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互いを放棄しない運動:香港デモが残したこと

[ワーカーズ] INTERNATIONAL2

チャン・ジョンア(仁川大中語中国学科) 2019.07.29 13:39

▲香港デモ隊が占拠した立法会[出処:Tam Ming Keung]

6月の1か月間、香港の犯罪人引渡法案反対デモは、 韓国をはじめとする全世界が注目したが、 最近では主に『暴力的』な衝突がたくさん報道されている。 7月1日、香港の中国返還記念日の議会乱入事件は、特に多くの人々を驚かせた。 若いデモ隊は議会の建物のガラスを割って入り、 何時間も占拠してあちこちに黒いスプレーで文字を書き、議長の写真を壊した。 この行動は、香港の長い誇りである法治に正面から挑戦するかのように見なされ、 英国植民時期の香港の旗を掲げた写真が、 まるでこの日の行動の象徴であるかのように誤解された。

だが多くの香港人はこの日を前例のない「議会乱入」事件の日としてではなく、 「共に出て行こう!(一斉走!)」という叫びの日として記憶する。 この叫びは、深夜12時に警察が強制解散を通知した危機状況で、 先に占拠現場から出た若者が深夜12時、数人を残してまた入り、 4人の死守隊を連れて出ながらした話だ。 この叫びが響きわたった瞬間は、 今回のデモの一番忘れることのできない瞬間として広く知られている。 この瞬間までの過程をしばらく探ってみよう。

この日、デモ隊が議会に入った背景には、 一か月間のデモの中で高まった絶望感があった。 6月中続いたデモに対し政府は「しばらく延期」という法的効力のない 曖昧なことを言うだけで、デモ隊の要求に応じなかった。 暴動という規定を撤回し、 警察の過剰鎮圧調査と法案撤回、逮捕されたデモ隊の釈放、 そして今後も起訴をするなという要求はすべて拒絶された。

6月末のG20首脳会談の期間に香港問題が議論されることを期待して、 香港のネチズンは世界の主要新聞に全面広告ものせ、 領事館に請願書も渡した。 一日で10億ウォンが集まり、 世界の新聞に広告をのせるなど、香港人は自分たちの力に大きく鼓舞されたが、 現実は冷酷だった。 期待とは違い、28、29日のG20会談の期間に 米国や英国は香港問題を拠論しなかった。 そして何の変化もない状況で連日デモが続いて、 29日と30日に2人の若者が自ら命を絶った。 6月15日、抗議して墜落死した人も入れれば犠牲者数は3人だ。 30日の夜の追悼会で、ある若者が舞台に上がって 「友人たちが死んでも (捕まるかと思って身分の露出を避けるために) マスクをして追悼しなければならない鬱憤は、言葉にできない」と言った。 あちこちで政府側派の集会との衝突と負傷がますます増えた。

こうした状況で、返還記念日をむかえ、 数十万人の市民が例年と同じようにデモ行進をしたが、 一部のデモ隊が午後に議会建物のガラス窓を割って進入を試みた。 あわてた民主派の議員が駆け付けて止めさせると、 彼らは「私たちの運動が成功しないので、みんな絶望して3人も死んだ。 その責任を私たちが取るからどけ」と言ってガラスを破し続けた。 オンラインでは多くの人々が反対して 「最後まで平和にやらなければ民心を得られない」と主張したが、 一方では「200万人が出てきても、3人の犠牲者が出ても何も変わらないのに、 これ以上どんな民心を得ようというのか」という情緒も広まった。

[出処:Wpcpey]

「一緒に入ったのだから一緒に出よう」

序盤は当惑の声が多かったが、進入を試みる時間が長くなると、 オンラインでも現場でも雰囲気は変わった。 決してその行動に賛成する訳には行かないが、尊重しようという声が多くなった。 「互いに離れたり非難するのをやめよう」が、 今回のデモの核心スローガンだった。 デモ行進を終えた人の相当数が彼らを保護するために議会周辺に行った。

結局ガラスに穴があいて、武装した警察はガラスを間に置いて対峙しながら、 誰でも入ってきたら逮捕するといった。 催涙弾が爆発する緊張した状況で、 突然建物の中の灯りが消え、警官たちは撤収した。 一部で疑われているように、わざわざデモ隊を誘引したのか、 あるいは警察の説明のとおりに鎮圧が準備できていないという判断で撤収したのかは 今も分からないが、 デモ隊は中に進入した。 史上初の出来事だった。 2014年の雨傘革命の時も少数の試みはあったが、 ほとんどはデモ隊の強烈な反対で失敗した。

