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「2012年は、双竜車非正規職が工場に戻る年」

[インタビュー]双竜自動車非正規職支会ソ・メンソプ支会長

シム・ヒョンホ メディア忠清記者 2012.01.02 01:46

2009年、双竜自動車労働者の整理解雇に対する77日玉砕ストライキで、19人の 非正規職労働者が闘争した。その後、労使合意、別名8.6合意で会社は非正規職 19人をその年の10月1日付で復職させると約束した。

だが3年経った今、一人も復職していない。19人のうち8人は復職を放棄して離れた。 むしろ会社は2009年9月以後、新規に正規職約50人を採用し、復職を待つ労働者の 怒りをかった。

金属労組双竜自動車非正規職支会(以下双竜車非正規支会)は8.6合意履行を要求 し、3年間会社の正門、インド大使館、法定管理人のイ・ユイル、パク・ヨンテ 社長の自宅、双竜車首都圏営業所などで1人デモ集会を繰り返した。

▲ハンナラ党のウォン・ユチョル国会議員事務室の前に設置されている双竜車非正規職支会のテント座込場

そして、10月24日から平沢地域国会議員のハンナラ党ウォン・ユチョル議員と 民主統合党チャン・ジャンソン議員の事務室の前でテント座り込みを始めた。 8.6合意の時に仲裁に立ったこの二人の国会議員に責任を問い、復職履行のために 直接動くことを要求するためだ。

2011年最後の日の朝、ハンナラ党のウォン・ユチョル国会議員事務室の前でテ ント座り込みをしているソ・メンソプ双竜車非正規支会長から非正規職労働者 の冷たい悲しみを聞いた。

09年の玉砕ストライキで重要なこと、『元下請の共同闘争』

2004年に双竜車が上海車に買収された後、構造調整を理由に非正規職労働者の 数が急激に減る。これに対応するために、2008年10月22日双竜車非正規支会が できたが、何日も経たずに希望退職を内容とする転換配置計画が発表される。 その時から双竜車非正規支会の闘争は速度がつき始めた。

▲ソ・メンソプ双竜自動車非正規職支会支会長

「2005年には1700人だった非正規職労働者が2008年には640人ほどしか残ってい ませんでした。労組設立当時、皆が『本当にこれではいけない。出て行くと言っ て出て行けば終わる問題ではない』という考えが広がっていました。それが 労組を作る契機になったのでしょう」。

「工場本館に踏み込んで戦い、現場に入って、組織化もして、そうして時間を 送ったところ、あっという間に労組加入者数が増えました。すぐ弾圧も激しく なり、もらえるものをもらって出て行け、といった雰囲気になりました。非正 規職労働者の希望退職を防ぐために努力しましたが、双竜車に入ってきた多く の非正規職はコネで入ってきた人が多く、簡単には防げませんでした」。

労働組合を作ったが、整理解雇案が発表され、雰囲気が良くない中で、双竜車 支部の2期執行部でハン・サンギュン前支部長が当選して希望が見え始めた。 支部が非正規職問題を解決すると約束したためだ。

2009年の双竜自動車労働者の闘争を話す時、『元下請共同闘争』に触れざるを えない。少ないが、19人が玉砕ストライキに参加し、工場の煙突で行なわれた 高空籠城にもソ・メンソプ双竜車非正規支会長(当時副支会長)がいた。

「その当時、われわれはとても切迫していました。できることは全てをして、 最後にできることは煙突に上がるだけだと判断しました。それで準備をして4月 初めに高空籠城を始めようとしたのですが、キンテクスで開かれたソウル国際 モーターショーで警察に強制連行されたため、計画が延期されました」。

「そのうちに5月になって双竜車支部から高空籠城の提案がきました。私たちは 当然拒否する理由はなく、うまくいったと思ったので一緒に上がりました。残っ ている非正規職の仲間を工場に返せ、理由なく追い出された人をまた働かかせ ろという気持ちで上がりました。本当に生きたかったし、切迫していました」。

▲2009年5月13日、双竜車支部と双竜車非正規支会は煙突高空座り込みに突入した。当時キム・ウルレ副支部長、整備支会キム・ボンミン副支会長、非正規職支会ソ・メンソプ副支会長(現双竜車非正規支会長)が煙突にあがった。

「会社は、また民主労組が入るのを恐れている」

09年の双竜自動車労働者の整理解雇撤回闘争は、77日間の玉砕ストライキを経 て8.6合意で終わった。だが労使が合意した内容を会社は履行せず紙切れになっ てしまった。特に非正規職労働者はその年の9月からすぐ新規採用が始まり、 この中には『希望退職』を申請して、工場から追い出された人もいた。

それでも、双竜車非正規支会の11人の労働者は復職できない。ソ支会長は会社 が民主労組を恐れているので、残った11人を復職させずにいると強調した。

「すでに工場には民主労組がなくなり、企業労組ができた状況なので、私たち の表情だけでなく、企業労組を見ているのでしょう。私たちが民主労総、金属 労組を掲げて工場内に入ることを一番嫌がっています。そして私たちが77日間 のストライキを一緒にした強盛だというとんでもない理由を上げるのです」。

「今、工場では夜間生産はせず、昼間生産だけで2004、2005年水準の生産をし ています。3000人労働者が減ったのにこの程度の生産量をということは、労働 強度がそれだけ強いということです。こうした状況では昼間2交代のような方式 でも、業務形態の変更で、すべての解雇者が戻るのは可能だと思います」。

2009年当時、双竜自動車整理解雇問題の他に技術流出の問題も議論があった。 韓国政府が技術流出を積極的に防げば、整理解雇が発生しなかったという分析 もあったが、政府と会社の誰も責任を取らず、労働者だけが大量解雇された。 今、双竜車非正規支会は労使合意当事者、仲裁団、非正規支会が参加する復職 協議の機構を構成しろと要求している。

「これまであちこち飛び回り、非正規職労働者の復職を履行しろと要求しまし たが、国会議員への要求は全く考えませんでした。みんなは国会議員がこの問 題を解決できるかと聞きますが、私たちは国会議員の力がその当事者個人の力 とは考えません。このようにテントを張って地域の市民に知らせて、国会議員 を圧迫することが効果的だろうと思います」。

「最近『希望テント村』が始まり、別々にやらず一緒にすべきだという議論が あったりもしましたが、われわれは別々にしているのではなく、一緒にしてい ます。私たちだけが助かろうとして他の場所にいるのではなく『希望テント村』 より先に計画を確定したのでここにいるのです。そのためには支部と一緒にす ることを共に悩んで実践することです」。

優れた活動家でもなく、労働活動家でもない、単に純粋に立ち上がろうとした 人々が整理解雇というくやしさで、労働組合を始めたという。だが解雇者では ない解雇者になり、4回の冬を迎え、3年以上、会社と何の対話もできない。

ソ支会長はインタビューを終えるにあたり、2012年にはぜひ今の闘争を終わら せると抱負を語った。

「近付いてくる2012年はみんなが苦しまず希望のある世の中になってほしい。 必ず工場に帰る年にしなければなりません。新年はすべての労働者が健康で、 苦しまなければと思います。双竜車非正規支会がさらに一歩前進する姿を応援 してくれるすべての方に見せます」。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2012-01-03 04:21:22 / Last modified on 2012-01-03 04:21:24 Copyright: Default

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