送ってきた願いがかなうように願う象徴儀式をすることにした。 派遣美術チームはするべきことが多くなった。[続く]

付記
この文は文化連帯が発行する話の倉庫〈文化パン〉にものせられました。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2017-10-30 20:33:42 / Last modified on 2017-10-30 20:33:43 Copyright: Default

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