議会の中に100人以上の人が入り、四方に黒いスプレーで文字を書いた。 言論によく登場した英国植民時期の香港旗は、一部が少し取り出したがすぐに下ろし、 決してこの日のデモ隊の要求を代表するものではなかった。 特定の集団や派閥のデモ隊が議会を占領したわけでもなく、 彼らはほとんどが互いに知らない人々だった。 その渦中にも「議会図書館には貴重な資料が多いから傷つけてはいけない」、 「議会内の宝物は傷つけてはいけない」など、伝達された情報を共有して、 デモ隊は図書館と宝物の前に「破壊禁止」と文字を書いて貼った。 建物内の食堂の冷蔵庫でのどの渇きをなだめる飲み物を取り出して飲んだ彼らは 「われわれは盗賊ではありません」と書いておいてコインを置いた。

警察の強い警告が続き、議事堂の中でデモ隊は討論の末に残る人は残り、 出て行く人は出ることにした。 当時、デモ隊の間では恐怖が広がっていた。 すでに何度もプラスチック弾に当たった負傷者が出た状況で、 一番水位が高いデモ行動をしたこの日は最悪の状況も想像しなければならなかった。 残っていればどんな危険な状況になるかもわからないので、 みんなで共にここから出て行こうと言って泣く人もいたが、 遺書も書いてきたと言って、最後まで残るという人々もいた。

そのうち、一人の若い男がマスクを脱いで話し始めた。 人々は驚いた。 雨傘革命以後、何年か経っても政府はデモ参加者を見つけ出して、起訴して逮捕した。 身分の露出を防ぐためのマスクとゴーグルが必需品になった状況で、 彼は監獄に行く危険を押し切って顔を表わして叫んだ。 「皆さん。もし私たちが今ここから出て行って、 明日家でエアコンでも気楽につければ、 われわれはマスコミに暴徒と言われて終わります。 何も得ることができずに終わります。 そのようにしてまた負けることはできません。 私たちはここでまた動き始めることができません。 一緒に残れる人たちは残ってください。 数が多いほど安全です」。 彼は後でインタビューで話したが、 大衆が破壊行為だけを記憶して、暴徒としか見ないことを望まなかったので マスクを脱ぎ、本当の顔を見せたかったといった。

結局、最後に残った死守隊は4人だった。 その日の夜はとても危険だと皆が感じていた。 それで外に出た若者たちは、また議会の前で討論をした。 議会の中に残った人々を連れて出るのか、 彼らの決定を尊重すべきではないか、 討論は激しかったが「一緒に入ったのだから一緒に出よう!」という声がますます大きくなった。 警察の強制解散が予告された深夜12時を7分残す時刻、 一部のデモ隊はまた入って彼らを連れて出ることにした。 彼らははじめにスピーカーで外にいる人々に 「私たちが出てくるまで、時間を稼いでください」と頼み、 建物の周辺そして道路にいた人々は、催涙弾の中でバリケードをはった。 数十人の若者が飛び込んで、4人の死守隊を引き出しながら叫んだ。 「一緒に出て行こう!(一斉走!)」 記者が彼らについていき、あなたも危険だがなぜ入ってきたかと聞くと、 ある若者は涙声で 「私もとても恐ろしく、怖ったが、 明日の朝、彼らと会えないほうが怖くなりました」と答えた。

この日、入って死守隊を連れて出た人のうちの1人は、 2日後に「残って死守しようとしていた人々に」という公開書簡をマスコミに送り、 このように書いた。 「あなた方の自由意志と選択権を剥奪して連れ出して、本当に申し訳ない。 しかし状況はとても急迫しており、 私たちはあなたたちが犠牲になるかもしれないので、 とてもそのままにして出て来ることができなかった。 われわれは誰も放棄できなかった。 われわれはすべて香港人で、 これ以上一人も失ってはいけない。 私たちこれからも、みんなで一緒に入って、みんなで一緒に出よう。」

2014年の雨傘革命の時は暴力を使うべきか、 いつ退くべきか、 いつまで都心を占拠するべきか、 どう討論すればいいのか分からずに、 互いに攻撃と非難だけが高まり、結局無力に解散して終わった。 その後数年間、香港の社会運動は顕著に衰退した。 議会議員の資格が剥奪されて政党活動が中止され、 数十人が起訴されて収監されても何も出来なかった。 その数年のつらい経験は教訓を残した。

