本文の先頭へ
LNJ Logo 韓国:なぜキリュンが光化門のキャンドルと出会ったのか
Home 検索
 


なぜキリュンが光化門のキャンドルと出会ったのか

[寄稿]もう数日で中夕だ。中夕だ

ソン・ギョンドン(詩人)/ 2008年09月05日11時14分

「中夕の前にキリュン、KTX、イーランド、誠信女子大、コスコム、GM大宇、 トルコ、コルト・コルテック、ハイテックRCDコリア、才能教育、 光州市庁非正規職... そのすべての非正規労働者たちを職場に送れれば... 890万非正規労働者に涙のない、暖かい中夕になれば。」

9月9日、非正規職ない世の中を作るキャンドル文化祭/ソウル駅広場

4月、光化門キャンドルが始まる前に、私はソウル市九老洞のデジタル産業団地 の深く入り組んだ路地の中にあるキリュン電子で、数人で非正規職撤廃のキャ ンドルを灯した。初めは誰も注目しない小さなキャンドルだった。少ない時は 十人も集まらず、もじもじしながら灯した。数日後に光化門のキャンドルが始 まった。初めはいいかげんに考えていたが、一日出て行った時、人々の姿を見 て反省した。

その時から九老洞のキャンドル文化祭が終わる夜10時頃になると、いくら遅く ても光化門に行った。光化門は今、始まりだった。その時から私も光化門交差 点を夜中飛びまわり、明け方、東の空が明るくなる頃にまた帰ってきた。時に は解散後も何か心残りでプレスセンター前の路上にしばらく座っていることも あった。しばらくしてまたキリュンに帰った。そうして2008年の春と夏が去り、 秋の入り口になった。

これまで本当に多くのことがあった。よく、どういうわけか、と表現するが、 本当にどういうわけか『キリュン非正規女性闘争勝利のための共同対策委』の 執行委員長になっていた。キリュン女性労働者闘争1000日が近いという知らせ を聞いて、3月末から共対委を設置する作業から主導的に参加していたので、あ るいは自然なことかもしれない。

半分はキリュン非正規職女性労働者と一体になってしまった。5月11日、ハイソ ウルフェスティバルの最後のイベントがある市庁前広場の照明塔に彼らが昇っ た時、5月26日にまた九老駅CCTVカメラ塔に昇った時、また6月11日に工場の屋 上を占拠して全員が無期限終末ハンストに入った時、そして今、ハンスト83日 目になる今日まで、キリュンの仲間たちと一体になり、偏向的に動いた。キリュ ンの仲間たちに似て、ときどき涙が出る日々だった。

非正規闘争は容易ではなかった。特にキリュン闘争は、三重苦、四重苦の闘争 だった。不法派遣と判定されても不当解雇され、最高裁でも負けてしまった。 初めから法外闘争にならざるをえなかった。3年余りがすぎて、使用者側はほと んどのラインを中国に移転してしまった。雇用を受け入れる工場がないという 言葉の前に、わが方の人々もむしろ認めることになった。

さらに、今のチェ・ドンニョル会長は、キリュンを買収して6か月にもならない のに、なぜ自分に全責任を取れというのかと言った。当っているかもしれない と、わが方の人々も顔色をうかがった。その上に、残った組合員たちも生計を 立てるために出た人を除けば10人が全部だった。慰労金でも受け取れれば幸い な闘争だった。

だがキリュン女性非正規職労働者たちは最善を尽くした。たった一つだけしな かったこと、『死をかける闘争』まで選択した。その頑強さと真正性に人々が 一人二人と集まり始めた。いつの間にか誰も避けられない2008年上半期非正規 闘争の象徴になってしまった。

光化門キャンドルと非正規キャンドルの出逢い

数人がひっそり守ってきた座込み場には今、私も知らない顔がほとんどだ。 『大学生リレー断食団』が入り、自分たちが主人になって動く。10の団体や会 が主導して、自ら『キリュンを愛するネチズン連帯』を作り、独自に事業を作 り出す。昨今ではキリュンの主取引社の米国シリウス社を攻略するための遠征 闘争団送り基金募金事業をしている。ネチズン募金でニューヨークタイムズ紙 に1億の広告を出すという。多分第2のキリュン共対委になっている。光化門の キャンドル96次と103次、そして105次キャンドル文化祭が、キリュン工場前で 開かれた。

