本文の先頭へ
韓国: #25: メーカー文化と社会的技術感覚の回復
Home 検索

メーカー(製作)文化と社会的技術感覚の回復

[ワーカーズ25号]技術文化批評

イ・グァンソク(ソウル科学技術大教授) 2016.11.19 19:07

[出処:ホン・ジノン]

ビッグデータ、仮想・増強現実、人工知能、モノのインターネット、ポストヒューマン、ナノテクノロジーなど、 今日の資本主義社会は技術の賞賛で神がかりになっている。 人間の歴史のどの時期にも、これほどの技術革命の津波は存在しなかった。 これらの新技術の論理は、人間の暮らしに深々とかかわり、新しい社会の価値値段を構成する。 そのように同時代の現実は同時多発的に連鎖反応し、爆発する新種技術革命のアンサンブルによって規定される。

従来、人間の技術は人生を構成する多くのことの中の一つだった。 しかし今ではこれらの技術が人間生活のすべてに入り込み、暮らしの全てを規定する。 皮肉にも人間のための技術が満ちあふれるほどに、未来に対する不安感はさらに強まる。 なぜか? 最大の理由は、進むほどに技術に対する人間の統制能力が退化するためだ。 今日の技術の未来と進化の方向は、ますます私たちののような平凡な人間の暮らしから遠ざかる。 その代りにこれを消費する人間の指先と末梢神経の感覚だけが発達して行く。 現代人は機械を使うのは上手かも知れないが、きちんと扱うことについては下手だ。 何かを本当にきちんと扱うということは、その機械と技術が持つ固有の設計を把握して、 その最適な使い道をよく理解している時に使う言葉だ。 今日を生きる現代人は、果たしてそうだろうか? 資本主義社会を生きていくほとんどの現代人は、新興機械の手綱を握りしめているが、 これがどう働くのか、どんな原理により作動するのかは全く知らない新生児のようなものだ。 だから技術の未来を見る目も消え、近眼にならざるを得ない。 満ちあふれる技術は、未来に対する透明性を増大させるのではなく、 自分自身でも何もできない遠く薄暗いブラックボックスのような未来に引き渡す。

「批判的」メーカー文化の浮上

メーカー(Maker)あるいは製作文化は、まさにブラックボックスのような機械と技術に対する現代人の鈍った身体を呼び覚まし、失った文明の感覚を回復する行為だ。 すでにメーカー文化はかなり以前から手製作、適正技術、編物行動主義、メーカー運動、クリティカルメーキングなどの用語で登場し、 資本主義社会内の消費能力ではなく、生産する手感覚の衰退についての文明回復の問題意識を地域と市民共同体の話題にしてきた。 しかしこれまでの資本主義の工場や手工業の工程で機械を触っている熟練工は、 各方面で優れた職人のような存在だっただが、 これらの工場で機械的遂行性は、自由な感覚を取り戻す行為というよりは、 利益受取の工程に身を任せる身体感覚の従属化の過程とみなければならない。 資本主義の機械労働と違い、文明感覚生産の流れは、 このように資本主義生産(システム)の職業的な独占や専門化ではなく、 誰もが生産と消費の自発的な主体として参加して協業できる開放的なメーカー文化に成長する。

メーカー文化の中で何かを作る行為にとっては、特定の技や、代々伝えられる職人の秘法や専門家的な能力が重要なのではなく、技術製作の普遍的かつ平等な文化が重要だ。 換言すれば、メーカー文化は誰もが簡単に少ない費用で消費型技術に接近し、 短時間にオープンソース型のマニュアルとガイドによりその原理を学び、 自分だけの創作物を作り出す条件として根を張る。 今日のメーカー文化は、木工、編物、手製の火鉢やかまど、家具の製作など、ローテクな製作文化から、 Arduinoや3Dプリンタなどを活用するハイテク創造・製作行為をすべて含む。 歴史的には、産業主義の草創期の手工芸製作や木工運動、適正技術、そしてオープンソース基盤ソフトウェア運動から今日の3Dプリンタやモノのインターネットなどのハードウェアとソフトウェアにつながる概念として、メーカー文化が拡散している。

誰か技術のブラックボックスに手を差し込んで手を伸ばし、暗いところもぞもぞと捕える機械の質感を感じる行為は初めは恐怖心を与えるが、 すぐそれが何かがわかるようになり、機械の設計に対する興味深い探求行為に変わる。 最初は難しいが、指先で触れる技術の質感を学べば、その設計と原理に対する関心と理解にぶつかって行く。 今日、このような機械と技術設計の体得は、失った自分の現実の社会的感覚を少しずつ回復させる。 だが、われわれは現存する資本主義の技術秩序が絶えず人間の社会的感覚を後退させてきたことをよく知っている。 また、何かを作り、そのデザインと設計を把握するということには、 特定の技術を修正して使おうとする修理、重創、再設計(リエンジニアリング)という変形や再構成の可能性を前提としている。 私たちは、法的にはすでにスマートフォンのケースを開ける権利もないが、 意図的にあけたとしてもこれをどうするとか直して使う能力もない。 清渓川の世運商店街で購入した真空管ラジオのキットをハンダ付けしながら、 その基板の原理を学んだ筆者の学生時代を思い出すと、 今日感じる機械の前の無気力症は多分に隔世の感がある。

結局、何かの機械の構造を把握してこれを直して使うことは、メーカー文化を支える基本であり、技術代案の経路を考える人たちにとっての必須条件だといえる。 製作文化は、したがって現実の資本主義技術構造に「批判的」でしかありえない。 大衆自身が資本化された技術体制により死んでいく製作と修理の文化の感覚を取り戻し、 私たちすべてが人類文明の製作者になることに関心を持つということだからだ。 つまりわれわれは、メーカー文化によって資本主義の企業に私有化された秩序に対抗する独立した生産者コミュニティへの流れを発見することができる。 まだ国内では兆候に留まっているが、エンジニア、文化活動家、適正技術者、創作者、デザイナーなどが共に参加する「批判的」製作文化の中に、 われわれは技術過剰の時代における資本主義の機械発達の進行方向とは異なる自分たちの手と体で挑発する新しいオルタナティブ技術の新しい流れを見ることができる。

もうひとつの市場の論理、あるいは新しい文明感覚の拡張?

