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韓国:[大統領選挙を語る](2)「進歩的政権交代」本当に最善だったのか
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朴槿恵と文在寅、そして労働者政治

[大統領選挙を話す](2)「進歩的政権交代」、本当に最善だったのか

ナム・グヒョン(韓神大) 2012.12.26 14:38

最悪が次悪に勝った。労働界では朴槿恵(パク・クネ)候補になれば最悪の状況 になるので、これを防ぐために、以前民主党勢力が執権していた時も全面的な 反労働的な新自由主義構造調整政策で労働者を苦しめたのは事実だが、執権の 可能性がある民主統合党に入れるべきだという主張が広がっていった。最悪を 防ぐために次悪を選ばなければならないという政権交代論は、『進歩的』政権 交代論と共に最も強いイデオロギーになり、まるでブラックホールのように多 様な立場を吸い込んだ。4.11総選挙の時の何も言わず投票したことの裁判になっ た。そしてまた敗北した。大統領選挙の敗北と共に、ソウル市教育監、慶南道 知事選挙でも惨敗した。民主党だけの敗北ではなく、民主党を中心とする候補 単一化/野党圏連帯戦略の全般的な敗北である。選挙敗北と共に、騒々しい太鼓 の音は挫折と嘆きのため息の声に変わり、時代の檄文は紙切れになった。大統 領選挙の後、一番良く聞く単語は『精神崩壊』だ。何よりも悲劇的なのは、 選挙の結果で希望を失った労働者の自殺が続いているということだ。

敗北の原因をめぐる議論は絶えることなく続く。地域主義の問題を強調する立 場によれば、慶尚道地域に票が集中し全羅道地域を押そうとする地域覇権主義 が敗北の原因で、慶尚道の人々は排斥されなければならないという。実際に、 政治地図で両党が勝利した地域を見れば、百済、新羅の時代でもないが明確に 区分される。北側まで考れば、完全に三国時代だ。しかし両地域にはそれぞれ 反対する票もあり、これは流動的だ。地域対立は止揚の対象なのであって、あ おられてはいけない。内戦でもして全羅道が慶尚道を屈服させることが解答で はないだろう。年齢別投票指向についても議論があるが、50代以上の票の集中 で勝利したので、上の世代を問題にしろという主張がそれだ。老人たちの無賃 乗車や老齢年金を廃止しろという主張まであるが、選別的福祉を主張した朴槿 恵候補を支持し半額登録金が飛んで行ったので、老人への恩恵もなくせという ことだ。しかし彼らが普遍福祉を主張するのなら一貫して普遍福祉拡張を支持 するべきだろう。普段、老齢化社会論の非合理的な結論は、世代間対立を助長 すると憂慮してきたが、世代間対立を助長した後、老人からは奪い、若者は さらに多く出させる。これで喜ぶのは誰だろうか?

地域別年齢別投票の態度も考慮すべき要素だが、何より重要なことは総論での 失敗だと思う。セヌリ党は、経済、民生を主なスローガンとして打ち出したが、 民主党は政権交代を掲げた。民主党は「政権延長か、政権交代か」のスローガ ンで、MB政権実情の延長で朴槿恵候補をイミョンパククネと呼び、独裁者の娘 を強調した。しかし、セヌリ党は青を捨て、あれほど彼らが憎む『赤』でコス プレをして、過去ではなく『未来』を、MBと『共に』、参与政府で破綻した 『民生』を、経済危機を克服できる『経済』大統領を押し出した(こうした点で 朴槿恵候補が以前の親資本反労働政策の最大の被害者である低所得層の支持を 得たのは驚くことではない)。DJの側近と金芝河詩人の支持を引き出し、サウル がパウロになり、ただ弾圧者のイメージは包容力を持つ統合の指導者のイメージ に変わった。

[出処:ニュースセル]

実質的な生活に関し、重い争点になる問題、つまり、韓米FTA、非正規職問題、 整理解雇問題、江汀海軍基地などでは、差異点が目立たなかった。このような 問題は、参加政府の時から問題になっていたからだ。問題が提起されるたびに 朴槿恵候補はいつも参与政府の時からの事だと言い抜け、MBの最大の失政の一 つである4大河川問題の解決法でも、最後のTV討論で朴槿恵候補は文在寅(ムン・ ジェイン)候補と同じ立場だとやり過ごした。文候補の反論はなかった。民主党 がこうなったのは、基本的には新自由主義的で親企業/反労働者的な立場が主導 しているからだろう。国民政府と参与政府時の整理解雇と非正規職問題の拡散、 大規模な労働弾圧を味わった労働者には、まだその記憶が鮮明だ。87年6月抗争 で始まった『民主化』、いわゆる87年体制は、国民政府、参与政府を生んだが、 過去の清算、各種の民主的改革は失敗し(唯一成功したのは『労働』の柔軟化だっ た)、MB政権という歴史的反動を生んだ。それでも最悪を避けるための『次悪』 を選べという論理で接近しなければならなかったのだろうか? このように理解 しがたい方法で組織された政治には力がない。

