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韓進重スービック造船所、韓・フィリピン労働者連帯の現場[寄稿]近くて遠い土地、スービックを訪ねる
キム・スンホ(サイバー労働大学) 2011.07.27 18:02
仁川空港からマニラ空港まで四時間程かかる。マニラからスービック韓進造船所 に行くのにかかる時間はさらに四時間ほどだ。遠いといえば遠く、近いと言えば 近いところだ。 マニラからスービックに行くには、パムパンガ(Pampanga)道(Province)を通過 し、サンバレス(Zambales)入るが、その間、しばらく広い野原をすぎる。平坦 さや広さでは、湖南平野とは比較もできない。実はここがあの有名なピナツボ 火山(1991年6月14日爆発したが、単一の火山爆発で地球全体の気温を0.5度下げ たという火山だ)から遠くない場所で、火山灰が襲い、地面を数メートルも高く し、とても大きな平野を作ったという。
▲バスから見たパムパンガ道の野原。遠くピナツボ火山が見える。[出処:キム・スンホ] ご存知の通り、スービックは世界でも何番目かに大きい米海軍基地があった所 だ。米国がその海軍基地を撤収することになったのも、フィリピン民衆の撤収 の要求とともに、ピナツボ火山の爆発が一定の影響を及ぼしたと言う。 そのスービックに今、世界で四番目に大きな造船所だと言われる韓進重工業の スービック造船所がある。スービックは今、米海軍基地があった所から韓国系 グローバル企業の韓進重工業の造船所がある所に、軍事都市から企業都市へと、 そのアイデンティティが変わっていた。桑田碧海と言うべきか。 7月6日、そのスービックに行ってきた。朝早くマニラを出発し、日が沈んでから 戻った。往復ずっと10時間の旅程だった。マニラは雨が降っていなかったが、 スービックでは雨がしとしと降っていた。そのためか、あるいは私の気持の せいなのか、スービックの風景はうらさびしかった。韓国では年初に数百人の 労働者を整理解雇し、その労働者と家族の人生を根こそぎ破壊した韓進重工業 資本がフィリピンのスービックでは、いったいどんな工場を作っているのか、 また労働者にどんなことをしているのか、直接自分の目で見たかったからだ。 ちょうどフィリピンKMU(『5月1日運動』の意。20年前に存在した韓国の全労協 と似た戦闘的民主労組運動の全国センター)の同志たちの招請でフィリピンを 訪問した車に一日時間を作って行ったのである。 マニラの北にあるパムパンガから西の方に行くと、サンバレス道に入る。その サンバレス道の中心的な都市がスービック湾の内側にあるオロンガポ (Olongapo)市だ。スービック米海軍基地はオロンガポ市を併設都市として、 スービック湾一帯を部隊施設、軍人家族の住居地と慰安施設、そして訓練施設 などの多目的に使っていた。 市外バスでマニラの北のケソンシティのキューバオターミナルからオロンガポ 市まで行くのに三時間かかった。路線バス会社の名前はビクトリー(Victory)だ。 名前が気に入った。長距離なのでバスは途中でサンタクルスターミナルで しばらく休む。 終点のオロンガポターミナルに降り、韓進スービック造船所に行こうと交通を 調べてみると、オロンガポからスービック(Subic)市を経て、韓進造船所に行く のにおよそ1時間かかるという。ジープニー(ジープ型中古自動車を改造した乗 合車)やトライシクル(バイクを改造して作った三輪自動車)ではとても不便そう で、タクシーを借りきった。 オロンガポ市からスービック市へ向かい、やっと『スービック』にきたという 実感がわいた。道端に建物がずらっと続いていたが、どこかに行くため道端を 歩く青少年の顔姿がよそとは違う。白や黒が混ざった混血児たちだった。米軍 基地が駐留した痕跡ではないか? ところがふとハングルが眼についた。『清渓 総合工具』という商号の看板だった。80年代初め、工場に通っていた時に、 清渓川3〜4街の工具商店街に何度も工具を買いに行った。ところがそこの名前を 取った工具店がここにあるのだ。
