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韓国: #26: キャンドル、20日間の記録
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キャンドル、20日間の記録

[ワーカーズ26号]広場の声が政局を動かす

キム・ハンジュ記者 2016.11.21 14:17

朴槿恵(パク・クネ)大統領退陣キャンドルがますます熱くなっている。 10月29日に3万人、11月5日には20万人。 11月12日の民衆総決起には120万人が広場にあふれた。 まだ朴槿恵(パク・クネ)大統領は青瓦台にいる。

「朴槿恵」「退陣」、「下野」がポータルサイトのリアルタイム検索語ランキングに上がった10月26日、政局は急変した。 タブレットPCが登場し、度重なった大統領の対国民謝罪、続々と召喚される財閥総師、 今はチャウム医院まで、芋づるのように不正が出てきた。 「朴槿恵(パク・クネ)-崔順実(チェ・スンシル)ゲート」の多くの問題がリアルタイム検索語を支配したが、消えない検索語がある。 「下野」と「退陣」だ。

10月24日、崔順実のタブレットPCが登場した。 雰囲気は普通ではなかった。 だがすべての言論は制度圏政治家ばかり追いかけていた。 毎日広場でキャンドルが燃え上がっても、言論はクリップ映像を垂れ流すだけだった。 激しい風が吹きつけるここでは、数百人の市民が20日間以上キャンドルを持って広場民主主義を作った。 「ワーカーズ」はそのキャンドルを伝える。

最初のキャンドルは青年が持った

キャンドルの始まりは「朴槿恵下野」が初めてリアルタイム検索語を支配した10月26日だ。 24日の晩、タブレットPC報道が衝撃を与え、すぐ翌日に大統領の謝罪談話が続いた。 気を取り直し、状況を把握するために一日以上かかった。 うわさだけで語られた秘線実力者、崔順実の国政壟断が確認された後、虚脱感と怒りが同時に集まった。

200人ほどが集まったキャンドル集会には、多様な年齢と階層が参加したが、青年層が目立っていた。 そのためか、集会の雰囲気も全く違っていた。 「怒りのバスキング」。 彼らは印刷したプラカードではなく、自分で作ったプラカードを持った。 黒い背景に蛍光文字で「下野」と書いた。 アイドルのコンサートで見かけるようなプラカードだった。 映画「ヒマラヤ」のポスターを「下野しろ」でパロった。 馬の扮装は欠かせなかった。 彼らはプラカードに「下野する方、胸の中にメトロノームをかけて、カチコチ、ヤッ、とやればいい」と書いた。

まず青年たちが持ったキャンドルは、生活の絶望から出てきた火だった。 高い失業率と入試、競争に取り組む青年たちの怒りは大きかった。 これと共に朴槿恵の支持率は鄭ユラが登場すると劇的に墜落した。 20代の10月末の国政支持率は9%だった。 しかし2週間の後には0%に転落した。 すべての地域別・年齢別の支持率が青年を追いかけ始めた。 広場を主導したのは青年だった。

青年が熱くした広場、制服からスーツまで、労働組合のチョッキも共に

キャンドルの力は強かった。 広場を通る市民は迷わず集会に参加した。 平日の10月27日、広場には100人が集まった。 青年たちがキャンドルで熱したデモ行進は400人に増えた。 デモ行進の参加者は一般市民がほとんどだった。 制服を着た学生、スーツを着たサラリーマン、ベビーカーを押して出てきた家族、 これまで集会ではあまり見なかった人たちがあちこちで見られた。

光化門の近くで働くある会社員は、初めてキャンドル集会に出てきたと言う。 社長と一緒だった。 彼は年末精算と成果年俸制が恐ろしいといった。 自営業者も広場に出てきた。 伝統鷺梁津水産市場で働くソヒョン氏は、集会には全く関心がなかった。 彼は「私の仕事でなければ関係なかった。魚さえ売れば良かった。 だがそうではなかった。 ミル財団の李晟漢(イ・ソンハン)前事務総長は、鷺梁津水産市場現代化事業に初めから最後まで介入した。 水産市場に用役があふれ、商人だけが捕えられた」と鬱憤を晴らした。

11月2日のキャンドル集会に参加したコンビニのアルバイト労働者は 「アルバイト労働者時局宣言」を提案した。 彼は「今、ほとんど私のような年頃は、労組や市民団体に加入していない青年たちだ。 こうした人と共にする方法を考えて時局宣言を提案した」と伝えた。 同日、14歳ほどの青少年は舞台に上がり「闘争」と挨拶した。 この少年は、人々の前で韓国社会の弊害をすべて指摘した。 彼は「私は青少年だが、青少年も市民の主体」だとし 「この韓国で生きていく性少数者、セウォル号遺族、江汀村、密陽送電塔、障害者、青少年の皆さん、 互いに手を取って汚い社会に亀裂を入れよう。 今日を描きながら、明日を生きよう」と声を高めた。 彼は最高の呼応を得た。

11月1日からは民衆総決起闘争本部が毎日キャンドル集会を主催した。 自発的に集まった広場にチョッキを着た労働組合の組合員たちがキャンドルを持ち、威力はさらに強まった。 最長のストライキを続ける鉄道労組は順番に各支部が広場キャンドルに参加した。 鉄道労働者が来る日には、集会の規模は倍に増えた。 11月9日、公共運輸労組の集中闘争大会には、平日ながら8000人の労働者・市民が広場に出てきた。 一般市民は3分自由発言の最後にいつも鉄道労組を応援した。

