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94年生まれ料金受納労働者、テヒ氏の直接雇用闘争の話

[ワーカーズ インタビュー] 「村の入口で人々を迎えるのが誇らしい」

ヨンジョン(ルポ作家) 2019.09.30 10:24

▲9月13日、秋夕合同祭事での座り込み料金受納労働者たちの団体写真[出処:ヨンジョン]

私が一番ましだと思っています

9月20日の朝、慶北道金泉市栗谷洞にある韓国道路公社本社の2階ロビー。 韓国道路公社全国営業所料金所で料金受納業務を行っていた労働者たちが12日間、 座り込みをしている。 直接雇用を要求して子会社に行かなかったという理由で解雇され、 3か月間闘争している彼らは、 解雇された1500人の直接雇用について使用者側と対話をするために9月9日にここにきた。

「ここにいる姉さんたちに言いたかった言葉は… いつも私の面倒をみてくれて、 苦労させていることに感謝して申し訳ありません。 スローガン一つして終わります。」

「二つやってもいいよ!」

「直接雇用争奪して家に戻ろう!」

パク・テヒ氏がシュプレヒコールをあげると 座り込みをしていた250人の料金受納労働者が一緒にシュプレヒコールをあげる。 座り込み8日目の日の午後、 座込場で一番若い労働者の26歳、94年生まれのテヒ氏と会った。

「つらいと言えばつらいのですが、 一番つらくないのが私なのではないかと思います。 みんな年齢も高くて、家庭も持っていますが、 私はそうではないので私が一番楽をしているだろうなと思っています。」

テヒ氏は闘争を始める時、 野宿やロビー座り込みをするようになるとは全く想像しなかった。 最初は1泊するのも驚いた。 9月9日午前までも、韓国道路公社本社に来るとは予想しなかった。 この日、韓国道路公社の李康来(イ・ガンネ)社長は世宗市の政府世宗庁舎で 8月29日の大法院判決で勝訴した労働者だけを子会社に転換する意思を確認した後、 直接雇用人員を確定するという内容の記者会見をした。 テヒ氏は世宗市に料金受納労働者の立場を明らかにする記者会見をするために行った。 記者会見の後、青瓦台に行くと思っていたが、 バスの中で金泉本社に行くという話を聞いた。 彼女はその時とても震えたと言う。 当時だけでも秋夕をここで過ごすことになるとは、 そして、このように時間が流れるとは予想できなかった。

それお釣りを払う仕事でしょ?

テヒ氏は江原道洪川郡内村面にある韓国道路公社の 内村営業所料金所で料金徴収員として働いて、7月に解雇された。 テヒ氏がこの仕事を始めたのは2年6か月前だ。 洪川で雇用を探している時、知人から話を聞いたのが契機だった。 この仕事をする前は、某バイキングチェーン店のベーカリーコーナーで 最低時給で働いていたが、とてもつらかったといった。

「勉強をしていましたが、生活費が必要で、最初は2か月アルバイトするつもりで入りました。 しかし2か月経ってまた契約書を書くことになり、 仕事を続けているうちに2年を越えました。」

初めは3交代も大変で、バスが3時間に1本しかない所なので通勤も容易ではなかった。 近くで暮らしている職員の助けで通勤をしたテヒ氏は、 運転免許を取って中古車を買って直接通勤した。

テヒ氏は料金受納業務がおもしろくて好きだった。 初の職場なのでわくわくもした。

「働かせてくれたことだけでも、とても感謝していました。 いつも『百万ウォンは大金だ』と思って暮らし、月給を受けました。 『私がこんなにたくさん金を稼ぐとは』と思って嬉しかったのですが、 姉さんたちの言葉を聞くと受けとるべき金がもっとあるのに受け取れないと言いました。 もっと金を多く稼げれば良いが、それでも少ないと思ったことはありませんでした。 初の職場なので。 会社に通って自分の力で金を稼いで、生活して、自分が何かをするということが とてもうれしかったのです。 同僚の姉さんたちは、若いのでとてもよく面倒を見て可愛がってくれてうれしかった。 姉さんたちは結婚していて年齢も高く、子供もいるでしょう。 だから業務の話以外はあまり共感はありませんでしたが、 それがちょっと残念で、残りは悪くありませんでした。」

最低賃金というものがあるということも、一緒に働く姉さんから知った。 ここは入ってきて1か月の人も20年になる人も、 みんな同じように最低賃金を受けた。 新入社員がたくさん残業をすれば20年働いている人より多い給与を受けることもあった。

