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「全泰壹が帰ってきた」

「全泰壹通り・橋、記念像除幕式」開催

「全泰壹。彼は労働のためにそして、愛のために、この平和市場に帰ってきた。 彼は私たちすべてを変えた。彼は死んだのではない。社会の、私たちの中の死 を彼が焼き尽してしまったのだ。…彼の火から、しっとりとした涙が生まれた。 彼の死から、最も偉大な労働が生まれた。…全泰壹、彼の名前は希望だ。」 (全泰壹記念像の銘文より)

全泰壹通りと橋が姿を表わした。清渓川全泰壹記念館建設推進委員会(推進委) は、去る9月30日に長い間準備をしてきた全泰壹通りと橋、そして全泰壹記念 式除幕像を行い、全泰壹が帰ってきたことを知らせた。〈写真〉

▲9月30日全泰壹通りと橋造成、記念像除幕式が開かれた。(c)毎日労働ニュース

全泰壹通りと橋が姿を見せるまでの過程は決して平坦ではなかった。昨年から 全泰壹通りと橋を指定してくれという粘り強い要求に対し、ソウル市は『死ん でから100年がたたない人物を、道路や道路施設の名前に使うのは困る』とい う立場によって拒否し続けたが、3月に清渓川6〜7街を『全泰壹通り』と命名 することを許した。

その後、数回の調整を経て、今の全泰壹通りと橋造成案(イム・オクサン画伯 提出)が確定し、7月中旬から6億ウォンを目標とする基金造成をはじめ、9月末 現在で3億4千万ウォンが集まっている状態だ。

しかし、ソウル市の工事許可が遅かったため、9月27日にようやく工事が始ま り、全泰壹記念像と地面の銅版が一部完成しただけで30日に除幕式が開かれる ことになった。全泰壹記念像は当初『花を入った少女像』を製作する計画だっ たが、ソウル市と遺族の立場を反映して現在の全泰壹記念像を製作したという。

この日の除幕式には、全泰壹烈士のお母さんの李ソソンさんをはじめ、労働・ 市民社会団体、ソウル市の関係者が大勢参加した。李ソソンさんは「今日こそ 全泰壹が35年ぶりに生き返ったようで本当うれしい日」と述べ、「今、非正規 職が苦しんでいる。両労総が力を合わせて非正規職問題を解決してくれ」とお おきな感激で代弁した。

▲イスホ民主労総委員長、イヨンドク韓国労総委員長が除幕式に参加して祝った。お母さんの李ソソンさんと共に全泰壹記念像の前でポーズを取った。(c)毎日労働ニュース

またこの日、二大労総の委員長が参加して祝った。イスホ民主労総委員長は、 「自分の身を焼き、愛の、平和の全泰壹になった」とし、「韓国の労働者がちゃ んと暮せるように努め、労働者としての全泰壹を越え、人間としての全泰壹が きれいな水のように流れるようにしたい」と述べた。

この後、イヨンドク韓国労総委員長は「全泰壹烈士が疎外された労働者のため に燃えてから35年が流れたが、まだこの社会には厳格に非正規職が存在する」 とし、「全泰壹烈士精神が流れ流れて、全世界に広がり、平等に暮せるように 努力しよう」と話した。

またこの日の席で、民主労働党の崔キュヨプ最高委員は「IMFの後、形式的な 民主主義は発展したが、800万の非正規職が生存権を脅かされている現実があ り、今日の除幕式は歴史的に大きな意味がある」と述べた。

ソウル市の鄭テクン政務副市長が出席し、「全泰壹烈士は正義と愛の世界を実 現するためにすべての情熱を傾けた」とし、「全泰壹烈士精神が清渓川の水と してまた流れるようになった」と祝賀の挨拶をした。このほか、この日の席に は、張キピョウ前社民党代表が『新しい出発を繋げ』という創作詩を朗唱する など、多くの人々が全泰壹通りと橋、記念物の除幕式を祝った。

