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双竜車玉砕ストライキの時、私は歩道にいた

[レビュー-あなたと私の戦争]われわれはまた泣かなければならない。

イ・ソンギュ(独立PD、フリーランサー)/ 2010年03月05日12時18分

映画を見て、これほどわあわあ泣いたことはなかった。

双竜自動車労組77日間の玉砕ストライキの話を扱った〈あなたと私の戦争〉の 試写会に行ってきた。告白すると、双竜自動車労組ストライキへの関心よりも 演出した「テ・ジュンシク監督が映画をどう作ったのか?」が気になって訪ねた 試写会であった。

選手たちは他人の作品にそんなに温情的でない。

たいていは『厳しい言葉』を注ぐ。かと言って厳しい言葉を注ぐつもりで行っ たのではなかったが、虎視耽々とスキをのぞく気持ちで映画を見ていた。例え ば、観客としてよりは、評論家的な姿勢でだ。だがドキュメンタリー映画〈あ なたと私の戦争〉は、10分もたたないうちに、私を『武装解除』した。批評の 武器はすべてスクリーンの中に吸い込まれていった。武装を解除された私は、 わあわあと泣きまくり始めた。こんなことならハンカチでも準備して来れば...

映画を見ながら流した涙は複合的な意味を持っている。スクリーンに上がった 弱々しさに対して、そしてその切切としたことに、そしてその情熱に、そして その挫折に流す涙だったが、もっと大きな涙は自分自身に向けた反省と叱責だった。

労組が間違ったのだから彼らを捕まえてもかまわない?

双竜自動車労組77日間の玉砕ストライキの時、私は歩道にいた。そんなことが あったという程度だけ、後で聞いたにすぎない。「労組が間違っていたのだか ら、彼らを捕まえてもかまわない」が当時の韓国人の主流だった。そのフレー ムに私もまたある程度巻き込まれていた。特に大企業の正規職労組にはある程 度の不快感を抱いていた私としては、あのフレームをあまり拒否しなかった。 われわれは支配言論が作ったフレームに閉じ込められた奴隷だったのだ。

だが映画は異なるフレームを話していた。文章では表せない、現場を映した直 接の映像はこれほど違う。ナマのリアリズムをスクリーンで見たいのか? そし て「一緒に暮らそう!」という世の中に向けた叫びがメッタ切りされるのを見た いのか? そしてその絶望の中でわあわあと泣きたいのか? そして疎外の結果が 何かを目撃したいのか? では、あなたはこの映画を見なければならない。〈あ なたと私の戦争〉という題が示すように、この映画は私たちには現存の戦争だ。

映画を見ながら、どれほど泣いたか、まだ目がぷっくりとはれている。

去年、イ・チュンニョル監督の〈ウォナンソリ〉を見て泣いた涙とは違う。 〈ウォナンソリ〉で流した涙がノスタルジーだとすれば、〈あなたと私の戦争〉 で流した涙は『残忍な国家、無視する大衆』のフレーム中にいた自分自身に向 かう『社会的反省』の涙だ。今その涙があちこちにまかれ、われわれはまた泣 かなければならない。それは「希望の涙」だ。その希望の涙は「無視と無関心」 ではなく、「関心と連帯」によって作られる。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2010-03-10 01:14:45 / Last modified on 2010-03-10 01:14:46 Copyright: Default

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