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LNJ Logo 江藤正修の眼 : 国労魂とは何だったのか?〜国鉄闘争の総括(中)
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第4回 国労魂とは何だったのか?〜国鉄闘争の総括(中)

*このシリーズは上・中・下の3回に分けて掲載します。上(1〜6)は2/16掲載。中(7〜12)は2/23、下(13〜20)は3/2に掲載します。写真は、1970年代国労のたたかい

国鉄闘争の総括―戦後労働運動の生成・発展・消滅過程と国鉄労働組合の検証――

             江藤正修(2011年2月15日脱稿)

7.労働者イニシアティブ解体に抵抗した60〜80年代国労の闘い

 60年代から80年代の国鉄分割・民営化攻撃に至る国労の闘いは、これに対する抵抗なのである。この過程では職場闘争が反合理化闘争の形を取ることになる。近代化・合理化、機械化を推進し生産性向上をめざす資本蓄積の方式、すなわちフォーディズムの方式は、旧来の同意約款に見られるような労働協約の全面的廃棄と職場における権利の解体・剥奪の攻撃と一体である。したがって職場の権利防衛は、必然的に反合理化の闘争になっていった。

 50年代後半から60年代にかけて、このような反合理化職場闘争が権利闘争として展開された。だが、民間では最終的に炭労が敗北し、官公労では日教組が勤評闘争で敗北して職場=職員室における権利が解体されていった。そして70年代に入ると、権利の解体=拠点つぶしは官公労を中心とした攻防に入ったが、1975年の国労を軸とするスト権ストは、そうした官公労の闘いの山場となったのである。

 もう一度整理するならば、民間における旧来型労働運動の構造は1960年代で完全に解体され、新たに成立した労使一体の構造が旧来型の官公労を包囲していく。そして、JC派から全民労協(全日本民間労働組合協議会、1982年〜1987年)、連合へという滔々とした民間先行の流れが進行していった。この流れに抗したのが国労と日教組、部分的に全逓であり、その攻防の山場がスト権ストだったが、基本的な敗北はスト権ストにあったと思う。

8.労働者ヘゲモニーと労使癒着の一体的構造

 戦後の総評を中心とした一時代は、戦後復興過程である。そして高度経済成長の原型と基盤を作る段階までが、労働者の生産ヘゲモニーが労働運動のヘゲモニーと重なった時代であり、そこからは労働者魂と信念、あるいは確信や誇りなどに裏打ちされた闘いの主導力が作り出された。総評の前半には、このような過程が存在したのである。

 ところがこの過程は、もう一方では労使癒着の過程でもあった。すなわち、資本が弱体化しているから、労働組合に依存するという形を取って職場秩序が形成される。この労使一体の構造に対して労働組合は当初、これを利用して攻勢の契機にしていたが、次第に癒着を深めて妥協の根拠、あるいは階級的基盤の解体を上から作り出す要素に転化していくわけである。

 その意味で癒着の構造は、労働組合の戦闘性の内部にはらまれていた。たとえば国労は、戦闘的労働組合といわれていたが、その一方で癒着的労働組合でもあった。それは動労も同じである。動労は最も職能的な労働組合であり、そのヘゲモニーは運転士が握っていた。すなわち、運転士の業務能力、生産能力に依存した運動である。この家父長的で職能的な労働組合には反差別の意識が欠落しており、ブルジョア的な機会の平等の意識でさえ希薄である。

 機会の平等については労働組合ではなくて資本の側が、近代化の過程で逆に職場を組織する手段として活用していった。たとえばホワイトカラーとブルーカラーの間では、歴史的で構造的な差別として昇格過程が分離されている。ブルーカラーの昇格は現場の長どまりで全体の要職まではいかないという具合に、ホワイトカラーの優越した身分的差別が戦前まで構造として存在していた。戦後の近代化の過程で資本の側は、この構造の突破を図っていったのである。

それに対して職能的な年功序列のもとにある労働組合では、たとえば運転士の職能的優位性は変わらず、線路工夫に対する差別が厳然と存在し続けた。すなわち、労働組合の戦闘性が位階制秩序と結びつく。あるいは、戦闘的ヘゲモニー、闘争的ヘゲモニーが前近代的支配秩序と結びつく。このような構造が内包されていたのである。

9,ブルジョア的“機会の平等”で切り崩された従来型団結の基盤

 ここでは、一方の労使癒着と、近代化の過程でブルジョアジーがヘゲモニーを取って推進しようとした機会の均等化という2つの問題が登場してきた。ところが労働運動はこの双方で立ち遅れたのである。この構造は、女性からの問題提起に応えられない根拠でもある。

 女性労働の分野では、この問題が典型的に表れた。男性と比べると賃金や労働条件などで出発から差別されているから、女性の運動は機会の平等意識を強烈に持っている。女性たちの機会の平等要求は、結果の平等要求とも結びついてはいるのだが、まず機会の平等を制度として勝ち取っていくという強い意識を持っていた。ところが戦後労働運動では、機会の平等さえ意識されていない。決定的立ち遅れという問題がここにも孕まれていたのである。

 このように60年代の総評は、労使一体構造が成立する中でまず、民間で包囲された。それに対して総評左派は反合理化という形で抵抗するのだが、その抵抗の基盤は前近代的な構造のもとにあった。

ここでのブルジョア的平等性とは、フォーディズムが持つ優位性である。ブルジョア的近代化は機会の平等を通じて実現されていくのだが、前近代的秩序を基盤とした団結はこのフォーディズム的優位性に対して抵抗力を失っていく必然性を有していたと思うのである。

 前近代的要素が団結の基盤となって抵抗するという総評左派の構造は、復興過程で優位性を持ったものの、高度経済成長下の近代化、合理化の過程では有効性を失って守勢の要素に転化していった。ところが国労組合員の戦闘性や労働者魂、誇りは、このような要素に無自覚なのである。またその戦闘性は “無自覚さ”と結びついていると言ってもよい。国労は、ここを突かれていったのである。

10,近代化=大幅賃上げと反合理化=職場闘争との自己分裂

 もう1つ、反合理化については、大幅賃上げと反合理化がどのような関係にあったのかを検討する必要がある。大幅賃上げとは、近代化することで生産性を上げ、その賃金への配分を春闘として勝ち取っていくことを意味した。高度経済成長による近代化の過程が大幅賃上げに根拠を与えていたのである。それでは反合理化・抵抗闘争は、賃上げを放棄するのか。反合理化路線のもとで古いシステムを続ければ生産性は上がらないから、配分される賃金も低賃金にならざるを得ない。それでいいのかどうかが労働者の中から問われだした。

春闘での大幅賃上げは、民間大手から始まって私鉄、官公労と続き、最終的決定権を握った公労協、とくに国労が最後に圧力をかけて全国の賃金相場を決定する。このような闘いと近代化に反対する反合理化闘争は、必然的に自己分裂に陥ることになる。一方において、このような問題をはらんでいたのである。したがって大幅賃上げを勝ち取ろうとすれば、それに反比例するように反合理化闘争の基盤が解体されていく。すなわち春闘と職場闘争とが離反していくという構造に陥っていったのである。

いままで総評左派の内的矛盾として、―性がつきつける課題に応えられないという前近代的要素、近代化と反合理化の離反、自己分裂――という2つの要素を指摘してきたが、として検討しなければならないのが“上尾暴動”(1973年4月、国労・動労の順法闘争に反発した高崎線沿線住民が同時多発的に起こした暴動)で突きつけられた乗客・利用者と労働者との関係、別の表現をするならば生産と消費の関係である。

11,“国電・上尾暴動”が突きつけた社会的労働運動の課題

 乗客・利用者と乗務員の関係は企業内の労使関係とは決定的に異なる。企業内労使の矛盾との対決であるならば、国労はそれまでの反マル生闘争(マル生=国鉄などで行われた生産性向上運動)の水準で勝利できた。企業内労使関係の中で企業の側が抑圧的で過酷な攻撃をすれば、労働者は同情された。ところがスト権ストに至る過程で国労と動労は、順法闘争という形で自己決定的運動を展開したのである。

 一方、順法闘争を乗客の側から見るならば、いつ電車が来るのかわからない中で自己の生活秩序を失うことになる。そこでは権利をめぐる労使関係という枠組みを超えて、労使関係から乗客と運営者の関係に転化したのである。その意味では労働という問題が企業内労使の問題の枠を超えた労働者と利用者の関係、すなわち社会問題に転化いていったのだが、国労はここでヘゲモニーが取れなかった。

労使関係だけならば反マル生闘争のように勝利することが可能だが、社会問題として利用者がどう反応するかという問題に直面した時に、ここを統制することはできない。社会的労働運動という意識は、この問題を出発点にとして生まれた。社会の構成員である利用者の側に、どのように納得してもらえるのか。いわば共同の社会的運動として転化できるのかどうかが問われたが、企業内組合の戦闘性という枠組みではこの限界を突破できなかったのである。

スト権ストでは、資本の側が利用者の反乱を利用して労働組合を押さえこんでいくという反転攻勢に利用された。その意味では、労働の価値を単なる労使関係で決めるのではなくて、労使、利用者=消費者という三角関係の総合評価で決定されなければならない。ストライキの価値を労働者と利用者=消費者が共同で確認できなければ突破できないという壁に、企業内組合という限界を持っている日本労働運動は直面したのである。  総評左派が直面した内的矛盾は、このような3つの壁として集約できるのではないかと思う。

12,三つの内部矛盾に直面し開き直る以外に道のなかった国労

民間は高度経済成長での配分権=賃金獲得に向けた合理化推進に転換し、総評官公労を包囲している。このような民間先行の中で、3つの内部矛盾で強力に締め上げられてくると、官公労は抵抗力を失って内部から自壊していった。もはや先行的に時代のヘゲモニーを勝ち取ることができず否定的要素に転化した総評左派の中で唯一生き残ったのが国労であり、その最後の攻防が1986年の修善寺大会であった。

修善寺大会で国労組合員を支えたのが旧来の誇りや確信、勝利への信念、すなわち国労魂と呼ばれたものであった。自分たちの足元はガタガタと自壊しているのだが、旧来から身に付けてきた誇りや信念で開き直ったのである。しかし、そこからは反転攻勢の路線が出てこない。

振り返ってみれば75年のスト権ストの時点で、国労は孤立していた。国労は突出して闘ったが、このストライキを支援し波及する構造は生まれなかった。国労にとってスト権ストがピークであり、勝負の分かれ目であったと思う。スト権ストでは従来の企業内労使関係を越えて、国家政策の問題に攻防の質が転化していった。反マル生闘争までは企業内労使関係であり、企業内で生産性をどうするかの問題であった。それに対して国労は、社会再編に結びつく問題としてスト権ストという最後の勝負に打って出たが、孤立と内部矛盾、自壊の進行によって、突破するイニシアティブを持つことができなかったのである。

 その上で登場したのが国鉄の分割・民営化攻撃である。この攻撃は、新自由主義に基づく民営化、規制緩和という国際的な資本の再編成と結びついて提起されたものであった。いわば企業内問題を越えた国家政策との対決である。国家が経営者を選択して任命し、分割・民営化推進の体制を作って一挙に攻撃をかけてきたわけだから、そこでは従来のような展望を立てることができない。国労魂で開き直る以外に道はなかったのである。


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