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「連帯の仲間に感謝! 明日またきてね!」

[ワーカーズ]世宗ホテル労組弾圧に対抗して9年間闘争する世宗ホテル労組の話

ヨンジョン(ルポ作家) 2019.08.02 13:15

▲300回木曜集会で歌っている世宗ホテル労組組合員[出処:ヨンジョン]

5月22日、民主労総サービス連盟世宗ホテル労働組合は 「解雇労働者キム・サンジン復職、強制配転撤回、成果年俸制廃止」を要求して 無期限のテント座り込みを始めた。 世宗ホテルは世宗大学校を運営する学校法人大洋学園が100%の株式を所有する収益事業体だ。 2005年に113億ウォンの会計不正と、不正により退任した 朱明建(チュ・ミョンゴン)大洋学園前理事長が2009年7月に世宗ホテルの会長に復帰したことで、 世宗ホテル労組の長い闘争が始まった。

世宗ホテル労組に対する使用者側の弾圧は、2011年に複数労組設立が許された時点から本格化した。 使用者側の主導で設立された韓国労総所属の世宗連合労組は交渉代表労組になり、 世宗ホテル労組が締結した団体協約「非正規職1年後正規職転換」条項と 「雇用安定協約」を無効にした。 そして2012年から2016年にかけて、 成果年俸制対象者を全職員に拡大する賃金団体協議を締結した。 これにより、法定諸手当てを包括する包括賃金制が施行されて、 非正規職労働者を含む世宗ホテル労働者たちは、長時間・低賃金労働を強要された。

2000年代の初期、300人だった世宗ホテル正規職労働者は現在100人だ。 世宗ホテル使用者側は、不当な配転命令と整理解雇、成果年俸制による賃金カットなどで 200人近い正規職を追い出した。 そしてその場を契約職非正規職労働者で埋めたり、 子会社(KHR)を作って外注化した。 その過程で多くの部署がなくなったり統廃合され、 全体の勤務人員は半分程度に減り、労働強度は高まった。

「不当な配転命令」を拒否して解雇された世宗ホテル労組のキム・サンジン前委員長は、 4年間元職復帰を要求して闘争している。 テント座り込み以後、サービス連盟のカン・ギュヒョク委員長は 世宗ホテルのオ・セイン代表理事と二回会った。 オ代表理事は、自分には解雇者の復職に関する権限がないと話した。 結局、世宗ホテル労組は朱明建(チュ・ミョンゴン)会長と大洋学園を圧迫する闘争を準備することにした。

「労働弾圧のデパート」と呼ばれる所で、 世宗ホテル労組15人の組合員はみんなが一緒に楽しく働ける日を夢見て 屈することなく闘争している。 彼らの試練と希望を「ワーカーズ」の読者と分けたい。

筆者

闘争をやり直す時、ずいぶん迷いました

「私たちの木曜集会はもう300回になりますが、うれしいより万感が交差しす。 毎週木曜、300回してこれたことに感謝した一日であり、 もう一つは300回になる前にしっかり戦って終わらせるべきだったのではないかと 反省をしました。 さらに何をすれば300回までこなかったのか、一日中ずいぶん考えました。」

7月18日の夜、明洞の世宗ホテル前、 世宗ホテル労働組合のパク・チュンジャ委員長が集会の開会の辞を始める。 2013年5月30日に始まった木曜集会は、名節などを除き毎週欠かさず6年間続いた。 十数人が参加する時も、百人ほどが参加する時もあった。 雪や雨が降った日々も多かった。 これまで来た連帯の仲間たちに感謝の気持ちを込めて準備したこの日の集会の題名は 「連帯の仲間に感謝! 明日またきてね!」だ。 この題名は2012年に世宗ホテル労組が 非正規職の正規職化と不当配転撤回、外注委託化中断、雇用安定協約遵守を要求して、 38日間世宗ホテルのロビーでストライキ座り込みをした時、 毎日集会の最後に叫んだスローガンだ。

「ロビーに私たちだけがぽつんといるのではなく、 連帯の仲間たちが共に朝の集会、お昼の集会、晩の集会のために 力を貸してくれたことがとても有難くて、 『これがまさに連帯だね。 私たちもこの闘争に必ず勝利して現場に戻れば、 私たちが受けた連帯を仲間たちにお返ししたい』という決心をしていました。」

