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「公正 vs 不公正」の枠に閉じ込められた大韓民国

[ワーカーズ メディアタック]韓国社会で最も重視する価値は『公正』なのか

クォン・スンテク(言論改革市民連帯) 2019.10.07 08:54

「1〜2年単位で引っ越すべきなら一歩後ろに」
「四大保険に入れなかったら一歩後ろに」
「家族のために友だちから冷やかされたら一歩後ろに」
「結婚や出産で経歴断絶が恐ろしければ一歩後ろに」
「公共の場所で嘲弄や視線を受けずに恋人とスキンシップできるなら一歩前に」
「近所のどんなトイレでも自由に使えるのなら一歩前に」

同じ線の上で手を取り合っている21人の青年。 上のような質問56問が与えられた。 「年齢で無視されたことがあれば」、 「自分の食生活を詳しく説明したことがあれば」、 「自分の性別・障害・身体などがメディアで戯画化されたことがあれば」、 「家族の状態を何度も他人に説明しなければいけなければ」、 「公共料金を延滞したことがあれば」、 「休学して学費を稼がなければいけないのなら」といった質問により、 誰かは前に出てきた。 しかし誰かは後に移動した。 「スブスニュース」の「あなたは[どこに立つ]青年ですか?」という実験の内容だ。

韓国社会を覆う「公正」の価値

いつからか韓国社会に「公正-不公正」という言葉が洪水のようにあふれている。 最近、長(チョ・グク)法務部長官の娘の裏口入学の議論も同じだ。 高麗大キャンドル集会執行部は、聯合ニュースとのインタビューで 「長官任命という小さな穴は、 結局、韓国の社会価値に混乱をもたらし、 公正・原則・正義という堤防を押し倒すだろう」という立場を明らかにした。

公正性の議論、考えてみれば本当に多かった。 2018年の平昌冬季オリンピックの時にも、 女子アイスホッケー南北単一チームの構成の問題をめぐり、その論争が起きた。 政府は南北関係改善を全世界に示すために単一チームの構成を提案した。 それが平和と和合というオリンピック精神に符合すると主張した。 だがすぐに「公正でない」という評価があふれた。 スポーツというものは個人の身体的能力だけで評価されるべきなのに、 その原則から抜け出すという指摘だった。

現在、韓国社会で表れるさまざまな対立でも「公正」の原則がしばしば言及される。 学校非正規職(給食料理および放課後教室、図書館司書など)労働者が 7月に全面ストライキをした時もそうだった。 労働者たちは、教育公務職の法制化による正規職化と賃上げ(9級公務員の80%水準および正規職と同一の勤続など各種手当て)等を要求した。 すると直ちに「特典」だという言葉が出てきた。 公務員を準備する多くの受験生が昼夜なく勉強しているのに、 それを間がれば「公正なルールではない」という言葉であった。 民間の専門家を公職に経歴採用する制度についても同じ問題提起が登場したりする。 荒っぽく言えば「公務員になりたければ、お前たちも試験を受けて通過しろ」という主張だった。

「入試」にも似た構造の論争が行われる。 19代大統領選挙で保護者の要求は随時募集の縮小であった。 最近では「学生簿総合選考廃止」の要求が沸き立っている。 淑明女子高校教務部長が双子の子供に答案用紙と答案用紙を流した疑惑が提起され、 このような声はさらに大きくなった。 入試に関しては、セウォル号惨事を体験した檀園高校生の特例入学をめぐる論争もあった。 さらに農漁村特別選考も廃止しろという言葉まで出てきている。

そのだけだろうか。 時期がくれば登場する軍加算点制(憲法裁判所の憲法不合致決定今後も)の要求。 ロースクール制度廃止の要求、 5・18有功者にあふれる特典という攻勢… その中心に「公正ではない」という批判が置かれている。

誰のための「公正」なのか

このように、「公正」という価値の重要性は、 文在寅(ムン・ジェイン)政府が大きくした側面も大きい。 「機会は平等になる。過程は公正になる。結果は正しくなる」という 文在寅大統領の就任演説を覚えているだろう。 その言葉に国民は熱狂した。 キャンドル政府を自任する政府の就任宣誓での一番インパクトある文句でもあった。

しかし疑問符がつけられた。公正とは何か。 公正さと不公正を分ける基準は何か、誰によってなされるのか。 入試で修学能力点数を100%反映することが公正なのか。 採用した時に「ブラインド面接」を受けることが公正なルールなのか。 では出身学校や地域の差別をなくすために行われる「ブラインド」採用の結果、 むしろスカイ(ソウル大・高麗大・延世大)出身学生の合格率が上がったという記事を どう読むべきなのだろうか。 われわれはすでに知っているのではないか。 スカイへの入学が江南出身に偏重しているということだ。 それが本当の「公正」なのだろうか。 考えても答が出てこない問いだ。

長官の辞任を要求してキャンドルを持つ人々を批判するためではない。 学生簿総合選考に問題がないと言うつもりもない。 学校非正規職の正規職化に反対する人々の気持ちがわかないわけでもない。 ただ、多様な価値の中に韓国社会で現在必要なのが「公正」なのかについての質問を投げてみようということだ。 「試験」を通過した者が公務員としての役割をしっかり遂行できるのかを考えてみようということだ。 新しい時代を開こうと集まった広場のキャンドルの要求は「公正」だったのか。 あるいは、私たちが自らキャンドルの念願を「公正」の価値だけに閉じ込めたのではないのかを疑ってみようということだ。

それなら、恐ろしい場面が浮び上がるほかはない。 文在寅(ムン・ジェイン)大統領が候補時代に同性愛に「反対する」と発言した後、 包括的差別禁止法制定デモがあった時に出てきた言葉。 まるでテッチャン(訳注:観客が一緒に歌うこと)を歌うように、 支持者たちは「後で」と叫んだ。 その「後で」はいつだったか。 文在寅政府の発足から 2年経ったが、その「後で」はまだこないのか。 テッチャンを歌った彼らは何と答えるのだろうか。 しかし最近、もっと暗たんとする事件が広がっていた。 国家人権委員会のチェ・ヨンエ委員長が総選挙まで、 差別禁止法については拠論するなという立場だったという報道が出てきたのだ。

キャンドルの要求を「公正の価値」だけで縛れるのか。 200万のキャンドルがあったように、彼らの要求もまた200万だっただろう。 その多様な要求をまとめるとすれば、その価値は「公正」ではなく「多様性」ではないのか。

「努力した人に適切な補償が戻らなければならない」という言葉が間違いだと言っているのではない。 スブスニュスの実験が示すように、出発線そのものは違っても、 単に「個々人の能力」だけで評価するのは止めようという話だ。 あなたはどこに立っているのか。 あなたの前には誰がいて、その後には誰が立っているのか。 誰かの前に立っていることを、ただ喜んでばかりいていいのか? 該当の実験の結果、まん前に立っていた人はこう話した。 「実際にまん前にいると、さらに気持ちが苦しくなる。 しかし私の背中を見ている人たちはどれほど苦しいでしょうか…」 [ワーカーズ59号]

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2019-10-03 11:48:42 / Last modified on 2019-10-09 19:11:05 Copyright: Default

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