初め、テヒ氏は受納業務が恥ずかしくて、友人に話せなかった。 テヒ氏がこの仕事をしているといった時、 友人たちはとても驚いた。 突然、洪川で料金所の仕事をしていることに一度驚き、 その仕事を2年以上していることにまた一度驚いた。 テヒ氏は友人の中では早く社会生活を始めた方だ。 就職のために勉強をしているある友人は 「ええ、なんでそんな仕事をしているの? それお釣りを払う仕事でしょ?」と話した。

「年齢が高い人たちがよくやっているので、 私の年齢の時にする仕事ではないと考えるのでしょう。」

テヒ氏が実際にしていた業務は「お釣りを払う仕事」ではなかった。 徴収員は本当に仕事が多かった。 通行料を受けることと、未納を受けること、車両の流れの管理、 入口で積載不良や過剰積載車両を管理する業務もした。 清掃と草むしりは基本だ。

「出口と入口を兼ねてみて、入口で仕事をする時は、 清掃と施設管理と事務室のお使いもします。 また、出口勤務者がトイレに行ったり食事・休息の時間に交代もします。 事務室に行けば、未納照会業務、民願処理、審査業務もしました。 料金所で行われるすべての仕事をすべてするのです。 後になって私がしている仕事は小さな仕事でも、誇らしかったです。 高い学歴や専門的な技術を要求する仕事ではありませんが、 村の入口で人々を迎えて歓迎する貴重な仕事でしょう。 誰かに害を与える仕事ではないので良い職業だと思います。 友人にも推薦してあげたい仕事なんです。」

内村営業所はソウル・襄陽間に新しく開通した高速道路の最初の料金所で、 内村に入る所だ。 テヒ氏が働く料金所の周辺は、山と畑ばかりで、裏には小川もある。 働いている時、前の道路を見ていると大きな鳥が飛び回り、赤鹿も飛び回るという。 ひとりひとり、そこを通る人たちを迎える仕事は、 テヒ氏がこれまでしてきた重要な仕事の中の一つだ。

テヒ氏は自分がしてきた仕事を「小さな仕事」と表現する。 この表現にはテヒ氏の素朴さと謙遜が含まれている。 座込場の共用ティッシュボックスに紙がなくなると、すぐに補充してくれる人がテヒ氏だ。 しかし、テヒ氏がしてきた仕事は決して小さな仕事ではなかった。 韓国道路公社の営業所業務について一番よく知っている人は料金徴収員で、 テヒ氏が遂行した業務は韓国道路公社の核心業務であった。 その業務(特に通行料と未納金の受け取りなどの営業業務)のおかげで、 韓国道路公社の職員はこれまで多くの給与と成果金を受け取ってきた。

▲座り込みの料金受納労働者たちがパフォーマンスで作った直接雇用[出処:〈労働と世界〉チョン・ジョンベ]

徴収員で働いているとよくあること?

料金受納業務をしていて、困難がなかったわけではない。 カプチル(パワハラ)やセクハラをする顧客もいたし、 会社側の不当な態度もあった。

「『申し訳ありません。処理して差し上げます』と話すと、 さらに『そうだ。お前が悪い』と言って、安心してさらに怒ります。 若いからといってとても腹を立てることも多いのです。 ある時は『お嬢さん、おれに会いたくなかった?』とか、 夜に働いていると高齢の男たちが『孤独じゃない? 私が遊んでやろうか?』 といったように話すのは、年齢が若いから放言をしているようで、不愉快で嫌でした。 そんな時はどう対処すればいいのかわからず、 言い返さずに『さようなら』と背を向けます。 返事をせずに見ていると、行かずに待っていることもあります。」

事務室に話しても効果がないので、ただ我慢して耐えるしかなかった。 女性受納労働者たちは 「徴収員として働けば、誰でもその程度はよくあることだ」と考えながら 「ウンコを踏んだ」とやりすごす時が多かった。

初めて働いた営業所は車両が多いところで、 未納の受け鶏を重要視していることに、ストレスがあった。

「交代する時、私が受け取った未納を書き込んでいるのを見て 『未納たくさん受け取った? 良かったね? 何等かな?』と話するのが とても負担になりました。 同僚の姉さんたちが本人も知らずにそんな話をするのですが。」

等数が下がると社長に呼ばれて面談をすることになるので、 労働者たちはとてもストレスを受けた。 未納で一等になると賞金として10万ウォンを受け取るが、 それも空気を読んで 「協力してくれた社長さん、ありがとうございます。 チーム長さん、ありがとうございます」といいながら 菓子でも買って返さなければならなかった。

友人たちに韓国道路公社で働いているといいました

テヒ氏は韓国道路公社と契約を結んだ用役業者の所属だった。 2年6か月働く間に用役業者が3回変わった。 その用役業者は月給を通帳に入れてくれたり、 労働者たちにカプチル(パワハラ)することやめたりすることはなかった。 テヒ氏が使うコンピュータと機械など、 すべての物品には「韓国道路公社」と表記されていた。 テヒ氏が入社した2017年には勤労者地位確認訴訟に関して、 不法派遣の証拠をなくすために道路公社所属の管理者が営業所に常駐していなかったが、 直接の業務指示と審査・決裁は続いた。

「道路公社の人が用役業者の社長(道路公社名誉退職者)に『先輩、先輩』と言っていました。 道路公社の職員が定期的にきて、検査して確認して、やらせることあればやらせていました。 『何を見たい。何を持ってこい』といえば、 私たちが行ってやってくれということしていました。 サインもしました。 道路公社の車がよくきます。 私は友人にも『私は韓国道路公社で働く』こう話しました。」

「非正規職が何だろう? アルバイトのことをいうのか?」と考えている時であった。 暮らしが本当に楽ではないと考えながら、非正規職について考える契機は、 解雇通知であった。 テヒ氏は2年6か月間働いて、4〜5回契約書を書いた。 料金受納労働者は毎年の年末と業者が変わる時に、契約書を新しく書かざるを得なかった。

「年末に解雇通知書のようなものがきました。 続けて仕事をさせるといったのに、なぜ解雇をするのかと思いました。 『特別なことがない以上、社長に嫌われない以上、大丈夫』と 姉さんたちが言うのですが、かなり心配で不安でした。」

再契約する前に社長が一人ずつ呼んで、面談をすることもとても不安だった。 あるいは面談の内容のために再契約ができなければどうしようと思った。 幸い、テヒ氏は再契約になったが、 他の料金受納労働者が社長の気に入らないという理由で再契約ができなかった。

「私が席を奪ったようで、いい気持ちはしませんでした。 顔を見るのも申し訳なくて。」

その後、テヒ氏は再契約する時になると雇用不安に苦しんだ。 昨年の秋、しばらく韓国道路公社が子会社に行くと脅迫をしていた時、 テヒ氏は自分を保護できる装置が必要だと考えるようになった。 それで一緒に働いていた姉さんたちと共に労働組合に加入した。

当然のことを主張しても、簡単には行かない

「道路公社は、子会社に行くか、直接雇用を選ぶかしろと言いました。 もちろん、子会社を選べと脅迫してずいぶん懐柔しました。 子会社を選ぶと受納業務を続けさせてやるが、 直接雇用を選択すれば別の仕事をさせると言いました。 『他の仕事をするのも良いだろう。仕事は与えるといったから』 こう思いながら、解雇されないと思いました。 しかし本当に解雇されたのです。」

しかし、子会社を強要する道路公社の脅迫を恐れたり、心配にはならなかった。 入社した時から徴収員が道路公社の正職員だと思い続けてきたためだ。

「用役だから、派遣勤労だからとか、そんな話が何かはよく知りませんが、 私の仕事を道路公社がすべて指示したので、 直接雇用がいいと思って直接雇用を選択しました。」

テヒ氏は他の労働者たちより、相対的に若い方だからか、 直接雇用された時に違う仕事ができるという脅迫はあまり恐ろしくなかったと言う。 新しい仕事をするのも新鮮だと気もした。

「仕事をする時は道路公社が仕事もくれて、月給をくれる良い会社だと考えました。 しかし解雇されて交渉をしようと言っても出てこず、何の対策も立てませんでした。 『世の中、生きていくのは本当にこういうことだ。 本当に当然のことを主張しても、このように簡単にはいかないんだな』ととても感じます。 他のアルバイトをしても、またいつクビになるかわからない。 アルバイトはもっと処遇が良くないでしょう。」

解雇された後、失業給付で生活しているテヒ氏は、 年齢と勤務期間のために失業給付を3か月しか受け取れない。 弟の生活にも責任を取らなければならない状況なので、 10月からはアルバイトをしながら闘争しなければならないようだという。

「月給をたくさんくれということでもなく、 私ができる小さな仕事でも、安定して働きたいということじゃない。 ぴかぴかな仕事ではなくてもいいから、 安定して働きたいです。 目の前の生活は不安ですが、 職場が不安になれば私の生活、家族、すべてがみんな揺れるから常に危険です。」

自分を守るためにそうするしかない

テヒ氏は直接雇用の闘争をしながら、 他の闘争事業場に連帯に行ったり、連帯に来た人たちを見ながら、 抑圧され疎外された人が多いことを知ったと言う。

「ソウルの江南駅の鉄塔に上がっていた人(サムスン解雇者キム・ヨンヒ氏)と会いましたが、 息が詰まりました。 本当に死ぬ覚悟で上がったに違いないという気がしました。」

