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ライジング・スター李在明、国家財政論争に火をつける

[最近の経済]米国中央銀行長と李在明のシンクロ率

ソン・ミョングァン(チャムセサン研究所) 2020.10.06 08:36

「シンク・ビッグ!」大きいと思えという意味のこの言葉は、 米国の中央銀行長がコロナ事態で米国下院議長に言った有名な一言だ。 中央銀行はすべての実弾(マネー)が準備されているので議会が金を注ぎ込むことを躊躇するなという意を含んでいる。 普通、議会が財政を積極的に増やそうとすれば、 中央銀行は反対に保守的な通貨政策をたてる傾向がある。 しかし今回のコロナ事態ではこうした慣例が明らかにこわれた。 むしろ中央銀行がサポートするから議会が互いに文句を言わずに財政を好きなだけ増やせと注文したのだ。 事態の深刻性と財政支出の緊急性を考慮すれば、 国家財政が悪化することは特に議論する価値がないという言葉だ。 山川が何度変わってもこない日がやってくるようなものだ。 本当にニュー・ノーマル時代が呼んだ驚くべき姿だ。

本当にこうしたグローバルコロナ時代の先頭に立つ人を1人選べと言えば、 李在明(イ・ジェミョン)もその隊列に入れる価値がある。 この頃、彼をめぐるホットなイシューはとても重たくも論争的だ。 保守言論ではポピュリストだとか、何だとか、 すでに大衆は災害支援金を経験して今この局面で国家がどう財政を使うべきかを直観的に理解した。 使うべき時は惜しみなく使わなければならないということを! そのため国家財政に関して李在明と 米国中央銀行長のシンクロ率は99%に近いといえないだろうか?

ニュー・ノーマル時代の全国民基本融資権論争

ニュー・ノーマル時代が呼んだ重要な特徴は、 財政政策と通貨政策の区分がなくなったという点だ。 超低金利時代、その上マイナス金利まで登場し、量的緩和で資金が無制限に供給されている。 これを緩和的通貨政策と呼ぶが、その恩恵を誰が一番大きく受けたのかを確かめてみると、それは国家だ。 一時、ニュースにドイツの国債金利がマイナスになったという話があったが、 国家が財政を調達するためにかかる費用がマイナスということは、 国債を発行すればかえって金を稼げるという意味だ。 そのため50年を越える超長期国債まで登場した。 50年間、国家が金を金利0%で借りられると考えてみよう。 半世紀の間、その世代は利子の負担なしで国家財政の恩恵を享受できる。 なんと夢のようなことか。 この前、日系の貸金業者の三和マネーの市場撤収説が流れたが、 ニュー・ノーマルの時代的流れに違いない。

こうした渦中で李在明が投げた 「基本融資権」論争は熱くならざるをえない。 1〜2%の金利で1000万ウォンのマイナス通帳を作ってやろうということだが、 中央銀行が企業にゼロ金利で無制限資金を供給する融資プログラムと似ているとも言える。 ただし、対象が個人か企業かの差があるだけだ。 その上、日本やヨーロッパでは企業の株式も買っているのに、 ゼロ金利融資が何がたいしたことなのかという気がする。 韓国銀行もおよそ30兆ウォン規模で中小企業に0.5%台で貸し出すプログラムがある。 2%台の物価上昇率を考慮すれば、事実上マイナス実質金利だ。 名目は経済復興のための企業支援だが、 ここにコロナ事態による中小企業の資金事情解消が追加された。 コロナで苦しむ個人のための生活の基盤守り融資プログラムと名前を変えても どんな差があるだろうか? 国家財政でも中央銀行融資でも同じだ。 財政調達のための国債を中央銀行が買い入れれば、それがその金だ。 このように、今のニュー・ノーマル時代における量的緩和が 国家財政の道具として作動し始めたのはすでにずいぶん前からだ。

一方ではこれに対して金融市場の混乱やモラルハザードが語られるが、くだらない指摘だ。 時代の流れを読めない批判だからだ。 重要なことは、コロナ局面の中で行われる基本融資権論争であることに注目しなければならない。 経済学教科書にもなく、経済規律からかけ離れた、このあきれた主張がなぜ今、 大衆のうわさになって、世間の話題になっているのか、それが重要なのだ。 ただ彼が大衆人気に迎合しようとするポピュリストだからか? それなら世界の金融首長や政府指導者は、 すでに李在明の100倍ぐらいのポピュリストだ。 米国の中央銀行長のパウエル連準議長はマスコミとのインタビューで 「ハートブレイキング(胸が張り裂けそうです)」という言葉を二回も繰り返した。 コロナ事態で失職した低所得層・有色人種の困難な人生を見れば胸が痛むという話だ。 それで金を注ぎ込むという。無制限に! 「黒人」の失業率が下がるまで。 その上、この時代には失業と景気低迷と正面から闘うことが 中央銀行の重要な責務になったので、 少しぐらいのインフレはかまわないと宣言した。 オールド・ノーマルのインフレファイターとしての中央銀行はいつのまにか遺物になり、 今はデフレファイターがニュー・ノーマル時代の中央銀行の象徴になった。 だからオールド・ノーマルの時代認識に留まったままの批判では、 李在明の基本融資権論争をすることができない。

