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News Item 20170913
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現代車の不法派遣闘争が残した宿題

[ワーカーズ 不穏なインタビュー] 20億ウォンの連帯賠償で起訴された現代車正規職解雇者オム・ギルジョン氏

イ・ジョンホ(前民主労総非正規室長) 2017.10.18 10:59

現代自動車の正規職、オム・ギルジョン(46)氏は労組役員になったことはない。 何回かの代議員と第1工場事業部代表がオム氏の労組活動の全て。 そんなオム氏は、会社の告訴告発と損賠訴訟の上得意として登場する。

9月11日朝、雨の中を訪ねて行った現代車蔚山工場正門前の事務室には、オム氏が一人でいた。 座るとすぐ、彼は7枚の書類を差し出した。 現代車が2月14日付で作った「民刑事訴訟進行現況」だった。 労使訴訟がいかに複雑か、こうして書類で整理しなければならないほどだ。

書類には2010年11月のCTS占拠ストライキから7年間の訴訟内訳がぎっしりと詰まっていた。 蔚山と牙山、全州工場の正規職と社内下請を網羅していた。

刑事訴訟は蔚山8件、全州2件の10件だった。 民事も正規職7件、下請3件の10件だった。 会社が請求した損害賠償額だけで130億500万ウォンだ。 損賠訴訟は、正規職関連が8件、下請(正規職化闘争)関連が7件だった。 オム氏は損賠訴訟のうち、正規職関連訴訟には2件しか登場しないが、 下請労働者関連の訴訟には5件も被告として登場する。 また、刑事訴訟10件のうち3件に被告訴人として登場する。 労組支部長と事務局長はたった2回ずつしか登場しないのに。

[出処:サゲ]

2万5千人中4人、0.016%...「元下請連帯」のバロメーター

現代車は2010年11〜12月、社内下請労組の蔚山第1工場のCTS(ドア取り付け)ラインの占拠ストライキの時の損害を29人の労働者に問うた。 7年ほどの訴訟の末に、現代車は正規職として新規採用した下請労組員24人に対しては訴えを取り下げた。 もちろん、彼らが現代車を相手に提起した不法派遣(勤労者地位確認)訴訟の取り下げとバーターする条件で。 2審裁判所は去る8月24日、残る5人のうち1人を除く4人に20億ウォンを支払えと判決した。

2010年当時、オム氏とチェ・ビョンスン、キム・ヒョンギ、パク・チョムギュ、このように4人は互いに異なる境遇であった。 チェ氏とキム氏は占拠ストライキの主体だった現代車非正規職支会(非正規支会)の組合員だった。 パク氏は金属労組中央幹部だった。 オム氏は現代車正規職だった。

現代車蔚山工場では、オム氏のような正規職だけで2万5千人ほどが働いている。 彼らのうち、2010年冬の占拠でこれまでに会社の損賠訴訟を抱え込んだ正規職は、 オム氏とパク・ソンナク、キム・チョルファンの4人だ。 「2万5千分の4」、割合にして0.016%だ。 この数字が「元下請連帯」のバロメーターだ。

上告を放棄しようとしていたオム氏は、法律団体のカンパで印紙代1500万ウォンを作った。 オム氏はカンパの知らせに接して 「東洋セメントや蔚山科学大のような小さな非正規職事業場の方がもっと損賠で苦しめられるのに、 大工場の私たちでいいのか」と拒否した。 しかし損賠の不当性を知らせる契機を作ろうという同僚の指摘にうなずいた。

[出処:サゲ]

[出処:サゲ]

25日の長かった冬

2010年11月15日から12月9日までの25日間、 現代車蔚山工場で行われた占拠ストライキは、 韓国労働運動史の前にも後にもない。 正規職ではない下請労働者が元請の工場を1か月近く止めたのだ。

占拠4か月前の2010年7月22日、 大法院は現代車社内下請解雇者チェ・ビョンスンが現代車に対する勤労者地位確認訴訟でチェ氏の主張を認めた。 会社の弾圧と財政不正でめちゃくちゃになった非正規支会には、 判決の直後に正規職になることを期待して新規加入が駆けつけた。 だが大法院が差し出した紙切れに驚いて、すぐに1万人ほどの生産職社内下請を正規職に変えてやる現代車ではなかった。 非正規支会もこの事実を知った。 ラインを止める直接打撃だけが財界2位の現代起亜車グループを動かす唯一の手段だった。