▲韓進スービック造船所正門左側、高い塀で中が見えない[出処:キム・スンホ] オロンガポ市からスービック市まで30分もかからなかった。そしてスービック 市で、市場の通りを通りすぎた後、しばらく村がない地帯を通過した。所々に 娯楽施設があったが繁盛しているようではなかった。そのうちに人家がなくな り、数十分閑静な山道を走った。そうして走って行くと突然小さな建物一つが 視野に入ってきた。建物の看板に英語で『Police Station』と書かれハングル で『警察署』と併記されていた。警察署本部ではなく派出所のようなものだろ う。とにかく、この人里離れた所にそんな警察の建物が、しかもハングルまで 併記された看板がある建物がある理由は何だろうか? これは韓進造船所に関連 しているのは明らかだった。もし、造船所労働者が騒いだら、速かに対応する ために建てられた施設のようだった。 そしてさらにいくらも行かず韓進造船所正門についた。海側への空間に数十台 の通勤バス駐車し、乗用車も何台か駐車していた。フィリピンの代表的な大衆 交通手段であるジープニーやトライシクルも何台か待機していた。みすぼらし い飲食店の建物が立ち並んでいて、雑貨屋もあった。しかし巨大なグローバル 造船所がある所というには、あまりにもみずぼらしかった。まるで軍部隊の前 のようだった。スービック造船所の正門は道路の終点で、道路の終点がスービッ ク造船所の正門だった。そして正門にはバリケードが置かれ、道の半分を遮っ ていた。やむをえずタクシーを360度回し、道に止めて車を降りた。 実際の目的地である韓進スービック造船所についたものの、スービック造船所 の中はよく見えなかった。正門以外は、造船所に接近することもできなかった。 正門から左側の下の浜辺までは数十メートルの険しい丘になっていて、右側は 山の険しい傾斜だった。そこには塀があって、中が見えないようにしていた。 鉄条網も張られていた。軍施設でもない工場の施設を、このように刑務所や軍 部隊のように要塞化しているのだ。警備員の何人かは憲兵の服装をしていたし、 正門を守る警備員は写真も撮らせなかった。だから船に乗って海に出るまでは 工場の表面の姿も見えなかった。 韓進資本はなぜ造船所を村から何十Kmも離れたこんな所に作ったのだろうか? そしてなぜ人が接近もできない険しい坂道の中間に正門を作ったのだろうか? 造船所を軍部隊のように運営するためだろう。そんな目的でなければ、あんな 姿はまったく分からない。 後で知ったのだが、韓進スービック造船所は実際に軍部隊のように運営されて いるという。朝、作業の前に運動場に集合させ、『本当の男』のような軍歌を 歌わせ、歌いながら軍隊式の体操をさせ、間違えば罰則でPT体操をさせている という。さらに植民地の軍隊のように、悪口や暴力行使を日常茶飯事のように がしているという。そんな醜い姿を見せたくないから、あれほどがちがちに隠 そうとしているのか、さもなくばあれほど徹底的に閉じ込め、孤立させることで 軍隊式の労働統制が貫徹できるからか?
▲遠い海に見えるガス運搬船(?)。船倉で労働者が屑鉄を船に積む作業をしている[出処:キム・スンホ] 一緒に行った人は記者ではなく通信員だが、ジャーナリストなのでその権力 (?)を借り、工場の中を見物しようとしたが、警備員は自分たちの権限ではない といって、事務室に連絡し、事務室では韓国人の管理者が三人も出てきて私た ちを迎えた。だがジャーナリストにも造船所の中は一切見せられないと言い、 造船所の状況についても答えられないということだった。彼らがやっと答えた 話は、その造船所には2万人が働いているということ、そのうち韓国人は千人ほど ということだけだった。 同行したジャーナリストが韓国人管理者と対話している間に造船所のドックが ある近くの海に浮いている一隻の船と、丘の下のクレーンと、その近くで船に 積んできた屑鉄を積む作業をしている労働者の姿をカメラに入れた。5、6個の 白い丸い筒を丁寧に積んでいるのを見ると、高圧ガスを運ぶ船らしい。 やっとここまできたので記念に一枚正門の写真でも撮ろうとして正門の前に立 ち、工場の中を見ながら写真を撮った。その時に驚くべき光景が目の前で行わ れた。バリケードが張られた正門の中から軍用スリークォーター一台が出てき て止まった。そして迷彩服を着た軍人が韓国人管理者や警備員と何か挨拶をし た。ところがそのスリークォターが正門を通過する時に見ると、荷台にも迷彩 を着た軍人が乗っていて、荷台の縁に座っていた兵士は黒い銃床の小銃を脇腹 にかまえた姿勢で持っていた。一瞬のことで正確に判断できなかったが、M-16 自動小銃のようだった。 現役軍人がどうして民間工場に出入りするのか? しかも銃を真っ直ぐに立てて 持って。