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韓国:「4.16人権宣言」、セウォル号という事件をまた事件にする過程
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「4.16人権宣言」、セウォル号という事件をまた事件にする過程

[人権オルム]「今までとは違う」韓国社会を作る出発点

チョン・ジョンフン(4.16人権宣言 制定委員) 2015.03.20 17:54

セウォル号、起きてはならなかった事件

事件は平穏に流れていた時間の連続性に何かの亀裂を入れる。 同じことが繰り返される時間の連続的な流れの中でも多くのことが起きるが、 それらのことが時間の同質的な秩序を変えることはない。 日常は、そうした同質的な出来事の反復で満たされている。 事件は日常的時間の同質性を破壊する。 事件が発生した後の時間は、もはやそれ以前の秩序に支配されない。 だから事件はそれ以前と以後を分ける。

そのような意味で、4.16は事件の記号だ。 2014年4月16日に起きたことを示すこの記号は、 まさにそのことが日常的な時間を支配していた秩序の以前と以後を分ける事件であることを意味する。 換言すれば、多くの人々にとって4.16はそれ以前の人生と、それ以後の人生が変わるということを、 全く違う時間の秩序を生きていくことを意味する。 セウォル号が沈没した事件、そして乗客が誰も救助されなかったという事件以後の時間をわれわれは生きている。

当然ながら4.16という事件は起きてはならなかった。 セウォル号はあのように沈没してはならなかった。 乗客はあのように死んでいってはならないことだった。 セウォル号は起きてはならない事件だった。 決して再発してはならない残酷な事件、セウォル号はそれこそ惨事だった。

セウォル号という事件と非事件化する力

だからセウォル号事件が起きた後、すべての市民は悲しみ、怒り、 大統領と与党をはじめとする国政の責任者らは、このような惨事が発生した原因を究明して責任者を処罰し、 二度とこのような事件がおきないようにすると公開的に約束した。 だがセウォル号惨事からもうすぐ1年になる今、状況はどうなっているのか? セウォル号は「国民的」関心事から遠ざかっており、 政府与党もセウォル号惨事の真相究明に微温的な態度を見せている。 いや、政府与党は微温的というよりも体系的にこの惨事の真相究明を阻止しているという印象を与えるほどの態度を見せている。

セウォル号惨事は交通事故に過ぎないと言う与党国会議員の発言が象徴的に見せるように、 支配勢力はこれまで韓国社会を規定してきた秩序の枠組みの中にセウォル号惨事を閉じ込めようとし、 セウォル号後もその秩序を維持しようとしている。 彼らは言葉では韓国社会の歴史がセウォル号以前と以後で分けられるというが、 行動ではセウォル号事件をただ常時発生する日常的な事故の一つにしている。 事件を事件ではないものにしようとする力が作動しているのだ。

「4.16人権宣言」と事件の事件化

▲3月12日、4.16人権宣言制定のための準備会議があった。2015年4月の草案発表以後、各界各層の草の根討論を続ける計画だ。[出処:人権オルム]

私は今年のはじめから「4.16人権宣言」制定委員として活動し、この宣言を作る過程に参加している。 今は草案を作る作業が続いている。 ここに参加して、私はセウォル号という事件と、その事件を事件ではないものにしようとする力が 「4.16人権宣言」が置かれている具体的な脈絡を規定していると考える。 韓国社会がもうこれ以上、今のような方式で作動してはならないという切迫した要求を、セウォル号惨事は含んでいる。 だが今のように作動している韓国社会で既得権を享受してきた人々は、 その事件に含まれる要求を無化しようとする。 セウォル号は「今までとは違う」ことを韓国社会に要求するが、 既得権勢力は「今までと同じように」をセウォル号に要求している。 こうした状況の中で「4.16人権宣言」が作られるのだ。

だから「4.16人権宣言」は、非事件化されているセウォル号惨事をまた事件化しようとする試みの一つだと考える。 セウォル号惨事はそうした事件が決して繰り返されてはならないことを命令する事件だ。 換言すれば、セウォル号惨事を呼んだ韓国社会の作動システムが徹底して変革されることを要求する事件だ。 この事件の要求を実現するには、まずこの事件を非事件化しようとする力、 この事件を既存の秩序の中に隠そうとする力を突破して行く力が必要だ。 そうすることでこそ、4.16は韓国社会でそれ以前と以後を分ける事件の名前になれる。 「4.16人権宣言」は、その力を集めるための一つの出発点ではないか?

これは決して容易なことではないだろう。 だから「4.16人権宣言」草案を起草する集まりではとても用心深く、 しかしまたさらに強く、セウォル号惨事の意味を討論している。 セウォル号惨事の社会構造的な性格はどのようなものなのか、 セウォル号惨事は国家と同僚の市民にどんな責任の問題を提起するのか、 安全とはどのような性格の権利で、どう保障すべきなのか、 災害とは何か、災害の救助の過程での人権の原則は何か、 セウォル号問題を解決する過程での市民の連帯はどのようなものでなければならないのか等等、 多様な争点らを討論し、これらの争点を整理するために必要なさまざまな資料を共に検討している。

4.16、同じ事件の反復を防ぐ事件の名前

「4.16人権宣言」の制定過程に参加して、この宣言で重要なことはその内容に劣らず、 この宣言ができる過程だと考えるようになった。 今「4.16人権宣言」の草案を作るための集まりが行っている取り組み、 ここで形成される討論がセウォル号という事件の意味をすべて表わせるのではない。 セウォル号という事件の意味と、その要求に答えようとするさらに多くの人々が共に悩み、討論する時、 この宣言は4.16が韓国社会を変化させる事件の名前になる契機の一つになるのだろう。 だから、近く4月に発表される「4.16人権宣言」は、決して完成された宣言文ではない。 以後、「4.16人権宣言」の草案をめぐり、この社会のあちこちで多様な人々が集まり、 思いを交換して悩みを共有する時間を持つことになる。 こうしたことに答える過程の中で「4.16人権宣言」は制定されるだろう。

セウォル号事件はこのような事件の反復を防ぐ事件にならなければならない。 そのためには力が必要だ。 そしてその力はセウォル号が提起した問題に答えようとする人々から出てくるだろう。 「4.16人権宣言」の制定の過程はそうした応答が集まる過程でないだろうか? そのような答える力によって、セウォル号惨事を作り出した韓国社会の日常を支配してきた秩序を止める過程でないだろうか? 「4.16人権宣言」は、その制定の過程がまさにその宣言の過程なのではないだろうか? このような過程を通じ、セウォル号事件はこのような惨事を防ぐ事件になることができるだろう。

▲共に作る「4.16人権宣言」になるように、今後の制定の過程に大きな関心と参加をお願いする。[出処:人権オルム]

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2015-03-21 18:59:56 / Last modified on 2015-03-21 18:59:58 Copyright: Default

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