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韓国:野村ハラボジより
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野村ハラボジより

[チェ・インギの写真世の中](26)清渓川神話はない

チェ・インギ(貧民活動家) 2013.03.19 16:38

「新開発主義」という言葉は、韓国では新自由主義世界化の本格化により登場 します。現代社会で主要な論理として浮上しているイメージ、たとえば「生態、 環境、歴史と文化復元」など、生活の質を規定する重要な主題が開発と互いに 結合を試みていますが、実は資本主義的な成長と開発による矛盾を隠すという 意味です。

この言葉が正確に貫徹されているのがまさに清渓川です。清渓川は長さ5.8kmで 外国ならこの程度の都心の河川を復元する時に、普通は10年以上をかけて完工 するような事業です。それだけ利害当事者間の合意が重要だということです。 しかしわずか3年ほどでさっさと工事を片づけてしまったのですから本当に驚く べきではありませんか? こんな事業が可能だったのは、当時の李明博(イ・ミョ ンバク)ソウル市長の猪突的な推進力と、コンクリートのような馬鹿力だと人々 は信じました。

清渓川を説明する時に、欠かせない人がいます。野村基之。もしや、この方を 覚えていますか? 清渓川と四大門から追い出された撤去民が定着したところは 城北区月曲洞と吉音洞、蘆原区百四村などでした。チャムセサン「写真世の中」 に連載した蘆原区百四村の現代理髪館のキム・チャンホ氏を覚えていますか? 偶然、この写真を見た「野村基之」さんが、清渓川で知っている人が現代理髪 館の主人と似ているとし、この人を探すメールを私に送ってきました。直ちに 翌日、百四村に言って噂をたよりに捜しましたが、残念なことに野村基之さん が探していた方ではありませんでした。

その後、私の家に小さな小包が一つ配達されました。このことのお礼として、 数千枚の清渓川の写真をUSBに入れて送ってくれました。野村基之氏の職業は、 牧師です。しかし自分をおじいさんと呼んでくれといいます。彼は牧師が享受 する権力と一方的な尊敬を拒否します。特に社会的な身分や格差を示す表現を 何よりも嫌います。以下は私に送られた野村おじいさんのメールです。当時の 世相を調べてみましょう。

「清渓川には数十万人の貧民が居住していました。ある日は韓国人牧師と一緒 にある家を訪問しました。窓もない狭い部屋に10歳程の少女が寝ていました。 韓国人牧師が少女のスカートをあげると、少女の股の付近には白い骨が見えて いました。ハエの群れがブンブンと音を立てて少女の骨の上を飛び回っていま した。少女の足にハエの群れが数千個の卵を生みつけ、ウジがうようよとして いました。ウジがいくらも残っていない肉を食い荒らしていました」。

朝鮮戦争が終わった後、ソウルに押し寄せた人々が作った清渓川のスラムの姿 です。

1970年代に入ると、清渓川は交通量が増加して汚い廃水が都心を流れるという 理由で、アスファルトで覆う覆蓋工事が1960年代末に着工し、1978年に完工し ます。国際空港の金浦空港をおりた外国の観光客が車で漢江の近くにあるウォー カーヒルホテルまで直行できるように、1967年から1979年まで高架道路工事が 推進されます。そして高架道路の上を走る車中から見る板張りの掘っ立て小屋 が、家を隠すために覆蓋された清渓川に沿ったアパートが三一アパートという 主張もあります。もちろん三一ビルも清渓川には欠かせない見ものでした。 31階だからと付けられた名前である三一ビルは、韓国の経済成長を象徴する それこそランドマークだったのですから。

筆者が70年代末、清渓川の三一アパートで暮らしていた時、青平和市場の前で 7番と34番バスに乗って鍾岩洞に通学していた時、往十里の近くはまだ覆蓋工事 が終わっていなかったと記憶します。結局覆蓋工事で人々の人生も変わること になります。清渓川に居住していた人々はどこかに押し出されることになりま した。その中の一か所がまさに京畿道広州でした。

ソウル市は1968年から、ソウル市内の無許可スラム整理事業の一環として京畿 道広州郡に撤去民集団移住団地を計画します。しかし移住民の生計対策なく、 拙速に推進されて、結局1971年8月10日、光州大団地住民5万人が政府の無計画 な都市政策と拙速行政に反発し、朴正煕(パク・チョンヒ)軍部独裁時期としては 想像もできない都市貧民抵抗事件が起きることになります。

2012年2月13日、ソウル市鍾路区の日本大使館の前にある慰安婦少女像の前で、 日帝強制占領期間の日本人の蛮行を贖罪してフルートで「鳳仙花」を演奏した 野村おじいさんは涙を流しました。もちろん、このことで今でも野村基之氏は 日本の右翼の電話やメールでの脅迫を受けているそうです。実はこの方は韓国 の貧民運動第1世代そのものです。故諸廷丘(チェ・ジョング)議員と共に1970年 代に清渓川貧民運動をしていた人です。かなり昔の清渓川の話を聞いてみます。

「自殺青年の死体を収容したことも忘れられません。1974年のある日、橋の下 の汚物が溜まるくぼみに一体の遺体が浮かんでいましたが、誰も収拾しません。 一緒にいた金牧師が棒で引き出しました。無縁故者なので死亡診断書も切るこ とができませんでした。診断書を切るのも金がなければならなかったんです。 金がある人は私だけなので、警察にパスポートを見せて頼んだのですが、だめ だというのです。わいろを渡して許可を受け、リヤカーにのせて焼却場に向か いました。そこでも支援金が必要でした。火葬した骨をまた清渓川に持ってき て、脚で撒きました。本当に悲しかったです」。

写真は野村おじいさんが全泰壹烈士の焼身直後、平和市場の2階、3階の縫製工場 で撮影した写真です。

「自殺者がいたことから、外国人の訪問をKCIA南山の私服が厳重に警戒監視し ていました。こっそり訪問して許可を得て撮影したのです。若い労働者の給料 は、1か月20ドルだったとメモしたのを覚えています」。

野村おじいさんが送ってきた話によれば、当時、フィルムで駆動する方式のカ メラがあっても息子が一歳になったり、親の還暦祝いの日に写真を一枚、二枚 撮って残すのが全てだったといいます。政府も道を整備したり建物を建てるた びに産業化を強調する目的で、建物の前に集まって写真を撮ったといいます。 そんな事情なので少数の金持ちの家族の写真や建物の写真は多くても、人々が 道を歩く写真や、旧盆に三輪トラックに座って帰省する姿といった写真は探す のが難かったんです。

庶民層の事情もそうでしたが、貧しい人々は言うまでもなく、工業化の真っ最 中だったために汚れた清渓川からは悪臭が漂い、汚いと皆が嫌がる所には、行 き場のない貧しい人々が少しずつ集まって生活の基盤を作ったそうです。清渓 川は、ソウルの中心を貫いていますが誰も見ない所、何の記録も残っておらず、 歴史の闇に忘れられる所だったと証言します。この当時集めた野村おじいさん の韓国に関する記録は数百冊にのぼり、2005年にはソウル駅舎博物館や清渓川 文化館に自分が撮影した写真と清渓川関連の資料2万点を寄贈したそうです。

さて、清渓川がまた動き始めます。2003年7月になると李明博当時ソウル市長に より、清渓川の復元が始まります。わずか25年で清渓川に対するパラダイムは 変わり、「生態、環境、歴史と文化復元」という旗じるしの下で、市民の支持 により清渓川は再び開かれ、今回は復元工事が推進されます。清渓川復元工事 は日本の大阪の中心を流れる道頓堀川の復元事業をそのモデルにしています。 道頓堀川は、清渓川復元区間の5.4kmよりはるかに短い1.4km区間で、高架道路 もありませんが、95年から2010年までの15年にわたり事業が進められました。 河川復元をするためには技術的な面ばかりでなく、そこで暮らす住民との長い 合意の過程がそれだけ重要だったのです。そして絶えず工事設計図を修正しな がら、河川復元を推進したそうです。

しかし清渓川復元事業はどうでしょうか? 2003年7月1日に着工し、2005年10月 1日までのわずか2年3か月で総工事費約3800億ウォンを使い復元され、清渓川の 周辺の住民と商人などの利害当事者間が合意して推進されたと宣伝しています。 本当に驚くべきです。しかしこれは事実ではありません。次は環境と文化財の 復元について調べてみましょう。

同じ空間、同じ場所でも、一人一人の経験により認識の偏差は千差万別だとい うことは十分よく知られる事実です。ある空間の巨大な岩は、考古学者の目に は数千年の先人の息遣いが生きている歴史的遺物の支石墓かもしれず、開発業 者には建物を作ったり道路を作るための障害だったり、壊すべき石の塊りに過 ぎないかもしれません。そして歴史文化の価値に意味を与える人と、単に岩の 塊りと見る人の認識の差は、もう私たちの周辺にしばしば見られる話題になり、 新聞紙面を飾ったりします。清渓川も同じでした。

清渓川工事で発掘される広通橋跡、水標橋跡、五間水門跡の周辺に対し、一時 文化財庁は史跡指定を予告しました。これらの遺跡が史跡に指定されれば周辺 の建築物は高さ制限を受けることになります。条例によれば、史跡地の周辺は 半径20mの保護区域を含み、遺跡から120mまで仰角27度の規定を適用され、遺跡 の近隣地域は2階程度の建物しか建てられなくなります。しかし建物の高さ制限 にソウル市と建設業者が反発し、その後、清渓川周辺の文化財は手抜きで復元 されます。

