韓国:[ワーカーズ 不穏なインタビュー]労働健康連帯パク・ヘヨン活動家 | |||||||
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「職場パワハラ119」誕生の秘密[ワーカーズ 不穏なインタビュー]労働健康連帯パク・ヘヨン活動家
イ・ジョンホ(前民主労総非正規室長) 2017.11.01 09:29
民主労総と社会団体が10月18日、「労組に良い世の中運動本部」を立ち上げた。 11月1日には「職場パワハラ119」という団体も立ち上がった。 どちらも広場のキャンドルを職場のキャンドルにしようとする会だ。 二つの会は労働権を中心に置いているが、 前者は直接「労組」の文字が入っているが、後者は当分は「労組」という名前を付けない。 今日は後者の「職場パワハラ119」という会を作った産婆を探しに行く。 労働健康連帯のパク・ヘヨン(35)活動家と会った。 「職場パワハラ119」は新造語になった「職場のカプチル(優越的地位の乱用)」の特急消火用水になった。 「119」には「職場を職場らしく変える会」という意味も入れた。 労働健康連帯は1988年に源進レーヨンで温度計を作り、水銀中毒で死んだ15歳の少年、 ムン・ソンミョンの労災闘争から出発した。 当時は「労働と健康研究会」という名前で活動した。 労働と健康研究会は1999年に労災追放運動連合(産追連)に成長し、 2001年に「労働健康連帯」と名前を変えた。 労働健康連帯は職場の内外ですべての労働者が健康に働く権利を確保するために戦ってきた。 ▲労働健康連帯のパク・ヘヨン活動家と会った。[出処:パク・ヘヨン] 労働健康連帯パク・ヘヨン活動家最近、労働健康連帯は青年労働者のように労災の死角地帯に置かれた人々の労働健康に力を入れている。 昨年の九老工業団地のネットマーブル事件を契機に、IT業種の殺人的な長時間労働を水面上に押し上げた。 IT業種の労働者はネットマーブルを「九老工業団地の灯台」と呼んだ。 それだけ夜間労働が激しかったという意味だ。 長時間労働で死者が出ると、労働健康連帯はオンラインにチャットルームを一つ作ってIT業種の労働実態をアンケート調査した。 100人集まれば良いという素朴な気持ちで始めたが、 1週間で500人を越えるIT労働者が答えた。 当時のアンケート調査質問項目は、他の労働団体の質問用紙とはちょっと違う方式で作られた。 該当産業に従事する労働者たちが質問の作成に直接参加した。 「一ケ月の平均休日出勤回数」や「最長連続勤務時間」といった質問は、業界の用語に変わった。 この質問用紙の構造化作業には、労働健康連帯のパク・ヘヨン活動家が参加した。 パク氏は民主労総法律院で働きながら労務士の資格を取った後、 労働健康連帯で常勤活動をしてきた。 専攻がコンピュータ工学なので、オンラインの質問を組むことにもあまり困難はなかった。 専攻を生かして該当業種で働く友人や後輩と共に質問用紙を作った。 質問結果を発表した後、またチャットルームに入ると、 IT業種従事者どうしが代案をめぐって活発な討論が行われていた。 20〜30代の青年労働者たちは労働問題に無神経だと思ったが、 それは労働版オヤジの偏見だった。 パク氏は爆発的な回答と活発な討論を見て、青年労働者のオンライン組織化の可能性を占った。 ▲パク・ヘヨン活動家が6月に光化門で開かれた最低賃金1万ウォン共同行動主催の文化祭で発言している。[出処:パク・ヘヨン] 小冊子「アルスルロゴン」2千部完売労働健康連帯は今春「知っていると使える労働と健康? 青年労働者健康生活ガイド(訳注:アルスルロゴン)」という小冊子を作った。 コンビニと宅配、配達とバイク便、代理運転、IT労働者、工場アルバイトをする青年労働者たちが留意すべき健康関連の情報を入れた。 初めはこの60ページほどの小冊子をどれくらい用意するればいいのかと思った。 1000部印刷したが、500部も出れば幸いだと思った。 しかし非売品として作り、オンラインに紹介したところ、全国各地から送ってほしいというEメールが殺到し、 2刷まで、合計2千部刷ったがすべて出た。 パク氏は「どこかの考試院の何号に1〜2部ずつ送ってくれというように、 全国各地の考試院で生活する青年労働者たちが小冊子に反応したので、 郵便料金が相当かかった」と言う。 隠蔽された青年労働者たちの要求を再度確認することができた。 パク氏は「彼らは断片化されていて、自分を代弁するスピーカーを持てなかったからか、 彼らも自分たちの労働について深く悩んでいることが分かった」と言う。 あるコンビニに週内週末3交代だとすれば合計6人が働くが、 店主が働く時間を除けば普通4〜5人の労働者が働く。 全国に4つのメジャーコンビニだけで3万件を越える。 約15万人がコンビニで働いているわけだ。 