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不安定労働が山に登った、貧困が見えた(1)

立っている季節が変われば彼らの職業も変わる

パク・タソル、ユン・ジヨン記者 2016.06.22 14:22

▲写真/キム・ヨンウク

プロローグ

3月30日、江原道寧越郡の小さな村。 ここで暮らす60代の男性が自宅で自分の妹を絞殺する事件が起きた。 村長が現場に最初に到着した時、男性は死んだ妹のそばに倒れていた。 部屋の床には石油がまかれていて、男性は意識不明の状態であった。

事件の直後、地域の新聞に少し短い記事が載った。 日雇い労働者だったある男性が脳性麻痺の障害を持つ妹を殺害した後、 一緒に自殺を企てたという内容だった。 警察が推定する殺害の動機は生活苦による悲観。 事件は完結性を備えた通俗物語のように瞬間的に視線を引き付けて、すぐ忘れられていった。

山で囲まれた村で

事件が起きたのはソウルから車で三時間の距離。 住民が1000人もいない小さな田舎の村だった。 徒歩で1時間あれば村をひと回りしてあまりあった。 さえない観光地一つなく、外部の人がめずらしいところだった。 村道は静かというよりも寂しいとさえ言える。 低い屋根の後には濃い緑の山が延びていた。 どこかに頭をぶつけた山がまず目に映った。 まるで山に閉じ込められた村のようだった。

チラホラと村の老人たちが一か所に集まって、話をする声が聞こえた。 彼らの視線は見慣れない外部の人に向かい、長く留まった。 その村で生まれ育ったというある食堂の主人は 「ここでは食べていくのが難しい」と言った。 菜園程度の小さな農作業をしている住民がほとんど。 どこかの田舎の村と同じように、若い人々はいち早く村を離れ、 老人たちだけが残ってやっと生活を続けているという。 彼女も2か月前、村で発生した殺人事件を知っていた。

「人は優しかった。 妹は障害が激しくて、二人は暮らしが苦しかったようです。 財産もなく、毎日毎日稼いで食べなければならないから。 仕事もないのに。」

周辺に就職する工場程度はないかという問いに 「ええ、60を超えた人をどこの工場が取ってくれますか」という文句が返ってきた。 そして続いた話は「それでも昔は良かった」という嘆き。 彼女が懐かしむ村の全盛期は、ヨンウォル鉱業所の全盛期でもあった。 炭鉱に集まった若い鉱夫で村が込み合っていた時期。 この村の住民なら誰でもその時期を懐かしんだ。

村北の端にのびた道路に沿って東に行くと、旧炭鉱村を再現した博物館がある。 そしてそのそばには産業戦士慰霊塔という大きな石の塊りが鋭く付き刺さっている。 慰霊塔の後に立てられた小さい碑石には、誰なのかわからない名前がぎっしりと刻まれている。 石に刻まれた248人の名前。 炭鉱で働いて死んだ労働者たちのリストだ。

「うちの旦那も炭鉱仕事をして死にました。旦那もそこ(碑石)にいる」。 村スーパーで会ったある住民は、まず炭鉱の話をした。 廃鉱になるという話を聞いて、もう何をして暮らせばいいのか憂えたという話。 廃鉱になった後には、それなりに農作業をして暮らしたという愚痴。 「ここには何もないでしょう。山の他にありますか?」

炭鉱の繁盛は数百人の命を奪っていった。 村の好況は労働者の命の代価であった。 衰退した炭鉱が門を閉ざす頃、その場に貧困が定着した。 もうこれ以上、労災で人が死にはしなかったが、貧困はもうひとつの死を呼んだ。 日雇い労働者として転々として、生活苦で殺人を犯した彼の事情がそうだった。

お馴染みの理由

村道は相変らず炭鉱の好況期を追憶していた。 長い塀に沿って炭鉱労働者の姿と顔が現れて消えた。 精魂を込めて描かれた壁画は村の名物だった。 衰退した田舎炭鉱の村ではあっても、路地はこじんまりしていて暖かかった。 詩と小説が彫られた造形物が道端で輝いていた。

事件の発生場所に隣接する路地。 2か月前に起きた事件の痕跡は残っていなかった。 平和なその道で会った住民は、ほとんどが老人だった。 彼らは弟を殺害したチャン氏をよく知っていた。 忘れられていたチャン氏一家族の歴史が彼らの口から、ぞくぞくと出てきた。

