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韓国:双竜車復帰者、3年6か月ぶりに戻った現場
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「双竜車、77日占拠ストライキの記憶を必死で消す」

[インタビュー]双竜車復帰者、3年6か月ぶりに戻った現場

チョン・ジェウン記者 2013.04.16 14:50

双竜自動車は2009年5月8日、父母の日に労働者の半分にあたる2464人の大規模な整理解雇計画を労働部に申告した。労働者たちは5月22日に平沢工場での玉砕ストライキに突入し、77日間の死闘の末に「公権力」により引きずり出され、雨に降られた。8月6日の夏の雨は、洗濯ができず、ぼろぼろになった作業服を濡らしたが、武装した警察兵力と用役、救社隊の監視の下で列を作り工場から歩いて出てくる労働者の目がしらは涙にぬれていた。

ある者は監獄で、ある者は警察署へと散ったまま、年数にして5年が過ぎた。こ れまで同僚とその家族24人がぞろぞろと死に、ある同僚は生活に苦しみ警察の 捜査の圧力などで自殺を試みたが、命拾いして生き返った。一部の同僚は、 平沢双竜車は見たくもないと言って遠くに行き、他の同僚は生活苦で下請企業、 再下請企業に入社して非正規職として暮らした。もうひとりの同僚は「戦場」 だった平沢工場を家の中いっぱいに再現して精神病院に行った。

これらすべての過程を見て、聞いて、一緒にした無給休職者が3月4日に懲戒者、 懲戒解雇者と共に工場に戻った。2009年の77日ストライキから3年6か月ぶりに 初めて工場に入ったということを意味する。454人の無給休職者は会社が2009年 8月6日の労使大妥協を破り、3年6か月ぶりに復帰しながらも会社からは一言の 謝罪も聞くことができなかった。15万4千ボルトの電流が流れる送電塔で高空籠城 をして、中区庁が強制撤去した大漢門焼香所で「国政調査実施」、「解雇者復職」 闘争をしている解雇者をおいて工場に復帰するのは心が重い。

新しく受け取った作業服は油汚れ一つなく清潔だが、部署と職責、名前が書か れた名札は受けられない彼ら、「肯定」と「変化」を叫び、1か月以上教育ばかり 受けている無給休職者のK氏、L氏、懲戒解雇者のP氏と会って、復帰の日常を 聞いてみた。

乞食節、管理者と抱きあう、カードセクション、クラシックヒアリング、目をとじて障害物を避ける...
「会社の『肯定と変化』教育は77日以後に復帰した労働者馴らし」

「会社が委託した業者で教育プログラムに行って、ケンガリを叩いて乞食節を やらされたって。お前らは乞食で暮らすのか(笑い)。人は本来何も持たずに生 まれたのだから、何も持たずにあの世に行けということだね。しかしちょっと おかしくないですか? 2009年に会社が難しいと法定管理に入った時、われわれ は賃金を受け取らなかったのに、会社の管理者はきっちり賃金を持っていった のではないですか。教育内容は心を落ち着けるといって、一緒にクラシック音楽 を聞く、会社綱領の『挑戦』、『革新』を直接書いてカードセクション、管理者 とハグの時間だと言って抱き合ってセッセッセするんです」

双竜車無給休職者は1か月以上の教育でやった仕事だ。彼らは会社がはじめは4 週間教育をするといっていたが、8〜10週間に増やしたと言う。またはじめ会社 の外の別途研修院での教育を計画していたが「金がない会社が金があるように 思われてはいけない」と言って工場の教室で教育し、教育時間も増やしたと言う。 教育の主な内容は『変化』と『肯定』だ。

「教育の時間に同じ部署の管理者が横に座ったのですが、今はチーム長なんで す。手を握ってセッセッセをしろというのですが、私は心の扉が開いていない からしないといいました。教育日誌も書かない私がやりますか? こんな教育で 教育日誌を書けということを見れば明らかではありませんか? 馴らしでしょう。 3年6か月ぶりに工場に復帰した人に、ただ作業服だけ与えて変化しろ、革新しろ、 一つになれといえば、それでできますか? 77日玉砕ストライキがなくなるわけ ではないのに、管理者と抱きあって私の心が変わりますか? 私はその管理者に 強要しないでくれとしました」

