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第12話 内緒で就職活動‥‥の巻 新戸育郎

 (2008年6月1日掲載・連載の一覧はこちらへ。毎週日曜日更新)

 結構楽しく授業を進めている新進ゼミナール、人手不足なのかいい加減なのか、あるいはよい方に取れば信頼を得られたのか、いつの間にか英語の授業に関しては「新戸先生に任せますから自由にやってください」となった。
 そうでなくても、この生徒のレベルを何とかしようとすればワタクシ流にやるしかない。相変わらず中学生用の問題をアレンジする日々が続く。
 そしてその一方で‥‥。

《それにつけても時給の安さよ》

 この時点で、(株)ゼニコを通しての派遣の仕事はこの新進ゼミナール以外ほとんどなく、たまに代行を頼まれる程度になっていたから、我が身を守るためにも別の仕事の口を探す必要があった。
 たまたま新聞広告で、我が家からそれほど遠くない町に英語の講師を募集している塾があるのを知った。新進ゼミナールの午前中の春期講習が終ってからその足で、面接に行ってみた。
 中学生を対象とした、旭日教育研究所という何ともいかめしい名前の私塾。生徒総数3〜40人という小さな規模で、講師は2人だけ。一人が塾長で、御歳80歳のご高齢。あとからわかったが、この人特攻隊の生き残りで、だからこそ右翼団体かと間違えるような看板を掲げていたのだった。もう一人が、生徒たちから内緒で「おばさん先生」と呼ばれている、40代後半ぐらいだろうか、いかにも隣の家からエプロン外して手伝いに来た感じの中年女性だった。
 実は面接のときにうろうろしていたので、てっきり事務員だと思っていたが、むしろこの塾の中心人物なのであった。
 面接はしごく順調にいった。多少我が経歴を粉飾したきらいはあるが、基本的には気に入ってくれた。普通ならあとで結果をお知らせしますというところを、「ぜひ来てください」といきなり言う。そしてためらいながら、「あなたみたいな立派な経歴をお持ちの方に、この時給ではねぇ‥‥」と。
 金額を聞いて愕然とした。そこいらのコンビニのバイトに毛が生えた程度の金額でしかないのだ。さすがに即座に「やります」とは言えなくて、あえて渋面を作って、う〜ん、そうですねー、まぁ、その‥‥、としょうがないなぁと言うそぶりを示した。内心では、また別のところを探すのは面倒、空き時間に他の仕事を入れればなんとかなるかなぁ‥‥と計算していた。

《就職は決まったものの》

 初日、何から何まで今までの塾とはまったく違うので、矢中先生というそのおばさん先生について、彼女の授業に加わり、採点を手伝い、あとはワープロで教材作りなど、見よう見まねでやってみた。
 ここでは、一定の単元を終えると生徒にテストプリントを渡す。生徒が提出した回答をまず赤のボールペンで丸つけをして採点し、生徒に返す。生徒は間違った個所をやり直してまた提出。今度は緑のボールペンで採点し、返す。さらに3回目は青のボールペンで採点‥‥と3回にわたりチェックして、最終的にすべて正解できた状態にする、というやり方‥‥。あれ、これはひょっとしたら公文式ではないのか。
 公文式も確か、100点が取れるまで3回程度繰り返して問題を解かせると聞いている。ただ、こちらの塾ではプリントだけではなく一応簡単な授業のようなこともやるので、そこが違っているのかもしれない。一種の公文傍流だろうか。

 さて、「英語の授業をやりますので、見学してください」と矢中おばさんが言う。
 3人の新中1の女の子たち(私はのちにこの子たちをカシマシ娘と名付けた)に対する授業だ。
 テキストはNHKの「基礎英語」を使っている。
 矢中おばさん、「私について発音しなさい」とテキストにある文房具の名前を順番に読み上げて行った。講師の発音はよくないが、まぁここは黙っている。と、ある単語のところでこの先生、「アーサー」と言った。
 ん? アーサーだって? そんな文房具、聞いたことないぞ‥‥。首を傾げていると、矢中おばさん、自分でも疑問に思ったのか、私に向かって「正しい発音はどうなんですかね?」。
 テキストを見ると、消しゴムの絵が描いてある。eraser だ。
 私はビックリ仰天する。この先生、こんな単語も読めないで英語を教えているのか?!
 もちろんここでは平然とした顔をして、「イレーサー、ですね」と発音してみせる。

