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老人のための資本主義はない

[99%の経済]人口変化と経済成長の限界

ホン・ソンマン(チャムセサン研究所) 2020.02.10 12:58

資本主義世界の経済成長の足を引っ張る要因には、 産業生産の機械代替(資本の有機的構成の高度化)、 労働生産性弱化、 気候変動および資源枯渇、 そして人口変化などを上げられる。 すべて根本的な制約要因と考えられるが、 今日は人口変化による世界経済の生産性鈍化と成長遅滞の問題を検討してみたい。

人口変化は「低出産-高齢化」に圧縮される。 低出産の問題は経済的な面で生産可能人口(15〜64歳)の縮小だ。 つまり労働力供給が不足するという意味だ。 だが高齢化の問題は生産可能人口より高齢人口(65歳以上)が増加することによる問題だ。

経済成長率は労働、資本など要所投入増加率と生産性増加率の合計で定義される。 したがって労働投入が減れば成長率が減る。 この成長率を維持または増加させるには、 減った労働投入量より大きな生産性増加率がなければならない。 だが低出産-高齢化は労働投入増加率を減らすだけでなく(低出産)、 一般的に生産性がさらに低い労働人口を維持し(高齢化)、 生産性増加率も下げる。 結果として経済成長の二本の足を捕まえることになる。

こうした低出産-高齢化問題は、国家により程度の差はあるが普遍的だ。 生産可能人口の増加率よりも高齢人口増加率のほうが高くて、 世界経済成長の深刻な障害と思われている。 ご存知の通り、韓国の低出産問題は世界的にも最も深刻な水準だ。 出生児数は1970年の100万7千人から2018年には32万7千人と、1/3以下に減少した。 合計出産率も1970年の4.53人から2018年には初めて1人未満の0.98人に減少した。 こうした出産率の低下は生産可能人口の減少につながる。 統計庁の将来人口特別推計(2017〜2067年)によれば、 韓国の生産可能人口は2018年の3765万人を頂点として今後減少し続け、 2067年には1784万人に減ると展望される。 50年間で生産可能人口が半分以下に減るのだ。

高齢化問題はさらに深刻だ。 高齢化は低出産につながり、新しく流入する労働者の数より引退する年代が増え、 労働力不足問題を引き起こす。 また老人が資産を減らしたり清算しながら生きていくので 資産市場の縮小または崩壊、貯蓄率下落を伴い、 これによる経済成長鈍化の様相が加速する。 老年期疾患は治療費用が非常に高いため、 医療費の増加で医療保険などの財政負担を加重させる。 また、人口減少と人口構成変化による消費需要の縮小と変化も予想される。 若い層の需要よりも老年層の需要が増加し、 全般的な活力を下げて消費のパターンと対象も変わる。 このように、高齢化は需要や労働市場、資産と金融市場、財政悪化など、 (資本主義)経済全般にほとんど良くない影響をおよぼす。

このような人口変動、低出産-高齢化による経済的問題を解決する方法として、 大きく五種類の方案が考えられる。 最初に出産率増加、二つ目、移住労働者の代替流入、 三つ目、生産可能人口の生産性向上、 四つ目、生産可能人口の雇用率上昇、 五つ目、老齢人口の労働市場再進入だ。

高齢化にもかかわらず、出産率が(とても)上がれば、 現在提起されている問題を長期的に解決することができる。 なぜ長期的かといえば、人が生まれて生産的な労働をするためには、 およそ30年かかるためだ。 今すぐ出産率が上がっても30年後にやっと問題解決が始まる(!)ということだ。 その上、低出産は低賃金、長時間労働、社会的差別などの社会的要因が最も大きい。 だが今は低出産よりも低賃金問題を解決するほうが難しいと見られる。 また、移住労働者の流入も労働力投入という面では考慮できるが、 生産性の向上という面では全く答にならない。

一方、生産可能人口の生産性は現在の産業生産の生産性と同じなので、 生産可能人口の生産性向上は同語反覆でしかない。 その上、低出産-高齢化対策としての生産性向上は、 現在の生産可能人口が減るだけ労働生産性向上が伴わなければならず、 増加する老人扶養人口と同じ程度に生産性を高めなければならない。 すなわち、低出産-高齢化問題を克服するためには 「ダブルで」生産性を高めなければならない。 現在の生産性の低下を止めることもできないのに労働力供給が減るのだから、 さらに最低二倍の生産性をあげなければならないというのは成立しない。

したがって人口変化に対する代案は生産可能人口の雇用率を高めること、 特に青年と女性の雇用率を拡大することと、 老齢人口の労働市場再進入が唯一の方案と考慮されている。 それもそれぞれ個別的ではなく同時に形成されなければならない。

高齢化による労働供給減少を挽回するために、 生産可能人口年齢帯の経済活動参加率を上げること、 特に女性と青年を促す政策は典型的な高齢化対応策だ。 しかし高齢化は急速に進むので、生産性の画期的な向上がない限り、 代替労働力の供給を増大させる方式では否定的な影響を相殺するのに充分ではない。 ある研究によれば、女性と青年の追加的な経済活動参加にもかかわらず、 高齢層の経済活動が上昇しない限り、 成長率(年平均)は0.2〜0.4%p低下することが明らかになった。 そのためここに高齢者の引退を遅らせて労働市場に再進入させる方案が共に議論される。