そればかりか、親環境復元という言葉が色を失うように一日に数千トンの水を 電気動力で押し上げ、注ぎ込まなければならない大きな人工漁港だという指摘 を受けています。夏季になれば、苔を剥ぐのにまた多額の血税を注ぎ込まなけ ればなりません。復元工事が終わるとすぐ多くの市民が支持しましたが、時間 がたてばこんな信頼は苦笑に変わります。市民があれほど支持を送ったのも、 よく調べれば開発と成長第一主義に私たちすべてが深く抱き込まれた結果です。 清渓川はつまり、いわゆる新開発主義の完結版だったのです。

しかし清渓川をめぐる野村おじいさんの言葉は、私たちを粛然とさせます。

「過大評価は人を堕落させます。価値がない自分を、まるで価値があるかのよ うに誤解させる恐ろしい陥穽です。私は家族と一緒にできることを全身・全力 で誠実にしただけです。それを誇りに思ったり、まるで何かを与えて実現した とは考えていません。韓国の友人、貧民地域や、疲弊した農村や漁村で、土地 にへばりついて毎日を暮らしてきた人々から学びました。多くの祝福を受けて、 感謝の人生を送っただけです。過大評価は陥穽です。日本の最近の歌に「豚も おだてりゃ木に登る」というものがあります。これ以上、われわれは豚のよう に木にのぼってはいけません」。

「... 毎日毎日懸命に暮らす民衆、売春婦を慰め、ヨッパライに耳を傾けて、 杯を交わす人がいればと思いました。私が松亭洞や踏十里などを歩いていた時、 カメラを首にかけて歩く人はいませんでした。カメラというものが存在しなかっ た時代です。人々はすぐ外国人だとわかりました。人々は『日本人』を警戒す る時代でした。互いの耳元に手をつけて、周辺を振り返りながら、小さな声で 話す緊張の時代でした。私は十分韓国語ができず、また、常に『影』のように 誰かが尾行している恐怖感にとらわれていました。特に『野村担当官』と呼ば れる鍾路警察の日本語を話す刑事と、南山の私服、英語を話す若い人もいまし た。陸軍保安部にもいたらしいのですが...」

ローマン・インガルデンという西洋の哲学者は、実存的場所意識と命名したこ とがあります。この言葉は承孝相(スン・ヒョサン)の建築「感覚の断面」にも 発見できます。世の中に一つしかない土地を占拠する建築は、その場所が要求 する特殊な条件を満たさなければならないと話します。気候と地理などの自然 条件だけでなく、私たちの人生が編み出した人文社会的な環境の中で調和する ようにセッティングされ、つりあった服を着れば、これはその場所に的確な建 築になるといいます。ソウル市内のピラミッドが面白く見えるように、パリに 作る韓国家屋は展示の対象にはなっても、そこでの暮らしとはかけ離れている と話します。

土地はその規模とは無関係に、私たち人間の生以前に存在し、その後に永劫の 歳月を過ごしてきました。その歳月の中で、多くのストーリーが生まれ、また 消え、そうした痕跡の蓄積は名状しがたいほど莫大にその中に溶解しているの です。土地がどこにあろうが、土地は固有で、固有性によってその価値はその 重要度において価値が切下げられないということです。したがって、場所性の 回復は建築家として守るべき土地に対する神聖な義務です。建築に関する話で すが、都市空間とも密接な関連があって書き移してみました。

写真は2003年清渓川は差別川だと抗議する障害者の姿です。チェ・オンナン、 チョン・テス、パク・フンス氏は、1995年に露天商障害者のチェ・ジョンファ ン氏の焼身事件の後、葬儀を終えて露天商と共に障害者自立推進委員会を結成 し、清渓川9街を中心に商売を始めしました。そして生計を立てながら障害運動 と貧民運動を行い、今は皆亡くなった人々です。2002年に清渓川復元工事が始 まる前、露店摘発に抗議して焼身死したパク・ボンギュ氏。そして野村おじい さんが清渓川の小さな板張りの掘っ立て小屋で目撃した死んでいくある少女の 姿、汚物溜りから引き出した遺体、そして平和市場の前で焼身して死んで行っ た青年、全泰壹... 一言で差別と排除が露骨な清渓川の隠れた裏面です。ある いは時間が過ぎ、後世の人々はニュータウン事業と清渓川復元事業を次のように 話すかも知れません。

「結局、ここは建設資本の利益のための、そしてこれを地理的に円滑に集中し て配分する官民合作の巨大なプロジェクトだったかもしれない。そればかりか 一人の政治家の政治的野心と不正で綴られた事業だった」とね。もう清渓川の 話は終わりましょう。

  • 野村おじいさんが送ってき数千枚の写真は近々写真集として発行される計画です。 そして数か月後に韓国を訪問する計画もあります。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2013-03-20 00:01:46 / Last modified on 2013-03-20 00:01:46 Copyright: Default

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