韓国:名品俳優パク・チョルミン、全泰壱橋に立つ | |
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名品俳優パク・チョルミン、全泰壱橋に立つ[寄稿] 「子供の時に影響を受けた人物を知らせたい」
イ・ソンオク(ルポ作家) 2010.08.27 11:35
名品助演、首席助演でよく知られた役者パク・チョルミンが『全泰壱橋』に立っ た。映画撮影のためでなく、全泰壱橋の広報のためだ。今日そこでは「全泰壱 橋命名汎国民キャンペーン〈808行動〉宣布式が開かれた。〈808行動〉は全泰 壹烈士の誕生日である8月26日から命日の11月13日までの80日間、1日8人が参加 するキャンペーンだ。清渓川6街平和市場の近くに全泰壹像があり、全泰壹焼身 現場であるその橋を『全泰壱橋』と命名するキャンペーンだ。 俳優パク・チョルミンは今日この場に『美しい青年全泰壹40周忌イベント委員 会』の広報大使の資格で立った。キム・ジェドン、キム・ミファ、ユン・ドヒョ ンなど、社会的な発言や、そうした舞台に立った芸能人が苛酷な代価を払って いるこの頃、彼の行動は勇敢で特別に見えた。この奇怪な時期に大衆芸能人の 彼が全泰壱橋に立った理由は何だろうか? 今年は全泰壹烈士の40周忌だ。40周忌という話を聞いた人の最初の一言はたい てい「もう?」だ。そうだ。もう40周忌だ。全泰壹の死に衝撃を受け、労働者と いう単語を初めて胸に刻んだ世代は中年の頭をすでに越え、『ある青年労働者 の生と死』を隠れて読む通過儀礼を通った386は、かなり老けた中年になってい く。彼らの子供たちは6・10が先か5・18が先か、教科書を読んで覚え、両親が ひそかに読んだ『全泰壹評伝』を読書感想文の課題に出す世の中だ。 俳優パク・チョルミンもいわゆる386だ。その時期、道端で胸熱い青春を送った 経験があるので全泰壹という名前になじみのある俳優だ。だが全泰壹を記憶す ることと、広報大使まで受諾するのは違う。彼は宣布式で広報大使を引き受け た所感についてこう話した。 私のような人がこんなことをする資格があるのか心配になりはします。いきあ たりばったりで暮して、芸人暮しをしている人なのに...私よりもっと大衆に人 気のある俳優がこの事業をできれば、もっと多く広く知らせられるでしょうに、 残念です。私にできることはします。人気がない代わりに歩く労力で代ります。 人気がない代わりに足で走ると冗談を言ったが彼はやはり芸能人だった。通り 過ぎる市民はサインを受けたし、カメラのない一角で静かに願い紙をぶら下げ ていると、あっという間にカメラが駆けより、彼を撮りまくった。隊列の中に いた時は静かだったが、キャンペーンの初走者としてピケを持って立った時は、 俳優らしく滑稽な表情と多様なポーズで上手に俳優であることを証明した。彼 は640人が参加する汎国民キャンペーンの初走者になり、1時間「ポドゥル橋 No! 全泰壱橋YES!」のプラカードを持って全泰壹の銅像と並んで立ち、デモを した。 自らを行き当たりばったりで暮らす人、芸人だと言ったが、彼は芯がまっすぐ な俳優だった。いつも滑稽な役をしてきたし、実際にかなり味のある全羅道な まりの機知に富む話手だが、芸能人の社会参加や全泰壹のような重い主題を語 る時の彼は真剣だった。 世の中の関心を受ける俳優なので、こんなことでも助けになるのなら、大衆的 な人がたくさん出ていかなければと思う。だが選挙は違う。私は政治家の選挙 で俳優がタスキをかけているのが一番哀れだと思う。支持するのなら、票を入 れるのが正しい。私の個人的な人間関係から見れば助けたい人もいるけれど、 なぜあんな人が私のところに来るのかというような政治家もいる。選挙でそん な行動をすれば、俳優として面倒な立場になります。それでちょっと申し訳な くても、選挙には出ないことを原則にしている。 いくら親しい人が頼んでも、選挙を助ける行動はしないのが原則だという。そ んな原則を持つ俳優だが、彼は参与連帯で講義もして、アルムダウン財団でも 他の市民社会団体とも様々な関係を持っている。選挙ではないが、市民運動も 明らかに政治なのに、それに対する負担はないのだろうか? 世の中に絶対善と絶対悪はあまり多くないと思う。政治もそれぞれ色があって、 長短所がある。盧武鉉大統領が好きだったが、それでも民主党がとても好きな わけでも、ハンナラ党がとても嫌いなわけでもない。あまり絶対善と絶対悪が ない世の中で、絶対支持は危険だ。特に俳優はもっと危険だ。韓国では、特に 俳優が何か政治家や政治状況に発言すると、反対側の人がその俳優を嫌う。そ の人まで嫌ってしまうのは、人気商売の俳優には危険だ。クォン・ヘヒョ、ム ン・ソングン先輩たちがそんな傷をとてもたくさん受けた。 私は絶対善と絶対悪の代わりに『違い』が多いと思う。考えが違い、観点が違っ て、そんな『違い』を重要だと思う。演技の例も同じだ。演技を始める後輩に、 イ・スンジェ先生の演技についてよく話す。彼は本当に立派な演技をする俳優 だが、世の中に正しいとか間違った演技はない。私の演技があるだけだ。皆が イ・スンジェになることはできないと言う。 では全泰壹40周忌イベントの広報大使を受けたのはどんな理由だろうか? 私は小さい時に影響を受けた人物、情緒的な美しさを持った人物を人々に知ら せたいという気持だった。特に最近の若者に、とにかく大衆に知られた俳優の 私が近付けば、少しでも助けになるのではないかと思った。 彼は何かに反対するよりも、自分が情緒的な美しさを持つ人物について伝えた かった。全泰壹という人物が自身の生に与えた影響を『情緒的な美しさ』と表 現できる俳優。そんな俳優は多くない。『違い』と『まちがい』について話す 俳優。そんな俳優も多くない。霊魂ある俳優と交わした対話は楽しかったし、 余韻が残った。十五年前、映画『美しい青年全泰壹』に裁断師として少しだけ 出演した記憶をまだ幸せに大事に保管している俳優、全泰壹40周忌に、これ以 上に適切な広報大使は無さそうに見えた。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2010-08-28 14:36:41 / Last modified on 2010-08-28 14:36:42 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ |