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北朝鮮離脱青少年の孤独な戦闘

自己責任で生き残れ

シン・ナリ記者 2016.06.15 23:09

▲写真/チュ・ヨンソン

崩壊した公教育と私教育ブーム、友達を押しのけなければ生き残れない競争体制、 成績で未来を決める場所が大韓民国の教室だ。 生まれてきた人も馴染めないまま世を去る現場でもある。 この10年間でOECD会員国の児童・青少年の自殺率が15.6%減少したが、47%増加しているのが韓国の教育の現実だ。 この教室で孤軍奮闘を続けなければならない青少年がいる。 体制の変化に適応する時間もなく、自分の力で生き残らなければならない人々、北朝鮮離脱青少年と会った。

「知らなければ笑われることを初めて知った」

脱北青少年教育支援センターは、脱北青少年を 「北朝鮮で生まれ、現在韓国に住む満6歳以上、24歳以下の北朝鮮離脱住民」と規定する。 教育支援の対象になる青少年の年齢は、 小中高校の年齢と、青少年基本法が規定する満24歳までだ。

北朝鮮離脱住民の入国が増えるにつれ、青少年も増加している。 統一部は全北朝鮮離脱住民のうち、学令期の青少年の割合を20%程度と把握している。 脱北青少年教育支援センターによれば、韓国に定着した北朝鮮離脱青少年(小中高在学生基準)は、2014年基準で約2200人にのぼる。 2007年に合計約690人だった彼らは2009年には1000人、2013年には2000人を越えるなど、毎年大幅に増加している。

北朝鮮離脱青少年は入国後に適応教育を受ける。 適応教育とは、国家情報院での調査の後にハナ院で受ける3か月間の教育をいう。 青少年の場合、「ハナ院ハナトゥル学校」で教育を受ける。 国語、英語,数学などの基礎科目の授業と情報化教育などだ。 年齢と学習水準がばらばらに彼らを対象とする3か月間の授業は、連携型で進めるのは難しい。

2009年に韓国に到着したA(20)氏は、北朝鮮で中学校1年を終えた。 現在は高校三年生として在学中のA氏は、ハナ院の授業がその後の学業にはあまり役に立たなかったという。 彼は当時「ハナ院ハナトゥル学校」で小学校6年の授業を受けた。 ハナ院は国語と数学、英語などの基礎学力授業をするが、実質的には役に立たない。 実際、彼が学んだのはコンピュータの動かし方程度だ。

3か月後にハナ院を出て、韓国社会に足を入れた北朝鮮離脱青少年は、一人で適応を始める。 北朝鮮の中学校でアルファベットも十分に学ばずに来たA氏は、英語の授業時間にネイティブ教師から質問を受けた。 何の話かわからずに戸惑う彼に、隣の席に座っていた男子学生は彼に中指を上げればいいと助言した。 A氏は中指を上げた。 クラスの子供たちは笑った。 先生のしかめっつらと笑いの海になった教室で、彼は一人であわてた。 彼は生まれて初めて羞恥心を感じたと告白した。

「その時、初めて羞恥心というものを感じた。 それまでは恥ずかしいということがどういうことか、よくわからなかった。 北朝鮮では、学校は共に勉強もして、一緒に遊び働く所だった。 北朝鮮では知らないからと冷やかされはしない。 韓国では知らなければバカにされ、笑い話にされることを初めて悟った。 その日から、英語に必死になった。」

社会と歴史の授業も彼らには混乱の連続だ。 北朝鮮の歴史の授業は、金日成、金正日の年代記で形成される。 北朝鮮体制の優越性を学び、将軍様の業績を賛える。 「北侵により勃発した韓国戦争」を学習し、これを頭に刻みこむ。 脱北後、中学校1年生として韓国の学校に入学したB(21)氏は、歴史の授業が一番難しかったと話した。

「韓国が攻め込んだと学んだ韓国戦争が、ここでは北朝鮮の挑発で始まったという。 当時、北朝鮮で習ったことが刻印されていて、努力してもこの事実を受け入れるのは難しかった。 どの話が正しいのか、一人で混乱したが、尋ねる人はいなかった。 尋ねれば皆変だと思うかもしれなかった。」

北朝鮮の教育は、韓国とは異なる。 学制も違う。 A氏が北にいた当時、北朝鮮の小学校は4年、中学校は6年に統合されていた (2013年から2年課程だった幼稚園の年長組が小学校に含まれ、小学校が4年制から5年制に変わった)。 国語、数学などの基礎学問は、小学校の時に学ぶが、英語は中学校1年の時に始める。 彼らが体験した北朝鮮の学校は、韓国の学校とは主題が違う。 「勉強」は大きなストレスではなかった。 金日成、金正日の世代までの歴史が一番重要で、それ以外はできなくてもひどい目にあったり、できたからと言って誇るようなことはなかった。

B氏は南と北の教育の違いを尋ねると、「がんばればできるものではなかった」と苦々しそうに語った。 B氏は北朝鮮では勉強に興味があった。 将来の夢も学校の教師であった。 B氏は北朝鮮で勉強がおもしろかった理由は、努力すればそれだけよくできるようになるからだということを、韓国にきて悟ったと話した。 彼は「北朝鮮でも等数はある。 ただ北朝鮮ではがんばればよくできるようになった。 努力により等数が決定される。 勉強をよくできるようになりたければ、学校の授業さえがんばれば良かった。 ところが韓国では学校の授業時間にがんばったところで、他の学生に追いつけるものではなかった。 科目ごとに課外授業を受け、塾に通う子供たちには追いつけなかった」と吐露した。

同等な社会構成員と見ない韓国社会

異なる体制と環境で学校を経験した彼らが置かれたもうひとつの困難は、差別と偏見だ。 身体的・情操的に大きな変化を経る思春期に、新しい環境に一人で適応しなければならない困難も加わる。 一日中、ほとんどの時間を過ごす教室で、学業と同年代の関係の問題などで精神的ストレスを受けるが、解消する方法を学ぶことはできない。 虹青少年センターのホ・スギョン南北統合支援チーム長は 「韓国の学生が意図しなくても、北朝鮮離脱青少年は被害意識を持つことがある。 偏見と差別に対する困難を感じるが、これを解決する方法を見つけられずに放置されたりもする」と話した。

A(20)氏は当時の年齢より一学年を遅れて中学校1年生として入学した。 授業について行くのが難しいと思い、学年を遅らせたのだ。 同じ年頃の友人より一歳が多いつもりだったが、友人には言わなかった。 差別されるかと思い、北朝鮮からきたという事実も言おうとしなかった。 友人には中国の延辺からきたといった。 だが一学期が終わる頃、ある友人が教務室でA氏の生活記録簿を見た。 1997年生まれの子供たちの中で、1996年生まれのA氏の年齢を見て「君、なぜ一歳が多い?」と尋ねた。 A氏は何も言えないまま、顔を赤くした。

「年齢がわかるかと思って心配ばかりしていたが、誰かに知られだどう説明すればいいのかを考えたことがなかった。 韓国にきて1年も経たない時であった。 とてもあわてて、事実の通り話した。 結局、私が北朝鮮からきたといううわさが全校に広がった。」

他のクラスの子供たちが「北朝鮮からきたのか」とA氏の顔を見にきた。 堂々としていたかったが、たびたびうなだれた。 「北朝鮮では本当に人々が飢えて死ぬ?」、 「本当に下手すると銃で撃たれるの?」、 「君は金正日が好き、嫌い?」 北朝鮮に対する偏見と無知による質問が胸にささった。 全校生に脱北の事実が知られた後、A氏は北朝鮮関連のニュースが出るだけで萎縮すると話した。

「ミサイル試験発射などの北朝鮮ニュースが出てくると、クラスの雰囲気が落ち着かないように感じられた。 2011年に金正日が死んで、戦争が起きるのではないかという雰囲気だった。 学校で友達が戦争を心配しながら、彼らどうしで話をするが、度々私に聞かせようとしているような気がした。 実際にそうではなかったかもしれないが、一人で顔色をうかがっていた。」

「脱北者だから助けろ」というような一方的で恩恵授与的な関心に心を傷つけたりもする。 C(22)氏は2012年に韓国の土地を踏んだ。 当時、高校1年生として学校に入った。 担任は子供たちにどう紹介するのかを尋ね、C氏は北朝鮮からきたという事実をいいたくないといった。 先生は彼の意見を尊重した。 別に問題集を揃えてくれて、わからないことがあればいつでも聞けとも言った。

問題は2年の時だった。 2年の担任の先生は、学期の初日に「Cは北朝鮮からきたのだから、お前たちがよく見守ってあげて世話してやらなければならない」と話した。 別に班長を呼んで「Cによくしてやれ。 どのように学校生活をするのかよく見て世話してやれ」と話した。 C氏には「私が班長にお前の面倒をよく見ろろといったが、何を助けてもらった?」と確認した。 友人と同等で平凡に過ごしたかったが、すでに助けを受けて介護を受けなければならない受恵者になった後だった。

「その時、本当にとても傷ついた。 どうして私の個人的な状況をクラスの友達に知らせて私を助けろというか。 とても自尊心が傷ついた。 授業時間の間に「君たち、ちゃんとこの子の面倒を見てるか」と確認もしたが、嫌な瞬間だった。」

C氏は2年の間、ずっと強制的に助けを受けなければならない境遇に置かれた。 介護と助けを強要されたまま、子供たちと平等な友情を育むのは難しかった。 C氏はクラスで話をしない子供になった。

学業のストレス、そして偏見と差別により受けた傷は、学業放棄につながったりもする。 北朝鮮離脱青少年の学業中断率は、韓国学生と比べて最高で10倍高い。 2014年、教育部の学業中断現況調査結果によれば、韓国の小学生の学業中断率は0.1%、中学生は0.32%、高校生は1.1%だったが、 北朝鮮離脱青少年の学業中断率は小学生0.6%、中学生3.1%、高校生7.5%で現れた。

学業の中断は単に教育の問題では終わらない。 学校から排除された彼らにできることは多くない。 スペックの社会、大学卒業者も就職の門を通るのが難しい現実で、学業を中断した北朝鮮離脱青少年に回ってくる雇用の限界は明らかだ。 不安定な雇用は生活の全般を支配する。 安定した生活は指先から遠ざかる。 和合と平和、統一に向けた試金石という巨大な大義を語っているのではない。 社会の構成員として暮らしていくための最低の機会を用意しなければならない。 疎外や差別ではなく、共に生くことできる機会を教育の枠で提供しなければならない。 今、韓国社会に北朝鮮離脱青少年の場所はどれくらいあるのだろうか。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2016-06-22 01:47:00 / Last modified on 2016-06-22 01:47:02 Copyright: Default

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