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韓国:故チェ・ジョンボム氏の次兄インタビュー
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サムスン電子サービスで狂ったように働く...「何ということだ!」

[インタビュー]故チェ・ジョンボム氏の次兄チェ・ジョンホ氏

チョン・ジェウン記者 2013.11.02 19:43

サムスン電子サービス天安センターアフターサービス技術者の故チェ・ジョンボム氏が、生まれて11か月の娘と夫人を残して先に天国に行った。10月の最後の日、忠南道天安の自宅の近くに自分の車を止めて一人で命を終えた。

遺族は故人の遺体が安置された天安医療院葬儀場5号室で涙を流して痛哭を繰り 返した。故人の夫人は子供を世話しながらも知人と話しながら号泣した。その 間、すくすく育って来月18日に満1歳の誕生日のパーティを前にした娘がのろの ろと這って出てくると、追慕客たちは背を向けた。明るく笑う子供の姿は、それ 自体が耐えられない悲しみだった。

生きるためにあくせく働いた

3男2女の末っ子として生まれたチェ・ジョンボム烈士は、次兄のチェ・ジョンホ (36歳)氏とまたとなく親しい間だった。チェ・ジョンホ氏は弟の死を歪曲する 各種のニュースに接するのがおかしいというより、腹が立った。彼の死をめぐる 甲論乙駁について言うべきことは多かった。

「インターネットで『幼い赤ん坊を残して自殺するのは無責任だ』というコメ ントを見た。『死ぬ程苦しかった人生について集中的に話してほしい』という 言論があったが、私の弟がいつも自殺を考えていた人だと思っているようだった。 私の末の弟、チェ・ジョンボムは、生きるためにあくせくしていた奴だ。本当に 一生懸命生きてきた。娘の00のためにも私が頑張って生きていかなければと話 していた奴だ。自分の娘をどれほど愛していたか... 簡単に自殺する人ではない」

チェ・ジョンホ氏は娘と夫人のために、弟は誰よりも誠実に生きた人だと言う。 暮らしが難しかった故人は、妻の実家で暮らし、新婚旅行にも行けなかった。 夫人にいつもすまないと思っていた彼は、最近、苦しい中で金の指輪を用意し 夫人にプレゼントした。そして盆暮れを返上して夜9時、10時まで働いてこつこ つ貯めた金と一部ローンを受けて用意したアパートの入居を待っていた。

「子供の養育費と生活費などで暮らさなければならないが、アパートのローン も返さなければならなかった。母の医療費も兄弟が分けて払うので、いくら稼 いでも金が出て行く所は多かった。母が入院した最初の3か月は、1千万ウォン ほどの医療費がかかった。だが弟は自分の役割を果たさなければ兄弟が苦しい から、何とか周辺に手を広げず、自分の力でやろうと頑張った。兄たちに時々 助けを受けたりもしたが、できるだけ自分で努力して人生を生きた。私の弟が アパートの入居を指折り数えて、とても喜んでいた」

4年前、故人がサムスン電子サービスに入社したと言った時、家族らは共に喜ん だ。特に脳梗塞と血管性痴呆が同時にきて、昨年の3月から入院治療中の故人の 母親は「末っ子がサムスンに通っている」と自慢して回ったという。

「弟は孝行息子で誠実だった。母の病院も天安なので、弟はよく訪ねて行って 世話してあげた。それで私は弟がサムスンで頑張って働いていると思っていた。 弟は新入社員の時、月給150万ウォンをもらったと喜んでいた。新入社員なら、 皆薄給なのに、最初の月に150万ウォンなら『記録』だといった。狂ったように 頑張って働いた。私は、私の弟だからできたと思った。弟はアフターサービス 技術者として就職するために、泣きながら勉強した。働きながら資格を取って、 サムスンに就職した」

▲故チェ・ジョンボム氏の次兄チェ・ジョンホ氏

何ということだ!

弟を追憶したチェ・ジョンホ氏が、母と弟の話を同時にしながら、突然涙を流 し始めた。すでに充血していた彼の目がさらに赤くなった。

「母と私、弟と、こうして三人が会うと弟は幼い子供に戻った。ただ子供だっ た。安心できる所だったようだ。私が1〜2週間に一回、ソウルから母の病院に 行くと、弟と一緒に飯を食べた。喜んで駆け付けた。私の弟は本当に優しかっ た。表面では活発で人々をリードする性格だったが、芯が弱く、細かった」

そのためにチェ・ジョンホ氏は、弟が労組の会の対話室に「これまでサムスン サービスに通って、とても荷が重かったです。腹がへって暮らせず、皆とても 荷が重くて、横で見ているのもつらかった。それで、私は全泰壹様のように ではなくても、私は選択しました。ぜひ役に立つように願います」という最後 のメッセージを残して失踪したという知らせを聞いたときは信じなかった。 まさか自殺するとは思わなかった。

兄弟の中で、チェ・ジョンホ氏と一番親しく孝行息子の弟が、一本の電話も なく、母の顔も見ずに極端な選択をするはずがないと考えた。

「弟の嫁から31日午後2時頃に連絡があった。失踪したということだ。弟嫁は 30日の夜からあちこち弟を尋ね歩いたが見つけられなかった。労組の同僚も共 に捜しまわった。電話機が切れていて位置追跡もできなかったという。弟嫁の 深刻そうな様子だったが、それでも弟を信じた。私は弟に苦しいことあれば、 何日か旅行にでも行ってこいと携帯メッセージを残した」