しかし彼ら青年労働者をすぐに労組に組織するのは不可能に近い。 民主労総はいますぐ彼らを組織する意欲を出してはいないが、 彼ら青年労働者もあえて正規職中心の民主労総にあまり好感を持っているわけでもない。 しかし彼らは明らかに自分の労働に対する権利に目を塞いでいるわけではない。 パク氏は「こうした労働者たちをあえて今すぐオフライン中心の労働組合に集めより、 同じ業種別にオンラインの会を作り、 その中で自分の問題を討論して問題を解決してはどうだろうか」と考えた。 それで非正規職ない世の中作りネットワーク(非無世)のような団体にね こうした悩みを入れた提案をするに至った。 非無世も今春から代案労働運動について数カ月間、内部での討論を続けてきた。 ▲労働健康連帯が作った青年労働者のための「アルスルロゴン」パンフレット表紙 断片化された労働にオンラインの家「職場パワハラ119」は、労働健康連帯と非無世、不安定労働撤廃連帯、青年労働団体、労働法団体が集まった10月26日の5次会議で、 労組のない労働者たちがよく訪問するオンライン空間を主な活動の舞台として、 該当プラットホーム企業等と共同事業をするための接触を始めた。 労働相談センターを運営しているアルバ天国とJOB&のような掲示板を運営するネイバー、オンライン蚤の市、交差路などと会っている。 労組がない労働者たちが労働関連の情報を得る流入経路を確保するという趣旨だ。 同時にコールセンターと物理療養師、自動車整備、放送局非正規職、期間制教師、保育園教師、喫茶店などの労働者と会って、 事業の趣旨を説明し、共にする事業内容も捕えている。 「職場パワハラ119」は、職場を変えたいが労組を作るのは難しい労働者をオンライン空間に集め、 共に解決方案を模索して、集団的な問題解決に動き、解決過の程を伝え、 社会的に共有する好循環構造を作ろうとしている。 別途のアプリケーションを作るのではなく、既存のプラットホームを活用する計画だ。 職種別の集まりで自分が体験したパワハラや不当な経験を吐露し、 法律家や活動家、芸術家、研究者の助けで解決方案を共同で模索する。 「職場パワハラ119」は何か月も一緒に働いていても、名前さえ知らない断片化された労働者を一つにまとめる連帯の綱を自任する。 彼らはひとつの職場で良くて6か月働くのがやっとで、企業別労組にまとめることもできない。 コンビニ労働者は勤務交代の時に少し顔を合わせる以外、同僚と会うこともできない。 喫茶店労働者も同じ空間で働いているが、互いに違う時間に休むので同僚と職場の話をする時間はない。 こうした労働者にとって、企業別労組は遠い国の話だ。 バンドのチャットルームに2千人が集まった自動車販売労働者たちは、 金属労組への加入が遅れて1/10に減ったように、 協会や団体で数万人集まるオンライン空間の労働者が労組に移ってくると、少数に転落するのが常だ。 それだけ韓国社会では労組の進入障壁は高い。 もちろんオンライン空間の危険も十分に検討しなければならない。 匿名のドロ沼では集まりを自分の問題解決のための自販機程度に感じるかもしれず、 会社の管理者の進入を効果的に遮断する方案も作らなければならない。 青年労働権の警鐘を鳴らした「メタノール失明」労働健康連帯は昨年、仁川の南洞工団にあるサムスン電子の携帯電話部品工場で働いていた20代の派遣労働者がメタノール中毒で失明した時、一緒に労働者健康権運動をした。 パク氏は追加被害者を探すため、民主労総仁川本部に助けを求め、 仁川本部も積極的に動いたが、 富川側には人が足りずに困難を味わった。 結局9か月後に追加の被害者が出てきた。 追加の被害者はすでに失明した後で、マスコミの報道に接することもできなかった。 元請は、1次下請社まで管理するので3次下請社だった該当工場には責任がないと言った。 パク氏はメタノール失明事件をUNに提訴するに至った。 突然、中途失明した若い労働者たちは、感情の起伏も激しく、 命を捨てようとするなどの極端な状況に追いこまれていたが、企業は沈黙していた。 「職場パワハラ119」の準備会議で会ったパク氏は、これまでの経験を生かし、 散っている青年労働者たちが暮らせる大きな家を建てようとした。 82年生まれキム・ジヨンのように、彼も82年生まれだ。[ワーカーズ36号] ▲メタノール失明事件をUNに提訴するため被害者と共に出国ロビーに立ったパク・ヘヨン労務士[出処:パク・ヘヨン] 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2017-11-02 22:40:59 / Last modified on 2017-11-02 22:41:00 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ |