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韓国:太平ではない彼ら、一箇所に集まって叫ぶ
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太平ではない彼ら、一箇所に集まって叫ぶ

セウォル号遺族、障害者、非正規職、解雇労働者が太平路で文化祭

カル・ホンシク記者 2014.08.13 10:41

▲障害者、セウォル号遺族、非正規職、解雇労働者たちが共に「光化門そして太平路、太平ではない人々の文化祭」を12に日太平路の東和免税店の前で開いた。

光化門で座り込みをしていたセウォル号遺族と障害者をはじめ、 太平路付近で座り込み闘争をしたり進行中の人たちが一箇所に集まって、 障害者、セウォル号犠牲者、労働者たちを死に追いやる政府と企業を糾弾し、 共に戦い抜くことを約束した。

「光化門そして太平路、太平ではない人々の文化祭」が8月12日午後5時、 太平路東和免税店の前で障害等級制・扶養義務制廃止共同行動(下共同行動)、 セウォル号惨事国民対策委員会、希望連帯労組CNM・Tブロード支部、 金属労組双竜車支部、民主労総などの主催で開かれた。

これらの団体は現在、 光化門と太平路付近で座り込みをしたか、 現在座り込みを続けている。

まずセウォル号遺族は、遺族参加の下での捜査権と起訴権を付与した特別委員会を構成することを主要内容とするセウォル号特別法制定を要求して30日間ハンストを続けている。 共同行動は光化門駅で724日間、障害等級制・扶養義務制廃止座り込みを続けており、 双竜車支部は昨年11月まで整理解雇者復職を要求して590日間、大漢門焼香所を守った。

希望連帯労組の各支部は最近、ケーブル有線放送CNMで協力業者を変更する過程で、 労組員の雇用継承をしないことに抗議し、 太平路にあるCNM大株主社であるMBKパートナースの前で43日間野宿座り込みを続けている。

この日の文化祭でセウォル号犠牲者の故キム・ドンヒョク君お母さん、キム・ソンシル氏は 「最近『セウォル号問題はうんざりだ』、 『セウォル号のために経済が停滞している』という話をよく聞くが、 なぜセウォル号遺族のせいにするのか」とし 「セウォル号を作って浮かべた企業と、それを可能にした政府の誤り」と指摘した。

キム氏は「私はセウォル号が沈没するまでは、 集会に出てくる人々を理解できなかったが、 ドンヒョクが亡くなってから彼らの気持ちが理解できるようになった。申し訳ない。」とし 「これからセウォル号のすべての真相が明らかになり、 これから生まれる子供たちは安全な社会で暮らせなければならない。 共に記憶して共に解決しよう」と訴えた。

双竜車支部のキム・ジョンウク事務局長は 「セウォル号の沈没を見て、胸が震え、寒気がした。 『また人を殺すんだ』という気がした」とし 「これは2009年に双竜車に加えられた国家暴力が生んだ死の方式と違わなかった」と糾弾した。

キム事務局長は 「われわれは私たちの日常を取り戻すことさえ拒否する政府に対して声をあげるため、乞食同然になった。 共に戦って叫ばなければ、未来の子供たちの人生、そして今のわれわれの人生も放棄することになる」とし 「今、光化門で一緒に戦う人々と共に、小さな希望ではあるが作っていける」と強調した。

▲タンポポ障害者夜学チョン・ダウン教師(左)とユ・ミョンジャ学生(右)が手紙を朗読している。ユ・ミョンジャ学生はコットンネで26年間暮らし、6年前から自立生活をしている。

障害者収容施設のコットンネで26年間暮らしたタンポポ障害者夜学のユ・ミョンジャ学生と、 ユ氏を教えているチョン・ダウン教師(26歳)は、 障害者が施設で住むほかはない現実を手紙で批判した。 ユ氏はチョン教師の年齢ほどの歳月をコットンネで送った。

続いて彼らはフランチスコ法王が8月16日にコットンネではなく、 光化門駅座込場を訪問し、脱施設障害者と共にすることも要請した。

Tブロード支部のイ・シウ支部長は 「Tブロード支部は今、70日近く闘争している。 組合員たちは政府の無責任と資本の横暴に対抗して強く戦っている」とし 「私たちの戦いは、まだ多数の国民が知らない小さな戦いでしかない。 だがこの戦いに勝利して、政府と社会を変える闘争に力を補いたい」と声を高めた。

