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またまた竜山です

[チェ・インギの写真世の中](8)

チェ・インギ(貧民活動家) 2012.07.22 21:39

[出処:チェ・インギ]

熱く長い7月です。地下鉄4号線の新龍山駅でおりました。午後7時ですが、太陽 は中天に浮かんでいます。キャンドル文化祭まで1時間程度残っています。騒々 しい大通りを避けて、路地に向かいました。延々と張られたフェンスが目に映 ります。遠くに惨事の現場『ナミルダン』界隈も見えます。もう3年もの歳月が 流れました。暑さと梅雨と戦ったあの日のように、暑さが人を押さえ付けます。 今、人々は帰途を急いでいます。表から見れば何でもなさそうで、他の見方を すれば平和さえ感じる竜山です。

[出処:チェ・インギ]

遠くに見えるあの建物もいろいろな事情があります。全斗煥政府の時に、7つも 子会社を持っていた大企業序列7番目の国際グループの建物です。制服が自由化 され、青少年が喜んで履いたプロスペクスの靴で有名な企業でした。その上、 とても独特な建物の外形に関心を集めました。しかし1985年、政府は国際グルー プの運営が不十分という理由で国際総合建設と東西証券を極東建設グループに 売却し、残りの子会社とソウルにある国際グループの社屋はハニルグループに 渡り、企業は解体します。だが事実は全斗煥政府に政治資金を上納せず、嫌わ れたためだったという説が有力です。

[出処:チェ・インギ]

遺族をはじめ、多くの人々が荒野になった惨事の現場に集まりました。写真は 事故が発生した『ナミルダン』の近くです。時間が経てばビルを作り、また誰 かがそこで暮らすようになるでしょう。誰かにとって、ここは大当たり神話の 夢を抱かせたのかもしれませんが、竜山は多くの人々の胸に惨事という明確な 記憶の痛みを抱かせた所です。2012年7月20日に開かれたキャンドル文化祭は、 その日の傷を治癒するために集まったようです。傷はこうして逃げずに全身で 自覚して対抗することでのみ、治癒できるのでしょう。まるで私たちがどこに 立っているかをはっきり見て、今までどのように粘り、そしてどこへ行くのか を、この日の追慕祭はその決断を助けたようです。

[出処:チェ・インギ]

ある不動産関連の資料では、全国民が一所帯当り一軒ずつ家を持っても約100万 軒も残るそうです。しかしソウル市江南区では賃貸の割合が61%だといいます。 衝撃的な統計は、家を100軒持つ人は不動産長者30位にも入れないのだそうです。 107軒持つ人が不動産長者37位という狂った世の中でわれわれは暮らしています。 十歳にもらならい子供が所有する土地を合わせると、何と汝矣島の五倍の大き だそうです。いったい子供たちが、どういう方法で土地を集めたのでしょうか? 韓国だから可能な事情なら、それは本当に悲劇です。家はなくても毎日毎日、 一生懸命暮らす人々が受ける剥奪感はどうでしょう? 本当に悲しい現実です。

[出処:チェ・インギ]

『ここに人がいる』という言葉のように、フェンスで囲まれた路地には、まだ 生計の場を守って暮らす住民がいます。出ていくことができず、壊れた商圏に すがって全力を尽くして守っている人々です。ある人は食堂の主人で、ある人 は雑貨屋の主人でしょう。あらためて零細自営業者の境遇を云々しなくても、 工事現場の遮蔽幕の裏の道路でまともに商売ができるのかという疑問を感じま す。そしてここは従来の鉄道庁の土地と西部二村洞地域を統合開発して『国際 業務機能』を備えた名品水辺都市として造成するというのですが、時間が変わ ると彼らの人生はまたどう変わるのでしょうか?