チャン氏の母親は彼と弟を連れてかなり以前に再婚した。 そして妹二人と末っ子の弟一人が生まれた。 妹のうち一人は障害者だった。 両親が仕事に行くと兄弟が彼女を背負って世話した。 家の前には小川が流れていた。 小川は末っ子の弟を飲み込んだ。 「四歳になる子だったが、水に流されたんだ。 お父さんが水に入って、子どもを探して狂ったようにさ迷っているのを見た。 しかし見つからなかった」。 父親は15年前、木にのぼり、畑に垂れた枝を切っているときに落ちて死んだ。 兄弟は家庭を設けて村から離れた。 残ったのは長男のチャン氏と障害を持つ妹、そして母親の三人だった。 母親は妹の大小便の世話をして15年暮らした。 チャン氏は衰退した村で仕事を探して転々とした。 そのうちに昨年、母親が死んだ。 いまやチャン氏と妹、2人だけが残された。

「あの青い門だ。家の中でもとても古い家だ。あばらやみたいな」。 老人の指先が示す所にチャン氏の家があった。 こざっぱりした屋根の下で真っ黒になった壁が傾いている家だった。 錆ついた郵便受けにはチャン氏の名前がかすかに書かれていた。 すぐにでも消えそうな不安定な文字は、彼の労働ととてもよく似ていた。 彼は季節ごとに職業が変わった。 春と秋には日当4万8000ウォンの山火事監視員の仕事をした。 長くてもせいぜい1年に4か月の職場だった。 夏には村を回って蚊の防疫する仕事をした。 不安定な労働のように、兄弟の人生もいつも不安定だった。 彼と特に親密な人は誰かと尋ねたが、住民たちはすぐに返事ができなかった。 小さな村でも貧困の程度は違っていた。

彼の家の前の小川は水が干上がり、ペコリとへこんだ土砂と草だけが残っている。 バルコニーには朝鮮末期の放浪詩人の詩句が大きく彫まれている。 「地上には仙人がいるので金持ちが仙人だ。 人間には罪がないから貧困が罪だ」。 彼が家を出入りするたびに毎日出会った句だ。

チャン氏の家の前でうろうろすると門の後に縛られた黒い犬が荒っぽくほえまくった。 一緒に隣の家の犬も合唱をしてほえた。 一人の男が向い側の家から姿を表わした。 何かご用かという質問に、訪ねてきた目的を明らかにした。 彼が話した。「私がそのチャン氏の弟です。」

エピソード1. 立っている季節が変われば彼らの職業も変わる

草が生い茂り、湿度が上がる。 もうすぐ梅雨が始まるという知らせも聞こえる。 山で働く季節職労働者たちの職場が消える時期だ。 郡庁はよく山火事が起きる春と秋に季節職労働者を採用する。 江原道令月だけで毎年200人ほどの労働者が山火事の監視と鎮火など、山火事を管理して消す。 令月は太白と小白、二つの山脈の影響で大小の山が多い。 蓬莱山、馬垈山、九龍山、莞沢山、太華山など、寧越郡が誇る山だけでも27。 山が集まっているので、1か所で火事が起きると風に乗ってすぐ他の山に移る。 119消防隊員が、すべての山火事の鎮火や予防作業の責任を取るには力不足だ。 それで季節職労働者たちは予防と鎮火、小火の処理まで、山火事に関する前後の作業を引き受ける。 山火事が急増する時期の春と秋。 ちょうど二つの季節の間だけ、彼らは山を守る人になる。

プロの季節職労働者も不安だ

水遊び安全監視員のオ某氏(65男)に、東江のトゥングル岩の前で会った。 令月を横断する東江は流れが速い。 ラフティングしやすくて、多くの観光客が来る。 人が集まるので人命事故も多い。 彼はそこで先日から水遊び安全監視員として働いている。 山火事監視員の活動が終わって、また始めた仕事だった。 彼はプロの季節職労働者であった。 6年以上、山火事監視員をした。 水遊び監視員の経歴も5年を超える。 季節が変われば彼の職業も変わった。 それで人々は彼に「季節職労働者」という呼称を付けた。 山火事監視員は春(2月1日〜5月15日)と秋(11月1日〜12月15日)、水遊び監視員は夏(6月4日〜8月31日)に彼の職業になる。

山火事監視員は主に山火事予防の仕事をする。 村で田畑を焼いたり、農産副産物を焼却する時に火災が頻繁に起きる。 彼は村を巡回査察して共同焼却を誘導し、共同焼却する時は火が広がらないように監視した。