「教育内容はとにかく『変化』です。目をとじて障害物を避けることもして、 やってられません。外で生活したことを忘れて肯定的なマインドで暮らせです。 工場管理者にありがとうございます、ありがとうございますと挨拶するのは ストレスです。教育講師も会社から金を受け取ってしているので、彼らに何と いう問題でもないので、さらに頭にきます」

狭い空間に200人ほど入って、かたい椅子に座り、8時間の教育を受けた。1か月 以上、こうして教育を受けて、彼らは「なぜ私がここに座ってこうしているの か懐疑を感じた」とか「こうした教育が正常なんですか?」と質問した。教育の 時間が長くなったので、教育内容を埋めなければならない会社は、20年以上 働いてきた人に工場の配置と業務の説明までした。

「教室は劣悪で、狭いところに200人ずつ入るので、誰かが風邪を引けば数日後 には3分の2程度は風邪を引くと思えば良いです。椅子が良いわけではなくて、 さんざんです(笑)。たとえばトイレに行くと部屋が6つで、200人が列になって 待ちます。清掃のおじさんもいらいらして文句を言います」

「新入社員でもないのに、プレス工場はどこにあって、どんなことをして、塗 装工場はどこでどんなことをすると説明するんです。無給休職者、懲戒解雇者 の中で、これを知らない人がどこにいますか? 私たちは一つにはなれません。 会社が変わらず、無給休職者を抱かないからです。3年6か月放置して、今になっ て教育を受けさせ、私たちに静かに会社生活しろと飼い慣らします。考えてみ てください。77日の当時、労働者に工場を奪われる侮辱を受けて、今でも国政 調査要求などで侮辱を受けている会社はどんなに緊張しているでしょうか。 復帰した労働者が力を出せないように必死にあがいているのです」

無給休職者は「復職と無関係の教育」だとして、会社は復職のための必須教育 だという。無給休職者としては、会社が主張する肯定と変化の望みは、77日の ストライキ以後、会社が定着させた強圧的な文化に無給休職者を適応させるこ とだった。

「人々が復帰者を動物園の猿を見るように見ます。無駄飯食いになりました」
「無給休職者身分」…君と私は「私たち」ではない

会社管理者と抱きあい、肯定と変化を叫んでも、無給休職者が「双竜マン」に なるわけではない。3年6か月の間、一度も連絡しなかった同僚と会うことは、 互いに大きな負担だ。彼らは「無給休職者」という単語も聞きたくないが、 「無給休職者」の身分で生きていくほかはないといった。同僚の陰口が耳元を かすめる。通勤バスで会えば互いに避けたりもする。

「食堂に言って食事をしていると人々が私を見つめます。動物園の猿を見るよ うに私を見るので、食事もしたくありません。教育講師さえ私たちに教育が終 わってすぐ食事に行くと前から工場の中で働いていた人たちが文句を言うので 後で食事に行きなさいと。古い作業服ではなく新しい作業服に名札もないので それが目印になって、無給休職者がすぐわかる。入社した時は何もわからない から通り過ぎても、勤続年数20年を越えたのに、もう私は無駄飯食いになって しまったようです」

「月給明細書も当然違いがあります。77日ストライキの時に労組の幹部だった 懲戒者、懲戒解雇者は、会社の仮差押えで賃金の50%が差し引かれます。無給休 職者は号俸処理もできないので賃金が不明確です。会社はすでに労働者たちを ずたずたに破りました。工場復帰の順序も警告懲戒者、重懲戒者、懲戒解雇者 の順に復帰させ、その次が無給休職者でした。毎日赤字打令の会社は最近企業 労組と協議して500万ウォン程の成果給を払いました。無給休職者も、確約書で ずたずたに破ったので、受け取った人もいて、受けられなかった人もいます。 私は赤字会社でなぜ成果給が可能なのかと聞きましたが、一言もありませんで した。企業労組や労働者は金をもらって喜んで隠して、みんな良かったという ことでしょう」

