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飾りけがなく率直な生が見られる窓

「コリア」書面インタビュー

金ミリェ2005-10-23 01:19:10

  1. 〈労働者だ、違う〉の後、再び労働者の問題を扱った映画を作った。特に 〈土方〉は、一生日雇い労働者として生きてきた父の話だが、映画を製作する までの過程を話してくれ。

=初めは簡単だと思った。一生建設現場で日雇いとして不安定な生活を送って きた父は、景気の悪化で生活の危機に直面し、一生誠実に働いてきた父の労働 がこの社会でいったいどんな意味なのかという疑問を持ち、制度的に何か間違っ ていると思って父の話を描く決心をした。民主労総に電話をかけて、建設日雇 い労組があるのかを確認して、当時は新吉洞にあった全日労協の事務室を訪問 して取材と撮影を始めた。その時はIMFが始まった1997年冬だった。春になっ て、建設日雇い労働者の失業と野宿が社会問題になり、生存権闘争が始まった。 そうして建設日雇い労働者が組織されて闘争する現場を追いかけながら、少し ずつ建設現場を知るようになった。その過程で、建設現場に山積している多く の問題に直面し、この作業は決して容易ではないだろうという予感がした。そ うして多くの建設現場労働者と会い、2005年にこれが建設現場の話の終わりで はなく、始めとしてとにかく完成させるべきだと考えた。製作過程についての 話は多くて、ため息が出るほどだ。

  1. 家族と同じように、きわめて私的な領域から出発して社会的な問題提起をす ることは容易ではないと思う。特に父から話を始めて、言い方を買えれば世界 の労働者の問題を扱おうと言うことだが、映画にすることに困難はなかったか?

土方である私の父は、「私」との関係で〈土方〉というドキュメンタリーの話 を開いてくれて、韓国と日本の建設日雇い労働者を繋いてくれて、感情の線を 導く役割として構成した。韓国と日本の土方は、同じ建設産業構造の中で同じ ような状況に置かれているという事実から、同じシーケンスでまとめた。韓国 と日本の建設現場は、具体的に土方の問題を提起する役割をする。

父の話だけでは、さらに深く建設現場の中に入ることは難しかった。だが土方 生活をしている一人の人間を、親子の関係で密着させて見せられる長所がある。

全世界的に労働市場が変化して、多くの労働者が非正規職化している。間接雇 用、つまり下請け化される状況は、建設産業と決して無関係ではない。〈土方〉 の話は世界化という流れの中で、下請け化されて非正規職化される労働者の話 になる。そのように拡大する話の流れを捉えるためには、もう少し激しい撮影 が必要だった。だが個人作業でしているのでとても時間もかかり、疲れた。構 成でも疲れて、編集でも疲れながら、少し残念な整理もあるが、この程度で満 足することにした。

  1. お父さんから韓国全体の建設日雇い労働者に視野を広げ、また日本の労働者 まで視野を広げているのが〈土方〉の特徴だ。特に日本との歴史的関係との類 似性を非常に豊富に証明した点が印象的だが、こうした構成にした理由は?

=韓国の建設産業は、歴史的・産業的に日本ととても密接な関連がある。日本 の植民支配で韓国の建設産業が始まった。韓国は解放以後、左右のイデオロギー 対立の中で戦争を体験し、右翼化したが、日本は敗戦以後の経済成長の中で、 左翼運動が活発に展開された。韓国の独裁開発政治の中では夢にも見ることが できなかった土方の運動が、日本では60、70年代に激しく展開され、最小限の 権利を保証されるようになった。

現在、韓国は土方が組織されて闘争が展開されている。日本は土方が高齢化し、 失業と野宿で苦しんでいる。そのうえ毎年数百人の土方が道で死んでいる。今、 あれほど激しかった闘争は古いアルバムの中で光を失い、過去闘争の成果は一 つ一つ奪われている。初めて〈土方〉を企画した時、建設産業の重層多段階構 造を批判して韓国政治権力と建設資本が土方を踏みにじり、いかに非良心的な 利潤を蓄積してきたかを示そうと思った。だが、日本の通りで死んでいく土方 は、韓国の土方の未来を見るようだった。私は韓国と日本の土方の関連性で、 土方の歴史と現在、未来を一つの時間の流れに縛りたかった。そして現在、韓 国の土方の若い闘争の力と、日本の土方の過去の闘争の経験が互いに交流して 連帯して、新しい世の中を切り開くことを望み、話を構成していった。

  1. 〈労働者だ、違う>と比べて、ほとんどの映像は監督が直接撮影したという。 現場に深く入ることで記録映画を作ることの長所と短所が各々あるのではない か。これについて話してくれ。

=現場に深く入り込む過程では、彼らとの間に多くの信頼と理解が必要だ。そ うした努力に時間がかかるので、かなりの情熱と意志がなければ作業を決心す るのは難しいだろう。〈土方〉を完成させ、そう考えた。本当に純粋に情熱だ けで始めたこの作業がいかに無謀だったか? こうした情熱でまた作業をするこ とができるだろうか?

この作業をしなければならないという一念で始めたからこそ可能だったのだろ う。

どこが長所なのか短所なのか、今すぐまとめるのは難しい。おそらく、もう少 し時間がたった後にまとめることができるだろう。

  1. 韓国の建設日雇い労働者の闘い方と日本の労働者の闘い方には明らかに差が ありそうだ。直接近くで二国の労働者の闘争を見た監督の感じはどうか?

=明確に異なる。その差は労使関係の差であり、社会進歩的な意識の差だろう。 韓国の建設日雇い労働者の労組は、交渉そのものが難しい。法律的に解釈され ている使用者と、実際的に権限を持っている使用者が異なり、法があるとして も力の論理が支配する社会が韓国社会だ。だから労働者の闘争も力比べになり、 強い奴が勝つという調子に力が強くなる。

日本では、建設日雇いの労働運動が停滞していて、日雇い野宿運動が行なわれ ている。建設現場で長い間働いてきた老いた労働者たちが、いかにして人間ら しく、労働者的に人生を終えるようにできるかが、最大の課題に残されている。 若い層は全く組織されていない。これは、新自由主義という労働市場の変化が、 日本でもフリーターという無権利の若い日雇い労働者を増加させているという 理由もあるが、左翼運動が死んで右翼化している社会の姿もひとつの理由だ。 その上で、日本の建設日雇い労働者の交渉と闘争の現場で見て感じたことは、 韓国のバカ力と力で押す闘争とは別に、論理的な対話になるということが印象 的だった。だが、外面的に対話ができるということが理想的だとは決して言え ない。左翼に対する社会的な憎しみと殺人があり、徹底した排除と陰謀という 背筋が寒くなることがあった。

  1. インタビューと歴史資料収集、現場撮影など、〈土方〉は記録映画のオーソ ドックスな方法に従って作られた作品だ。若い独立映画監督たちは、最近ポス トモダンな方式の記録映画を撮るが、オーソドックスな方法だけが可能な効果 はあるのか?(あるいはインタビュー、資料収集、現場撮影など原則に忠実な 方法が効果的だと考えるか。〈土方〉がこうした方式を選ぶことによって得る ことができた長所は?)

=表現方式を選択する時は、見せたい主題を最もよく表現できる方法について 悩む。〈土方〉は、構成と内容の重さで、原則的な方法が一番いいと判断して 選択した一つの方式だ。

  1. 撮影当時、しばしば闘争現場にも行ったというが、映画の中でカメラを持っ た監督を脅す建設会社職員もいた。闘争現場に参加して体験したエピソードは?

たくさんある。カメラを持って建設現場に入るということが、どれほど無謀な ことなのか、最初はわからなかった。カメラへの鋭敏な反応を体験し、いった い建設現場の中に何が隠されているのか、本当に気がかりだった。カメラとい う小さな物を通して建設現場の統制と権力を間接的に経験することができた。 カメラを持ち込み、奪われて追い出されたり、体当たりして告訴告発すると脅 迫されたりもした。そのたびに組織家たちが、現場労働者たちが共に戦ってく れ、カメラを保護してくれた。彼らの支持と助けがなければ一人では耐えられ なかっただろう。

  1. 音楽の使いかたが〈労働者だ、違う〉とは変わったようだ。〈労働者だ、違 う〉では韓国の民衆歌謡がたくさん使われたが、〈土方〉はさまざまな音楽を 使っている。どんな音楽が使われ、映画音楽の演出の意図はどうだったのか?