そのうちに周辺の人からどうしてキリュンが光化門キャンドルと出会ったのか という言葉を聞くようになる。どうして非正規職問題がネチズンと連帯できる のかを聞かれる。実際のところ、光化門キャンドルはこれまで民衆運動をして きた人々には、謎のような闘争だった。全く意外な組織経路とその他の戦闘的 な運動を越える頑強さ、全員が主体になって動く運動、指導部がない状態でも 創造的に自分を生成する新しい自律的運動の前で、みんなあっけにとられた。 こうした平凡なキャンドルとどうして出会うかがカギだったが容易ではなかった。

だが最初、具体的に光化門キャンドル運動を始めた人々と出会い、疑問が解け た。偶然、4月末に初めてオフライン集会を企画したネチズンと会った。キャン ドルが飛び出してきたのは4月末だったが、たいへんな準備があった。最初はア ゴラのディベートルームを中心にBSE感染牛に関する問題提起を着実に書き込む 人々がいた。即座に世論が形成された。BSE問題だけでなくこの社会の民主主義 に関する問題提起であった。

オフラインで行き場を確実に見つけられない多くの民主市民が討論と対話に参 加した。自然にカフェの会が提案され、4つ、5つの疎通カフェが組織された。 ネチズンたちはこのカフェ空間を通して多様な自体学習と共同行動を実験した。 リップル付けることから、サイバーリボン等等。ある程度組織力が形成され、 自信を持って他の同好会カフェの組織に入った。目的意識的に平凡な人々が集 まっている生活関連のカフェに接近していった。有名なファッションカフェ、 食べ物カフェ、有名芸能人ファンカフェだった。そこで読むに値する文を着実 に書き込み、ベスト作り運動を展開した。彼らと共にまた初歩的な水準からサ イバー共同行動を実験、組織していった。反応は爆発的だった。日常で関係と 蘇生する人生を感じられない多くの人々が、食卓の反対側でさえ死を感じなけ ればならないという現実に怒った。さらに程度が高まり、威力的なサイバー行 動が進められた。もう通りに出てもいいと判断した。震える気持ちで日を決め、 全カフェに公示を上げた。4月26日、光化門で会おう。組織確認をすると1万か ら3万が確認された。誰かが主役ではなかった。皆が驚きながら、2008年光化門 キャンドルが始まった。

対話しようとする切実な心が手紙をやりとりするように...

すべての新しい運動は、もちろん情勢が本質になるだろうが、意外な誠意と努 力、信頼と夢によって実現される。サイバーと何か神話的な関係が存在するの ではない。日常の延長だけだ。別にサイバー霊魂があるのではなく、対話をし ようとする切実な心が手紙が行き来するように行き来するだけだ。

そのように考えた。そこにも幽霊ではない人がいるという考え。会おうと思え ば会えるという信頼。私たちみんなが平凡だという事実。欠乏が、懐かしさと 新しい出逢いと新しい尊重をつなぐという信頼を持った。互いに孤独で疎外さ れた存在という事実。そのような疎外された現実があるから、われわれは互い に疎外されない出逢いを渇望しているという事実を信じた。

非正規闘争は、二重三重に疎外された闘争だった。当然、多くの人々の連帯と 力が必要だった。その必要に向けた切実さが、キャンドルのネチズンと出会わ せた。光化門交差点でどこにも行く所がなく、行きたいところがない、すっか りうせた気持ちで朝をむかえる人々の孤独と切実さは、キリュン女性非正規職 が高空で、工場の前で1100日野宿をして持たらした孤独と切実さと似ていると いう信頼があった。内容的にも同じだ。二つとも一部の資本の超過搾取のため に企画された。だからキャンドルが始まったばかりの5月11日、ソウル市庁広場 の照明塔に上がった時、空にかけられた横断幕にもこう書いた。「職場の狂牛 病、非正規職を撤廃しろ」

その時から私たちは狂牛病キャンドルと非正規職キャンドルの出逢いを望んだ。 2次高空籠城当時、九老駅広場で自然の地域キャンドルを灯した。7月の初め、 1040人もの同調断食団を組織し、市庁広場に、そして、大統領府に進撃する、 珍しい闘争を決行した。私たちが光化門に出てきた多くのキャンドル少女、キャ ンドル市民を共に仲間として助けられるのは、キャンドルの背後には非正規職 闘争もあるということを知らせることだった。6月キャンドルの背後で7、8、9 労働者大闘争を準備することだった。もちろん、主体的な準備は充分でなかっ たが、キリュン労働者とキリュン共対委は絶えずそうした立場と意志を確認し ようとした。光化門闘争ほどに切迫して、粘り強く、頑強に闘争を続けなけれ ばならないという気持だった。いつか光化門のキャンドルがいいかげんで、無 責任で、利己的な運動圏のために動力を失い、失望しながら行き場を失った時、 小さなところだが、行く所があるものを作る闘争をしようと思った。もちろん、 そんな苦々しい展望を持たなければいけないのは残念だったが、自然にそんな 気持が一方に残るのは、この時代の問題であり、私たちの問題ではない。

とにかく光化門キャンドルも弱まり、キリュン闘争も難しくなった時、われわ れは今、活力と怒りを失わずにいる広範囲なキャンドルと水平的に出会って行 こうという基調を選んだ。そして試みた。すでにネチズンたちもキリュンを知っ ていた。申し訳ないと思ったという。申し訳ない話だが、光化門を中心に巨大 なキャンドルが連日燃え上がる時は、聞くふりもしなかった狂牛病国民対策会 議も、要請を受けてくれた。96次キャンドルと103次キャンドル、105 次キャン ドルが九老洞の小さな工業団地の路地の中で灯った。これ以上多くの数でもな かった。行き場をなくしたキャンドルが少しずつ集まった。「キリュンがなけ れば今日の平日キャンドルが消えたかもしれない」と言う話を聞きながら、気 持がよかった。

最後のキャンドルを守る人々は、二種類だった。しっかりした気持を持つ労働 者か、本当に行き場がない人々だった。うれしいことに、キリュンではこの二 種類の人々に会え、今までさまざまな助けと分担を持っている。これらの人が 全国にあまり残っていない光化門キャンドルの最後の守備隊だった。胸が痛い のは、後者の人たちだった。私たちは、多くの運動の過程で顔は違っても性情 はなんとも言えないほど優しい多くの人々を見てきた。意識と生活の間に安住 する人生を失った多くの人々。言わばホ・セウク烈士のような人々だった。彼 よりも苦しく孤独な暮らしをしている人々だった。KBS前での野宿も難しくなっ た時、この人たちがみんな、キリュンの座り込みテントで何日か起居すること もあった。誰も彼らに何をしているのかと尋ねなかった。ただ座込み場前の飯 屋のおばさんに話した。誰でも食事をくれと言えば、何も言わずに飯を出して、 数だけ書いておいてほしいと。それが私たちの気持だと考えた。

こうしたネチズンとの出逢いを通して、われわれは新しいキリュン闘争の転機 を迎えた。彼らが少しずつキリュン非正規職問題についてサイバー上で動いた 力が、これまでさまざまなマスコミが少しずつキリュン問題を扱ってくれたよ り、はるかに大きな力を集中した。彼らはキリュン問題を国内だけでなく国際 的な闘争にしてくれた。キリュンの主取引き会社の米国のシリウス社への抗議 メールの組織、自発的なリレー同調ハンスト組織などは、これまでキリュン闘 争が使用者側と社会に向かってしてきた道徳的、社会的、政治的な打撃を越え、 資本打撃の糸口を解いてくれた。

彼らは光化門の象徴をキリュンに呼んでくれた。アフリカTVが自発的に入って きて、四日間にわたりキリュン座込み場に常駐し、ネチズンたちに日常を送出 してくれた。ネチズンに続いてカラーTVが入り、キャンドル喫茶店が入り、ダ インのお父さんの車が入ってきた。何日か前には80皿の参鶏湯を煮てくれた。

いつからか、彼らがキリュン座込み場の主人になった。仮にも執行委員長なの に、実際、彼らのうち数人を除いて挨拶もできなかった。光化門のキャンドル 隊列のように、私もただキリュン座込み場に来たひとりでしかなかった。誰も 彼らを統制しようとしたり、指導しようとしたり、秩序を押し付けたり、指揮 しようとしたり、数えようとはしなかった。小さな大秋里のように、小さな光 化門のように、いつも座込み場は気楽だったし、みんなが主体だった。

もちろんキリュンでの経験は小さな実験でしかない。まだ進行中の試みでしか ない。こうした試みと実験、新しい出逢いがあちこちで進んでいることも知っ て、そうして続いていくと信じる。定形化する必要もない。重要なことは記憶 であり、出逢いであり、闘争だ。闘争が続けば、こうした出逢いは続くだろう。 闘争が消えれば出逢いも消えるだろう。そして消えてもいいだろう。必要なの は信頼であり、生なのだ。生があれば会えるだろうし、生がなければ寂しくな るだろう。ただこのように詩的に話してしまいたい。私たちに重要なことは闘 争だと。いつも大声をあげて戦う闘争だけでなく、この不正な構造と体制と制 度を越える夢を見る運動だと。

なぜ少数正規の世の中に多数非正規の痛みが負けるのか?