こうした状況で77日の玉砕ストライキの時に会社側に立った「積極的加担者」 の救社隊に会えば、彼らは互いに避ける。救社隊は77日の時に生き残るために 全力で同僚を弾圧した。ストライキ期間中、同僚の妻が死んで涙の海になって も「オー必勝コリア」を鳴らした救社隊だった。無給休職者は、どこの部署の 誰が会社側に立って武器を作り、労働者を狙ったのか、誰が鉄パイプを持って 振り回したのかを知っていた。互いに目を合わせるだけで、77日という単語は 口の外に出さない。

「救社隊の顔はみんな覚えています。一緒に働いたりもしたし、各種の会合で 一人か二人はさめばわかる間だから。互いに避けるのですが、私に大変だった ねと話しかけた人が1人いました。私はとても大変だったと言って、それ以上は 何も言いませんでした。話してどうなりますか。特に武器を作った救社隊は、 自分たちがしたことを知っているので、私たちに話もしません」

▲2009年77日玉砕ストライキの時に救社隊が工場に押してきている。[写真資料:メディア忠清]

関係が変わったように、会社の様子も変わった。77日玉砕ストライキの時に福 祉棟の2階にあった労組事務室がなくなって、ヘルス場に拡張工事をした。その 空間にカフェもできて椅子が置かれ、労組事務室は福祉棟の1階に降りた。戦い が激しかった塗装2工場の建物は青色で「塗装2工場」の烙印が押され、用役業 者の警備が常に正門を守っている。無給休職者たちは会社が77日ストライキの 記憶をなくすために、特別に「清潔」を強調すると言う。

「3年6か月ぶりに工場に入ると、とにかく会社がとても清潔で、驚きました。 清掃労働者がいつも掃除をしているます。特に会社に忠誠をつくす部署がある のですが、彼らが朝やってきて、きっちり列を作って体操をして清掃をします。 教育生(無給休職者)が入ってきたから模範を見せようというのですが、私が見 れば軍隊です」

「一番変わった空間は、やはり77日の時、重要な空間だった福祉棟と塗装工場 でしょう。記憶から消そうとして残像をすべてなくしました。ヘルス場を拡張 して広げたためか、みんな本当に頑張って運動します。昼休みにも食堂で映像 を流すのですが、社長が出てきて一言いって、賞賛リレーもします。そして、 おやつにピザ、鶏の丸焼きを現場に持ってくれば、飯を食べながら、その映像 を見ます。洗脳教育です」

「今はチップが埋め込まれた社員証を機械にかけなければ正門も出入できませ ん。2009年以前に会社がこのシステムを導入しようとしたのに現場が反対する ので導入できなかったんです。しかしストライキが終わって労組を無力化して、 会社が導入したのでしょう。監視カメラも同じです」。

大規模構造調整以後に労組無力化、自動化ライン導入など生産ライン変更
余裕人員にして人を余らせる?...「不信の障壁」高まる

労働強度が上がったので、食事の速度も速くなったという。2009年ストライキ の後、労組が反対していた自動化ラインも導入され、一部の部署では人がして いた仕事をロボットが代る。彼らは双竜車で100%自動化ラインが導入されない 車種はレクストンWしかないという。「資本の危機が機会だ」という言葉を十分 に噛み締めた彼らは、会社が大規模構造調整以後にこれを機会として、労組の 無力化と同時に外注化、自動化ラインなどを導入したと話した。

「会社は私たちに教育を受けさせ、前より生産量が上がったのは構造調整以後 大々的に自動化ラインを導入したからだと話しました。プレス工程はロボット が働いて危険だから入るなと言います。ロボットが歩き回り、いつぶつかって 飛んでくるかわからないから入ってはいけないといいます。その例として1人の 労働者が事故で死に、もう1人の労働者はロボットに挟まって死にそうになって、 助かったがやめたそうだ。しかし自動化ラインの導入で生産量が増えたと言って 誇らしく喚いています」

