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韓国:サムスン労働者の遺体侵奪、警察-サムスン共謀か?
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サムスン労働者の遺体侵奪、警察-サムスンの共謀なしで可能だったか

二回にわたり10分後に大規模な警察力投入、遺体と遺骨を持ち出した警察

ユン・ジヨン記者 2018.04.17 23:18

検察がサムスンの労組破壊文書の捜査を進めているが、 サムスン電子サービスのヨム・ホソク烈士遺体侵奪事件の真相もまた明らかにしなければならないという要求が高まっている。 特に、この事件は警察が大規模経歴を動員して遺体と骨壷を持ち出したケースで、 検察の捜査範囲を警察とサムスンの癒着疑惑まで拡大すべきだという声も上がっている。

112通報後10分で3中隊を投入して遺体奪取
通報者の身元さえ把握せずに警察力投入...警察「備えていた」

サムスン電子サービスのヨム・ホソク烈士は去る2014年5月17日、 江陵市の海岸道路付近に停めた乗用車で遺体が発見された。 彼は遺書で「私の遺体を見つけたら、わが支会が勝利するまで安置してくれ」で明らかにした。 翌18日午前1時30分、サムスン電子サービス支会の役員とヨム・ホソク烈士の父親は、 彼の遺体を江陵医療院からソウル医療院江南分院に移した。 江陵からソウルに上京する時までは、葬儀手続きに関して支会と親父の意見は差がなかった。 父親は「葬儀手続きに関するすべての権限を金属労組に委任する」という委任状を作成して署名した。 その日の朝6時30分、実の母親もソウル医療院にきて労組に交渉権限を委任すると署名した。

対立が発生したのは18日の午前だ。 父親は午前10時から約1時間40分程席を外し、戻ってきた後、 労組に権限を委任するという既存の立場を翻意した。 労組が知らない間に殮襲が済まされ、父親は遺体を釜山に移すという立場を表明した。 労組が父親を説得する過程が続いた。 そして労組と父親の意見が対立している間に警察が大規模な警察力を投入し、遺体を奪取した。

[出処:サムスン電子サービス支会]

警察が大規模な警察力を投入した根拠として提示するのは「112通報」の受付だ。 その日の午後6時10分頃、112総合状況室に最初の通報が入った。 「ソウル医療院江南分院に遺族が労組によって閉じ込められて動けない」という趣旨の通報だった。 申告を受付けた警察官は「警察官を送る」と答えた。 だがわずか10分後、「警察官」ではなく約300人の警官3中隊が現場を襲った。 これに反発する組合員たちに対してペッパースプレーを散布し、25人を連行した。 当時、父親が警察側に3回にわたり撤収を要請したが受け入れられなかった。 その後、午後7時55分頃、警察は遺体の奪取に成功した。

事件の後、警察が事前にサムスンと遺体奪取を共謀したのではないかという 疑惑が起きた。 実際に、警察側は通報を受付ける前から事件に「対応」していたという事実を認めた。 事件発生から約一か月後の5月22日、 当時新政治民主連合(現共に民主党)乙支路委員会は非公開懇談会を開いてシ・インソン当時警察庁次長などから事件関連の報告を受けた。 当時イ・インソン次長は 「はじめに江陵から労組員がたくさん集まるというような部分があったことを把握していた。 労組側の主張と父親の主張に合わない部分があるので、 ソウルにくればさまざまな問題が起きるので私たちが代弁をした」と明らかにした。 労組と父親の間で意見の対立が発生する前の17日頃からすでに対立を予想していたということだ。 またイ次長は「対応していた」と言及した。

もし警察力の投入が「112通報」によるものだったとしても問題だ。 当時、警察は最初の通報者の身元も把握しなかった。 その日の非公開懇談会でイ次長は最初の通報者に対して 「ヨム・ホソクの母方のおじと把握している」と明らかにした。 だがヨム・ホソク烈士は実の母親と長い間連絡が切れたまま暮らし、 実の母親は労組に葬儀手続きをすべて委任している状態だった。 当時イ次長は「(最初の通報者が継母の兄弟なのかは)把握できなかった」と明らかにした。 最初の通報者が継母の兄弟なのか、でなければ第3の人物なのか確実でない状態で、 警察は身元を把握せず大規模な警察力を投入したわけだ。 この席で殷秀美(ウン・スミ)当時新政治民主連合議員は 「母方のおじという人が葬儀手続きが進められないという電話一本で 江南署とソウル庁の警察兵力300人が投入されたというのは一般的な常識ではなく、 納得するのは難しい」と批判した。