ところで、なぜ老人がまた労働しなければならないのか? 老人はすでに労働者として自分の老後の生活のため十分な余剰(surplus)を生産したし、 ただこれをすべて専有できなくなっているだけだ。 そのうちの一部を遅延賃金である年金、賃金蓄積資産の住宅と貯蓄として保有しており、 数十年間賃金の一部を健康保険料として支払った。 換言すれば、老人たちは(老後の生活に対する)余剰を生産し、 その中の一部を蓄積させてきたので社会的寄与はもちろん、現在の消費も十分に正当だ。

老齢人口をまた労働市場に追いやるために考案したのが 「老人扶養費(old-age dependency ratios)」だ。 老人扶養費は、生産するより消費する老人を食わせて生かすために、 生産可能人口100人当たり何人の老人の面倒をみるのかを示す。 高齢化するほど、さらに多くの老人の面倒をみなければならない。 結局、生産可能人口、すなわち若い世代の老人扶養費がさらに上がり、 彼らにさらに多くの負担を負わせるということだ。 例えば老人扶養費は出産率による生産可能人口100人あたり 何人の子供の養育に責任を持つのかを示すのと同じだ。 出産率が上がると生産可能人口の子供養育負担が増え、 さらに貧しくなるという論理と同じだ。 出産率の問題を個人に押し付けると、 老人扶養費は老齢人口の問題を世代間の問題として、個人の責任に押し付ける。

その上、生産可能人口が実際に老人を扶養する割合はますます減っている。 2017年、韓国韓国保健社会研究院が老人実態調査で発表した 「老人の家族支援およびケアの様相」報告書によれば、 両親が生存している65歳以上の老人のうち69.7%は両親に経済的支援をしていた。 悩み相談のような情緒的支援をする割合も40%を越える。 すなわち、老人を扶養するのは老人であり、 高齢化が進むほどこうした「老老扶養」はさらに拡大する展望だ。

したがって、老後のために労働市場に再進入するのは国家と社会と資本の責任であり、 利益蓄積中心の生産様式が枝は固有な矛盾であることを指摘しなければならない。 老人扶養費などをいいながら、引退年齢と年金支払い時期を遅らせ、 また労働市場に呼び入れるのは、 老人扶養の責任を世代、個人の問題にするばかりか、 生産性の低下を相殺するために老人の搾取をさらに強化する。 これは若者の扶養費用を心配しているのではなく、 高齢化による生産性の低下を防ぐ措置であり、試みだ。

このような試みが成功するだろうか? 年金支払い開始を遅らせ、年金と医療保険金自体を下げることへの抵抗は別として、 ここではただ経済だけを見ることにしよう。 韓国の65歳以上の老齢人口の経済活動参加率は、すでに世界最高水準だ。 G7国家の二倍を越える。 労働市場に生産可能人口の雇用率と老人雇用率が増加しているが、 ほとんどは不安定、非正規職、最低賃金水準の雇用だ。 一時的な公共勤労が増え、生産性増加どころかむしろさらに低下している。 その結果が世界最高の老人雇用率にもかかわらず、 世界最高の老人貧困率だ。 韓国の老人は世界で最も多く働きながら最も貧しい階層であり、 高齢化の拡大の中でこうした傾向はさらに強化されるだろう。

一方、資本の生産性向上のための老齢人口の労働市場回帰問題は、 増えた寿命ほどに人生をどんな方式で生きていくべきかの問題に帰結する。 すなわち、増えた労働時間にもかかわらず、 非生産的な労働で剰余価値生産にも寄与できず、 雀の涙のような老齢年金と労働所得で、長い有病期間に適切な治療さえ きちんと受けられずに生きていくのかという問題だ。

これは福祉のような分配の問題ではない。 資本の収益率(利益率)と生産性が高い時は、 高齢化に対するさまざまな問題を福祉で扱うことができた。 だが今は資本の生産性が下がり、成長が止まった状態だ。 利益主導の資本主義生産様式において、 老人の生産性は決して生産可能年齢帯の生産性に追いつくことができず、 剰余価値生産につながる生産的雇用に達しない。 生産的労働と生産的雇用が与えられないのに、 老人が生産的に変わるわけでもない。

それでも市場で交換される商品生産以外に老人の仕事(work)が (家事労働と同じように)社会的な使用価値生産と無関係に存在するわけでもない。 各種の社会的維持および管理活動、子供および孫子女のケア、 情緒的きずなのような社会的再生産活動が市場価値を認められることができず、 (無給で)存在する。 したがって高齢化により老人労働が避けられないのなら、 老人の労働が社会的価値生産とその代価を正当に受けられるように生産関係を変えることが必須だ。 (利益ではなく)社会的使用価値中心の生産関係に変化させ、 生産性の再構造化はもちろん、社会的労働としての老人労働の評価もなされなければならない。 でなければ、人口の半分に達する老齢人口は、 (年金支払いもずっと遅れて年金額も下がるので) 今よりもさらに長時間労働と世界最高水準の貧困状態で暮らさなければならない。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2020-02-17 16:38:11 / Last modified on 2020-02-17 16:44:23 Copyright: Default

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