今年の法案反対デモがこれほど大規模になるとは、 これほど長続きするとは誰も予想できなかったが、 香港人たちはすぐに教訓を習得して前に進んでいる。 同意できない行動をする時にも、 互いに最大限非難を慎み、必要な支援をしながら互いの意見を尊重しようと努力する。 最前線に立つ彼らの行動を支持したり参加することができない人々は、 後から彼らの安全のために努める。 傷ついたデモ隊が病院に行って情報が露出し、 警察に捕まるようなことが発生すれば、 医師や社会福祉士が現場に行って応急措置の奉仕をする。 抗議デモをして墜落死した最初の犠牲者の遺体もボランティアが収拾した。

[出処:Hf9631]

デモの終わりと もうひとつの開始

今回のデモの終わりはどのようなり、何を残すのだろうか? 政府は法案を撤回せず「事実上死んだ」と曖昧に話している。 一般市民の間の世論は少しずつ分かれている。 一応、11月にある区議会選挙でできるだけ民主派が多くの議席を得ることを目標として、 当分デモは続くだろう。 それと共に、勝利も敗北でもない状態が続き、誰もが少しずつ疲れるだろう。 すでに深刻な疲労感と絶望感を訴える若者が増えている。 あるいは表から見れば、得たものがないように見えるかもしれない。 逮捕された人々、傷ついた人々、 そして市民が民主化に対する希望を込めてあちこちに貼ったメモ紙だけが残ったように見えるかもしれない。 このメモ紙まで政府側派のデモ隊が荒々しくはがし、踏みつけて消えてしまうかもしれない。

しかし目に見えないが残ったものは多い。 雨傘革命の時、香港人は都心を大挙占領したことだけでも十分に美し、すごい行動だと感じた。 警察が催涙弾を発射した事実だけでも衝撃を受けて泣いたりした。 このように美しい行動が結局敗北するとは考えない若者が多かったし、 だから敗北後の衝撃は長く続き、互いへの攻撃も激しくなった。 今、彼らは進化した。 都心占領の姿はまるでブルース・リーの言葉のように 「水のように流れる」。 散って、また集まって、政府の建物もしばらく包囲して解散する。 オンラインとオフラインの即席討論で今後の行動を決め、互いに非難しない。 中央の舞台は必要なく、地域ごとに名前を知らないネチズンの提案に各自が 自発的に参加する行動が行われる。

かと言って、今回のデモをロマンチックにばかり見ることはできない。 中国本土の人に対する排他的な情緒がまた少しずつ頭をもたげており、 互いの「暴力的」な行為を非難せずに尊重しようという言葉は、 果たしてどこまで有効なのかわからない。 相変らず非暴力に対する強迫観念が圧倒的な香港社会で、 「暴力」をどこまで受け入れるのか、 本当にその責任をみんなが共に取れるのかという問題は、 まだ熟考も討論もできない状態だ。

しかし今回のデモを経て、日常の中で起きている変化、 普段通った小さな店が一日休店を宣言してデモに参加して住民たちを驚かせたこと、 お母さん部隊・お父さん部隊・白髪部隊の登場は、 今回のデモが決して少数の政治家とデモ隊に限らず、 都心部で起きた一回だけの政治行動に終わらないだろうということを見せてくれる。

成敗は短期的な視野では簡単に予断できない。 ある台湾人が書いた文によれば、 2014年の台湾のひまわり運動は勝ったように見え、 香港の傘革命は何も得られずに敗北したように見えた。 しかし5年経った今、台湾は新しく生まれた蔡英文政府と制度圏が事実上、 運動力量を吸収してむしろ社会運動は活力を失い、 反面香港は新しい運動が爆発的に生まれている。 彼は「誰も他人をあきらめない」運動を台湾人が香港から学ぼうと書いている。 可能性は誰も予測できないところに開かれる。 このようにして開かれる新しい可能性は、美しくて良い可能性だけでなく、 危険と不安までも含むほかはない。 その可能性がどのように開かれ、何を作り出すのか、 危険と不安はまたいつどのように予期できぬ新しい始まりの土壌になるのか、 長い目で見守らなければなるまい。[ワーカーズ57号]

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2019-07-26 16:43:28 / Last modified on 2019-08-05 01:50:52 Copyright: Default

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