普段もこうして軍が出入りするのであろうか? 韓国に戻ってインター ネットを検索すると、2011年1月6日にアキノ現大統領が韓進重工業が建造した 貨物船2隻の命名式に参加してテープを切った時、制服を着た多くの軍人が同席 していた。その日、命名式をした船は軍艦ではなく商船だったのだが、なぜ 軍人がそこに同席していたのだろうか? 韓進重工業は軍艦を建造する防衛産業 関連の企業なので、軍が経費を支援しているのだろうか? 国策事業体なので、 元大統領と現大統領が共に船の命名式に参加して大きな関心を持っているので 軍が経費を支援するのであろうか? とにかく韓進スービック造船所は、フィリピン警察や一般行政府からだけでなく、 軍からも支援を受けていることは明らかだった。そんな特別な支援を受ける ために、スービック造船所を作り、物量をそこに引き出したと判断せざるを えない。だがこの軍隊と警察は、誰から何を警備しようとしているのか? まさに フィリピン労働者から韓進資本と管理者を保護しようとしているのではないのか? まさにそのフィリピン警察と軍が、である。 きた道を戻り、スービック市を通りオロンガポ市についた。雨はしとしと降り 続いていた。オロンガポ市は70年代の韓国の都市のようだった。2万人もの労働 者が働く造船所の背後の都市としては、あまりにもみずぼらしかった。人口が 20万を越える都市だと言うが、全くそんな都市のようではなかった。米軍に 頼っていた都市なのに、米軍はいなくなり、その代わりに造船所が入ってきたが、 造船所による所得はこの都市には落ちないようだった。労働者の所得もここで 支出されずにいる。多くの労働者はミンダナオをはじめとする全国津々浦々から 募集され、造船所の中の寄宿舎に閉じ込められて暮らしていた。まるで軍隊に 徴集されたように! 実際に故郷に帰るために一日の休暇を申請して韓国人管理者 から『大馬鹿者』と侮辱された労働者がいるという。
▲スービック市場の中にある露店[出処:キム・スンホ] また、労働者が市内から出退勤したり、時々市内に出てくる時も、労働者たち の所得があまりにも低く、これという支出ができないようだった。スービック 造船所の労働者の賃金は、韓国の造船所労働者が受ける賃金の約1/10程度でし かない。それならあの大きな造船所で発生する莫大な量の労働が創造する価値 は、いったいどこに流れるのであろうか? マニラ? ソウル? ニューヨーク? マニラに戻り、国際会議が行われる時、KMUの仲間たちに韓進スービック造船所 の状態について尋ねた。彼らも韓進スービック造船所について深い関心を持っ ていた。しかし造船所の内部は彼らも入ることができず、よく知らないと言い、 彼らも気になって5月に船を貸りて造船所の近海で海側から造船所をひと回りし たことがあると言う。その写真をUSBに入れてくれた。その写真を良く見ると、 6隻の船が5ドックと6ドックをびっしりと埋めていた。釜山影島造船所には3年 間、受注がなく「緊迫した経営上の理由で」労働者を大量整理解雇するという 会社で、同じ所有者が営むフィリピンのスービック造船所には、受注と仕事が あふれていた。 では受注した船がないからと影島造船所を放棄するのではなく影島造船所より スービック造船所で建造するほうが賃金が安いので、さらに多くの利益をあげ るので、生産物量を意図的に向こう側に移したという労働組合の主張が客観的 事実として立証される。韓進資本はそれをいわゆる「経営上の緊迫した理由」 と強弁している。どんな手段と方法でも、もっと金を儲けなければならないと いう貪欲の観点から見れば、それも整理解雇を正当化する「経営上の理由」に なるのかもしれない。だが普通の人の目で見れば、そんな事情で影島造船所で 船を作っているのでは、企業を維持できないから影島造船所を閉めて労働者の メシの種を切るほど「緊迫した経営上の理由」や不可避な選択だと正当化する ことはできないだろう。 スービック造船所に行って始めて知った事実だが、私たちがスービックに行く 直前の7月3日、そこでもマニラからスービックまで数十台の車両による抵抗の 車両デモ行進があった。この部分については〈時事IN〉で詳しく報道されてい た。カトリックの主教1人がこのデモの先頭に立っていた。1970〜80年代、韓国 で原州教区の志学順主教が労働者の盾の役をしてくれたことを連想させる。 