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韓国:喪に服したまま老いていく韓進重労働者たち
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喪に服したまま老いていく韓進重労働者たち

[寄稿]チェ・ガンソの遺体を見守りながら

アン・ヒョンベク(韓進重工業支会) 2013.02.18 14:22

韓進重工業資本の無理な労務政策はまた一人の若い労働者の命を奪った

2003年、台風メミが朝鮮半島内陸を強打した時、35メートルのクレーンの上に いた若い男は、途方もない恐怖の中で過ごさなければならなかった。台風メミ の威力はご存知の通り、数百トンのクレーンを一夜に七回もくるくると回した が、彼は耐え抜いた。損賠仮差押えと労組弾圧、整理解雇に反対し、クレーン 座り込み129日後に自ら散った故キム・ジュイク烈士...

10年経ち、同じ内容で自ら命を投じたチェ・ガンソ烈士はこの文を書いている 今、韓進重工業工場内の団結の広場の冷たい地面に18日間横たえられている。

[出処:チャムセサン資料写真]

会社は2011年2月14日、数百人の労働者を緊迫した経営上の理由での解雇を通知 する。解雇通知の翌日、韓進重工業は174億ウォン規模の株式配当を実施する。 このうち現金配当の金額は52億ウォン程度で、この半分が趙南鎬(チョ・ナモ) 会長個人に配当された。経営陣と役員の年俸は上がった。会社が難しいと言い、 表では労働者を解雇して、裏では総帥と経営陣が金祭りをしていたのだ。

こんな会社に短くても数年、ながければ数十年通った人が、どうして傍観して いられるだろうか?

韓進重工業の影島造船所は年数にして3年間、何も受注がなく、ただフィリピン のスービック造船所に受注した物量を回し、影島造船所を縮小ないし閉鎖する 手順の一段階として、整理解雇を準備していたのだ。

そんな状況で民主労総のキム・ジンスク指導委員は2011年1月6日、何十年ぶり の寒波の中、35mのクレーンに上がり、整理解雇撤回と非正規職差別撤廃を叫び、 309日間座り込みをした。キム・ジンスク指導委員にチェ・ガンソは毎日安否を 問う携帯メッセージを送り、解雇された自分たちのために悪い環境で共に戦っ てくれるキム・ジンスク指導委員を常に有り難く思っていた。6月27日の代執行 の後に会社を追い出されても、クレーンに毎日、百拝誓願する仲間たちが百回 の礼をする時、彼らが流す汗を拭う心優しい若い労働者であった。

国会の勧告で、キム・ジンスク指導委員がクレーン座り込みをやめて降りてき た時も、誰よりその喜びが大きかったチェ・ガンソだった。また復職できる日 を指折り数えて過ごしている間、会社の前のテント座込場にほとんど毎日訪問 し、手伝うことはないかと悩んでいた姿が鮮やかに目に浮かぶ。整理解雇の戦 いとキム・ジンスク指導委員のクレーン座り込みに連帯した仲間だったので、 生計は苦しかったが、連帯することを当然だと思っていた。そのうち、1年待っ て復職できて喜んでいた。その時の笑い声は今でも耳元に残っている。しかし 週末の休みが過ぎればまた会社で働けるというときめきは3時間で終わってしまっ た。約束もない強制休業が発令されたのだ。青い作業服と安全靴一つ受け取ら ず、家に帰らなければならなかった。二回の背信はガンソの心にこの上なく大 きな傷になっただろう。

影島造船所正常化要求、民主労組抹殺政策、158億損害賠償訴訟撤回、6か月の 循環休職約束履行要求、金属労組組合員長期休業撤回、民主労組弾圧中断とい う五大要求をかかげて共に闘うために、労働組合の幹部をすることに決心した ガンソだった。

2012年、複数労組の企業別労組が作られる

キム・ジンスク指導委員がクレーンで座り込みをしていた時、労組執行部核心 幹部が主軸になって、会社の後光を背負って登場し始める。最近の記者会見で 明らかになったように、会社の労務担当の某役員が複数労組の設立過程に深く 介入した情況が知らされた。チェ・ガンソは、特に複数労組設立の核心人物に 対して大きな背信と怒りを表現した。解雇される前、労働組合幹部生活で、不 適当な懸案や内容には絶対に妥協しなかった。気さくな性格で他人から後ろ指 を差される行為もしなかった。だから民主労組を裏切り、会社にこびて労働者 の魂を売った人々を会社と同じように憎悪していた。