民主党のこうした態度は、一つや二つ政策の失敗ではなく歴史的なものであり、 最初から限界があったと見なければならない。1945年に創党された韓国民主党 の主な構成勢力は、地主・資本家的な基盤があったり、その後裔のジャーナリ ストや知識人層で、この勢力は解放直後に樹立した朝鮮人民共和国打倒をスロー ガンとして率先して左翼を弾圧し、結局、左翼勢力の無力化に成功した。主導 的人物だった李承晩がいわゆる首脳集団と呼ばれた親衛勢力で自由党を構成し、 利権を独占して、権力から排除された勢力が野党の役割を果たすようになった のだ。その後の歴史は、下からの抗争が政権を崩壊させ、新しい共和国が何回 もできたのに、革命の成果は奪われ失なわれた歴史だ。4.19革命は李承晩政権 を打倒して第2共和国を発足させたが、民主党は歴史の進展を遮り5.16で反動の 歴史を開いた。80年のソウルの春は、三金による政治の舞台を開いたが、彼ら は新軍部の登場に無気力な対応をし、光州の血を呼んだ。私たちの歴史では、 下からの抗争、成果の簒奪、歴史的反動が繰り返され、すべての循環の中間の 過程にわれわれは『民主』の旗を掲げる勢力を見てきた。60年と80年には短く、 87年以後は長く...

ここから得られる教訓は何だろうか? 『転覆』という火傷をして終わってはい けないということ、新しい社会を作る勢力が弱わけば、歴史は逆戻りするとい うことだ。『民主』は『独裁』ばかりに歴史の進歩を語り、『労働』と『民衆』 のために歴史を進展させないどころか、敵対的でさえるある。そうして下から の動力を失った民主は、民主主義改革も実現できずに形骸化し、歴史的反動を 呼ぶ。民主主義の進展のためにさえ、労働者民衆は自らの政治を構成していか なければならないということだ。『民主的な改革を語りながらも反労働者的だっ た10年』が、MBの5年を呼んだように、今、『労働』がない『民主』は旧時代の 亡霊を呼び起こしたのだ。

そうした点から見れば、2012年の選挙で労働者政治が無力化したのは、労働者 階級だけの悲劇ではなく、韓国の歴史の悲劇だ。統合進歩党と進歩正義党は、 不正選挙の議論と分党事態の後、急激に政治的意味を失い、10%以上の支持は 1%台に下がり、大統領選挙では『進歩的』政権交代のために候補が辞任して、 舞台から消えた。

[出処:ニュースセル]

今の進歩政党は、87年6月抗争の後に出てきた7、8、9月の労働者大闘争以来の 民主労組運動に力づけられた。95年に民主労総が建設され、これに続き96/97の 全面ストライキの後に大統領選挙への参加と民主労働党が建設されて以来、大 衆組織としての民主労総と、政党としての民主労働党の両輪で進めてきた労働 者政治勢力化の十数年の歴史があった。この過程を主導した勢力は新自由主義、 労働柔軟化はやむを得ない、被害を若干小さくするしかないという曖昧な立場 を持ち、労働者の利害を代弁するという名目で野党圏連帯の下位パートナーと しての民主党勢力に頼り、数人の政治志望者は議員になることができた。

96-97年のゼネストで全国の政治を揺さぶり、国民90%の支持を獲得した労働者 勢力は、一人でも国会議員がいれば問題は解決したはずだと労働者闘争を整理 して大統領選挙に集まり、ゼネストの英雄は群小大統領候補に縮んだ。98年、 民主労総指導部が整理解雇2年延期条項を撤回する職権調印に署名して波乱が起 き、これを主導した人々は労使政委員会に入った。民主労総の指導力を自任す るこの勢力は、非正規職問題には非正規職差別撤廃を(大衆的なスローガンの非 正規職撤廃ではない)叫び、2006年に非正規職を保護するという名目で制定され た非正規悪法へと続い今の非正規職が蔓延する社会の一助になった。最近では 2010年の現代車非正規職闘争の時、野4党(民主党と野党連帯の名前で言いなり になった当時の民主労働党、進歩新党、社会党)が積極的に使用者側との協議に 入り、すべての責任を取って最後まで問題を解決すると言ってストライキをす る非正規職労働者を説得し、闘争を終わらせる事例まで見た。選挙議会政治の ために労働者闘争は調整され、活用される過程で、労働者大衆の直接政治は抑 圧され、歪曲されたのだ。いわゆる選挙主義、代理主義の問題だ。これらの党 が自ら党名から『労働』を消し、民主労総が排他的支持の方針を撤回して重要 な基盤を失った今、これらの党の今後の展望は不透明だ。十数年間の選挙議会 主義の帰結として、10人を越える国会議員がいるのに、労働者を代弁する制度 政党政治は力を失ったのが今の現実であるのは否定できない事実だ。