数日前の会議でキリュン共対委は、キリュン単社の問題を越え、非正規職を作っ て隠し、量産するこの社会構造そのものを問題とする闘争に進もうと決定して、 『非正規職撤廃のための一万人宣言、一万人行動』にみんなが力を集めようと 決意した。第2のキャンドルを非正規職撤廃闘争で作ろうと話している。キャン ドル市民に参加を訴えている。また『大韓民国は民主共和国だ』と歌おうと、 その先鋒に890万非正規職とこの時代の良心が共に敢然と立とうと訴えている。

これら全てが夢かもしれない。だが夢は見た瞬間、それだけ実現の確率が高ま る。夢見なければ実現の可能性0%だが、夢見た瞬間だけは100%の高密度だ。そ の密度が新しい現実を作ることもある。

2008年キャンドルに出た多くの人々を幽霊にして、神話化、偶像化させる必要 はない。彼らも890万非正規世の中が嫌だから出てきたのだ。日常が死で綴られ る新自由主義の世の中が嫌だから出てきたのだ。新しい人々と会いたくて出て きたのだ。堅固な彼らに会いたくて出てきたのだ。反省しながら出てきたのだ。 本当に献身的に生きている運動があるのなら、その運動に参加したいと、こう して声の限りに『大韓民国は民主共和国だ』を叫んだのだ。

さあ、今、公安弾圧と後退した社会運動に失望し、失意に陥った『偉大なキャ ンドル』に誰か言葉をかける時だ。私たちは互いに言葉をかける時だ。運動が 爆発した時、その波の上で波乗りする実力を持った人々は数えきれない程多い。 情勢に乗って上がって座って、妙手を働かせられる人々は多い。だが新しい情 勢、まだこない新しい運動の契機、地点を作る運動を、見えない所から押し上 げていく人々はもっと多くなければならない。87年6月行動の21周年を話す声は これほど多くても、なぜ87年7、8、9を作ろうという声が少ないのか? なぜ6月 のイデオロギーに7、8、9が負けるのか。なぜ少数正規の世の中に多数非正規の 痛みが負けるのか?

明白な客観事実より、夢を話したようだ。だがこうした厳酷で暴力的で、不条 理な世の中なら、ある客観に対するむだな断定と評価、認定ではなく、その時 間にしん気楼のようであっても、もっと多くの新しい夢を計画して生きたい。 いっそ失敗する生活を送るほうが、この社会では多少良心的かもそれない。も ちろん、全てを捨てることが失敗ではないということぐらい皆が知っている。 妥協せず楽しく暮せるところと大地がこの世にはいくらでもある。

今、皆が敢然と立ち上がっている。第2ラウンドが始まっている。ところがわれ われは誰と戦っているのか? 李明博とハンナラ党、それなら過去の盧武鉉党と は戦わないのか? われわれは誰とどんな精神で戦い抜くのか? われわれは自分 たちと戦う。私は出てきて戦う。小心な私と。

李明博大統領にお願いする。頼むから9月9日ソウル駅の前で890万非正規職撤廃 のために立ち上がる私たちを一人も残さずつかまえてくれ。頼むから一回だけ 私たちの仲間、私たちの背後になってくれ。

そうだ、キリュンのキム・ソヨン分会長の断食が今日で87日目になる。たまに 応急処置で点滴を受けているから断食ではないという。ときどき目がしらが赤 くなるこのバカだ。本当に死ねというのか。本当にあきれる。この社会が。

そしてもう数日後には中夕だよ。中夕だよ。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳)に従います。


Created byStaff. Created on 2008-09-07 05:40:22 / Last modified on 2008-09-07 05:40:22 Copyright: Default

関連記事キーワード



世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ
このページの先頭に戻る

レイバーネット日本 / このサイトに関する連絡は <staff@labornetjp.org> 宛にお願いします。 サイトの記事利用について