宗教界が労働者の盾の役をしているのを見ると、フィリピンは産業化の程度でも まだおよそ30年程韓国から遅れているようで、労働者の権利と労働運動でも そうなのではないかと思う。 フィリピンは今やっと産業化の道に本格的に踏み込んでいるようだった。ほと んどの第3世界の資本主義国のように、外国資本に依存する従属的な方式で! しかも韓国では借款が主な方式だったが、フィリピンは直接投資が主な方式に なっていた。韓進造船が入ったのに続き、来年は中国系の大きな自動車工場が 入ってくるという。双竜自動車の一番重要な技術を盗んで逃げた上海自動車の ような低質資本ではないかと心配になる。こうして従属的に産業化して行けば、 うまくいっても超国籍資本の労働搾取市場以上になるだろうか? 今、スービック造船労働者(全員が下請会社所属で契約職の非正規職労働者)の 賃金は、韓国造船所の非正規職労働者に較べれば、取るに足りない額だ。その 安い賃金を利用するために韓進重工業は釜山影島の80年近い由緒ある生産基地 を捨て、遠くフィリピンのスービック造船所を生産基地としている。またミン ダナオにも大きな造船所を作っているという。 こうした低賃金を維持するためには、労働市場を柔軟化して、非正規職で満た すと共に、労働組合を認めず、労働者をがちがちに無権利状態に縛っておかな ければならないのだろう。まるで1970〜80年代の韓国の独占財閥が、軍事独裁 政権と力を合わせてそうしたように。 韓進は同じ作業をしても、6か月ごとに労働契約を解止し、他の下請会社と契約 を結ぶという。それで労働者は半年に一回所属会社が変わり、名札が変わると いう。フィリピンの労働法には、6か月以上雇用が続けば正規職と見なされると なっていて、正規職になれば労働組合に加入しても契約期間が終わったからと 解雇できないため、労働組合を根付かせないように、こんな幼稚な手法を使う のだという。その結果、スービック造船所の労働者は、労働組合が存在しても ほとんどの労働者を労働組合に組織できず、ストライキという労働者の有力な 武器を使えずにいる。フィリピン労働庁も韓国の労働部と共に企業の肩を持ち、 韓進重工業労組にはまだ合法性を認めていないという。
▲7月3日にあったスービック労働者を支持する車両デモ行進 フィリピンの労働者もこうした彼らの現実を宿命と受け入れて屈従するわけで はない。7月3日の車両デモ行進が終った時、労働者たちはたいまつデモをした。 こうしたキャンペーンは拡大し続けるだろう。しかし、こうしたキャンペーン だけで巨大超国籍資本に抵抗するのは難しいことを彼らもよく知っていた。 KMUのエルマー委員長は、「早急とは思わない。労働者の意識が高まって、こう した労働者意識に基づいて強固な組織ができた時、始めて超国籍資本に対抗し、 戦闘的に闘争し、勝利できると思う」と話した。そんな意識的、組織的基礎で 韓国の労働者とフィリピンの労働者が国籍を越え、国境を越え、同じ労働者と して連帯し団結し、共に戦い抜けば、始めて韓国とフィリピンのどちらの労働 現場も搾取と抑圧がない職場にすることができると力説した。 遠いと言えば遠い国、フィリピンと、米海軍基地で有名だったスービックが、 そこに韓進造船が生産基地を作ったことで近い国になり、労働運動で有名なと ころになりつつある。一方、7月5日には韓国の影島造船所に行った解雇労働者 が、出勤するスービック労働者に向かってプラカードデモをした。スービック 造船所は韓・フィリピン労働者の国際連帯活動で有名になりそうな兆しが見えた。 また多くの人々がその必要性を力説していた。 労働者は企業の壁、産業と職種の壁を越え、親しくならなくてはいけない。 資本がグローバル化している時代には、国際的にも親しくならなくてはいけない。 韓進スービック造船所はわれわれ労働者にそれを見ろと示していた。今回参加 した『民衆闘争国際連盟(ILPS:International League of Peoples' Struggle)』 第4次国際大会のスローガンも「Long Live International」だった。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2011-07-28 14:23:55 / Last modified on 2011-07-28 14:23:56 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ | |