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老斤里で整理解雇労働者を考える

[塩の花を訪ねる千里の道](3)複数労組議論の中『労』『老』連帯妥結する!

イ・チャングン(双竜車支部) 2011.07.05 08:56

2011年7月4日、いよいよ歴史的な『労』『老』連帯が実現した。労働者たちは この土地の根深い苦痛を共に担うと約束した。そして先に往った民衆の魂の前 に深く頭を下げる。

複数労組問題で忙しいさなかのソウルの二大労総事務室でもなく、非正規職と 正規職が共に働く蔚山や昌原の大工場でもない。忠清道の田舎の村でのことだ。 61年ぶりの連帯の現場、ここはまさに忠清道黄澗面老斤里歴史公園の造成地だ。 『老』斤里犠牲者と塩の花を訪ねて千里の道『労』働者の老労連帯が始まったのだ。

希望の暴風疾走! 塩の花を訪ねる千里の道4日目。今日は歩きながら、老斤里に しばらく立ち寄った。老斤里陸橋で機銃掃射の傷痕を見た後、ふと『老斤里と 労働者が出会ったんだなあ』と、少し言葉遊びをしてみた。しかし、老斤里の 悲劇を弄んでいると思わないでほしい。よく見ればかなり共通点が多い。一度 探ってみるかと思う。

[出処:@nomadchang]

1950年7月、当時、老斤里の人々は毎日毎日熱心に土地を耕し、収穫で子供たち を産み育てた平凡な人々だった。戦争になっても素朴に「それでもここまで大 騷ぎがくるか? 私たちは安全だ」と考えて暮らし、一日で避難民になった。そ れでも、お上の言葉を信じて言われる通り避難した。何日かで戻れるだろうと 信じて外出するように離れた。外国の軍人でもあったが『世界最強』の米軍が いるのでさらにしっかりしていただろう。しかし『永遠の友邦』は、避難民と 北朝鮮軍を区別しなかった。射殺命令が出て、大韓民国は何の助けにもならな かった。結局老斤里の良民300人はわけも分からないまま陸橋の中に閉じ込めら れて、弾丸の洗礼を受けて死んでいった。

2009年7月、平沢の双竜車労働者たちも、毎日汗を流して稼いだ正直な金で子供 たちを育ててきた。「食い逃げ資本が入り、新車の開発は手も当てない、これ では会社が潰れる」という言葉が工場内外にあったが、それでも自分が作った 車に愛情があったし、最後まで同僚と共に会社を守りたかった。『私のような ベテランの働き手を整理解雇するものか』という気持もあっただろう。しかし 双竜車を生かすという外国の会社は静かに食い逃げをした。

死のような解雇を避けて始めた工場内の避難暮らしは長くなって行った。庶民 を生かすという大韓民国政府は何の助けも与えなかった。同じ盾を持つ用役と 警察は区別が難しかった。個別事業場への不介入を明言した政府、公的資金の 投入を要求した労働者。結果は『公権力投入』という逆説的不介入として現れ ただけだ。双竜車の労働者は工場の中に閉じ込められたまま整理解雇の刃を受 けた。このうち15人が亡くなった。相当数はストライキ後の死だ。果たして死 はもう終わったのか? 分からない。まだ大韓民国政府は何も答えていない。

いかにもそれらしいではないか。歴史的な悲劇に巻きこまれた良民だという点 で、その過程に外国が介入し、政府は自国の国民もきちんと面倒を見ることが できずむしろ悲劇をあおったという点で、老斤里と整理解雇労働者はとても似 ている。

何よりも決定的な共通点は、まさに苦痛と死だ。今でも死が続くこのものすご い苦痛と死だ。悲劇が起きた後、生き残った者たちは自分の苦痛を外に出すこ ともできない。罪悪感と無力感、無限に繰り返される苦痛の記憶。誰も振り返 る人がいないから胸はぎゅっと締め付けられ、頭は爆発するように痛く、腹の 中は腐っていく。老斤里のように双竜車でも悲劇は一日では終わらない。

では韓進重工業はどうか? 工場で77日を過ごした私はとても苦しく、今も後遺 症で苦しいが、クレーンの上で178日を過したキム・ジンスクが立っている絶壁 はどんな所だろうか? 私は今恐ろしい。今私たちがそこに行かなければ、誰が 行けるだろうか? この社会が老斤里の苦痛を取り除くには50年ほどの時間が かかったではないか。

もちろん、双竜車や韓進の労働者は、ずっと幸運(?)だ。いくらそうでも老斤里 の苦痛に比べられるだろうか。幸い双竜車の苦痛には多くの人々が共に耳を傾 けた。苦痛の深淵を治癒する人がいて、歌を歌ってくれる人がいたし、「共に 笑おう」と手を取ってくれる人がいるではないか。遠くから汽車に乗ってバス に乗って訪ねてきてくれる多くの希望が存在するではないか。他人の大病より 自分の風邪の方が重いというが、これほど私の苦痛を共に苦しく感じてくれる のだから、ただ感謝する。本当に幸せだ。

[出処:@nomadchang]

だからわれわれは今日、この道を歩く。韓進労働者と塩の花キム・ジンスクに 私たちが持っている幸福と希望を伝えるために。今は地獄まん中に立つ人々と 一緒にいたいから。私たちが共に手を取り、気持を集められれば、どんな所も 地獄ではないという言葉を伝えるために。私たちすべてがもっと幸せになるた めに。共に笑い共に泣き一緒に暮らすために。財閥と資本がいくら搾取しても、 われわれは十分に幸せに暮らせるというこの確信を安全に移転させるために。

今日も老労連帯は平沢から老斤里を通り、釜山まで嵐のように疾走する。明日 は秋風嶺を越える。誕生日を迎えたキム・ジンスクに深い愛情と尊重を送る。

「妹よ愛しています。そして誕生日おめでとう。なつかしい妹を『わっと』抱 きしめたいです。きっと会える日のため休みなく、死力をつくして走ります」

しかし私は『キム・ジンスクの真面目さがいつも恐ろしい』。焦っているからだ。 [三回目、塩の花あなたイ・チャングン(ツイッターnomadchang、7月5日)]

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2011-07-07 16:25:22 / Last modified on 2011-07-07 16:25:32 Copyright: Default

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