当時、世宗ホテル労組の委員長だったキム・サンジン氏がその時のことを思い出しながら話す。 30年を越える労組の歴史にも、過去には韓国労総の所属でまともなストライキ闘争の経験がなかった。 ぎこちなく拳を振り上げ、「あなたのための行進曲」も歌えなかった組合員たちが、 ある冬にホテルロビーの冷たい床で食べて、寝て、闘争をした。

ストライキ闘争で非正規職正規職転換と雇用安定協約締結などの成果をあげて現場に復帰したが、 その後、世宗ホテル労組組合員たちの人生は平坦なものではなかった。 世宗ホテル側は長い間、緻密に研究・開発した料理レシピを公開するかのように、 不当配転と不当解雇、成果賃金制賃金カットなどを持ち出した。 現場で1年間孤軍奮闘した組合員たちは、 世宗ホテルの闘争を知らせ、連帯の仲間たちと共にさらに大きな闘争を作るために通りに出て木曜集会を始めた。

「ストライキが終わって帰り、この闘争をやり直さなければならないと言った時は、 率直にずいぶん迷いました。 ストライキの時はとても寒くて大変だったんです。 多くの組合員が苦悶に陥りました。 ずいぶん脱退もしました。 残った人たちが屈することなく頑張って成長し、 この世宗ホテル労組を守っています」(パク・チュンジャ世宗ホテル労組委員長)。

▲支援の仲間たちに接待した食事を作る世宗ホテル労組三人のシェフ[出処:ヨンジョン]

2009年に朱明建会長の復帰で始まった弾圧

「本当に良いにおいですか?」

「はい〜!!」

集会の舞台そばの「飯車」では、 コ・ジンス、パク・グァンスン、ハン・インソン3人の世宗ホテル労組組合員が 支援の仲間たちに接待する食事を準備している。 彼らは世宗ホテルで20年以上働いてきた料理人だ。 和食・中華・韓食専門のシェフは、 暑い中で汗をダラダラ流しながら、食事の準備に余念がない。

この日は勤務が非番だというハン・インソン氏(世宗ホテル労組副委員長)は、 朝から食事の準備をしていた。 この日のメニューは牛焼肉と雑菜、酢豚、スモークサーモンのサラダ、 海産物の炒めもの、ガンギエイの和えものだ。 そしてハン・インソン氏が家で直接漬けた越冬用キムチもある。 100人分もありそうな50人分だ。 餅屋をしているキム・ランヒ組合員の夫は、 組合員たちの希望を込めたムジゲ餅で連帯の気持ちを表した。 料理が好きで料理に才能があって選択した料理人の道だけに、 最近彼らシェフたちは世宗ホテルで以前のように笑いながら料理をすることができない。

それからは眠れませんでした

ハン・インソン氏は世宗ホテルで調理士として20年働いた。 インソン氏は世宗ホテル労組組合員だという理由で、 10年間、狙い撃ち弾圧をうけ、とても苦しんだ。 彼が初めて世宗ホテルで働いた「天の川」は、韓国初の韓食バイキングとして名声が高かった所だ。

「その時は労働環境が悪く、勤務時間も長かったです。 週6日勤務でした。 しかし精神的にはつらくありませんでした。 構成員どうし、とても関係が良かったんです。 仕事が終われば会食もして。」

ハン・インソン氏が初めて世宗ホテルにきた時、 「天の川」には21人の正規職労働者が働いていた。 現在、「天の川」の全労働者16人のうち正規職は二人で、 残りの14人は契約職非正規職労働者だ。 今は労働者の間の関係が断絶して、働く楽しみがとても減った。

2011年に世宗ホテルはハン・インソン氏を宴会厨房に強制配転した。 年末の延長勤務に対する手当て支払い要求など、 現場労働者たちの声を代弁したことに対する報復性の配転であった。 宴会厨房では、世宗ホテル労組の組合員はインソン氏一人だった。 そこで韓国労総所属の世宗連合労組組合員たちはインソン氏に露骨に冷遇し、「イジメ」をした。

「彼らだけで食事をしたり、 重要な話は私がいない時にしたり、 業務的に難しい仕事を押し付けたりしました。 その時に頑張ることができなければ辞めていたでしょう。」

上司との言い争いでくやしく懲戒を受けたこともあった。 2012年の38日間のストライキを終えて現場に復帰した時は、 10歳も若い末っ子職員が「一緒に働けない」とインソン氏を強制的に外に引き出した。 彼は佗びしさと鬱憤をぐっと押さえつけ、また厨房に入ってきて働いた。

「今は代表理事になっているオ・セイン当時総務部長を訪ねて行って、 きちんと処罰しろと話したのに、 口頭の警告だけであいまいになってしまいました。 それからは夜眠れませんでした。」

このことがあった後、インソン氏はしばらく精神科の治療を受けながら働いた。 多くの弾圧を受けながら、一人で耐えたその4年が一番苦しい時期だった。 後で彼を困らせたコック長たちは、退社してからインソン氏に対し、 会社の圧力でやったと謝罪をした。 だが胸の中で固まった傷はいえない。

出て行かないから2千万ウォン削って最低賃金に凍結

「チーム長と面談して 『君は会社から嫌がられている人で、労組活動する人で、 年齢も高いから出て行け』といった形で話しました。」

2014年の末にハン・インソン氏は勧告辞職を強要された。 会社は10年以上の係長級労働者たちに勧告辞職を強要した。 出て行かなければ来年初めに整理解雇をする、新設部署に送るといった。 結局、対象者の半分以上の23人が6ケ月分の慰労金で世宗ホテルを辞めた。 その翌年には5年以上の勤務者を対象として希望退職公告をして29人を送りだした。 1年間で給与が高い経歴職労働者50人が辞め、世宗ホテルはその場を非正規職労働者で埋めた。

パク・グァンスン氏も成果年俸制を実施した頃に勧告辞職を強要されたが、 これを拒否した。 使用者側はあれこれ言葉尻を捉えて2015年から3回にかけて、42%の賃金を削減した。

「私もそれほど多くが削られたとは知りませんでした。 ある日、月給通帳を見たら、205万ウォンが入っていたのです。 誤って入ってきたのかと思ったのですが、違います。 月給が半分になったのです。 最低賃金まで削り、その後は凍結しました。」

年俸が2千万ウォン近く削減されたのだった。 1992年に入社して28年間、係長級の経歴料理人であるグァンスン氏は、 同等の経歴の他の職員と同じ業務を遂行しているが、 入社したばかりの新入職員と同じような給与を受けている。

ハン・インソン氏とパク・グァンスン氏は、会社に賃金削減に対して異議を申請した。 使用者側の答弁を聞くとさらに腹立たしく、くやしかった。 彼らに対する考課評価の基準は「業務不適応」と「コミュニケーション不足」、 「無能力」など、とても主観的で恣意的な内容だった。 その上、賃金削減の理由として家の都合で一週間前に予め出した年次も入っていた。

韓食料理大会で受賞し、世宗ホテル模範賞を受け、 顧客からは一度も苦情を受けたことがないハン・インソン氏は納得できないと言う。 労働部にくやしさを訴えたが、 世宗連合労組が合意をした部分で使用者側の人事権という理由で認められなかった。 削減された賃金の返還を要求する民事訴訟も提起したが、1審で敗訴した。 世宗ホテル使用者側は「法務法人世宗」の弁護士三人をつけて法的対応を続けている。

グァンスン氏は子供たちが高校生で、金がかかることが多く経済的に苦しいが、 それでも戦いを放棄できないと言う。

「ワイフも苦しんでいます。 いつまで世宗ホテルで働くのかと聞くので、苦しいのかと尋ねるとそうだといいました。 銀行マイナス通帳まで作って使っているのに... 私の方が怒っていることを知っているので、 ワイフも憂鬱な表情はしませんが、とても悪いと思う。 生活は苦しいけれど、私はますます意地になります。 定年退職するまで必ず見守ります。」

大部分の組合員は、少なければ10%以下から多ければ50%以上まで賃金を削減された。 賃金が55%削減された課長級の組合員だったチョ・ジュボ氏は、 頑張りに頑張って結局、生計のために世宗ホテルを辞めた。 チョ・ジュボ氏は300回集会に参加して申し訳ない思いと激励の気持ちを込めた 力強い拍手で世宗ホテル闘争を応援した。