無給休職者たちによれば、会社は無給休職者、懲戒解雇者と解雇者を復職させ る方案ではなく、一部に自動化ラインを導入して生産量を上げた。ロボットに 一部の雇用を奪われても生産量が上がり、それに比例して労働強度も高まった が、会社は人員を補充せず余裕人員をおいた。各生産ラインに「リリーフ」、 つまり、余裕人員で人員が不足する時に人員補充する部署を別に置いた。リリー フ人員が不足すれば、生産革新チームという部署を別途に作り、リリーフ人員 の補充役をするようにした。生産革新チームは構造調整以後にできた部署だ。

「人が足りなければ人員を補充すれば良いのに、会社は余裕人員をおきます。 人員が余ると言うと事実解雇者を全員復職させなければならないので、それを 避けているんです。無給休職者の復帰前にもなぜ復職させないのかと聞くと、 会社は生産量が上がったが、工場の中の人員も余っているといいました。余裕 人員と言いくるめて。さらに会社が労働者を絞り取って、月曜から土曜まで、 毎日残業させてこき使うので、一昨年には労働部にかかりました。超過勤労で 労働部が監査にきて、問題になるから人員を補充するしかなかったんです。こ れに加えて金属労組双竜車支部と氾国民対策委が国政調査実施、解雇者復職を 主張するので責任逃れで無給休職者を緊急に復帰させたのでしょう。ご存知の 通り、会社は今年末にも無給休職者復帰の予定といいました」

こうした過程を経て工場に復帰した無給休職者だったので、会社との対立、現 場に配置されない可能性もあるという不安は予定された結果だったのかもしれ ない。会社は企業労組と協議中だと言いながら、3月26日「2013年チーム別細部 増減人員」の資料で、無給休職者、懲戒解雇者を圧迫した。会社はこの資料で 生産量の増加により、無給休職者、懲戒解雇者のうち336人の人員だけが必要で、 82人の非正規職を新規採用すると主張した。現在現場に復帰できず教育・実習中 の無給休職者、懲戒解雇者は490人ほどだ。使用者側の主張によれば150人ほどの 無給休職者と懲戒解雇者は「余裕人員」で現場に復帰できない可能性がある。

会社の圧迫は無給休職者賃金請求訴訟の放棄確約書強要につながり、現在確約 書に署名しない約190人の無給休職者が何とか2次賃金請求訴訟を続けている。 去る11日、「団結」を強調して無給休職者と初めての出会いを持った双竜車イ・ ユイル社長も確約書に言及し、賃金請求訴訟は望ましくないと強調した。復帰 の約束を守らなかった期間中に会社が賃金を支払うのは当然だが、会社は賃金 請求訴訟をする無給休職者を問題とした。これに加えて会社は今日(15日) 「2009年不法ストライキ関連協議調査の件など」で「執行猶予」を受けた無給 休職者11人を懲戒委員会に回付した。

会社は去る12日「参加と役割」の機関誌で「双竜車! 浮沈の歳月を乗り越えて 春の日に備える」といった。「2010年3年連続無争議事業場、2010年労使パート ナーシップ最優秀賞受賞など、国内労使関係の新しい転機を作る双竜車の労使 文化は会社の未来を固める私たちだけの競争力」で「双竜車の暖かい春の日差 しのために必要な可能性、そして成功因子は果てし無い。ひとつの気持ちで 不信の障壁を壊し、信頼で不満の溶鉱炉を壊せば双竜車の春は早くくるのは 明らかだ」と終えた。

だが3年6か月ぶりに工場に戻った労働者が一回や二回のハグで果たして喜んで 業務にまい進するようになるだろうか? 彼らは周辺の復帰祝いの連絡にむしろ 複雑で息苦しく、出退勤のたびに送電塔高空籠城場と向き合うのは、心が重い といった。「不信の障壁」と「不満の溶鉱炉」がどのようにしてできたのか、 振り返るべき点だ。ある復帰者が書いた文章に視線が行く。

「長期間の教育を受けて感じるのは、腰の痛みと一言の言葉の必要性だ。外に いた3年6か月の間、ご苦労さまと、申し訳ないと一言言うことがそんなに大変 なのか」。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2013-04-18 09:16:56 / Last modified on 2013-04-18 09:16:56 Copyright: Default

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