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韓国:抵抗の女性、リツパの恨に「竜山」を読む
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抵抗の女性、リツパの恨に「竜山」を読む

キリスト教信仰の観点から見た2009年竜山惨事

ハン・スジン記者 2013.01.09 11:20

「その残酷な事態を見ながら、またその事態以後の時代を生きながら、いった い『キリスト教信仰』が果たして何なのかを尋ねたい。この文は、龍山惨事を もう一度細かく回顧しつつ書いたあるキリスト教信仰人の反省文といっても良い」。

▲キム・ヒホン教授
[出処:ハン・スジン記者]

2009年1月20日、警察の強制鎮圧過程で撤去民5人と警察特殊部隊員1人が死亡し た『龍山惨事』事件を、キリスト教信仰の観点から解釈しようとする試みがな された。1月7日、韓国民衆神学会の月例セミナーで韓神大のキム・ヒホン客員 教授は『殺された者たちの恨とキリスト教信仰の羞恥に対する告白:龍山惨事を 回顧して』を題とする発表で、旧約聖書に登場する女性リツパ(韓国の共同翻訳 聖書の記述は『リツバ』)と龍山惨事遺族、チョン・ジェスク氏を比較、再解釈 する一方、龍山惨事とその真相究明活動に積極的ではないプロテスタント会を 批判した。

聖書が証言する国家権力の暴力と悲劇

リツパは旧約聖書サムエル記の下巻に登場する女性で、イスラエルの初代の王、 サウルの後宮だったが、戦場でサウルが死んだ後、相手側のダビデが勢力を拡 張する過程で二人の息子が木につながれて殺される侮辱を受けた。彼の息子は 3年間続いた凶年を解決する贖罪の羊として神様に捧げられたのだった。リツパ は息子の遺体の前で「大麦の刈り入れの始まったころから秋雨が降る」までの 5か月間、誰も遺体に触らないようにその場を守った。凶年はダビデがリツパの 息子と彼らの父のサウルの骨まで共に葬儀をした後に解決した。

キム・ヒホン教授はリツパの行動が「法さえ守らない国家暴力に対する抵抗」 だったと意味を付与した。しかしリツパの抵抗は「法の正義に訴える抵抗」 ではなく、「破壊された人間の現実をそのまま示す抵抗」であり、「すべての 土地が島流し先に変わってしまったので、頼る所と言えばただ自分の悲しみしか ない人の恨の苦闘」だったと説明した。

キム教授は龍山惨事で夫を失い、息子を監獄に送ったチョン・ジェスク氏が、 事件の真相究明のために戦ったこの4年の姿にリツパの抵抗を見た。キム教授は 「まるでリツパが死んだ息子の遺体を5か月間守ったように、夫の遺体を病院の 冷凍室に置いたまま、無力な撤去民の呼び掛けと抵抗が、都心テロだと思って いる社会が耐えるべき恥が何なのかを体で証言しながら生きてきた」と話した。

龍山惨事が見せたプロテスタント会の現住所

聖書と現実は別として、存在する二人の女性の人生は『国家権力の暴力が招い た悲劇』という共通点を持っている。キム教授は聖書が「妾で、未亡人で、息 子もない境遇」にある女性の話を記録することにより「国家権力が招いた悲劇、 そしてそれと結びついたイスラエル共同体の歴史的羞恥を密かに表わしている」 と説明した。龍山惨事も「韓国プロテスタント会が一体何を信じているのか、 どんな状態に置かれているかを直視させる」という。

龍山惨事が起きた後、少なくない数のプロテスタント人が惨事現場を訪ねて祈 り、匿名で寄付を渡すなどの活動をしたが、一般的なプロテスタント会は龍山 惨事の被害者を無視し、むしろ「持てる者の側に立つ」姿を見せた。キム教授 は、篤いプロテスタント信仰人だったチョン・ジェスク氏が、彼女の家族に対 する教会の態度を問う言葉に「私はだめな人です」と答えるしかなかった現実 が、「プロテスタント会の現住所」を示すと惜しんだ。

キム・ヒホン教授は、キリスト教信仰が現在まで続いた理由は「民衆の苦難と 恨に答えるために生まれた(歴史の中に現存する)神を探索してきたため」だと 説明し、教会が持てる者を擁護して持てる者の側に立つ限り「キリスト教神学 は、自分の歪曲を避けられない」と警告した。(記事提携=いまここ)

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2013-01-10 05:48:39 / Last modified on 2013-01-10 05:48:40 Copyright: Default

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