▲300回木曜集会が終わって組合員が準備した食事を食べる支援の仲間たち[出処:ヨンジョン]

闘争で労組弾圧、新設部署廃止

世宗ホテル労組は闘争で勝利した経験もある。 2015年1月、世宗ホテル使用者側は彼ら三人をはじめ、 平均勤続が20年の組合員4人を強制配転した。 新設した料理支援パートへの配転だった。 一か月前にはパブリック管理パートを新設し、 客室整備業務をしていた女性組合員3人 (パク・チョンヒ、イ・ギウォン、チャ・ヒョンスク)を ロビー清掃業務に強制配転した。 フロントとの統廃合を理由として、 電話交換業務をしていた組合員(ホ・ジヒ)が客室清掃業務に強制転職されることもした。

「料理支援パートとして完全に料理業務から排除するのではないが、 以前は入社したばかりの厨房補助職員がしていた器物の設置や洗浄のような仕事を 私たちに集中的にさせたのです。 私たちが厨房の正統業務ではない補助業務を遂行するということを 他の厨房労働者に見せようとそうしたのです。 そうすれば他の構成員と隔離できます。」 (世宗ホテル労働組合コ・ジンス当時委員長)

「後輩の職員や契約職の職員を通じて業務指示を出しました。 会議からもわれわれは排除をされました。」

ハン・インソン氏はこれが自分たちを追い出すための使用者側の方策だったと主張した。 今なら「職場内いじめ」で申告しただろうと声を高めることもした。 結局、世宗ホテル労組の闘争が続き、 最近、料理支援パートとパブリック管理パートは廃止され、 該当部署で働いていた労働者たちは以前働いた所に戻った。

世宗ホテル労組は解雇者復職闘争と共にまだ解決していないホ・ジヒ組合員に対する 不当配転撤回と成果年俸制廃止闘争を続けている。 今は世宗連合労組の組合員の中でも世宗ホテル労組闘争を支持する人が多い。

連帯の仲間に感謝します

いつもあなたには私がより良い人になれるように、 さらに大きくなって、澄んで、あなたの良い友になるように
〈この道の全て〉、ユジョンゴ・バンド1集「ナムサン」収録曲

世宗ホテル労組の組合員たちが歌を歌う。 前日退勤して歌手のイ・スジン氏と何時間も練習をした。 歌を三曲も準備して、ダンスも準備した。 組合員の家族の応援メッセージと闘争写真を入れた映像も製作した。 パク・チュンジャ委員長は300回集会を企画しながら、とても驚いたと言う。

「初めてこの集会をした時、組合員たちは発言させれば脱退すると震えていました。 しかし今は組合員たちが共にアイディアを出して歌って踊ります。 会社の中では誰よりもよく戦っています。 労働法について誰より熱心に勉強して、どうすれば勝てるのかを考えています。」 (パク・チュンジャ世宗ホテル労働組合委員長)

「こんにちは。組合員のキム・イヌィです。私は来年、退職します。 その前に必ずキム・サンジン前委員長を復職させなければなりません。 私たちが300回までこれたのは、連帯してくれる皆さんのおかげだということは、 話さなくても皆知っています。 私の気持ちと同意を集めて、皆さんに伏して感謝します。ありがとうございます。」

キム・イヌィ組合員は発言時間に連帯の仲間たちに額をつけてお辞儀をした。 イヌィ氏は労組と一緒に「非正規職1年後に正規職転換」の約束を守らない使用者側を相手にストライキ闘争をして正規職になった。 少なからぬ時間が流れたが、共に戦ってくれた仲間たちに対する感謝は忘れない。

集会が終わり、いよいよ打ち上げが始まる。 あちこちで感嘆の声と歓呼があふれ出る。 特1級世宗ホテルの前でシートを敷いて食べる特級シェフの料理の味は、 文字通り最高だ。 組合員たちが空になった皿を確認して「飯車」と往復し、 こまめにサービスをする。 おいしくたくさん食べて、座込場から出ながら挨拶をする。

「取材ご苦労されました。 明日またきてね!」[ワーカーズ57号]

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2019-07-26 16:43:28 / Last modified on 2019-08-08 14:02:38 Copyright: Default

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