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韓国:公務員労組ストについてのハンギョレ新聞のコラム
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今や弾圧政権なのか

盧武鉉政権が公務員労組弾圧に取りかかった。 改革の意志も能力も不足した政権が、 社会的な弱者に公権力を振り回す姿からは、怒りより先に憐憫さえ感じられる。 米国に首根っこを捕まれ、朝・中・東とハンナラ党に振り回されて、 これまでにしたことはイラクに派兵して「企業しやすい国」のために 力を注いだこと以外、見るべきものがほとんどない政権が、 ついに行政首都移転について憲法裁判所裁判官から頬を殴られ、 その鬱憤晴らしを公務員労働者にしている形である。

国家規律を公務員労働者に要求する前に、 民生を無視したままでストライキをする国会から建て直すことだ。 その上、茶飯事のように前言を翻す政治家に国家規律を語る資格があるのか。 盧武鉉大統領、李海鑚国務総理、李富栄ヨルリンウリ党議長、 チョンジョンベ院内代表など、今日の国家貴族が過去に公務員の 労動三権について、どんな姿勢を見せたのか少しみてみよう。 1988年に「現役軍人、警察、矯正・消防公務員を除く、 あらゆる公務員は労組を作ったり加入でき、争議行為もできるように」 する公務員労組立法案を代表で発議した人物が、 まさに今日の盧武鉉大統領だ。 それと似た法案に賛同した人物が、まさに今日の李海鑚国務総理だ。 盧大統領は当時、対政府質問で 「労組とストライキに対する挑戦は、民主主義それ自体に対する挑戦」と強調した。 2002年、労組及び労働関係調整法改正案を発議した人物が まさに今日の李富栄党議長で、今日のチョンジョンベ院内代表がこれに賛同した。 党・政・庁の代表のうち、たったひとりの例外もなく 公務員労組が要求することとほとんど同じ公務員労働基本権を発議した。 88年に発議された法律案は、団体行動権を除いた代案法律案として 本会議を通過したが、盧泰愚大統領が拒否権を行使していままで 「法外」に残されたのだ。 それから16年がたった今日、 公務員労組に対する盧武鉉政権の弾圧は、 したがってきちんと改革しない彼らが改革の遅れの負担を ひたすら公務員労組に転嫁しているのだ。 冷たい風が吹き始める時に、 全員解雇を語る彼らのずうずうしさは今後どこまで行くのだろうか?

「改革」勢力は、守旧勢力と口で戦うばかりで、 行動する時には守旧勢力の影響力を活用するという二重性を見せる。 国家保安法が廃止されれば光化門に北朝鮮の旗が翻るという 守旧勢力の脅迫の論理には反論も展開する彼らだが、 公務員の労働基本権については誤った国民世論に迎合する。 国際労働機構や国連経済社会文化権利委員会、経済協力開発機構の 勧告や指針を無視し、公務員に団体行動権を与えない彼らの論理は、 いわゆる必須公益事業場に対する職権仲裁論理の延長線にある。 ところが国家保安法に全員合憲判定を、 そして行政首都移転に違憲判定を下した その守旧的な憲裁の過半数である5人が違憲を決定したのが職権仲裁だ。 例えば、下部構造に対して「改革」勢力は守旧的だと言われる勢力より さらに守旧的な論理で行動しているのだ。

そして「参与」政府であり、「討論」共和国ではあっても、 中下位職の公務員は検事と違って討論の対象になれない。 対話と討論を拒否したままで、まるで恩恵を与るかのように 特別法案を押し通した後、弾圧しながら 「全教組のように復職させない」と脅しをかける盧武鉉政権の形態は、 公務員労組に何故団体行動権が必要なのかを逆に物語っている。

国民も認識を変えなければならない。 守旧勢力と国家貴族がこのように厚かましくなれるのは、 市民意識と階級意識の不在のためだ。 長い間、国家貴族の下手人として不正腐敗のおこぼれを食べ、 国民からも軽蔑されてきた中下位職の公務員たちが、 今や人格的な存在として公職社会の不正腐敗を清算する内部監視する人になり、 国家貴族の国家の右手に対する均衡者としてのプライドを持った 国家の左手になれるように、彼らの基本権争奪闘争に連帯しなければならない。

ホンセファ企画委員hongsh@hani.co.kr

原文


公務員労組のゼネストを見て

組合員数が14万、ストライキ闘争基金が百億ウォンに上る公務員労組の ゼネストは、二日を超えることなくばらばらになり、 17日には結局自らストライキ中断を宣言したことで事実上終結した。 この経過を見て残念に思ったが、それは公務員労組のストライキの失敗が 残念だからではなく、公務員労組をめぐって表れた韓国社会の さまざまな姿のためだ。 どこにいっても国民の公僕がなぜストライキか、 あるいは「鉄鉢」を持ってなぜストライキなのかという 市民の言葉を聞くことができた。 公僕云々と公務員労組を非難するのは、 直接窓口で仇のように思われる公務員への怨みの転倒した表出であり、 仇と公僕の間を行き来するだけで決して彼らを同じ同僚市民と思わない 前近代的な思考の表現でしかない。 鉄鉢云々という非難も問題だ。 これまでの苛酷な整理解雇と非正規職化を考えれば、 韓国社会に残された鉄鉢に対する社会的な嫉みを理解できなくもないが、 それで互いに嫉妬を深めることは、またブーメランになって 労働条件全体を侵食する危険がある。

マスコミの行動も残念だった。 保守的新聞の形態はともかく、 韓国放送や文化放送が公務員労組の法制化をめぐる争点を詳しく扱わなかった。 ハンギョレでさえ、団体行動権が労政間の葛藤の核心であるかのような 誤った報道をした。その点で、ハンギョレも争点を正しく理解し、 韓国社会に合った公務員労組のモデルと労政間の妥協点を模索するために 真剣に努力したと言うのは難しい。 保守的なマスコミが公務員労組に対する大衆的反感に燃料を投入し、 火をつけるためにあらゆる手段を動員したとすれば、 改革的な媒体は大衆の反感を刈り取るだけで公論形成の役割を忠実に果たさなかった。

しかし、さらに残念なのは公務員労組自体だった。 彼らはまず自分たちの大義を一般市民に知らせるために、 あらゆる努力を傾けることをしなかった。 公務員労組の主軸である中下位職の公務員たちが、 厳格な上司の命令に服従し、国家機構の内部でさまざまな不条理と不合理を 経験したかもしれない。 しかし、彼らも社会に君臨する国家機構の一員だった。 したがって、自分たちの権利を主張するより先に、 大多数の国民が持っている公務員に対する「よくない記憶」を払拭するために、 最善の努力を傾けるべきだった。 公務員組織の柔軟化とは違った方向で、 国家機構を革新と良質の対民間サービスを提供することに、 彼らがどのように寄与できるのかを知らせるべきだった。

宣伝活動戦ばかりでなく、運動の過程でも 公務員労組は戦略的な弱さを見せた。 冷淡なマスコミが、たとえ攻勢的な非難を基調としても、 公務員労組に関心を見せたのは労政交渉が破綻し、 公務員労組がゼネストを予告したからだ。 それまでの期間を長く引っ張って、 自分たちの大義と労政交渉での争点などを知らせ、 社会的な討論を誘導することが必要だった。 だが、労組は簡単にゼネストというカードを取り出してしまった。 民主労総のゼネストは26日に予定されていて、 彼らは自分たちのストライキをそれまで引っ張っていくことができると 過信したのだろうか? 戦略的に不慣れのように見えるだけでなく、 民主労総としても連帯闘争の効果を極大化する戦略があったのか疑わしい。

それより何より残念なことは、とりあえずゼネストに飛込んだからには、 その闘争の熱烈さを通じて自分たちの信念を立証すべきだったのに、 全くそうでなかったとのことだ。 大衆の支持もない状況で、緻密な戦略もなく、その上 自身の大義に献身する熱情と勇気もなかったわけだ。 このように熱情もなければ、大義と信念さえ疑われることになる。 近代社会の歴史を通じ、労働者が自身の権利を犠牲と苦痛無く、 タダで得たことはないが、 このように勤労大衆が守勢に追いやられている時代にあってはなおさらだ。 公務員労組のストライキの失敗がこれまでの韓国の労働運動が繰り広げてきた 勇気と熱情の衰退を見せる証拠ではないことを願う。

ハンシン大学社会学科キムジョンヨプ教授

原文

翻訳/文責:安田(ゆ)


Created byStaff. Created on 2004-11-19 19:33:27 / Last modified on 2005-09-05 08:16:20 Copyright: Default

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