「火葬場職員」の通報電話から10分で2中隊投入、骨壷奪取

二日後の5月20日には警察が骨壷を奪取する事件も起きた。 その日の午前、労組組合員たちがうわさをたよりに捜した末、 密陽市の公設火葬場でヨム・ホソク烈士の遺体を火葬するという事実を確認し、 午前11時30分頃に組合員たちが密陽火葬場に集まった。 実の母親も火葬場に到着して息子の遺志によって労組に葬儀手続きを進めてくれと要求した。 だが警察は今回も「112通報」を根拠に大規模な警察力を投入して骨壷を持ち出した。

この日、112に最初に通報した人物は、他でもない密陽火葬場の葬儀担当職員だ。 彼は自分が「葬儀担当者だが労組員が防いでいる」と通報し、 警察は「警察官を送る」と答えた。 通報から11分後の午後12時6分、今回も2中隊約350人の警察力が投入された。 警察力が投入された当時、労組の組合員と関係者はやっと30人内外だった。 当時、実の母親は「遺骨でも私に渡してくれ」と訴えたが、警察は父親を理由にまた骨壷を奪取した。

[出処:サムスン電子サービス支会]

112通報を受付けてから10分後に大規模な警察力を組織して投入するということは事実上不可能であるため、 再び警察とサムスンの事前共謀の疑惑が起きた。 張(チャン)ハナ前民主統合党議員が慶南警察庁から受けた警察力投入現況などに関する答弁書によれば、 警察は「112通報を受けて密陽の状況に対応していた警官を配置した」と述べた。 当時、密陽送電塔闘争に備えていた警察力を密陽火葬場に配置したという説明だ。 だが密陽送電塔闘争があった場所と密陽火葬場までの距離は27km、 車で約40分程度が必要な距離だ。 当時、火葬場に最も早く到着した警察バスは慶南地方警察庁第1機動隊と昌原中部防犯巡察隊の車両だ。 慶南庁第1機動隊がいたところから火葬場までの距離は53km、 車で約1時間かかる距離だ。

パク・チョンファン前ハナ議員室秘書官は当時の状況について 「18日と20日の警察の対応は非正常だった。 112通報後、警察の車の出動はいくら早くても5分以上必要だ。 だが一つの警察から出せない大規模警察力が10分で到着するということは、常識的におかしい。 特に火葬場は密陽市の郊外に位置している」とし 「当時われわれはサムスンと警察が協力したのではないかという疑惑を提起したが、 警察はずっと『通報により動いた』という言葉を繰り返した」と説明した。

その日、密陽火葬場では午前11時55分の最初の通報の後にも合計7回の通報があった。 そのうち4件は実の母親と叔母(実の母親の妹)による電話だ。 だが警察は「葬儀手続きを労組に委任しなければならない」と要求した実の母親の通報には何の対応もしなかった。 警察力投入後の午後1時40分頃、警察は支会組合員にペッパースプレーを無差別に噴射し、 父親と警察は骨壷を持って火葬場を出た。 これに関して慶南警察庁はハナ前議員側に 「112通報と父親の警察保護要請によって警察が措置を行い、 遺族と警察はそれ以外に何の合意もなかった」と述べた。 当時の事件指揮は管轄署の密陽警察署署長が担当した。

密陽警察署に当時の状況を尋ねるために連絡したが 「4年前のことで当時の担当者はすべて他に発令された」と述べた。 慶南警察庁側は「広報室を通じて質問を伝えてくれ」と述べた。 現在、慶南警察庁側に当時投入された警察力がどこに待機していたか、 11分で2中隊が投入されるのは通常可能なのか、 父親と母親の間に意見の違いがあったのに警察力を投入し、 父親に遺骨を引き取らせた理由は何だったのかなどについて回答を要求している。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2018-04-24 02:39:28 / Last modified on 2018-04-24 02:39:30 Copyright: Default

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