非正規支会と現代車は、ライン占拠ストライキをめぐり、まわしの取り合いに入った。 どこを捉えるかがカギだった。 初めはシート事業部が浮上した。 シート2部のテソン産業が2010年9月末に廃業を発表した。 会社が先に刺したわけだ。 2006年にも下請労働者が戦ったシート2部は激しく抵抗し、廃業の通知を撤回させた。 するとシート1部の新生企業のドンソン企業にターゲットを変えた。 会社は2010年11月15日、シート1部のドンソン企業を廃業し、そこで働いていた非正規支会労組員にまた新しい業者と勤労契約書を書けといった。 しかし大法院が不法派遣まで認めた場で、下請社長と契約することはできなかった。 自然にDデーはドンソン企業が廃業する11月15日になった。

現代車は占拠ストライキの三日前からシート1部の前に新しく扉を設置して、 シート1部工場の塀を一部崩してオートバレー側に新しい出入口を作った。 占拠を防ぎ、納品車両の通路を確保するためだった。 非正規支会はドンソン企業が解約される11月15日午前5時30分からシート1部の中で座り込みに入った。 会社もシート事業部に集結し、追加の進入を防いだ。 中では警備用役が消火器を噴射して、ラインを占拠した下請労働者に暴力を振るった。 会社は1時間程止まったたシート1部に、あらかじめ準備していたアルバイトを投入して正常に稼働させた。

シート1部を占拠した下請労働者が引きずり出され、占拠は終わるかに思われた。 現代車はシート事業部さえ防げば良いと判断した。 誤った判断だった。

非正規支会は15日の午後1時、新型アクセントを作っている第1、第2工場を奇襲占拠し、またラインを止めた。 第1、第2工場のラインは、15日の午後ずっと動いたり止まったりを繰り返した。 下請労働者たちは第1工場からアルバイトと管理者を押し出してCTS工程を完全に占拠した。 ここでは15日午後、ずっと空のコンベアが回るだけだった。 非正規支会は15日夜間組もストライキに入り、 夜9時頃に昼間組が確保した第1工場CTS工程への進入に成功した。 こうして25日間の長い占拠ストライキが始まった。

パンを勝ち取るための占拠ストライキで、最大のカギは「パン」だ。 非正規支会は占拠が始まった15日の晩、かろうじてのりまき500本とパン50万ウォン分を座込場にさし入れたが、 千人ほどの座込者にはあまりにも不足だった。 この時に第1工場正規職が登場する。 夜食に出てきたパンとキャビネットに入れておいたラーメンを取り出して渡した。 CTS工程の入口を防いでいた警備用役は、食事と水を入れようとする非正規支会の幹部に暴行した。 当時、オム・ギルジョン氏は第1工場の代議員だった。

七転び八起き、不屈の闘志で支部長になった穏健派のイ・ギョンフン執行部はためらった。 オム氏と同じ第1工場の正規職は足早く動いた。 正規職1千人が16日の午後12時から非正規職が占拠しているCTSの中で集会を開いた。 これほどの支援部隊はない。

下請労働者が15日、まる一日シート事業部から第1、第2工場に行って、結局は第1工場のCTS工程を占拠したのは本能だった。 下請労働者は2003年の労組結成から10余年間、正規職労組の幹部がいつも8部稜線までは一緒に行くが、その後に背を向けることを数えきれない程見た。 その上、第1工場は彼らにとっては秘密の丘だった。

連隊の「打出の小槌」になった第1工場

こんな理由で現代車蔚山第1工場は保守言論の集中牽制を受けた。 2013年の春に不完全な昼間連続2交代制に対して問題を提起して、 現代車正規職が3か月近く休日特別勤務を拒否した時、 蔚山地域のある日刊紙は 「特に剛性とされる第1工場の場合、 週末特別勤務賃金補填案に反発して本館と労組事務室の前で特別勤務拒否を叫び、 数百個のタマゴを投げた」と書いた。 彼らの目には、第1工場は「特に剛性」だった。

現代車はタマゴを投げたオム氏など2人の正規職に3億ウォンの損賠訴訟を提起した。 訴訟は2審までは会社が勝ち、敗訴した二人は印紙代もなく、上告を放棄した。 この時にオム氏は労組の第1工場事業部代表であった。

オム氏は「昼間連続2交代制の具体的な交渉は、現代車正規職だけでなく社内下請と外の2、3次協力社まで、 約10万人の勤労条件を左右するので頑張るしかなかった」と言う。 オム氏たちの問題提起で、現代車は12週連続週末特別勤務ができなくなった。 会社は焦った。

飛び火は他のところに飛んだ。 特別勤務拒否が長びき、退職を前にした先輩労働者がオム氏に抗議し始めた。 退職金は退職直前3か月分の賃金を基準に計算するが、週末特別勤務ができずに減った月給で計算すれば、数千万ウォンの退職金で損をする。 「その時、およそ300〜400人は会ったようです。 退職予定の先輩と組・班長がほとんどでしたが、ある人は『会社に行くと言ってきた』と話す人もいました。 ほとんどが事案の重要性と波及効果を説明すれば、納得して帰りました。」

オム氏になぜ蔚山第1工場がこれほど注目されているのかと聞くと 「絶えず若い労働者を発掘しているから」と言う。 オム氏も第1工場事業部の代表をしていた時、やっと40を超えた。 第1工場の若い労働活動家の相当数に下請の経験があり、それだけ情緒的な共感は自然だ。

不法派遣闘争の後に残された宿題

オム氏は1996年3月に現代自動車に入社した。 江原道の寧越で高等学校を出たオム氏は、姉が暮らす蔚山にきてSKの系列会社に1年半ほど通い、現代車に入ってきた。 オム氏はIMF台風の後、正規職が働いていた場が続々と非正規職で満たされるのを見た。 2015年旧正月の連休を目の前にして解雇されたオム氏は、その年の7月、 蔚山第1工場の中で起きた装備墜落事故処理の過程で業務妨害容疑で拘束される。 オム氏が拘束されると10日ほど後に韓国経済新聞は 「オム某氏(44)は解雇者の身分なのに、7月に現代車蔚山第1工場で重さ100kg程度の装備が墜落して安全事故が起きたとし、 10日間、一部の生産ラインの稼動を止めた容疑(業務妨害など)で最近拘束された」と書いた。 この記事の題名は「1118億の被害を負わせた労組員の『安全事故造作劇』」だった。 3か月後、オム氏が保釈された時も、現代車は社報に韓国経済の記事をまた引用して掲載した。 どれほど憎かったのか。

2015年7月3日午後12時30分頃、現代車蔚山第1工場でエンジンを固定する100kgの反力アームが働いていた労働者の側に倒れた。 労働者は倒れてくる反力アームを抑えて上手く抜け出した。 オム氏は彼に「万一のこともあるから病院に行ってみろ」と言った。 安全事故という第1工場労組代議員と、単純な装備故障という会社が攻防している間、 7日間生産ラインが止まった。 いわゆる非公認ストライキ(山猫スト)だった。 会社はオム氏と第1工場の代議員を業務妨害で告訴告発し、5億ウォンの損害賠償を請求した。 会社は怪我もしていない人に病院で診断を受けろと指示したと主張した。

現代車不法派遣正規職化闘争は、労働運動に多くの宿題を残した。 下請労働者だったが最近、正規職で新規に入社した労働者たちは、 毎晩オム氏に電話して「有難くて、申し訳ない」と話す。 オム氏は「彼らに『遅くなったが失った10年を取り戻そう』と言ってくれる」と言う。

現代車には生産ラインの外に施設管理や環境美化、事務補助など優に5千人を越える間接雇用労働者がいる。 新規入社者がいなくなった非正規支会には、最近廃業した会社の経理2人が加入して戦いを始めた。[ワーカーズ35号]

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2017-10-25 04:50:36 / Last modified on 2017-10-25 04:50:37 Copyright: Default

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