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韓国:青瓦台前のセウォル号遺族「われわれは暴徒ではありません」
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青瓦台前のセウォル号遺族「われわれは暴徒ではありません」

[インタビュー(1)]警察の暴力、孤立、監視...各種の流言飛語に血の涙を流す遺族

ユン・ジヨン記者 2014.08.23 16:54

セウォル号犠牲者の遺族らがまた青瓦台の前で夜を明かした。 もう三回目の徹夜待機だった。 朴槿恵(パク・クネ)大統領は結局、遺族を無視し、 遺族は固いアスファルトの上で新聞紙一枚を頼りに眠った。 明け方には雨が降り、アスファルトの地面と新聞紙もぬれてしまった。

8月23日朝、景福宮駅から青瓦台に近い清雲孝子洞住民センターの前まで、 警察の警備は厚かった。 警察はセウォル号遺族の座込場を取り囲んで出入りを制止し、 町角のあちこちで市民の目的地を検問した。 4回の検問と一回の身分確認の末に取材が許された。 40人ほどのセウォル号遺族は警察の車と兵力で何重にも取り囲まれ、 のりまきとパンで食事を解決していた。

[出処:メディア忠清チョン・ジェウン記者]

セウォル号遺族、3回の青瓦台徹夜座り込み
警察の暴力、孤立、監視に露出...「われわれは暴徒ではありません」

初めて遺族が青瓦台の前で夜を明かした時、 朴槿恵大統領は彼らを直接青瓦台に呼び入れた。 「話したいことがあれば、いつでも訪ねてきなさい」という約束もした。 だが二回目に青瓦台の前で夜を明かした時、 警察は暴力的に遺族を鎮圧した。 一部の遺族は病院に運ばれた。 国会に行った時も警察に蹴られてアザができた。

彼らが三回目に青瓦台を訪れた時、 警察は「暴力」より「孤立」の方式を選んだ。 公権力が遺族に対する方式は相変らず変わらなかった。 檀園高校2年10組の故イ・ウンビョルさんの叔母、キル・オクポ氏はまだ足に青く広がっているあざを見せた。 国会で警察に蹴られた傷は半月近く消えずにいた。

「警察に足を蹴られました。 足だけでなく全身あちこちに傷を負いました。 警察は遺族に暴行して道を塞ぎます。 とても腹が立ちます。 ずっとこうした状況が繰り返されるので、もう服を脱いで裸体で戦わなければいけないのかもしれません。 子供を失っただけでも悲しい家族に、警察がこのように暴力的に対してはいけません。 われわれは罪人ではなく被害者です。明らかにこの国は狂ってしまいました」

檀園高校2年7組故オ・ヨンソク君の両親も4月16日以後、 彭木港から安山焼香所、国会、光化門、青瓦台まで、 家ではなく道の上で生活する時間の方が長かった。 彼らは単に息子の死を明らかにしたかっただけなのに、 公権力はいつも彼らの行く手を防いだ。 故オ・ヨンソク君の母、クォン・ミファ氏は毎度ドキドキする胸を押さえて 警察と対峙しなければならなかった。

「昨日、青瓦台の前に遺族が集まることも、007作戦を思わせるものでした。 2人ずつ組になって、散歩のように道を歩きました。 警察と目が会うと、恐ろしくにらみます。 共に目があうとどこに行くのかと検問をします。 青瓦台の前に来たのは三回目です。 二回目にきた時より、警察の暴力や小競合いは減りました。 世論を意識して、用心深く行動しているようです」

午前11時30分頃、セウォル号遺族の一部がバスに乗って青瓦台前の座込場に到着した。 光化門広場から清雲孝子洞住民センターまで、 停留所4つほどの距離だが、過程は険しかった。 檀園高校2年5組の故キム・ミンソン君のお父さん、 キム・ホンヨル氏は警察の監視と妨害に腹を立てていた。

「今日の午前10時30分頃、 光化門座込場交差点で警察は家族が乗ったバスを止め、小競合いになりました。 遺族が抗議するので後で警察は兵力を撤収しました。 なぜ止めたのかと聞くと、家族がバスで道路の真中を占拠したそうです。 先に警察が家族のバスを止めたのに、全てがただ遺族の誤りになります。 マスコミでは警察が兵力を撤収させた現場写真で「遺族が道路を占拠した」と書きます。

その上、家族がバスに乗って移動をするのに、知らない人がバスに座っています。 「あなたは誰なの?」と聞くと、その時になって突然バスからおりました。 私服警察なのか、国家情報院職員なのかはわかりませんが、いつも遺族を監視しています。 われわれはただなぜ私の子供が殺されたのかを明らかにしろと言っているだけなのに、 彼らは私たちを暴徒だと言います。遺族は暴徒ではありません」

子供を失い、生業もたたんで路上に追いやられた
「一人息子を失った...もう生業は重要ではない」

故オ・ヨンソク君の両親は、 息子の死の真相を明らかにするために120日を越える長い戦いを続けている。 オ・ヨンソク君は一人息子だった。 三人家族の仲むつまじかった思い出は過去のものになってしまい、 子供がいなくなった場は悲痛で満たされた。 空の家ではもう食事を作る音も、笑い声も聞こえない。 もう失うものがない遺族はすべての生業を中断して路上に居座った。

[出処:メディア忠清チョン・ジェウン記者]

「この前久しぶりに洗濯しに家に行ったが、家はほとんど腐っていました。 ふとんには子供の写真だけが転がっていて... 子供が死んで、一度も家でがたがたする音は聞こえたことがありません。 家では一回も食事を作って食べたことがありません。 お父さんも休職届を出しました。 生業はもうあまり重要ではありません。 お金が出て行くことがないのです。 子供が着たい服、食べたいもの、もう買うこともありません。

友人が覚えているヨンソクはユーモア感覚が優れた息子でした。 マナーが良くて、よく食べました。 性格も良くて嘘もつかない息子でした。 娘がうらやましくないほど愛きょうもありました。 しかし息子が見たがっていたあたりまえの映画一本も一緒に見ることができませんでした。 息子のことを考えるといつも苦しいです。 朝起きてから夜眠る時も子供のことを考えて苦しみます。 雨が降ったりすると、さらに多く思い出して胸が張り裂けそうになります」

故キム・ミンソン君のお父さん、キム・ホンヨル氏もすべての生業をやめた。 なぜ子供が死ななければならなかったのか、真実を知るまでは、 何も手がつかないという。 そしてこれ以上、こうした悲劇を繰り返さない社会を作るまで、 きちんとした特別法を制定するまで、戦いをやめないと話した。

「妻も私もみんな生計をたたみました。 なぜ子供が死んだのか、理由がわからないのに、どうして正常に暮らせますか。 病気で死んだのなら、交通事故で死んだのなら、なぜ死んだのか納得ぐらいはできるでしょう。 これは事故ではありません。事件です。 親としてできるところまではしなければなりません。 できることはやらなくてはね。」

各種の流言飛語に血の涙を流す遺族
「息子を失った遺族に『ロト』が当たったという...われわれは金がなくても幸せだった」

遺族を困らせるのは、子供を失った悲しさだけではない。 彼らに対する人々の歪んだ視線と悪性の流言飛語は、遺族の心をまた打ち砕く。 彼らはあらゆるうわさと視線に露出し、まともな生活が出来ず、 正常な対人関係にも困難を味わう。 話せないくやしさだけが胸に積もって行く。

[出処:メディア忠清チョン・ジェウン記者]

キム・ホンヨル氏はすでに悪性の流言飛語で多くの傷を負った。 その一次的な責任は、事件序盤から各種の誤報を乱発した言論にあった。 キム氏は繰り返し「マスコミは信じない」と声を高めた。 放送3社は政権のオウムになり、政権に有利な記事だけがポータルを埋めていると鬱憤をさく烈させた。 これを始め、真相は歪められ、遺族は各種の誹謗中傷とマタドールで苦しまなければならなかったからだ。

「この前床屋に行ったが、理髪師が特別法のニュースを見て 『もうバスで山に行って死ねば、無条件特別法を作るつもりだね』と皮肉りましたよ。 そして遺族が『もっと補償金をもらおうとして戦っている』と話したりもして。 心が崩れ落ちて、それについて何も言えませんでした。

悪性コメントもずっと書き込まれています。 『遺族はすでに15億の補償金をもらい、これからさらに20億をもらう。 一瞬で上位1%の金持ちになった。ロトに当選したのと違わない』というとんでもない内容です。 われわれは金はいりません。 『ロトに当たった』という人に『あなたこそ、子供を殺してロトに当たればいい』と言いたいです。 子供を失ったこともくやしいのに、こんな言葉はとてもつらいです」

故イ・ウンビョルさんの叔母、キル・オクポ氏も4か月間ほとんど人と会うことができなかった。 病気のイ・ウンビョルさんのお母さんの代わりに戦っている彼女は、 あらゆる視線と言葉に歯ぎしりした。 マスコミが誤報をしたり、遺族を非難する記事や流言飛語が飛び交うたびに悲嘆に暮れた。 故イ・ウンビョルさんのお母さんは、何度も入院と退院を繰り返した。

「この前タクシーに乗ったら、運転手が『国家が補償をするのになぜこんなに騒ぐのか。 なぜ義死者と特例入学を要求するのか』と言っていました。 悲嘆に暮れました。 ほとんどの人は放送3社だけを見てそんな話をします。 うちの子が戦場で死んだのでもないのに、なぜ私たちが義死者を要求するでしょう。 与野の合意案はただ政治家のための特別法でしかありません。 われわれは義死者も特例法も何も必要ありません。 お金も必要ありません。 お金がなくても他人に被害を与えず、幸せに暮らしてきた人々です。

私たちの要求は単に救助する時間があったのに、なぜ救助しなかったのかを明らかにして、 間違った人を処罰しろということだけです。 そのために、遺族が要求する特別法を作ろうということです。 事故がおきた4月16日の夜、彭木港で何があったのかご存知ですか。 救助せず、照明弾だけ打ち上げていました。 警察は救助をしていると言い、われわれは救助作業を見ると漁船に乗って出て行きました。 海には何もありませんでした。 海上警察の警備艇一隻が遠くにいて、何もない所に照明弾だけ上げていました。 『お前たちは救助もしないで何をしているのか』と叫ぶと、海上警察も逃げてしまいました。 マスコミが救助をしたという報道、みんな嘘です。 われわれは明らかにしたいのです。 そして間違った人に罪の代価を払わせたいのです」

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2014-08-24 01:22:11 / Last modified on 2014-08-24 01:23:25 Copyright: Default

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