巡回査察が主な業務の彼は、一日に20キロ以上往復したりした。 ハーフマラソンの距離だ。 昨年「足底筋膜炎」という職業病にもかかった。 デコボコの道を早足で往復したため、足首に無理がきたためだ。 時々病院の世話にならなければならない程、一生懸命働いたが、彼の雇用は危険なだけだった。

オ氏は一年中、求職、就職活動をした。 季節職と季節職の間には工事現場に入ることもある。 だが人員事務所には彼が入るスキ間はあまりなかった。 焼けた顔で、工事現場をよく知る人が1順位で選ばれた。 彼の夫人は農工団地の縫製工場に通う。 夫婦が共稼ぎをしても生活はいつも危険だった。 「田舎には雇用がありません。 農作業でなければ肉体労働しかないけれど... その上に肉体労働も年齢が高い人はさせないから。 働いて怪我をすれば頭が痛いでしょう。」

寧越郡では毎年150人内外の山火事監視員を採用する。 日当は約4万8000ウォン。 毎年最低賃金に合わせて更新される。 就職脆弱階層には加算点がつくので、低所得層、障害者、北朝鮮離脱住民、移住民なども追しよせ、競争率が上がる。 競争率が上がるのでテストをして選ぶほかはない。 50代から70代が集まって体力を競うのは珍しい風景だ。 今年は山火事鎮火用の15リットル背負ポンプを担いで運動場を回った。 何とか得た雇用はやっと二つの季節の食い扶持でしかない。

季節職と季節職の間、その空白を埋めたい

今年は「選挙がある偶数年」だ。 総選挙があった偶数年はいつも江原道に大きな山火事が起きた。 江原道全域はジンクスが再現されるか、とても緊張した。 乾燥した気候が続き、山林庁は江原道全域の山火事危険等級で「高」を維持した。 今春、寧越郡では昨年より20人多い、60人の山火事鎮火隊員を採用した。 ソン某氏(70男)もそのひとりだった。

山火事鎮火隊員は119消防隊員のように現場に出動して、直接火を消す。 大きな火事はヘリコプターや消防隊員が捉えてくれる。山火事鎮火隊員は残って小火をすっきりしているように整理するのが任務だ。山火事は買った表面にある木だけでなく長時間積もった落葉などの堆積層にも移る。見られない所まで火種が移るから几帳面に火種をなくすのが重要だ。住民を相手に山火事予防先転倒する。今年は宣伝カー三台で集中先転倒した。十回以上出た山火事が今年は半分に減ったとのことが彼の説明だ。

彼に大変な点を尋ねるのですぐ警戒所に一人でいた同僚の話を取り出す。警戒所で仕事を出て行こうとするなら海抜300〜500メートル山を1時間近く上がらなければならない。移動時間は時給から除外される。食費も別になくて、弁当を包んで通う。勤務者は警戒所で一人で晩まで守って下山する生活を繰り返す。彼は警戒所で働く人はもう少し良い処遇を受ければと思って望んだ。「警戒所に一人で勤務をするのにどれくらい孤独です。ところで交通費を与えるか、食費を与えるか。こうした人々は配慮をほどほどにしてくれたら良いよ。」

若かったとき事業をした彼は5年前から山火事鎮火隊員で働いている。山火事鎮火隊員仕事が終われば森育て方など他の季節職仕事場を見つけることもした。彼の夫人も時折郡庁ことで生計を助けている。

彼は令月の雇用旱魃を訴えた。「令月は昔には京畿が良かったのにもう村単位は同じように骨を折るみたいです。雇用がなくて。特異作物もなくて中小企業もなくて真の就職すること困ります。女らは暇つぶしでもあるだろう。男らはとても悪いです。内日当が4万 8、500ウォンなのに50〜60台がよくするだろう。40代はあまりありません。このお金で子供子勉強をどのようにさせて。」

季節職が終わって訪ねてくる空白も悩み事だ。一年中、次の雇用心配なしで働けるシステムが必要だといった。「三、四月使って終わるのでなく秋まで儲けが続くようにすればいいですね。」彼の要求は大きくなかった。他の季節職雇用に支援することができるように時期を調整してくれというのが彼の風だった。

令月住民の場合事情が少しより良いと言うべきか。季節職雇用勤務を最大2年まで制限する地域もあった。季節職労働で滑り落ちた老人たちはどこへ行かなければならないだろうか。行く所ない彼らの生活は令月をめぐる山の下をそわそわしている。(ワーカーズ15号)

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2016-07-08 08:16:15 / Last modified on 2016-07-08 08:16:16 Copyright: Default

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