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『塩の花の木』キム・ジンスクが『希望バス』に伝える言葉

19日、聖公会大労働大学の教壇に立ったキム・ジンスク指導委員

ユン・ジヨン記者 2011.12.20 13:14

[編集者注] 2011年、『希望』のアイコンになった民主労総釜山本部のキム・ ジンスク指導委員が聖公会大労働大学の教壇に立った。309日という長い時間を 空で闘った彼女のからだは、まだ土地になじまない。陸地に適応するにはまだ あちこち痛いところも多い。それでも彼女が教壇に立った理由は、クレーンに 上がる前に、学生と約束した講義を守るためだった。

彼女の講演の知らせを聞き、『希望』を願う人々が集まった。19日、聖公会大 ピッツバーグ・ホールは足の踏み場もないほどの人で一杯になった。ある人た ちは階段で、またある人たちは立ったまま、彼女が聞かせてくれる希望の話を 交わした。1時間の短い講演だったが、人々は始終一貫、彼女の明るさに笑い、 彼女の苦痛に泣き、彼女の希望に共感した。

# scene1. 希望バスがきた日

私は、希望バスは知りませんでした。希望バスがどんなものかを誰も説明する 人もいませんでした。ツイッターを見て知りました。本当に52年生きて、初め て希望バスを見ました。労組運動30年で見たのは、組織の数字のとおり、司令 により動員される集会隊伍でした。主に毎日来る幹部が集会に参加して、委員 長の大会発言を聞き、経過報告し、雰囲気が乱れれば律動公演をして、決議文 を朗読して終わりでした。組合員はタバコを吸ったり、キムチはよくできたか という話をして、「千日の約束」がどう展開するのかも話して(笑い)。

ところがどこからきて、どこに行くのかわからない『希望バス』という、幽霊 バスが登場したのです。事実、初めは特に期待もしませんでした。初めて希望 バスが来た日は、クレーンに上がって157日目で難しい時期でした。私が一番恐 れる数字は129と60です。キム・ジュイク烈士が129日目に首を吊り、その日、 最後に見た組合員の数が60人でした。座り込み129日をやっと越えた状況で、日 ましに減る組合員の数を見ていたので、当然大変でした。ところがその状況で 希望のバスが来たのです。

[出処:チャムセサン資料写真]

みんなが影島大橋を越えて工場前の道路でキャンドルを持ってキム・ジンスク を連呼しました。私に映画の一場面のように思われました。それで私は彼らに 手を振り、それで終わりだと思いました。ところが組合員たちが帽子とマスク をかぶって、はしごを持って走りました。上であの人は何をしているのか、と 思いました。ところが組合員たちははしごにのぼり、そのはしごにのぼってみ んなが工場の垣根を越え始めました。ああ、思ったより組合員たちは頭が良い んだなと思いました(笑い)。その場面が忘れられません。

1次希望バスが行った日、みな泣いていたんですって? 私は上にいて、よく知り ませんでした。後で映像を見ると、みんな泣きながら帰りました。組合員たち、 あの牛のような人々が涙を流している... 事実その前日に組合員たちは、用役 チンピラにものすごくやられました。組合員たちは彼らが帰ると自分たちに何 があるかわからないと怖かったのでしょう。帰るなと引き止めたかったでしょ う。私も手を振りながら、またこいと言いましたが、実は恐ろしかったです。

# scene2. クレーンをめぐる『戦争』のような時間

死守隊4人はクレーンの下で、私はクレーンの上で、夏の間ずっと戦いました。 用役は毎日階段を上がってくる。6月27日にはクレーンを海辺に引っ張っていく と言ってワイヤーに連結しました。スタンバイと言えば引っ張っていける状態 でした。武器がないので、ペットボトルにおしっこを入れて投げることしか、 何もできませんでした。後で用役がそれは嫌だと言って、ペットボトルの水は 上げさせなくなりました。袋に水を入れて上げたのです。ボルトを一袋上げま したが、それも6月27日にはほとんどなくなりました。そんな戦争のような過程 はご存知でしたか? 毎日起きたことでした。

[出処:チャムセサン資料写真]

クレーンを海辺に動かそうとした時、ブームに上がるため欄干にしがみつき、 クレーンの下に網を張って侵奪しようとした時は、欄干にしがみつきました。 それしか手段がありませんでした。ある日、用役がファン・ミラ同志を侮辱し ながらご飯を上げさせなくしました。ごくつぶし野郎は餓死させるって。ファ ン同志がご飯を持ってきて戦って帰ったのですが... わたしたちは、彼の歩き 方を見ただけでもどんな気持ちか分かりました。歩くのを見ただけで泣いてい るのが分かりました。それで下の仲間たちはファン同志にご飯を置いていけと 言いました。私を見上げて「ご飯を置いて行けって」と言いながら...(笑)

とても笑ったのは、私が降りてくるとすぐ、85号クレーンで祭祀をしたそうで す。韓進重の社長はカトリック信者です。そしてムーダン(巫女)に129日と309 日を割って日取りを決め、日取りを決めた日にクレーンを解体したそうです。 事実、会社は私が降りるとすぐクレーンを海辺に動かしたのですが、ムーダン がそこで解体してはいけないといったそうです。それで元の位置に動かして、 解体したそうです。85号クレーンには恨みがこもっていたのでしょう。2003年 に整理解雇に失敗し、8年後に切歯腐心して、労組を破壊しようとしてまた整理 解雇の刀を持ったからです。