一方、推進委は現在全泰壱橋の一部の工事を進めているが、今月末までに6億 ウォンを目標とする基金造成を完了して、11月13日の全泰壹烈士35周期の前に 全泰壱橋と通りの造成をすべて完了する計画だ。 現在のところ、1万人余りが募金に参加している。

〈インタビュー〉ミン・ジョンドク清渓川全泰壹記念館建設推進委常任執行委員長

「人間と歴史が戻る全泰壹復元」

(c)毎日労働ニュース

全泰壹通りと橋。いよいよ着手した。 決して平坦な道ではなかった。 そうしようと思い、そうなった。 ミン・ジョンドク清渓川全泰壹記念館建設推進委常任執行委員長の感想が気に なった。

感慨も格別だと思う。

「実際、全泰壹通り造成の要求は7〜8年もなる話だ。 そして今、その道が開かれた。 清渓川の復元は、人間、歴史が戻らなければならないという意味でもある。 だから全泰壹通りと橋は、民衆の象徴である全泰壹が帰ってきて、 産業社会の主軸である労働者が血の汗を流して成し遂げた歴史が 復元されたという意味でもある。」

記念館建設も推進しているという。

「全泰壹通りと橋は、全泰壹記念館建設の一部だ。 記念館は『建物』という枠組みから抜け出して、 通りと橋などの記念空間にならなければならない。 全泰壹通りと橋に続いて、これからは記念館の建設推進も、 さらに頑張って推進したい。」

全泰壹通りと橋はこれからどんな空間になるか。

「ここでは全泰壹の文化、民衆の文化が作られなければならない。 貧しく、疎外された者がこの場所にきて、希望を得られれば良い。 また、力を持つ者には、愛と分かちあいの場にならなければならない。 育ちゆく者には、利己心を捨てて隣人を愛する教育の場になるだろう。」

6億ウォン募金はまだ達成していない。期待は。

「今、とっかかりをつかんだだけで、本番はこれからだ。 多くの参加と関心をお願いする。」

〈インタビュー〉イム・オクサン設置美術家

「全泰壹精神の空間になれば」

(c)毎日労働ニュース

設置美術家イム・オクサン画伯は、今回の全泰壹通りと橋、記念像造成案を直 接準備した当事者だ。これまで『大変難しい』ソウル市の態度で造成案が何度 も修正されたりもするなど、やさしい過程ではなかった。今彼の所感はどうか。

今回の作業に合流したきっかけは。

「私もこれまで全泰壹通りと橋を作らなければと考えてきたところだった。 ちょうど時期が合った。 ソウル市が清渓川を復元して全泰壹通りと橋も推進されるといった。 清渓川は水路を開けばいいというものではない。 直ちに全泰壹通りと橋が同時に作られなければと考えた。 それで、一緒に作ろうといった。」

これまで造成案が何度も変更された。

「ソウル市が受け入れられないと言って、何度も修正された。 そして最後に少女像は、遺族の意を受け入れて、今の全泰壹記念像にすることにした。 直接、全泰壹を見られる記念像が必要だという意が強かった。 少女像はいつかまた推進したい。」

今後、本格的な全泰壹通りと橋の工事が残っている。どんな空間にしたいか。

「これまで、全泰壹の生が、全泰壹という『普通名詞』として使われることを 希望してきた。特定の人だけの話ではなく、日常の中で彼の精神を具現するこ とができる空間になることを望む。 文化は入り込むものだ。 感動の中で自分が深化されるものだ。 全泰壹精神は、無理に力で作られるのではなく、 胸から胸へと伝わるものになると良い。」

ヨン・ユンジョン記者

yon@labortoday.co.kr

2005-10-04午前11:35:35入力(c)毎日労働ニュース

原文

翻訳/文責:安田(ゆ)


Created byStaff. Created on 2005-10-06 13:31:21 / Last modified on 2005-10-06 13:32:16 Copyright: Default

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