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韓国:「江汀の文化を伝えた神明の歳月は戻るか」
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「江汀の文化を伝えた神明の歳月は戻るか」

[インタビュー] 20年間、民俗保存会を守ってきたイ・ヨンジャ会長

済州=チョン・ジェウン、ユン・ジヨン記者 2011.09.26 10:14

「祈ります、祈ります、天地神明に祈ります、祈ります、祈ります、龍王様に 祈ります。暮らしやすい江汀に海軍基地とはどういうことか。江汀海は清浄海 の珊瑚がいる、海軍基地は絶対いけない

江汀川、アプクン川にはアユの群れが遊び、クロムビには赤イワガニが遊ぶ。 この海、あの海、セビョルバダン、ドンムルカバタン、トンドンジバタンも われわれの海、あの海、この海、ドゥロムルバダンも、われわれの海、 アンガンジョン、あの海、この海、クロムビ海も、我々の海、ネッカバダンも 我々の海、出ていけ、出ていけ、海軍は出ていけ。江汀は私たちの手で守り、 子々孫々子孫に残そう」

江汀村コサマート交差点から中徳三叉路、そしてクロムビ海岸まで長い行列が 続く。行列の一番前にはデモ行進を率いる風物グループが元気に『祈ります、 祈ります』で始まる歌の調べを鳴らす。クロムビ海岸が海軍のフェンスに遮ら れる前、一江汀民俗保存会の会員は村のあちこちで、クロムビ海岸で『海軍基地 反対』の歌を歌った。

1993年の9月、江汀村婦女会の会員を中心に『民俗保存会』を設立した。27人の 創立会員は民俗保存会が『小サークル』の役割を越えて、江汀村の人々の過去 の文化を子孫に残す役割を果たすことを決心した。それから約20年間の活動の 中で、会員たちは粘り強く、そして楽しく風物を扱って踊り、歌を歌い、記録 を残した。

だが、江汀村に海軍基地建設事業が始まると、民俗保存会はぐらつき始めた。 対立が増幅した村で、彼らは以前のように楽しく歌えなくなった。民俗保存会 の内部でも海軍基地で賛否両論が対立した。古い江汀を守るより前に、村自体 を守れないかもしれない状況だった。

『一江汀民俗保存会』、楽しかった歳月

20年間民俗保存会を続けてきたイ・ヨンジャ(62)民俗保存会長は、今日も海軍 基地が入る前の村を回想する。その時は『一江汀民俗保存会』といえば済州島 でも一目置かれた時期だった。風物で、歌で、踊りで西帰浦市から済州島を 歩きまわった。民俗保存会の会員たち皆が共に感じた『奮い立つ』歳月だ。

▲民俗保存会イ・ヨンジャ会長

「初めは婦女会で農村の村で趣味生活が出来ないだろうかと考えた。西帰浦市 なら、女も昼間に趣味生活ができるが、ここは栽培する所でしょう。夜に集まっ てできることを探した。悩んで93年に民俗保存会を作り、風物を習い始めた。 ところで趣味生活というには、本当に会員は熱心だったよ。私も会員たちも、 初めは趣味で始めたが、後になるとこんなに良いものを、江汀村で人々が楽し んできた文化を私達の子供たちにも残そうと考えるようになった。

できてから初めて西帰浦市代表で漢拏文化祭に出たところ、最優秀賞を受けた。 未熟でも、こんなチームワークはなかったんだ。その時からもっとがんばった。 本当に済州市南郡、北郡合わせもこれほどのチームはなかったね。ワラビ取り 大会も出て、芸術祭にも出て、金大中大統領就任式にも公演をした。運動会や イベントで公演してくれと言われれば無条件で。公演すれば昼食代に20〜30万 ウォンくれた。それを基金にして講師を招いて、また学んだ。本当にしっかり 活動したんだよ」。

民俗保存会は村の内部にも新風を吹き込んだ。特に老人会を中心にした江汀村 の老人たちにとって民俗保存会は宝物だった。村の行事で、村の住民の人情を 感じる役割もした。いくら社会が世知辛くなって、過去を失って暮らしても、 江汀村は彼らの共同体をその当時のように守っていた。その中心が、いつしか 民俗保存会になり、彼らは江汀村の人々をつなぐ求心点になった。

「私たちは2年に1回、村で地神踏みをしていた。地神踏みは家ごとに歩き回り、 正月十五日に悪い鬼をはね除ける。その時は本当にすごかったよ。朝始まって 夜11時〜12時に終わる。村がぐらぐら揺れてね。夜暗くなるまでいように地神 踏みをしてまわったことをまだ思い出す。あんなに楽しく地神踏みをしたのは 2007年より前、海軍基地が入ることになる前までだった。

そして私たちが公演をすれば食事代をもらって、それを基金に積み立てるといっ たでしょう。基金で講師を招いたりもして、その他にも村の老人にふとんを買っ たり旅行に送り出したりもした。5月には旅行にも送り、敬老祭もして。部落の お年よりは孤独だから行って慰問公演もした。お年よりがどんなに喜んだか。 江汀でも済州でも『一江汀民俗保存会』といえば誰もが知っていた」。

海軍基地推進後に消えていく村の文化、離れる人々

27人で始まった民俗保存会は70人ほどまで会員数が拡大した。会員はこの会を 一回だけの性質で終わらせてはいけないと思い、後輩に江汀村の過去の文化を 伝えようという趣旨で、さらに組織を体系的に作り始めた。規約と会則を決め、 儀礼会館横のそば空き空間を改造工事して『民俗保存会館』にした。風物や、 民謡、コルグン、長鼓踊り、人形踊りなどを渉猟し、公演CDとDVD、写真、資料 などはきちんと資料として集めた。

だが20年間、固く結ばれて人々と疎通してきた村共同体も、突然、村に押しか けてきた『海軍基地建設』という国策事業の前で、少しずつ亀裂ができていっ た。村の分裂がそのまま民俗保存会会員の分裂につながった。誰でも違う視点 を持って社会を生き、他人を理解しながら構成されるのがまさに共同体だが、 暴力的にやってきた『国策事業』は理解と疎通を断絶した。互いの断絶と摩擦 の後には、感情的な沈殿物しか残らなかった。

「互いにぎこちないから一人二人と離れるようになった。反対する住民たちが 多いから、賛成側が離れた。出ていくのを引き留めることもできない。話もし なくなるから。この頃は集まることもない。ただ全てが麻痺した状態だ。会も みな破産して、1年に1回やっと総会を開く。本当にこんなではなかったが... やむをえない祭事や漁などの時でなければ会員が抜けることはなかったのに。

外部公演もなくなった。海軍基地建設が済州島や西帰浦市でもみな責任がある でしょう。道や市が主催する公演によく行ったけれど、その行事で楽しく公演 はできません。海軍基地問題が爆発してから、いくら交渉に来ても公演はしない。

地神踏みはしたことがある。海軍基地紛争が起きて3回やった。でも以前のよう ではなかった。午後4〜5時には終わってしまう。面白くもない。20年の歳月が 本当に夢のようだ。これまで、ある程度年を取ると、後に退いて後輩にこれを そのまま引き渡して、新入会員も補強して...そうして守りたかったのに。もう そうすることができない」。

イ・ヨンジャ会長と共に民俗保存会館を訪問した。広い部屋には民俗保存会員 の手はもう感じられない。会館のタンスには人形踊り、新郎新婦踊りの時に着 た色々な韓国民族衣装が一杯だが、ホコリにまみれてツヤがない。会館の片隅 に装具とケンガリなどの風物楽器が山のように積まれている。もう使われない からか、楽器の色があせている。イ会長は「これをこうして置いてはいけない のに、楽器が傷むのに」といいながら残念そうにする。

「あの時、なぜクロムビ岩がこれほど美しいということがわからなかったのか」

海軍基地事業はある村の文化も断絶させた。過去の文化を続けていこうとした 人々はまさに自身の村を奪われる危機に置かれた。村のあちこちが遺産であり 文化だが、海軍はその根拠地を壊している。

特にクロムビ海岸はかなり前から村人を守る伝説だった。人々はクロムビ岩で 祭祀をし、岩の間から流れる水で祈祷した。その根拠地を奪われた人々は当然 そこを取り戻そうとする。

「一番守りたいのは、そのままの村だ。民俗保存会でしたかったことも、子孫 に私たちが作ったそのままのことを伝えてやること。それでクロムビもそのま ま残してやりたい。クロムビは本当に村人の間でも何か『神気』があるといっ ていた。その岩から気が出てくるという。ハルマンムルはその岩の間から湧く 水だ。昔から村の人々はその水をもらって祈祷をしたり飲んだりした。

ハルマンムルを飲むと、子供を産めない人も子供を産み、子供が病気ならハル マンムルを汲んで祈祷すれば良くなるという伝説がある。私も最初子供が病気 になった時、ハルマンムルを汲んで祈祷をしたことがある。クロムビ岩で祭祀 もする。その岩はつやつやで平たくて、食べ物を捧げて祭事をしたりした。 それはみんな昔から作ってきた文化だ。

クロムビ海岸にこんなことがなかった時は、そこがそれほど良いことを知らな かった。ただ、本土から来る観光客が来て良いと言うと、そこが明るく開けて いるから、本土の人たちがいいと思うんだろうと。でも、いざ入れなくなると、 今、あそこがとても良いところだったと思う。TVやニュースにクロムビが出て くるでしょう。そんな時、いつも本当にとても美しい、あそこがあんなに良い ところだったと懐かしくなる。クロムビ岩にイガイとイソギンチャクが一杯に ついている様子や、そこから吹いた風も思い出す」。

海軍基地から村を、文化を守ろうとした時間はもう4年半になる。その間、民俗 保存会のすべての活動が麻痺した。だがイ会長をはじめとする会員は公権力に 抵抗し、今も彼らの文化を守る活動をしている。それだけ、この戦いの末に また彼らの文化を固めていく民俗保存会の復活を期待している。

「うれしい時も、難しい時も、それでも長い間、一緒に活動した人たちが分か れて暮らすことが一番残念だ。海軍基地がもう私たちの村に入ってくるという 話がなくなって、会員がまた戻って、また1か所に集まればいい。今は難しい状 況でも、その時は必ず子どもたちに、江汀にはこんな文化があった、君たちも 自負心を持て、そう話したい。

もし民俗保存会がまた1か所に集まれるようになれば、昔のように元気に済州島 の代表を取り戻したい。私たちは海軍基地反対活動で、老人会も背を向けるよ うになった。この問題が解決し、また村のお年よりを尊敬できる機会が与えら れたら良い。そうしたら敬老祭りもして、また旅行にも送りたい。

年を取って、これ以上活動をできなくなっても、ぜひ一度やりたいことがある。 『海女の一生』と『畑を耕す声』のコルグンをまた一度演出してみることだ。 海女の一生は、海女の一日の日課を劇で表現するのだが、海女が漁をする過程、 服を着替える過程、海に行って安寧を祈る場面などで構成されている。『畑を 耕す声』は江汀村の代表的な民謡だ。この二つでまた公演をしたい、ぜひ江汀 の声を文化財に指定してもらいたい。そんな日が来ると信じている」。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2011-09-27 22:58:24 / Last modified on 2011-09-27 22:58:26 Copyright: Default

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