言論で聞くことができない広場のシュプレヒコール

マスコミは青瓦台、与野、政派の立場ばかりをいつまでも代弁した。 だが国民の声は広場で鳴り響いていた。 広場のシュプレヒコールが国民の立場だった。 それぞれ指向するものは違っても、市民は広場でそれぞれの問題について鋭く発言した。

崔順実国政壟断事態で初めてキャンドルを持った10月26日、 市民は「朴槿恵は退陣しろ」と「崔順実は出てこい」シュプレヒコールをあげ、責任と問題の本質を明確にした。 27日の世界日報とのインタビューで、崔順実は 「タブレットPCは私のものではない」と言うと、広場では「崔順実を拘束しろ」と手をこまねく検察を圧迫した。 結局、31日、崔順実が検察に出席して拘束されたが、 検察が崔順実ゲートだけで事件を尻尾切りするかもしれないという憂慮が高まった。 広場の声は朴槿恵大統領へと向かった。 人々は「胴は朴槿恵だ」、「朴槿恵を拘束しろ」と叫んだ。

青瓦台と与野党政界が顔色をうかがいながら、互いに有利な方向へと政局を引っ張っていこうとした時も、 広場は揺らぐことなくれないで朴槿恵下野と退陣を固守した。 セヌリ党は10月30日、朴槿恵大統領に挙国内閣構成を要求した。 11月2日には朴槿恵大統領が総理に金秉準(キム・ビョンジュン)教授を内定した。 しかし広場は「2線後退はとんでもない」、「挙国内閣は必要ない」、「朴槿恵は退陣しろ」と叫んだ。 広場の声はますます優勢になった。 10月29日、3万人だったキャンドルは11月5日に20万人、11月12日には120万人が共に朴槿恵退陣を叫んだ。

広場の要求は弾劾ではなく、退陣と下野だった。 また2線後退反対、挙国内閣反対、セヌリ党解体であった。 広場で明らかにされたキャンドルの立場ははっきりしていた。

広場、あるいは大騒ぎ

さまざまな市民が一か所に集まれば対立も起きるはずだ。 多様な観点から討論するために広場に集まったが、市民どうしの衝突が続いた。 11月2日の集会開始前、金大中(キム・デジュン)元大統領をめぐり、批判者と擁護者がひとしきり争った。 ある中年男性は自由発言中、突然シュプレヒコールを叫び続け、市民から抗議された。 すると彼はいきなり聴衆を激しくののしって文句を言った。 ある青少年はこの男性に罵声を浴びせ、暴力まで行使しようとした。 この二人はほとんど毎日参加していた。 彼らの戦いは毎日繰り返された。

キャンドル集会での発言には「ヘイト」があふれた。 朴槿恵大統領の後には常に精神病と女性を卑下する言葉がつけられ、 崔順実には「プラダ」と「江南のオバサン」が付いて回った。 10日の集会である男性が青少年の発言について 「なぜ高校生に発言させるのか。私は何十年も運動をしてきたのに」と言って脅した。 結局この男性は集会の参加者の手で引きずり出された。

この日、行動する性少数者人権連帯のキム・スファン活動家は 「丙申年、女子供、江南女、手帳姫などの言葉で人々は怒りを表出する。 だが彼らが男性なら言えない言葉だ。 大韓民国の問題は、崔順実朴槿恵大統領個人だけの問題ではない。 朝鮮日報をはじめとする既得権を引き出すと同時に、弱者へのヘイトを終わらせる運動をしなければならない。 まず私たちが変わらなければならない。 彼らのヘイトの扇動のために私たちが利用されてはいけない」と明らかにした。

広場には政治家も集まった。 尹鍾五(ユン・ジョンオ)、キム・ジョンフン議員は毎日のようにキャンドルを持った。 李在明(イ・ジェミョン)城南市長も時々参加した。 朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長はよく参加したが、発言する機会は殆どなかった。 11月の第一週に大統領支持率5%が発表されると、政治家たちは先を争って広場に出てきた。 だがその前にすでに市民が広場を守っていて、討論を続けていた。

平日のキャンドルはキャンドル抗争

労働者と学生、市民は、平日には広場の寒さに耐え、週末の広場では氷間花を咲かせた。 11月7日には雨が降り、11月9日には零下の激しい風が吹いた。 週末の大規模集会よりも平日キャンドルの寒さの方が鋭かった。 市民は使い捨てカイロを握り、雨合羽を着て行進した。 1000人以上が毎日、平日の広場を守った。 通りかかる人々に「集まろう、民衆総決起」と叫び、12日の民衆総決起への参加を訴えた。 毎日デモ行進して、ビラを配った。 彼らはキャンドルを持って広場を守り、キャンドルは100万になって燃え上がった。 市庁広場には労働者が、光化門広場は市民が、内資洞ロータリーと清雲孝子洞住民センターの前では学生たちがキャンドルを持った。

20日間のキャンドルは、鋭い寒さと激しい風の中でも消えなかった。 政界がどたばたと揺れてもキャンドルは動揺せずに燃え上がった。 キャンドルは集まるほどに力が大きくなり、権力の主人が誰なのかを確認していった。(ワーカーズ26号)

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2016-11-22 20:14:11 / Last modified on 2016-11-22 20:14:13 Copyright: Default

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