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コルト-コルテックの芸術的連帯...コルト座込場・芸術作業室を訪ねる

「芸術とは結局美しい世の中に向かうこと」

ソン・ジフン記者 2012.06.19 18:10

「ファシストをなくす機械」 (This machine kills fascists)

1940年代の米国のフォーク・ブルース歌手、ウディ・ガスリー(Woody Guthrie)は、自分のギターにこの文章を書き込んだ。彼は当時の大恐慌の余波 に苦しむ労働者を代弁する歌手であると同時に、米国のフォーク・ブルースの 始まりを知らせる巨匠だった。世界的な歌手、ボブ・ディラン(Bob Dylan)も、 ウディ・ガスリーの影響を受けた。

▲富平コルト座込場入口

『ファシストをなくす機械』を作る人々

コルト-コルテックはギターを作る会社だ。世界ギター市場の30%を占めている。 コルト-コルテックが生産したギターは、ファシストを殺す機械にもなり、恋人 たちの愛のセレナーデにも、ロック小僧の夢のテコにもなった。そんなに美し い音を出すギターは、皆の慰労と希望になった。しかしまさにそのギターを 作った労働者に、ギターは慰労と希望だっただろうか

2007年、整理解雇とそれに続いた職場閉鎖は、ギターを作る労働者を慰労と 希望から引き離した。突然、職場を失った人々。彼らは通りに出るほかはな かったし、そうして今日まで1900日を戦っている。

彼らが戦い始めた後、彼らを訪れる人が一人、二人と生じた。ほとんどが、彼 らが作ったギターで慰労と希望を発見した人々だった。TVでも見た大衆音楽人 もいて、弘大のクラブの周囲で有名なインディバンドもあった。各々演奏する 音楽も違い、空間と認知度も、年令帯も違うが、ただ一つ、コルト-コルテック の労働者が作ったギターに慰められたこと、それだけが彼らを集めた。闘争 1900日、すでにコルト-コルテックに連帯するミュージシャンだけでも450 チームを越える。

▲座込場の隅に置かれたギターの形の造形物

劣悪な労働環境と整理解雇の工場で、コルト-コルテックの労働者たちにとって ギターはただの商品であり、搾取の手段だったが、友情と連帯の路上でのギター はまた、彼らにとっても慰労と希望の演奏になった。コルト-コルテックの労働 者もまたギターを持った。『コルバン』、今回は製作ではなく演奏だった。 しかし演奏であれ製作であれ、工場であれ通りであれ、彼らのギターが伝える のは連帯の慰労。彼らはそうしてずっと『ファシストをなくす機械』を作って いる。

歌の夢

「私には小さな夢がある。 あなたが疲れて苦しい時、あなたの小さな胸に入って慰労になる。 またあなたが胸を張って呼んでくれたら最後まで一緒にするよ」 -コッタジ、歌の夢より

市庁の前、才能教育支部の座込場、1600日を越した長期闘争事業場にコルバン が立った。観客は多くなかった。コルバンの演奏力もすごいわけではない。た びたび歌詞を忘れたり、ピックミスもよくある。足りない演奏力を埋めようと するように客席に向かって投げたユーモアも成功的ではない。それでも客席は コルバンに熱烈な拍手を送る。コルバンも失敗しながらも、熱情的に演奏を続 ける。すべてのミスも可能性と認識するというアマチュアリズムを話すつもり ではない。彼らの演奏は、たとえアマチュアとはいえ、彼らの公演は『本物』 だった。粗悪な音響施設にもかかわらず、明確に聞こえる彼らの歌に含まれた 慰労と連帯の力。それはコルバンの力であり、歌そのものが持つ力でもある。 連帯、慰労、希望といった言葉が持つ力でもある。

▲コルバンが才能教育座込場で公演している

コルト-コルテック支部は6月16日の明け方、用役職員の奇襲的な座込場侵奪で 『希望と連帯の日』に出席できなかった。その日の夜に予定されていたコルバン の舞台も中止になった。コルバンのボーカルでギタリストのコルテック支会の イ・イングン支会長は多くの仲間が集まる場所で演奏できなかったことを 残念がった。

「コルバンを結成した契機は、仲間たちに演奏を聞かせ、コルト-コルテックと 違う長期闘争事業場の労働者と連帯するためだが、多くの人々が集まる所で 演奏できないのはとても残念です」

いつからか、闘争現場の姿が少しずつ変わり始めた。ものものしい決起と戦場 の拳だけがあった所にロックンロール・サウンドの熱狂と展示、公演の溌刺と した雰囲気が入ってきた(決意に充ちた拳を旧時代的な闘争だと蔑視しているの ではない)。拳とロックンロールの結合、闘争と芸術の一歩進んだ結合だ。

「芸術とは根本的に美しい世の中に向かって行くこと」

富平のコルト座込場には美術作家の作業室がある。座込場に常駐して作品活動 を通じた連帯を続けている。16日の明け方、座込場が用役に侵奪された時も、 一番先に駆け付けたのは作家たちだった。

コルト座込場に作業室を作り、作品活動をしているソン・ヒョスク作家は、 「芸術家とは基本的に美しい世の中に向かう夢を見る人なので、美が壊された 所、社会的弱者が疎外される所にいなければならない」と話す。

現在、コルト座込場には3人の作家が作業室を作り作品活動をして、座込場を 『展示館』にしている。集会に使われる用品や闘争を宣伝する宣伝物品の製作 も手伝っている。おかげでコルト座込場はどこの座込場よりも豪華だ。廃工場 のさびしさは見つからない。彼らが作った造形物と壁画は、ここが1900日戦い を続けている座込場ではなく、まるで廃工場を活用したギャラリーのように見 える。

職場閉鎖前に管理室、会議室として使われていた空間が彼らの作業室になった。 そこで彼らは作品活動をしたり集会に必要な宣伝物を作る。

「この工場は、美しい音を出す楽器を作った所でしょう。でも今思えば、その 楽器の音に労働者の叫びが入っているようで…それでそれを表現しようと考え て、ここにくるしかありませんでした」

しかし彼らがここで作品活動をしていくのは決して簡単ではない。

「使用者側の警備用役職員が作業室を撤去して作品を壊すこともありました。 断電・断水した状況で作品活動をするのも容易ではありません。それで警備の 職員がみんな退勤した夜に出てきて作業して、朝、帰る前に作業物をみんな隠 して作品を準備します」

来月15日に予定された展示会日程の最大の障害も、使用者側の妨害だ。作家た ちは展示会の当日まで使用者側が展示会の日程が分からないように、ひそかに 展示作品を準備している。

美しいものは区分できない

80年代以来、いわゆる『民衆芸術』についての議論が絶えなかった。その間の 対立と論争を数行で表現することはできないが、あえて要約すれば、『芸術の 存在意義』と『民衆芸術の作品性の不足』についての論争だろう。ソン・ヒョ スク作家は民衆美術と純粋芸術を区分する定規そのものがなくなれば良いという。

「民衆芸術と純粋芸術を区分する各々の美意識の中にも、共通分母が明らかに 存在し、その共通分母の上に多様な幅を持つ芸術家の理由が存在することがと ても良いと思います。美意識自体を両極端に分けたくありません」

▲ソン・ヒョスク作家

ソン作家は80年代の労働現場、毎日が闘争だった当時、「急いで作品を生産し なければならなかったその時期の作品の中には粗悪な作品も明らかに混ざって いたことを認める」と話した。30年たった今も、時々そんな状況が発生するが、 それでも当時よりはとても状況が良くなったという。さまざまな基金もできた し、対立し、敵対するようにも見えた純粋芸術と民衆芸術の間隙も若い作家の 間では、ずいぶん薄まったという。

彼女の話のように芸術の根本的な存在自体が「美しさに向かうこと」なら当然 のことだ。

「結局はみんな会うようになるのでないかと思います。もちろん相変らず組織 や陣営がまだ有効なので、その中でも互いに多様で自由なスペクトラムを認め、 共に行けば良いと考えます」

彼女の言葉によれば、事実『民衆美術』という言葉そのものが、保守言論によ る言語だ。現実の苦痛に共感する作品活動をする作家を彼らが分離し、区分 しようとしたのだ。

▲チョン・ジンギョン作家の壁画

彼女は「意識に多様な層が存在し、世界は多様な次元の世界が重なること」と 話す。単線的な意識と美意識で芸術を決めつけて区分するのは無意味だ、 あるいは可能でもないという意味だろう。

コルト座込場の作業室

まだ『管理室』という表札がかかっているソン作家の作業室には作業中の壁画 がある。まだ完成していないが、ギターとイルカの絵が眼につく。すぐ江汀村 の『南方の大きなイルカ』を思い出した。済州のイルカが遠くコルト-コルテック の工場にも住んでいるような感じだ。

「あのイルカは済州近海で私が直接見たイルカです。イルカが出す音波にはっ きり癒される感じがあり、その後もどこかが痛くなるたびに、あのイルカたち を見ればよくなる感じがしました。イルカと楽器を演奏する労働者の姿は、 象徴的かもしれないと考えました」

▲ソン・ヒョスク作家の壁画

ソン・ヒョスク作家は16日の朝、ショベルカーを立てた用役の奇襲的侵奪にも 作業を進めた。

「わざわざこれ見よがしに続けました。私たちが恐れていないことを 見せたかったんです」

その作業の結果、きれいに色が塗られた帽子が誕生した。コルト座込場の人々 は、千編一律的の帽子ではなく、そうして自分が、あるいは作家が塗った本人 だけの『オリジナル』の帽子を保有している。

警備用役職員の目を避けて、夜に作業を始める他の作家の作業室も、どこかの 美術家の作業室と変わらない。乱雑に散らかった染料やパレット、散らかった 作業台、落書きなのか作品なのかわからない絵や文句。

まだ出勤(?)していないチョン・ジンギョン作家の作業室には、一枚の顔の絵が なぐり描きされている。バン・ジョンウン コルト支会長がマッコリ一杯ひっか けて一気に描いた自画像だ。彼は落款の代わりに絵の下にこんな言葉を残した。 「私たちのその愛の前に恐ろしいことがあるだろうか」

▲バン・ジョンウン コルト支会長自画像

この連帯は芸術的だ

酒に酔って自画像を描く支会長。毎週、弘大のクラブで公演を開くバンドがあ る労組。450余チームのミュージシャンが先を争って連帯する闘争事業場。建物 一棟を美術家の作業室にする座込場。コルト-コルテックは芸術と闘争の関係が、 連帯の形態が、さらに多様になる可能性があることを静かに見せている。

取材を終える頃、冗談まじりで聞いた『コルバンのリサイタル計画』について コルテック支会のイ・イングン支会長が驚いたことに「企画している」と答える。

「7月23日が闘争2000日をむかえる日だが、その日を中心に、15日から『2000日 週間』イベントを準備しています。25日にはこれまでより規模が大きい会場で さまざまなミュージシャンとコルバンが共演するコンサートを企画しています」

2000日週間には美術家の展示会も開かれる。作家は虎視耽々と侵奪と撤去を狙 う使用者側の牽制を避け、展示会を準備している。展示会は何日にかけて開か れるが、最初の日が過ぎれば使用者側がどんな妨害をするかもわからず、それ への対策も議論中だ。

コルト-コルテックを見て、ウッドストックを思い出した。平和と反戦を願う 世界有数のミュージシャンが集まった。

伝説のようなウッドストックのミュージシャンとコルバンは違う。しかし似て いることは『舞台の上の彼らが、舞台の下の私たちと同じことを分けあってい るという事実』だろう。100万の人波が追しよせたウッドストックと、250人の 希望の歩みが集まったコルト座込場が重なって見えるのは、そのためだ。

チョン・ジンギョン作家の作業室の椅子に書かれた文章のように、彼らは着実 に生きていくだろう。そして『その(色々な面で)芸術的な』連帯を通じ、結局、 工場に戻って作るギターは、『ファシストをなくす機械』になってくれるだろう。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2012-06-20 00:14:36 / Last modified on 2012-06-20 00:16:04 Copyright: Default

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