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〈1987〉、「自己統治としての民主主義」を考え直す

[政治コラム]自由主義勢力のワープ

イ・グァンイル(聖公会大) 2018.01.24 13:39

映画〈1987〉が各種メディアのスポットライトを受けている。 映画の中の実在の人物が再照明され、 映画に出演した「運動圏出身の俳優」の人生が重なって、大衆の関心を引いている。 いや、単なる関心を越えて「神話化」されているような感じさえするが、 事実、神話化は「その何か」を大衆的に過剰消費させようとすることと相対している。

〈1987〉は保守自由主義と守旧ファシスト勢力が二軸をなす政治構造の中で起きた、 1987年前半の事件、そしてそれに対する大衆の直間接的な歴史的な 経験、情緒などを商業映画の文法で混ぜ合わせて作った作品だ。 政治的に見れば、12月の大統領選挙までの1987年は、 自由主義政治勢力の大衆的な影響力が最高潮に達した時期だが、 それは当時の大統領選挙の過程で進歩の象徴だった「民族民主勢力」の多くが彼らの政治的代表であり、 自由主義政治勢力左/右派のリーダーであった金大中(キム・デジュン)、金泳三(キム・ヨンサム)を支持したり、 彼らの一本化を要求したことで確認できる。 それとは違い、第5共和国が象徴する守旧ファシスト政治勢力が 「朴鍾哲(パク・チョンチョル)拷問致死」でその暴力的な素顔を表わし、奈落に転落した時でもある。

▲1月7日、映画1987を観覧した後の文在寅大統領[出処:青瓦台]

ところで皮肉なことは、それ以後、自由主義政治勢力の執権欲のため、 むしろ新軍部が再執権に成功して一歩一歩進み、 1990年の3党統合で自由主義右派を新しく輸血することにより、 守旧ファシストというイメージを薄めたという事実だ。 〈1987〉で「1987年の事件」を作るための媒介役になった「在野の人々」が、 その過程に同乗したのは知られているとおりだ。 その結果、守旧ファシストは「保守」の顔ができるようになり、 その連鎖反応によって保守自由主義政治勢力も左側に一歩押されて「進歩」になった。 そして彼らは「敵対と闘争の関係」ではなく 「対立の協力の関係」に進入することになった。 つまり、その二つの勢力は、執権をめぐり対立、競争を続けたが、 特に1997年のIMF管理体制以後、新自由主義左/右派が20年間支配して、 この社会を「1対99の社会」にする「幻想のコンビ」になったのだ。

こうした歴史的な流れを考慮する時、〈1987〉は製作者、演出者などの意図とは無関係に、 それそのものが一つのイデオロギーだ。 直接には1987年1月の「朴鍾哲拷問致死」と6月抗争を一面的に直接連結させるケースがあるが、 さらに重要なことは「1987」という記票に含まれるべき相異なる多層的な機宜を見つけることができないからだ。 その時期まで守旧ファシスト勢力はもちろん、自由主義政治勢力などと敵対、緊張関係にあった社会変革運動勢力の認識と実践、 そして何よりも6月抗争を追求した大衆的な力、 つまり守旧ファシスト支配体制だったのでそれ自体が政治闘争の意味を持たざるを得ない労働者などの基層大衆の人生のための苦闘、抵抗などそのものがカメラのアングルから抜けているからだ。 そしてあえて言えば、彼らがいなくなった空席には 「政治から距離が遠い、純粋な大学新入生」のヨニが位置している。 その当時、目的意識的な政治闘争の一番前に立ったので、 最も純粋だった女性たちはこのように変形され、またもあえなく消費されてしまう。

だから〈1987〉は議論の余地はあるが、解放政局を除けばそれでも唯一「革命の時代」と命名されるその当時、 多くの労働者、農民、貧民などの基層大衆と学生が合法、半合法、非合法の領域で「目的意識的、組織的に」 ―今これらの用語のように忌避され侮辱されている言葉があるだろうか。 目的意識的、組織的ではない政治と運動とはいったい何か― 展開された反ファシスト闘争に、それを越えて独占資本、帝国主義との戦いに、 自分たちの人生をかける理由について何の答も与えない。 〈1987〉が「朴鍾哲(パク・チョンチョル)、李韓烈(イ・ハニョル)がなぜ殺されたのか?」という質問に意味ある応答ができない理由だ。 それが与えるのは、せいぜい「国家暴力によって殺された」という困難な答ではないのか。 だがその答は「結果」を語っているのであり、「原因」を語っているのではない。

そのため先日のキャンドル抗争で、また執権に成功した自由主義政治勢力の影響力が高まっている今、 彼らの大衆的な影響力が最高潮に達した1987年の前半期を新たに〈1987〉で呼び出すことの含意を考えてみることは自然だ。 そしてその糸口は、この映画を見た大統領文在寅の感想から看取できるのだが、 彼は政権交代に失敗した6月抗争がキャンドル革命によって完成されたと明らかにしている。 もちろんそのような言及は、6月抗争に象徴される大衆闘争の歴史を新軍部ファシストの再執権に献納した「原罪」から抜け出そうとする、 いやまったくその記憶と記録を消そうとする無意識の反応と見過ごすこともできる。

だが、そうすることはできないのが、キャンドル抗争以前にすでに彼らは「国民の政府」である金大中(キム・デジュン)政権、 そして「参与政府」である盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権などの執権経験を持っているためだ。 維新の元祖勢力との結合(DJP連合)を通じて執権した金大中政権はそうだとしても、 意図しなかったが自由主義政治勢力が独自に執権した盧武鉉政権の発足は、「6月抗争の完成」ではなかったのか。 誰も簡単に予想できなかった、だからさらに劇的だった盧武鉉政権の登場を追求した当時の大衆の 「なにかの熱望のようなもの」は、ただ真昼の夕立ちのように空しい夢に過ぎないものだったのか。 だからそのような言及に接しながら、本当に見逃すすべきではないのは、 そこに置かれている「時空間のワープ」だ。 つまり、その言及には1987年の6月抗争以後の7-8月の労働者闘争、 そして「民主政府10年」の執権期を含む2017年のキャンドル抗争の時期に至るまで、 保守自由主義政治勢力が露出した政治的無能力、反民衆的で非(反)民主的な態度が切られていない。 〈1987〉で「矛盾の歴史」が消失したようにだ。 なぜか? 彼ら自身の「政治的アキレス腱」だからだ。

李明博・朴槿恵政権時期に自由主義勢力は何をしていたのか

単刀直入に李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)政権の時期に、 自由主義政治勢力はどこで何をしていたのか。 彼らは昔第5共和国の新軍部ファシストが支配した時期と同じように、 日和見主義的な態度で一貫して基層大衆を中心とする大小の反朴槿恵政権、反財閥闘争、 そしてそれが拡張されたキャンドル蜂起で執権の可能性の活路が開き、 突然前面に出てその成果を自分のものにしただけだ。 「キャンドル革命のために執権することができた」という大統領文在寅の告白は、これを確認させるものに違いない。 すなわち、当初から大衆と一緒にしていたのなら、あれほどとんでもない国政壟断、積弊が可能だったはずはなく、 その点で自由主義政治勢力も国政壟断、積弊を可能にした職務遺棄の政治的主体であり、共謀者である。 したがって、朴槿恵政権、いや李明博政権以後の国政壟断と積弊の証拠は、 彼らと妥協しながら生存することに汲々とした自由主義政治勢力の無能力を表わすもうひとつの証拠である。 それでも今、彼らは熱心にそれを見ようとしない。 ただ彼らは〈1987〉が自分たちと「保守政治勢力」が胎生的に異なる政治的存在だということを見せていることに酔い、 集団観覧、稲妻の会など「千万観客動員」のためのイベントなどだけに没頭しているだけだ。

こうした脈絡で見れば、〈1987〉はその意図とは無関係に、 大衆の政治的想像力を1987年に対する特定の解釈に閉じ込める政治的、イデオロギー的な効果を発散、作動させているという点で退行的だ。 何年か前に、〈弁護人〉がそうだったように。 そして〈1987〉が、大衆に消費させるのがまさに「なにか民主主義のようなもの」だという点で、 そのような退行性は民主主義を剥製にするものに違わない。 なぜなら民主主義はここに、生きている現在の矛盾、対立の上にのみ、 自分の住みかを作るためだ。 現在-未来の矛盾した関係を過去に閉じ込めようとするほど、 民主主義がますます色を失い、干からびてしまう理由だ。

それでこの瞬間にも、民主主義のために戦っている人々の視線、息遣い、身振りなどに関心を傾け、肩を組もうとしないのに、 相異なる階級、性、人種、民族などの理由で最も苦しんでいる人々の叫びと悲鳴を無視しながら 〈1987〉に涙を流して民主主義の重要性を語るのは、 ただ感傷にひたる自己慰安でしかない。 何よりも〈1987〉の暴力性、野蛮性を「証拠」とみなし、 過去の全斗煥あるいは李明博朴槿恵政権の時期に戻りたいのかと、 現政権の反民衆的、反民主的な限界に目を塞ぎ、その上、 現政権に盲目的支持を送ることこそ、民主主義を根本的に否定する態度でしかない。 民主主義は互いに比較して、留保しようとする、そのいかなる発想、態度と何の関連性もないためだ。

ただしこの地点ではっきりと言えるのは、 「自己統治としての民主主義」は完成されるものではない点、 だから「そのような世の中が可能なのか?」と尋ねることもナンセンスだという事実だ。 すでに遠い以前に、誰かが言わなかっただろうか。 「人民の自己統治としての民主主義」は、過去にも、今の時代にも、そして未来にも来ないだろうと。 それなら今、ここには選択を留保できない一つの別れ目しか存在しない。 やって来ない、実現されることがないことなのだから、 妥協したり諦めなければならないことなのか。 でなければ、いつも見慣れないものとして存在するその道をずっと歩いていくべきだからか。 〈1987〉の騒乱に自己統治としての民主主義を考え直すべき理由だ。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2018-02-02 17:15:24 / Last modified on 2018-02-02 17:15:27 Copyright: Default

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