=土方は韓民族の「恨」という情緒から出発している。それで大琴と箏を使う ことを最初、音楽監督と合意していた。日本の話は重いので、むしろ少し軽い 音楽を、韓国は現場闘争の若い力があり、話も多いのでラップで。音楽は音で 話を伝える重要な役割を果たすと思う。韓国の土方の闘争過程をラップで適切 に表現しようと思ったのは、音楽担当の直観だったが、作ってみると適切だっ たようだ。

  1. 下半期非正規職闘争がさらに強まる展望だ。〈労働者だ違う〉、〈土方〉に 続き、関連の後続作は準備されているのか?(後続作の質問)

まだ計画はない。今は後続作より、ようやく完成した作品をどのように上映し て配給するのかを悩んでいる。

  1. 後輩のドキュメンタリー作家(未来の)に、社会問題に対する観察と参加、 愛、あるいは生活的な映像活動に対して助言を与えれば?

ドキュメンタリーに関心を持つ人がいるという声を聞くだけで、近頃はとても うれしい。何でもいい。社会問題に対して、参加でも観察でも、たくさん製作 されて公開してほしい。

  1. 進歩的メディア運動の活性化と資金の準備、最小限の映画製作の装置は、 進歩的ドキュメンタリー作家が自主的に解決しなければならないだろう。どん な方法があり、いかなる制度的装置があるか? 一方の独立記録映画の企画から 撮影、完成、上映までの監督の胸のときめき(?)あるいは期待感から、挫折感、 成就感まで、さまざまな主体的、客観的状況と雰囲気、感情について述懐して ほしい。これは、一つの世の中を変える最も躍動的な運動でもあるので。

独立ドキュメンタリーを製作する過程の最初は、製作費を作ることだ。私が知っ ている限り、ほとんどの独立ドキュメンタリー作家は製作費を作らずに始める。 言いたいことをまず企画して、撮影の過程で基金を申請して受けられればいい が、受けられなくても製作は進められる。中間に撮影や編集アルバイトをして、 最小限の生活費を稼ぎながらがんばる。そうした形で一度製作すると、経済的 に大きな困難に出会い、持続的に活動できないこともある。

幸い、最近はドキュメンタリー基金が少しずつ増加している。映画振興委員会 の独立映画製作支援基金から、釜山国際映画祭映像ファンド、CJエンターテイ メントの独立映画製作支援基金まで、少しずつ基金が増加している。

だがようやく製作されて出てきた作品も、配給の問題でまた困難に出会う。い くら観客が商業的で娯楽的な映画に馴染んでいるとは言え、私は独立ドキュメ ンタリーが発言する声に真剣に耳を傾け、関心を持てる観客はたくさんいると 信じる。だが、そうした観客と出会える機会と空間を持つことは、本当に難し い。映画祭という配給通路があっても、時間と空間はきわめて限られている。

映像物は見られるために作られる。もっと多くの観客に見てもらい、対話の場 になることを希望する。私は私の作品が上映される所はどこにでも行く。そし て、観客の反応を見て、監督との対話に忠実でありたい。たった1人でも、こ れまで知らなかった事実を知り、その問題に関心を持ったという所感を聞くと、 とてもやりがいを感じるし、うれしい。苦しくて止めたいと思いながらも、そ うした観客のことを考えると、またやる力が出てくる。

  1. これは本当にやさしくて難しい質問ですが、なぜ金ミリェ監督は芸術映画 (COREAでは「劇」映画を芸術映画と概念化される)でなく、記録映画を選択し たのかを尋ねたい。労働者に対して、なぜ労働者になったのかという質問のよ うに、非常に生活的な質問でもありますが、他の見方をすればとても哲学的な 問いになります。

=私が住んでいる現実をさらによく理解して経験したかった。ドキュメンタリー というものは、人との関係の中でそのような理解を基礎にしなければならない。 頭と想像力を動員して何か話すのではなく、現実の中で人物と出会い、社会問 題の現実を直接確認していくことが、私は好きだ。直接、したい話を入れられ るし、個人的な声を自由に出せるので、現実にドキュメンタリーを選択するよ うになった。

原文

翻訳/文責:安田(ゆ)


Created byStaff. Created on 2006-02-23 11:26:47 / Last modified on 2006-02-23 11:26:47 Copyright: Default

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