この日の文化祭には労働歌手パク・チュン氏、民衆歌手イ・スジン氏、希望連帯労組組合員の歌公演も行われた。 Tブロード支部ダンスチームの「増幅器」はダンス公演をした。

続いて文化祭の参加者は、8月15日に訪韓するフランチスコ法王が、 太平路付近で座り込みをしている人々を訪問するよう要請する句を横断幕に書いて文化祭を終えた。

26歳ダウンがコットンネで26年暮らしたミョンジャ姉さんに送る手紙

両親の祝福の中でダウンが生まれた日
ミョンジャ姉さんは7年間コットンネで朝昼晩を食べました。
7歳のダウンは勉強もして友人ともつきあって、夕焼けまで遊び場で遊んだが、
ミョンジャ姉さんは13年間コットンネで朝昼晩を食べました。
16歳のダウンは友人とカラオケにも行き映画も見てチキンも買って食べて、素敵な大学生活も夢見て暮らしましたが住んだが、
ミョンジャ姉さんは22年間コットンネで朝昼晩を食べました。
19歳のダウンはアルバイトして集めたお金で旅行にも行きましたが、
ミョンジャ姉さんは25年間コットンネで朝昼晩を食べました。
20歳のダウンは友人と酒も飲んで好きな人ができて、ドキドキする一日を送り
ミョンジャ姉さんは26年間コットンネで朝昼晩だけ食べて、ついにコットンネを出ることになりました。

2009年、21歳のダウンと36歳のミョンジャ姉さんが障害者夜学で会いました。
ダウンは7歳で勉強を始めたが、ミョンジャ姉さんは36歳で勉強を始めます。
ダウンは19歳で自分の通帳を持ちましたが、ミョンジャ姉さんは36歳で初めて自分の通帳ができました。
ダウンは20歳で焼酎の味を知りましたが、ミョンジャ姉さんは36歳で焼酎の味を知りました。

ダウンが一歳から二十六歳になるまでの26年間、当然享受したすべての日常を
ミョンジャ姉さんは26年間暮らしたコットンネを出て、三十六歳で初めて享受するようになりました。
三十六でもコットンネを出て幸いでしょう。危うく32年間、そこで朝昼晩だけ食べるところでした。

通りごとに、建物ごとに段差を作り、障害者がどこにも行けなくさせておいて、
ほら見ろ、障害者が行くところはコットンネだけじゃないか、と言う無理が世の中にありますか?
障害者が行ける所をたくさん作って、障害者にも行けるように活動補助の権利を保障して、 低床バスを作って、エレベーター設置すれば、 障害等級制を廃止して扶養義務制を廃止すれば、 こうしてもっと多くの人が楽しく暮らせるのに、 飛行機にも乗って韓国どこでも行けるのに…

重症障害者ミョンジャ姉さんがどうしてコットンネの外で暮らすのかと 人々は口をそろえますが、
ミョンジャ姉さんは6年間、私たちと一緒に元気に暮らしています。

法王様コットンネに行かないで下さい。
コットンネは行き場がない障害者を食べさせる所ではなく
障害者をコットンネのほかにはどこにも行けないようにします。

皆さん、光化門座込場にきて下さい。
障害者がコットンネのほかは行けなかった世の中をわれわれは変えるでしょう。
障害者がどこにでも行けるように、 別に暮らさず、一緒に暮らせるようにします。

▲セウォル号犠牲者、障害者、労働者などの死を哀悼して黙祷する参加者。セウォル号遺族が隊伍の一番前に位置した。

▲この日文化祭参加者らがシュプレヒコールをあげている。

▲希望連帯労組組合員たちが出てきて歌を歌っている。

▲来る15日訪韓予定のフランチスコ法王に伝える句を横断幕に書いている参加者たち

付記
カル・ホンシク記者はビーマイナーの記者です。この記事はビーマイナーにも掲載されます。チャムセサンは筆者が直接書いた文に限り同時掲載を許容します。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2014-08-14 13:22:48 / Last modified on 2014-08-14 13:22:49 Copyright: Default

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