# scene3. 彼女のツイッター

ツイッターは知りませんでした。私はコンピュータ音痴だったんです。ところ がクレーンに上がって、ある同志がツイッターをしろとスマートフォンを上げ てくれました。私は当然、説明書があると思っていました。それで、説明書は どこにあるかというと、ツイッターには説明書がないんですって。私がアカウ ントを作って二日後にツイッターをしたでしょう。二日間は癇癪の時間でした (笑)。手探りで始めたので、おもしろかったんです。ツイッター中毒でした。 ツイッターでキム・ヨジン氏と会い、遊び人と会い、人々に会いました。事実、 報道機関とのインタビューで、クレーンの上で本も読み、考えたりもしたと言 いましたが、みんな嘘っぱちです。ツイッターばかりしていました。

[出処:チャムセサン資料写真]

しかし電気が切れた時は本当に絶望的でした。クレーン周辺の電気もすべて切 れ、クレーンは完全に絶壁でした。電気が切れることは、ツイッターが切れる ことで、それは私が世の中とつながる唯一の回路が切れることでした。私も、 いらいらして絶望しましたが、外でも苦しかったようです。彼らもずいぶん 知恵を絞りました。スマートフォンのバッテリーを買って撮影用ヘリコプター で飛ばそうともしました。終盤には大容量バッテリーと太陽バッテリーを 食パンに埋め込んで、その中に入れました。そして糊で付けて... その時、 正門の外から食糧が入ると、金属探知器ですべて調べ回されたのですが。 ところがそれが上手く入ってきました。

私は糊付けされているその食パンを絶対に食べてはいけないという言葉は聞い ていませんでした。何か月ぶりかにパンを見て、大喜びでした。大喜びで食べ ると、なぜかパンに固いものがあります。ジャムだと思いました。ところが、 そこからバッテリーが出てきました。他に何もすることはありません。私は、 政治家と記者が一番嫌いなのですが、とても孤独で寂しいのでマスコミのイン タビューはみんなしました。スポーツ朝鮮までもです。多分私の人生の汚点に 残るのではないでしょうか(笑)。

# scene4. まだ苦しい闘争事業場、そして非正規職

報道機関とインタビューすると私に尋ねます。次の希望バスはどこに行ったら 良いのかと。私がもし希望バスを運転できるのなら、双竜自動車に行きたいで す。双竜車はとても重要な戦いです。整理解雇の戦いは一度も勝った戦いがな いのですが、韓進重工業で勝てたのは双龍車の怒りと鬱憤が積もっていたからです。

[出処:チャムセサン資料写真]

双龍車は、すでに敗けた戦いだと言う人もいます。はっきり敗北の記憶がある のでしょうが、双龍車はまだ進行形です。双龍車の痛みが韓進にきて、私が韓 進で感じた切実さも結局双龍車からきたのです。双龍車の仲間たちが、工場で エアコンの水と雨水を集めて飲んでいた時、民主労総と金属労組が希望バスの ように塗装工場の正門を突破していれば... そんな悔恨が残ります。そして、 才能と全北バスもとても切迫した戦いをしているのをご存知でしょう。

そして、韓進で戦いながら、一番重かったのが非正規職問題でした。造船所の 下請労働者は正規職の3倍です。ものすごく多いのです。この問題、労組もきち んと提起したことがありません。草創期には『下請を無視する正規職茶碗戦い』 とよく言われました。他の人はともかく、下請労働者というと、必ず言われま した。労働運動をしながら、私の一番重い荷物は非正規職ですね。

非正規職の戦い、皆同じように戦って勝った経験がありませんでした。韓進整 闘委の組合員がすぐするべきことは、非正規職の戦いに動くことだと思います。 その下請労働者たちは、私たちの整理解雇の戦いを見ながら働いていました。 われわれは非正規職の連帯のないストライキがいかに弱まるかをこの目で見ま した。同じ空間で働きながら、そのストライキと離れて働く非正規職、今、その 人々を見なければなりません。

# scene5. 塩の花の木が希望バスに

1次希望バスが来て、大きな希望を見ました。前は何も未練がありませんでした。 事実、ツイッターで「今は誰かが命を捧げなければならない」という鳥肌が立 つようなメッセージをたくさん受けました。希望バスの皆さんがいなければ、 本当に真剣に悩んだでしょう。しかし私は希望を見て、メッセージに「君も死ね」 と返事を送りました。それからクレーンの上での毎日毎日は奇跡でした。

韓進重工業の戦いは、私たち皆の気持ちが作り出した、とても幸せで奇跡のよ うな戦いです。私たちがクレーンを見ながら泣き、江汀岩を見ながら泣いた、 切実な気持ち。散ってほしくありません。私たちは、希望バスに集まった気持 ちを学生人権条例や他の闘争事業場の戦いでも守り抜けると考えます。分野を 問わず、私たちが明るい世の中を作っていく希望になることを願います。

まだ大韓民国は賎民資本主義が支配しています。それが終わる日まで希望バス はどこにでも走って行かなければなりません。私たち自身を守るためにもです。 非正規職と整理解雇. 今は私たちの力で終わらせる時です。そんな力で私たち が主人になる世の中を作りましょう。

今でもソン・ギョンドン、チョン・ジヌ氏はまだ出られずにいます。彼らのこ とを話すときは、とても胸が痛みます。彼らが出てくれば、希望バスのみんな を集めて盛大に打ち上げをしたいと思います。

闘争の現場で健康で、またお目にかかることを希望して、講演を終えます。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2011-12-21 02:38:35 / Last modified on 2011-12-21 02:38:41 Copyright: Default

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