 この一件で、塾とこの先生の評価が私の中でガラガラと崩れた。と同時に、それならおいらがちゃんとやってやろうじゃないの、という気にもなった。
 とりあえず英語専任としてやってほしいと言われているので、英語の教え方についても模索しながら理想を追求できるかもしれない。案外面白いのではないかと思った。もちろん、試してみたいのはBASIC EnglishによるGDM(段階的直接法=第3回参照)だ。それにつけても時給の安さよ‥‥。

 ともかく2、3日は見習いみたいにして様子をうかがいながら仕事をし、大体の雰囲気はつかんだ。
 しかし英語の授業はひどいもので、基本的にはテープを聴かせて、NHKのテキストを暗記させるだけ。あとはプリントだ。英語教育はどうあるべきか、どのような方法論を採るべきかなどはまったくなし。プリントの問題をやらせる段階で少しヒントを与えれば素晴らしくよく理解できるような場合でも、ほったらかしだ。

《Iを教えない英語》

 全体の様子がわかって来た時点で、私はいよいよGDMの授業を始めてみた。
 特に英語を習い始めの子どもたちにとって、GDM以上の理想的な授業は考えられない。もっともその分、講師の負担が大きく、準備に非常な時間を取られるのだが。
 で、そのGDMで少しやりかけていたら、矢中おばさんがそれを見とがめる格好で、露骨に疑わしいという態度に出てきた。
 説明しても話を聞く耳を持たない。NHKのテキストを信じ切っているみたいで、何をいっても今のやり方がいいのだと弁護する。そのくせちょっと突っ込むと、「英語のプロではないから」と言って逃げる。
 言われて初めて気がついたが、I、Youを教えるのはずっとあとだという。なんというとんでもない教え方をするのかとびっくりした。
 GDMではまずI、Youからスタートする。西欧的文化の根幹には「私」という個の思想がある。自立した主体Iから始まるのが特に西欧近代の発想だ。英語も当然そういった文化圏の言語だから、I抜きに話は始まらない。
 逆に言えば、Iから始まる発想を知ることが英語を学ぶことでありその文化を知ることでもある。NHKのテキストにはその発想がみじんもない。
 さらにがっかりしたのは、このテキストの監修が若林俊輔氏だということ。前回良書として紹介した『英語の素朴な疑問に答える36章』の著者だ。この人にしてこのテキストか‥‥と信じられない気分であった。
 考えてみれば結局中学の教科書がそういうパターンになっている。「もっといい方法がある」と言ってみても、理解もできず聞く耳も持たないこのおばさん先生には通じない。ますますかたくなになるばかりだ。
 この塾の方針です、と言われればどうしようもなく、不承不承従わざるをえないが、実に不愉快きわまりない。

 結局、この矢中おばさんとの対立が日増しに強まって行くことになる。例えばこんな具合。
 授業というものはほとんどなくて、生徒一人ひとりがプリントをやって、「できた」といって持って来たらそれを採点する、というのが講師のメインの仕事。みんながプリントに没頭している間はただ待つだけで何も仕事がない。
 それである時、その待ち時間に自分の勉強課題である英語の翻訳をやっていた。それを矢中おばさんが見つけて、
 「それは一体なんですか。教科書をやってください」
 「英語の勉強ですよ。自分のスキルアップをしてはいけないんですか?」
 「そんな暇があったら、教科書を全部暗記してください!」

 まったくやれやれという感じで、このあとも何かにつけ私の行動に目くじらを立て、一挙手一投足に干渉し出す。もっとも、一度は暇を持て余して小説を読んでいたからあまりえらそうには言えないが、それも英語の本だし、自分としては常に英語のスキルアップのつもりだ。
 今までのやり方とその改善法を話し合い、互いに妥協できるところは妥協し合って方向を定めるのなら大いに結構。しかしこの塾は(このおばさんは)結局のところ自分が正しいと思い込んだことを一切変えないという態度だから、実際問題として改善のメドは立たないのであった。
 就職後まだ2ヶ月ほどしか経っていないのに、私はもう辞めることを考え始めた。


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