[出処:チェ・インギ]

韓国で一番高い家を所有する人は誰かご存知ですか? ちょっと古い資料ですが 96億ウォンのサムスンの李健煕(イ・ゴニ)前会長の家だという説があります。 さすがです。そして高位公職者の中で一番不動産が多い人は、まさにこの国の 大統領でいらっしゃいます。もちろん。若い時期に建設でこの土地のあちこち を掘り返し、万遍なく見て回った経験があるのですから、断然、この部分でも 最高にならざるをえません。執権後も、土建事業を国政運営の第1の価値として 生きてきた方ですから当然です。もちろん相続税とは何か、贈与税とは何か、 グリーンベルトとは何かをよく知っている方ですが、たとえ便法でも家族間の 厚い義理で内谷洞に家を作るのが間違っているでしょうか? 大統領が公職者の 不動産1位は当然のことでしょう。投機も中毒しているようです。

[出処:チェ・インギ]

欲望の果ては何か、そしてこれを通じて生活の災いを如実に見せたのがまさに ここ、竜山です。竜山惨事を基点に人々は自分の考えが間違っていたと自覚す るに至ったようです。そういえば全国で未分譲住宅が増え始め、開発地域に家 を持っていた住民も、自分が暮らしていた地域では暮らせなくなって、少しは 正気に戻る時になったようです。多少の金では近くの借家にも入れなくなって、 ほとんどがマイホームのためにローンを貸り、家計の負債は増え始めました。 一か月分の月給のほとんどをローンの返済に使い、消費できないのです。そう して土地を掘り返してアパートを作ってはいけないという認識を持ち始めたの です。それでわれわれは、またまた竜山について話さざるを得ず、彼らの犠牲 を思い出すほかありません。

[出処:チェ・インギ]

竜山惨事が起きて、すぐに出された政策がいわゆる『紛争調停委員会』を設置 して、対立を最小にするということでした。しかし紛争が起きる根本的な原因 を除去せず、形式的な機構を作るのは、まさに『掌で雨をふせぐこと』です。 解決は皆無です。実質的に竜山惨事後も弘大の前トゥリバンをはじめ、現在の 明洞聖堂周辺、北アヒョンのニュータウンの事例からわかるように、撤去地域 の紛争は解決していません。結局『紛争調停委員会』は取り繕いでしかありま せんでした。

[出処:チェ・インギ]

もう一つはご存知の通り、過去の再開発地域でアパート入居権を与えるように 商店の入居者にも開発が終わった後、『商店分譲権』を与えるということです。 しかし現実的に入居者たちにとっては形ばかりです。また、商店入居者の休業 補償金を1か月分増やして4か月分に上げても、あまり現実性のない対策です。 それで入居者は、口を揃えて『公共賃貸商店』を主張しています。過去撤去民 が『循環式開発と賃貸アパート』を積極的に主張し、これを一つずつ貫徹させ ていったように、『公共賃貸商店』には全く現実性のない主張ではありません。

[出処:チェ・インギ]

その日の惨事のまま今は沈黙に陥っている竜山です。不動産経済が低迷して、 住宅価格が下がり、みんなこっそりと逃げ腰になり始めました。本当に深刻な 状況です。所々に鉄骨資材が残され、大きな水溜りには雨水が溜まって小さな 池を作っています。誰も残らず離れてしまった空地は寂しいばかりです。写真 は竜山撤去現場の水タンクです。3年前の写真です。何か叫びたい当時の心情を 代弁しているようです。言うべきことは必ず言うということのようです。

[出処:チェ・インギ]

追慕文化祭最後のプログラムの写真です。警官はまた強制的にイベントを妨害 しました。『こんな形でするしかないのか』という司会者の叫びが夜空に響き ます。しか多くの人々が風燈を飛ばしました。漆黒のような闇夜を突き抜けて、 初めは一つ、次第に二つ、三つと多くの風燈になってあがります。「殺人鎮圧 責任者を処罰しろ」というスローガンと共に、反対側に高くそびえるビルに向 かって火種があがります。しばらく後には灰になって消える火花でが、いつも 胸の中に記憶として残るでしょう。だからまだ竜山なのです。住居権を争奪す るために戦って犠牲になった人々の象徴的な空間、竜山です。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2012-07-23 23:13:46 / Last modified on 2012-07-23 23:14:02 Copyright: Default

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