無所属で出た労働者候補は0.1%内外の得票率で、少なくとも支持率においては 視野に入らないという結果になり、無視や嘲弄の対象になった。しかしキム・ ソヨン候補は、これまで闘争の先頭に立ってきた労働者が推戴し、直接候補を 打ち出して多様な立場の組織が集まり、選挙闘争を展開したという重要な意味 を持つ(過去に何回も大統領選挙として後援者がいて候補を出してきた社会党系 のキム・スンジャ候補は論外とする)。民衆財政の原則により、1、2人の篤志家 ではなく大衆的に募金し、選挙綱領も闘う現場からの要求を集めて作った。選 挙基金がなく、正式候補に登録もできないとか、選挙経験がなく完走できない という批判は多かったが、労働者大衆の広範囲な募金と自発的な運動員の献身 的な努力でクリアして完走できた。労働者直接政治の重要な端緒を作り出した のだ。

当選の可能性や得票率を考えず、最も苦しむ人々が大統領選挙の空間で主体に なり、自ら声を上げることが当初の目標で、支持率は大きな関心ではなかった。 サムスン、現代、双龍車資本などの財閥に対する問題提起と平沢、蔚山、江汀 などでの闘争に結合することにより、大統領選挙の過程に埋もれた闘争をつな ぎ、全国的な問題として提起するために役割を果たしたと思う。得票戦略では 失敗したが、問題化戦略では意味ある成果をあげたと見る。財閥の問題と整理 解雇、非正規職の問題が、私たちが生きる実際の現実の重要な矛盾であること が明らかなら、0.1%の政治が最も明らかな問題を提起したという逆説を今後の 歴史が見せるだろう。そして今の選挙制度が選挙資金をめぐる各種制度、装置 を通じ、『金』の選挙にならざるをえず、大統領候補に対しても警察などの公 権力と言論は片方の味方ばかりしていることを実際の経験で確認できたことも 成果だといえる。こうした経験は、本質的に金権、官権、言論の権利政治にな らざるをえない現実政治のさまざまな障壁を越える対応戦術を開発するにあた り、大切な資産になるだろう。

今年の総選挙と大統領選挙では、野党圏が少なくない支持を得たが、巨大な敗 北ととして受け止められる理由は、それだけ政治地形が有利だったし、勝利に 対する確信が大きかったためであろう。MBの失政で今年の年初には与党の支持 率は最低になり、保守の政府与党は敗色が濃厚だったのは事実だ。

思い返せば2007年の大統領選挙、2008年の総選挙で野党が敗北した後、選挙で 逆転の契機を作ったのは、2009年の京畿道教育監の選挙だろう。京畿道教育監 選挙の時、京畿希望教育連帯を構成し、京畿地域の労働運動、そして人権運動、 教育運動などの市民運動勢力と、キャンドル勢力が広く集まり、選挙綱領の基 調を決めて候補を選び、選挙に臨んだことが皆の予測をひっくり返して勝利を 引き出す主な要因になったと見る。教育監選挙なので、幸いにも(!) 民主党、 民主労働党など制度政党は介入できず、金相坤(キム・サンゴン)、クォン・オ イル選挙本部の間の候補単一化は、京畿希望教育連帯の候補選定の延長だった。 実際に活動する勢力の結集が前提になったので、勝利を引き出せたのだ。この ような気流は以後、多くの進歩教育監と朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長 の当選につながる。その後は残念ながら、人物中心の内容のない形式的な候補 単一化だけが残され、こうなると多様な勢力は力強く結集できない。もう一つ 事例は希望バスの運動だ。キム・ジンスク指導委員を勝利で降ろした力は制度 政党や公式な組織が力を発揮できない状態で、市民、活動家の自発的な参加か ら出てきた。政党や民主労総は下からの動力を追いかけることに忙しかった。 MB政権を無力化させた事例を見ると、選挙でも運動でも、下からの力が実際に 結集した時に可能だったのだ。これから新しい政治が着目すべき重要な点だと 思う。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2012-12-28 00:46:15 / Last modified on 2012-12-28 00:46:16 Copyright: Default

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