サムスンの良いイメージの裏にこうした姿があることを知ってとても驚いたりもしたし、 無力な労働者たちが戦う姿を見て、世の中が変わらなければならないとも考えた。

そうかと思えば、闘争を始めてから、 特にこの道路公社本社にきてから見た警官たちの姿も大きな衝撃だった。

「警察は立派で有難い人々だと考えていました。 しかしここにきて『人が倒れた』と叫んでも、押し続けます。 盾もなく押せば腰くだけになって起きることもできず、 そのまま踏まれてしまいます。」

道路公社の職員が警察とスクラムを組んでいる写真を見て、 警察は労働者たちの安全を守りにきたのではないことを知った。 小競合いになる時は恐ろしかったり、自分らしくないようだという気がして、 適応するのが難しいと感じる時もあった。 テヒ氏は9月11日、警察が本社で座り込みをしていた労働者を強制鎮圧するといった時も、とても緊張した。

「靴の音を聞いただけでも恐ろしく、盾を持つ音を聞くだけでもとても恐ろしい。 本当にぶるぶる震えていたようです。 姉さんたちが引っ張られて行くまいと、 警察と道路公社職員らが接触できないようにしようと叫びながら、上着を脱ぎました。 とても残念で心が痛いです。 自分を守るためにはそうするほかはなかった状況。 私はそうすることができなくて、とても申し訳なくて…。 みんな私のお母さんのような人たちなのに、 他人のように思えず、さらに心が裂けます。 私の隣にいるお母さんのような人々を私が守らなければいけないと考えました。 率直に、二度とこんなことがなければいいですね。」

テヒ氏はそう言ったが、ビクともしない警察を見てとても腹がたったと言う。 しかし、これからは怖がらないと言う。

「連行されないようにしなければいけませんが、 もし強制的に連れ出されて連行されたら、 そのまましっかり調査を受て出てくれば良いじゃないですか。」

直接雇用されればお父さんにプレゼントをしたい

テヒ氏は1500人の直接雇用要求を受け入れず、 交渉も拒否している韓国道路公社を見て、 一度会って話を聞くことがそんなに難しいのか疑問を感じるといった。

「大法院で正規職という判決も出たのに、 1500人直接雇用してくれということが、こうして戦いながら言うべきことなのかと思います。 ここの道路公社の職員は、私たちが直接雇用されるのを嫌がっているようです。 利益を一緒に分けることが嫌なんでしょう。 一方では理解できたりもしますが。 それぞれの立場で一緒に仲良く働ければいいですね。 私は道路公社の立場はあまり気にしません。 今まで大変だったし難しかったが、できると信じています。 『時間が多少かかる。必ず家に戻らなくちゃ』という考えに追われます。 あまりできるとかできないとかを気にすると、気力がなくなりそうだから。」

テヒ氏は闘争しながら、今のように大変な時はなかったと言う。 前に4日間闘争した時は、家に一回ずつ帰れたのに、 今はそれはできない。

「家族にとても会いたかったり、ストレスを解くことができません。 家ではピアノをひいて遊びながらストレスを解いたのに、 今は全くそういうことができませんから。 精神的にストレスがたまって大変です。 共同生活というのは大変なことでしょう。」

ここでは休み時間に映画を見たり、携帯電話でゲームをしながらストレスを解く。 家族との通話も慰めになる。 家族はテヒ氏がしている闘争が正しいと信じて、 心配すると共に応援をしてくれている。

「お母さんは私がこうさせたようで申し訳ないと言います。 家の都合が良くなくて、私の勉強をあまり助けられず、 すぐ金も稼がなければならなずに働くようになったのですが、 それで解雇されたのでそんなことを考えたようです。」

テヒ氏はお母さんが悪いとは考えないが、 お母さんの愛と心配が感じられて感動したという。 最後に直接雇用されれば、料金受納業務を続けたいのか、今後の覚悟を尋ねた。

「ある人たちは、君は若いからこれからの人生がどうなるかわからないので、 あえてこの仕事をしなくてもいいと言います。 それもそうでしょうが、私は最後まで一生の職場にしたいです。 直接雇用されて、生活が安定すれば、 家族をもっと助けたいです。 覚悟ですか? 直接雇用されればお父さんにしてあげたいプレゼントが一つあります。 お父さんにプレゼントをしてあげるその約束を守るという良いことを考えて、 闘争しています。それが私の小さな覚悟です。」

[ワーカーズ59号]

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2019-10-03 11:48:42 / Last modified on 2019-10-03 19:43:51 Copyright: Default

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