問題は、メーカー文化の多くの成果物は、 時間が経つに従い人間の創造的な思考と意識を犠牲にする略奪的な市場秩序のアイデアバンクに吸収される危険性だ。 ちょうど企業の主催で開かれる大学生のアイディア公募に多くの無給の情熱時間が自然に吸収されるように、 市場支配的な企業は内部で枯渇したアイディア資源を主に外部に広く存在するマイクロ製作者たちの創作活動の中で大挙して捕獲することに依存しようとしている。 つまり、大衆のアイディアであっても、新しい技術結果などのメーカー文化の創意性を吸収し、 私的に専有しようとする企業欲望がうごめいている。 ここでのさらに大きな問題は、中央政府と地方自治体などの公共機関は、 新興メーカー文化により新種の日銭稼ぎ産業の創出以上のことにはまったく関心がないという点だ。 メーカー文化が持つ技術の社会的・文化的価値が促すものと拡散は、技術政策と行政では常に後回しだ。

メーカー文化のもうひとつの難関は、特許権、著作権、商標権など知識財産化されている難攻不落の資本主義秩序の中での生存の可能性だ。 ほとんどが知識財産権で市場化されている現実で、一般のアマチュアが何か新しい製作をすることは合法と非合法の境界に立つほかはないという困難が強く存在する。 ここで究極的には、コミュニティと個人の間の相互扶助と共有の形態で活用できる市民に「共通した」(common)有形無形の技術資産が蓄積されなければならない。 メーカー文化の活性化は、まさにこうした共通の技術と技芸の市民資産の企画がなければ不可能だ。 つまりメーカー文化を共感する人々がこれまでに作ってきた技術のハードウェアとソフトウェアの市民資産のリストを累積し、記録し、これを共有して、 大衆が容易に創作・製作に関与できるようにすることが急務だ。 これらの共通の技術資産目録は、「社会的」特許の方式や共用ライセンスモデルを導入して外部から保護し、 この共通の資産を使ってマイクロ製作者たちは各自の市場経済行為を企てる再生産の根拠地にしなければならない。

メーカー文化を共有する人々は、互いに異なる小規模なマイクロ製作者たちが活動しながら、 彼ら自身にとって価値がある物や創作物を市場効率的な方式で生産し、消費することを越え、 もっと適切に地域コミュニティに必要な物を最適の条件で、安い費用で作り、供給できる生産と消費の民主化された秩序を展望する。 この点で浮上するメーカー文化は、今までの経済成長と私的な富の蓄積ではなく、 地域コミュニティや社会の富や贈与を拡大する側に一層価値をおく意識転換を呼び起こすだろう。 操舵手なく、むやみにどこかに走って行く技術の未来の不透明な条件において、 メーカー文化は私たちの周辺の技術の一部は人間自身がコントロールできる最低限の安全装置になるだろう。 平凡な私たちが技術に対して省察的に介入し、技術に対する感受性回復を要請し、 さらに進んで既存のハイテク技術的なパラダイムの修正までも要求したとすれば、 支配的な技術の論理を変えることもそれほど難しいことではない。

メーカー文化は社会的に支配的な技術権力が強要するブラックボックスの暗黒の論理から脱し、 技術の対象を開いていろいろと調べ、私たちの省察的な設計をする行為、 つまり「逆設計(reverse engineering)」の知恵とかみあっている。 逆設計は資本主義の線が引かれた商業技術と機械の設計方式を、主体の意図に合わせて壊し、完全に新しく再設計する行為を示す。 このような逆設計の現代的な職人感覚を育てることは、今後の人間の生存につながる異なる技術の生成的な知恵を育てるために欠かせない。 逆設計はただ消費だけを強要する資本主義市場の商品論理を迂回して、私たち自身が作り、直して使う文化を追求するという点で急進的だ。

同時代の技術過剰の波の前で、メーカー文化は、脱成長(de-growth)、回復力(resilience)といった、 遅くても共存と共同の互恵的価値を保障する「社会的」技術のパラダイムが有効であることを実際に証明する。 メーカー文化はまさに支配的な技術の代案的フレームを作ることで、 技術主義により強行される多様な技術搾取と鋳造された技術物神を防ぐ窮極の道だ。 科学技術の成長主義と発展論や、市場価値化は、終局的には人類を技術統制不能という破局の道に導く公算が大きい。 だから、既存の科学技術の成長、発展、勝者一人占めの概念を、メーカー文化のような共同体的共生の技術フレームにより再規定する努力が必要だ。 浮上するメーカー文化により、今でも大衆とはあまり縁がない技術経済成長の動力を探そうとうろうろする必要はない。 それよりも私たちすべてが少し遅くても、与えられた環境に合わせて動く機械と技術の構想を探す「技術-身体のアンサンブル」という文明の知恵を見つけなければならないのではないだろうか?

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2016-11-20 07:05:02 / Last modified on 2016-11-20 07:05:05 Copyright: Default

関連記事キーワード



世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ
このページの先頭に戻る

レイバーネット日本 / このサイトに関する連絡は <staff@labornetjp.org> 宛にお願いします。 サイトの記事利用について