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サムスンでまた白血病「なぜあんなにバカのように働いたのか」

[インタビュー]サムスンSDI勤務中に白血病を発病したヨ・ビョンウン氏

イ・ジョンウン記者 2013.02.20 16:14

「白血病です」。医師の言葉を聞いた瞬間、空が崩れるような気持ちになった。 『もう私は死ぬんだな』という気がした。年齢49。若くはないが、老いてもい ない。これまで病院に入院したこともない。ひとつの職場で25年間働きながら、 早退一度したこともない。それだけ元気だったし、それだけ懸命に働いた。そ んな彼が白血病にかかった。そして今、その病気はこの仕事でかかった病気だ とし、「産業災害」の申請をしようとしている。ヨ・ビョンウン氏が25年間 働いていたところ、それはサムスンSDI蔚山工場だ。

[出処:蔚山ジャーナル]

ヨ氏は1964年に慶尚南道古城で生まれた。24歳だった1987年12月17日、友人の 紹介でサムスンSDI(当時はサムスン電管)に入社した。「ずいぶん前のことなの に、入社日を正確に記憶しているのですね?」と聞くと、彼は恥ずかしそうに微 笑しながら「その日は結婚記念日なんです」と答えた。入社してちょうど1年目 の1988年12月17日、高校の同窓だった同い年の妻と結婚し、娘と息子を得た。

ヨ氏は入社直後からサムスンSDIがTVブラウン管の国内生産を中断する2006年ま での20年間、カラーブラウン管第1工場で働いた。1993年までは『F加工班』に 所属し、その後は『封着班』で働いた。ヨ氏がF加工班でした仕事はブラウン管 のガラス表面を平面にするために『フッ酸』で洗浄することだった。

まるで水族館のような水槽にガラスを入れるとフッ酸が噴射されて、ガラスを 洗浄した。洗浄作業は水槽の中で行われたが、臭いは防げなかった。その上、 1か月に一回程度は水槽の中に入り、フッ酸のカスとガラス片を片づけなければ ならなかった。水槽の中で作業して、出てくると全身が痛かった。

封着班での仕事は、ブラウン管のフロントガラスとリアガラスを付ける仕事だっ た。付ける前にアセトンで手袋を濡らし、パネルを磨いたが、臭いがひどかっ ただけでなく、アセトンが手について皮膚が白くなったりした。ブラウン管の 製造過程では、黒鉛と鉛、その他、さまざまな化学物質を使うが、粉が飛んだ 不良品は硝酸を水で薄めて粉を除去した。フロントガラスとリアガラスをフリッ ト(Frit、ガラス質の粉末)で付けた後に封着炉に入れて焼くが、封着炉の中の 温度は500度になる。封着炉の他にも焼成炉、排気炉などがあり、工場の中はい つも暑かった。一年中エアコンがつけられ、夏は40度を越えた。半袖の作業服 を着て働くので、腕に化学物質が飛び、汗にぬれた体にはさまざまな粉がついた。

2000年代中盤にサムスンSDIがブラウン管の国内生産を中断し、ヨ氏が働いてい た第1工場も2006年8月に門を閉めた。ヨ氏はPDPを作る工場に行くことになった。 検査工程で働いたが、不良検事は主に女子職員の仕事で、ヨ氏など男性職員は 不良と判定された物品を取り出し、レーザーで修理した。レーザーを照射する 時は目と皮膚が直接、あるいは間接的に露出しないようにドアを閉めることに なっているが、忙しいのでドアを閉めずに作業をするのが常であった。

彼は「公式には3交代勤務だったが、一度も3交代勤務をしたことはない」と話 した。普通一日12時間働いた。工程によっては土日とも休む所もあったが彼が 働く工程は、稼動させるために前もって準備しなければならず、日曜の夜にま た仕事が始まった。ある日は朝6時に出勤し、午後2時に退勤し、その日の夜10 時にまた出勤して翌朝6時まで働いたこともある。ブラウン管工場で働いていた 時は、普通1か月550時間以上働いていたし、PDP工場に来た後も1か月に400時間 以上働いた。

2011年12月の中旬頃から風邪の症状が出て、薬を買って飲んだが良くならず、 眠気ばかりがおしよせた。数日後には鼻血が出始め、一度出血するとなかなか 止まらなかった。年が変わり、1か月経っても風邪が良くならないので、2012年 1月10日頃に内科に行った。医師は顔色がとても悪いから、血液検査をしてみよ うといった。

3日後に結果が出たので病院にこいという電話を受けた。白血病の可能性が90% 以上だから大きな病院に行けと言われた。釜山東亜大病院に行き、また検査を 受けた。検査の結果を待つ1時間半、誤診であることを、白血病ではないことを 切実に祈った。しかし神は彼の祈りを聞き入れなかった。医師は「急性骨髄性 白血病で、2か月以上治療をしなければ死亡する」と話した。

四日後の1月17日、ソウル三星病院で治療を始めた。白血病の治療は一番最初に 抗ガン剤を投与し、白血病細胞を5%未満にする分化誘導治療から始める。分化 誘導治療が成功するかどうかがその後の治療にも大きく影響する。幸いヨ氏は 分化誘導治療がうまくいった。しかしそれは始まりでしかなかった。

その後4回の坑癌治療をした。坑癌治療の過程は、まず坑癌注射を打ち、5日間 治療して退院し、5〜7日家で休む。また病院に行き、半月程度回復を見守って 退院し、一週間後にまた検査する。2〜3週間後にまた坑癌注射を打つ。坑癌治 療をすると痛みがひどくて歩くことさえできず、何日もベッドに寝ていなけれ ばならなかった。その上、熱が出て口と喉が壊れ、吐き気がして何も食べられ なかった。いっそ死にたいほどであった。

骨髄移植のために4人の兄弟を検査したが合わなかった。自家移植も出来なかっ た。それでも幸い、経過は良かった。坑癌治療の過程で状態が悪くなれば集中 治療室に移されるが、すぐ亡くなる人も多かった。しかしヨ氏は集中治療室に 一度も行かずに治療を終えた。治療が終わって計算してみると、医療費だけで 2千万ウォンかかった。通院に使った経費は全く含まない治療費だけだった。そ れでも一度で抗癌治療がうまくいき、集中治療室にも行かずに最低の水準だっ たという。

昨年8月30日、最後の診療をして退院した。さらに4か月休み、先月3日復職した。 ヨ氏は会社に前に働いた部署ではなく、社内体育館の管理業務をさせてくれと 要求した。そこで働いている同僚もヨ氏のように病気になり、治療を受けた後、 戻って働いていた。しかし会社はヨ氏に事務室のすみに机を一つ用意し、何の 仕事もさせずにいる。結局彼は労災申請と記者会見を決心した。

ヨ氏は「25年間、他人が嫌がる工程で、ずっと働いてきたことがくやしい」と 話した。彼は「勤労福祉公団がちゃんと疫学調査をして、労災が承認され、こ れが広く知られて、私だけでなく、あるいは以前に働いていた人も病気にかか れば治療費ぐらいはしっかり受け取れるようになればいい」と話した。(記事提携= 蔚山ジャーナル)

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2013-02-21 02:53:48 / Last modified on 2013-02-21 02:56:29 Copyright: Default

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