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労働者民衆のお母さん、李小仙さん逝去

民主化の闘士として、労働活動家として生きてきた生涯

キム・ヨンウク記者 2011.09.03 11:42

▲全泰壹烈士の墓地がある磨石牡丹公園に来た生前の李小仙オモニ[出処:チャムセサン資料写真]

故全泰壹烈士のお母さんで、1400万労働者のお母さん、李小仙オモニが亡くなった。 李小仙オモニは7月18日の夜、自宅で気を失って心臓と呼吸が止まり、ソウル大 病院の応急室に運ばれた。その後、ソウル大病院で気管支切開手術を受け、家から 近いハニル病院に移動、治療を受けていたが、9月3日午前8時50分頃、亡くなった。 享年81歳。

「生きていれば、そして40年という歳月の間、気持が変わらなければ、死んでも 生きても、非正規職労働者と一緒だっただろうね。非正規職と共に戦ったのさ。 みんな一緒にやらなければと、死ぬ前にも話していたよ。テイルがそう言って いたんだよ。自分が死ねば、壁に小さな穴一つがあくんだと言って、光が少し 入ってくれば、それを見て労働者たちが一つになって戦って、権利を勝ち取れば、 ますますその穴が大きくなるんだとね。その穴が大きくするには、戦わなければ ならないということだよ。それがどんどん広がれば、労働者は戦わないでくれと 言われても、自分の権利のために戦うんだと。だけど、今、穴があるのかね。 皆、自分のことだけで忙しいのさ」。 -李小仙オモニ 生前インタビューより

李小仙オモニは1970年11月13日、息子の全泰壹烈士の焼身闘争の後、民主化の 闘士として、労働者のお母さんとして、労働活動家として、各種の闘争現場で 労働者民衆と闘争をしてきた。 李小仙オモニの遺体安置所はソウル大病院霊安室に作られた。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2011-09-04 04:24:53 / Last modified on 2011-09-04 04:25:10 Copyright: Default

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