チェ・ガンソの死後、特に対応をしなかった複数労組は、会社を代弁する水準 の報道資料を配布して故人への哀悼を表わし、民主労組の韓進重工業支会と共 に共同で解決してみようという提案が入った。一考の価値もなかった。2003年、 当時、損賠仮差押えと整理解雇撤回労組弾圧中断を要求して散ったキム・ジュ イク、クァク・ジェギュ烈士の追慕期間に、烈士に対する侮辱と民主労組を批 判する宣伝ビラを配った人々と若干の衝突があった。その事件を契機に複数労 組はチェ・ガンソをはじめとする民主労組幹部から暴力を受けたとし、警察に 告訴した人々なのに、なぜ平然とそんな提案ができるのか?

[出処:チャムセサン資料写真]

チェ・ガンソの死から今日で58日目を迎える

チェ・ガンソの死の後、葬儀場で41日間、会社と複数労組は一度も弔問せず、 遺族の動きを調べることに汲々とし、その上、チェ・ガンソの死に哀悼を表わ すと遺族にいいながら、チェ・ガンソの死は生活苦による死だと言ってチェ・ ガンソの名誉を失墜させる広告を新聞に載せた。遺族はとても怒ったが、その 後も会社の誠意ある態度を待っていても何の進展もなかった。

遺族らは決断を下すことにした。会社の前に作ったチェ・ガンソの焼香所に遺 体を移動することにした。合法的な手続きでデモ行進をしていた集会に合流し、 進行中に警察は柩に催涙液を撒き、遺族であることを知っても故人の父に暴行 した。警察の過剰鎮圧で会社の中に入ったが、会社はあらかじめ準備していた 切断機で出入り口を切ったという虚偽の事実と『遺体を担保にした闘争』とい う非常識な文句で、遺族の胸を繰返し傷付けた。会社のアバター役をしている 複数労組も報道資料と言論のインタビューまでして一役買った。

こうした過程を味わいながら、何度も会社側に交渉を要求したが、むしろ会社 はチェ・ガンソの遺体を奪うために工場に用役チンピラ30人ほどを隠し、見つ かって恥をかいた。こうした行動をする会社は信じることはできず、チェ・ガ ンソの遺体を会社の外に移動すれば交渉すると言論にブリーフィングまでした 会社が突然立場を変え、会社の管理範囲外の地域に遺体を移せば交渉するとい う。また元の葬儀場に移動しろという主張だった。

41日間待ちに待っても一度も顔を見せない会社がチェ・ガンソの遺体をまた移 動したところで交渉をするだろうか? 当面の状況を挽回しようとするずるい方 法でしかないと判断し、遺族さえ拒否していた。この渦中で警察の高位幹部が 会社と労組側交渉の場を作ると仲裁したが、会社側はまたとんでもない内容で 壊してしまった。さすがに仲裁に入った警察も、首を振りながら腹を立てたと いう。

チェ・ガンソ烈士遺体を守る死守隊の仲間たち

チェ・ガンソ遺体が工場に入って5日ほどは、労組事務室の非常食糧だったカッ プラーメンだけで食事をした。食事が搬入できないからだ。食事搬入禁止ばか りか、チェ・ガンソ遺体の毀損を防ぐドライアイスの搬入も禁じた。焦る遺族 と組合員は、警察にドライアイスだけでも入れてくれと要請した。重さが30kg 程度のドライアイスを正門ではなく、6メートルの塀を越えてやりとりしなけれ ばならなかった。チェ・ガンソの遺体が工場に入って数日後、緊急救済要件に 関する国家人権委員会の調査が行われ、国家人権委が訪問した後に、ようやく 最低の食物の搬入と共にドライアイスの無条件の搬入が実現した。

現在、チェ・ガンソ遺体の毀損を防ぐために二日に一回、棺の蓋を開けドライ アイスを入れており、棺を覆う発泡スチロールの枠の間にもドライアイスを入 れている。冷気が漏れることを最大限防止するためだが、ますます暖かくなり、 ますます心配が嵩じる。一回に6箱(180kg)程度が消費される。こうした過程を 見守るチェ・ガンソの夫人と姉は、胸がはり裂けそうな苦痛を感じている。