国家財政論争「何が重要か?」

彼が主張する内容は結局、国家財政と密接に関連している。 基本所得、基本融資、災害支援金など、すべての国家財政をどう動員するのかという質問に集まる。 しかしそれは単に財政収支に現れる数字の争いに限定されない 大きな国家権力についての論争だ。 国家権力の創出と管理が国家財政として発現する。 それで、これは個人の財務管理とは全く違う性質だ。 個人の負債と国家の負債は同じ性質の負債ではない。 国家がどれほど負債を創出できるのかは国家権力の大きさを反映する鏡だ。

今回のコロナ事態でユーロ圏は深刻な打撃を受けたイタリアに対し、 電撃的な財政支援を決議した。 財政統合議論をめぐる10年間の長い内紛に終止符を打ち、 財政統合の礎石を作った。 そしてヨーロッパ中央銀行が資金調達の大きな金脈の役割を果たした。 これは10年前と比べると、いやヨーロッパの戦後現代史では珍しい衝撃的な事件だ。 ある人はこれをこのように評価した。 「米国が国家連合という合衆国を作った時のような状況だ。 今やヨーロッパ合衆国と呼ぶべき時代がくるだろう」。 私たちが良く知らない米連邦初代財務長官はこんな有名な話をした。 「国家が負債を増やすことを恐れるな。国家負債は国家信用の鏡だ」。 当時の初代米国は独立戦争で疲弊した状態で、連邦政府の力は非常に弱かった。 これを解決する方法は、州政府の負債を連邦政府が新しい債権を発行し、 すべてを抱え込んで連邦政府が発行する貨幣を通用させることだった。 当時、米国はスペイン通貨が最も多く流通するほど、国らしい姿を備えられない状態だった。 そんな米国が19世紀を経て強力な産業国家に成長した重要な理由の一つが、 まさに連邦政府が求心力を持ち国家財政を調達したためだ。 国家負債は数字だけを見れば返さなければならない借金だが、 国家の負債として起こした国家財政は、人を集めて物を作る権力の出発点だ。

こうして見れば、まだわれわれは李在明が打ち上げた 国家財政論争の本質に全く近接できていない。 本質は財政調達の金額がいくらなのかという問題ではない。 その金をどう使うのかにある。 事実、現在GDPの40%台の国家負債の割合は他の国家と較べれば非常に良好な水準だ。 4000億ドルを越える世界9位の外貨準備高も、財政危機を論じられない。

だが97年の外国為替危機を体験した韓国には、国家の金庫が空になるという言葉を聞いただけでトラウマが作動する。 それで李在明式の主張に対して97年のトラウマを刺激する批判が簡単に作動する。 そしてそれを経験した世代には、そんな批判の刺激は不安を呼び起こすに充分だ。 97年だけでなく、10年前のギリシャ財政危機、 ベネズエラでの国家的混乱などは、 現在の韓国の状況とは全く似合わないにもかかわらず、 大衆的不安感を刺激する宣伝道具としてたびたび活用される。

しかし先に言及したように、混乱して経済的に難しい状況で、 国家がどのようにして、どんな役割を果たさなければならないのか、 大衆は直感的に理解している。 災害支援金で誰が損害をこうむったのか、 一部では財政が悪化すれば未来の世代がこれを担うというが、 仮定に仮定を加えた批判でしかない。 国家財政は良好だが、疲弊した国民経済を未来の世代に残してどんな意味があるかという 李在明の批判は大衆の気持ちを動かしている。 今、コロナ事態以後に世界は変わった。 ニュー・ノーマル時代のライジング・スターの1人である 李在明が呼び込んだ国家財政論争に積極的に飛び込まなければならない。

「何が重要なのかも知らず」

残念なことは、こうした論争に積極的でなければならない政治勢力が手をこまねいている点だ。 議題を作る力を失い、自分の領域を守る政治だけに没頭している。 その上、新自由主義の財政規律に同調して国の経済を心配するといいふらす。 風前の灯火に処した国家経済が深刻な危機を迎えているから、 ポピュリズムに振り回されずに「じっとしてろ」と言う。本当にとんでもない。

「何が重要なのかも知らず」大統領候補選好度1位に急浮上した李在明に大衆的議題を奪われたまま、 どんな政治をするというのか? 李在明が呼び込んだ国家財政論争は、どんどん進んでいる。 基本所得が正しいか正しくないか、普遍支払いか差別支払いかという論争は、 もはや副次的だ。 国家権力の出発点がどこから始まるのかを調べ、 国家権力を実質的に民主化するための論争に拡大しなければならない。 国家財政と国家負債は、この長期的課題のための論争の最初の出発点だ。 いつか李在明の 分身と戦う時代がくるかもしれない。 ニュー・ノーマルのライジング・スター、彼は決して扱い易い相手ではない。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2020-10-12 02:41:21 / Last modified on 2020-10-15 00:23:25 Copyright: Default

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