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韓国:竜山惨事拘束者イ・チュンヨンの獄中書簡
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竜山惨事拘束者イ・チュンヨンの獄中書簡

[竜山惨事4周忌]なつかしい父と烈士たちへ

イ・チュンヨン(竜山惨事拘束者) 2013.01.10 12:07

呼んでみたいのに、とても口から出てこずに呼べない名前、お父さんと烈士たち を4年ぶりに呼んでみます。

今でも目を閉じればあの日の悪夢がよみがり、枕がぬれるほど号泣するしかな い、あの日の記憶の中で生きています。隣にいた仲間たちが死んだという声は 今も信じられません。最後の瞬間まで私を守ってくれたお父さんが、そこから 出られず、その場で亡くなったという話は今も信じることができません。

自分だけ生き残ったことが申し訳なく、仲間やお父さんを守れなかったという 罪悪感で死にたくなります。しかし死ぬこともできませんでした。みじめに亡 くなったお父さんと仲間たちの恨みをはらさなければ、私は死んでもお父さん の近くに行けないと思うのですが、それもできませんでした。

道路で「竜山惨事真相究明、責任者を処罰しろ」と叫ぶ遺族母の消息を聞き、 毎日毎日十分にかみしめて生きてきました。必ず名誉回復をする。みじめに、 くやしく亡くなったお父さんと烈士たちのために、しっかり生きて死ぬ、固い 決心で頑張っています。そうして4年を生きてきました。

もう少しで、いつのまにか竜山4周忌です。今年の冬は特に雪が多いようです。 355日ぶりの葬儀だけでもして差し上げた日も、つらく佗びしく雪が降っていま したが、今年の冬に降る雪はあの日の記憶をよみがえらせます。

名誉回復も、責任者処罰もできず、竜山の事実が隠されたまま、くやしくあの 世へと送ったことを許して下さい。しかし355日間、五人の遺影を胸に抱いて、 震えるように泣き叫んだ遺族のお母さんたちのことを考えれば、そのように決 めるしかありませんでした。

葬式の日、五人を胸に埋め、このまま送りしはしないと、涙に耐えて約束しま した。流せなかった涙は、真相究明をしてから、思う存分流すと約束しました。 そして3年が経ちましたが、まだ自力では何もできませんでした。申し訳ありま せん。

私の弱気は、一方ではここから出て何をどうすればいいのかという恐れと心配 が先んじたりもします。私自身が息がつまるような巨大な壁の前で点のように 小さくつまらないものに感じられたりもします。

それでも諦めません。私の荷物は最後まで私が担いで行きます。試練は、私を もっと強く鍛える過程だと考えて、強く過ごしています。一坪ほどの部屋で、 一人で4年を生き、本を読む時も、寝床につく時も、トイレに行くも、私がこれ から何をするべきか、私によく問いかけました。

これまで本にその答えを探し、ある日は希望を見つけたようで楽しくなったり、 またある日は現実の壁が高く見えて絶望しました。一つだと考えた道が数えき れない程分れてどれが行くべきか道に迷う時は、誰かの助けが切実に必要な時 もありました。だがその道を正確に教えてくれる人もやはりいません。

このようにわからなくなって自信がなくなった時は、お父さんと仲間たちなら どう考えるだろうかと、自分の胸に尋ねたりもしました。答てもらえなくても 苦しい気持ちが慰められ、少し気持ちを軽くしてくれて、ありがとう。

天にいらるお父さん、烈士の方々。
弱気な私に、そして竜山を忘れず共にして下さるすべての方に、そこで力に なってくれると信じ、今日も自分の気持ちをぐっと引き締めます。お父さん、 烈士の方々。とても申し訳ありません。そして会いたいです。

生前、一度も言えなかった言葉をここで伝えます。

お父さん、愛しています。

2013年1月竜山惨事4周期を控えて
安養刑務所でイ・チュンヨン

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2013-01-12 09:36:02 / Last modified on 2013-01-12 09:36:03 Copyright: Default

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