ドライアイスだけではチェ・ガンソ遺体の毀損を防ぐには明確に限界があると 思う。気温があがるほど、ドライアイスの交換の周期もそれだけ速まる。それ で冷凍トラックを入れるように要求したが黙殺された。会社と警察は冷凍車を 入れるとチェ・ガンソの遺体を冷凍トラックにのせて他に移動する恐れがある という。そのため人権委や警察に冷凍トラックでの移動が恐ろしければ、車両 を入れた後に車輪やハンドル、そしてキーも抜いて行けといったが会社と警察 に丁重に拒絶された。

またチェ・ガンソが死んだ後、労働組合の出入りを止め、出勤する支会の幹部 まで出入を統制させた。現場の組合員は毎日が死ぬ思いだと言う。生活苦で、 ほとんどが複数労組に行ったが、少しずつ会って現場の雰囲気を聞くと、話を している時も誰かが監視していないかと顔色をうかがうほどだ。現場はさらに 監視が激しく、20人ほどの韓進支会組合員の一挙手一投足を監視して、報告書 を上げるなど... 労-労分離を徹底して施行しているようだ。400人ほどの現場 職員が出勤しており、協力業者の職員と管理職を含み800人以上が出勤している。 しかし複数労組委員長という者は、正月前にある報道機関とのインタビューで 「金属労組約30人は遺体をめぐり会社を無断占拠し、1400人の職員全体が働け なくしている」とあつかましい嘘をついた。

このように、遺体の毀損を防止するために万全を期している間、会社はキム・ ジンスク指導委員をはじめ五人を警察に告訴し、警察・検察・裁判所の迅速な 決定により、逮捕令状が発行された。国家重要施設の器物破損容疑で検挙する という。逮捕令状が発行された人々は、壊して入ってきたのでもなく、警察の ウサギ狩式の鎮圧で逃げている時、会社に入る裏門一つが開いていて、チェ・ ガンソの遺体を緊急に移動するしかはなかったのに、警察は過剰鎮圧を揉み消 し、施設保護要請による警察の誤りを免じるため不法デモと言って指導部に責 任を押し付けようとする人々の合同作品としか思えない。

2003年にキム・ジュイク烈士が死に、85号クレーンを見上げることができなかっ た。そのクレーンを通るたびに胸の隅に申し訳ない思いがにじむ。キム・ジン スク指導委員がまたそのクレーンに上がった時、2003年のトラウマは極みに達 した。希望バスと共に駆け付け、連帯して、ツイッターを通じた対話で309日後 に生きて降りられたのだ。

[出処:チャムセサン資料写真]

韓進重工業の支会幹部と組合員はまたソウル上京闘争を始めた

今この時にも朴槿恵(パク・クネ)当選者の家の前と引継委員会、政府庁舎、そ して会社の内外でチェ・ガンソ烈士の事態を解決するために、昼夜を問わず飛 び回っている。悲しくても悲しめず、泣きたくても泣けない人々だ。数十年、 会社に通ってくやしい死を迎えた同僚の命だ。喪服を着て全国を歩き回り、黒 い頭とひげがいつのまにか白く老いた労働者に変わった。弟の死を見る彼らの 目は、かわいそうなだけだ。

短くとも数百日、長ければ数千日を道端で、鉄塔で、陸橋で、真冬の冷たい風 と雪を受け、極暑の中で汗を流し、そうして悪質資本と戦っている。ある報道 機関が世論調査を実施した結果、現在の労働懸案について朴槿恵政権がスター トする前に、この問題を解決すべきだというのが絶対多数の意見だった。国民 大統合をスローガンに打ち出して当選した朴槿恵は、この機会に労働懸案を解 けなければこれからの5年間、激しい抵抗を受けることになる。

金力、権力、銃と刃、盾で武装した人々と、裸でいつ崖っぷちに押し出される かと恐れに震えて抵抗する私たちの現実... 政論直筆は言論の使命だ。こうし た言論が腐ると、何よりもひどい悪臭がする。銃刀より強いというペンは資本 と権力の側に立って曲がって久しい。維新独裁でも生き残り、軍事政府でも生 き残り、IMFを克服して耐えた韓国の民衆だ。苦しくても、死ぬより生きて戦い、 労働者が扱いされる世の中を見ることができればと思う。

チェ・ガンソ烈士散花58日目。彼の遺体を見守りながら。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2013-02-20 01:26:47 / Last modified on 2013-02-20 01:26:49 Copyright: Default

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