そして数時間後、チェ・ジョンホ氏が電話を受けるとすぐ大声で痛哭する声が 聞こえてきた。彼は道に座り込んで「何ということだ!」と大声で泣いた。

「弟嫁が大声をあげて、弟が死んだといった。ずく天安の葬儀場に駆けつけたが、 そこは5年前に私の父が交通事故に遭って遺体が安置されていたところだ。何の 言葉も出てこなかった… 弟嫁はずっと『なぜ私があの場所を思い出さなかった のかわからない』と言う。弟が死んだところは弟夫婦がよくデートした所だ。 弟嫁と同僚が町中を探して尋ね歩いたのに、弟嫁はそこだけは思い出せなかったと 言った。弟嫁が自分を恨んで、その話をするたびに胸が張り裂けそうだ」

すべてを犠牲にして

チェ・ジョンホ氏は最初、弟に労組には加入しないでくれと言った。もし労組 に加入すれば、絶対目立たないでくれと言った。責任感が強い弟なので、一生 懸命に労組活動をしそうだった。彼は弟に悪いことが起こらないかと心配した。

「社長は、私の弟が労組活動をして嫌われるのではないかと心配になった。し かし、弟が労組に加入する前に『私は死ぬほど働くのに、なぜ金がないのか』 と泣きながら電話してきた。その後、弟は労組に加入した。義兄の話では、弟 は秋夕の時はずっと労組の話ばかりしていたと言う。弟嫁は弟が全泰壹様の話 もよくしていたといった。弟は労組活動で、新しい世の中と出会ったようだ」

チェ・ジョンホ氏は喪中に弟と一緒に働いていたサムスン電子サービス非正規職 労働者の赤裸々な現実を知った。サムスン電子サービス天安センター協力社の イ・チェグン社長が手紙形式の文をマスコミに公開し、故人が「月平均410万 ウォンの月給を受けとっていた」と言ったのは嘘だということを知った。

「一日8時間働いて休日にも休まず、盆暮れも返上して夜9〜10時まで働いて、 賃金は400万ウォンだったという。だがあらゆることを犠牲にして、たった200 万ウォン程度で生活していたことを知った。車のガソリン代と維持費、通信費、 資材費など、すべて弟が払っていたという。実際、多かったという月給200万ウォ ンも、夏のシーズンだけだったそうだ。そして弟嫁が弟が働く写真を見せた。 弟は弟嫁に『私がこうして生命の危険を押し切って働く。下手をすれば悪いこ とになる』と写真を送ってきた。弟は命がけで仕事をしてきたのだ」

チェ・ジョンホ氏は協力社の社長が弟に浴びせた悪態、暴言が入った録音 ファイルもすべて聞いた。弔問に来た彼の友人が聞かせてくれたという。

「申し訳なくて、胸が痛くて... そんなに苦しく働いているとは知らなかった。 一言いえば、その人がそんなことを言っても、弟は最後までその人を嫌わなかった」

▲故チェ・ジョンボム氏の夫人は夫が危険に働いている写真を大事に保管していた。故人が生前にエアコン修理をしている様子だ。[出処:遺族提供]

全泰壹ではなくても全泰壹のように

遺族は最近、家族会議で2つのことを決めた。先に入院治療中の母親に近い将来 息子の死を知らせることにした。63歳の母親は、まだ末っ子の死を知らない。

「母に弟の死をどう知らせればいいのか… 一番心配だ。ひとまず弟の知らせが ニュースにずっと出てくるから母がニュースを見ないようにしてくれと病院に 要請した。母が衝撃に耐えられるのか心配だ。医者と相談するが、母が息子の 最後の顔だけは見せなければと家族会議で決めた。そうしなければ母の一生の 恨みになるだろう」

遺族はまた葬儀手続きに関する全てを全国金属労組サムスン電子サービス支会 に委任することにした。遺族が決定した理由はたった一つだ。弟が「全泰壹様 のようではなくても、私は選択しました。ぜひ役に立つように願います」とい う遺言を残したためだ。

「たった一つ、弟は自分の死で同僚の人生が変われば良いといった。その言葉 がなければ、家族葬儀をしただろう。弟をずっと葬儀場に置いておくこともで きない。遺言のとおりになければならない。私も社会生活する人として、この 社会が間違っていることを知っている。考えてみれば、弟はまさに労働を搾取 されたのだ」

サムスン電子サービスから弟の死について謝罪を受けたくはないかという質問 にも、彼は「謝罪より変化が先だ」といった。遺族は謝罪を受けることも重要 だが、何がもっと重要かを悩んでいる。

「もちろん謝罪は受けたいし、謝罪を受けることは重要だが、同僚が弟のよう に暮らさないようにすることの方が重要ではないかと思う。労組活動に対する 弟の情熱を純粋だと言って片付ける人もいるだろうが、私の弟はその純粋さを 守ろうとして死んだ。弟の死を無駄にすることはできない。理想的な言葉のよ うに聞こえるかもしれないが、私たちが弟の遺言を守る道を進めば、弟はずっ と私たちのそばにいるだろう。弟の言葉の、全泰壹ではなくても全泰壹のようにね」

付記
チョン・ジェウン記者はメディア忠清の記者です。この記事はメディア忠清にも掲載されます。チャムセサンは筆者が直接書いた文の同時掲載を許容しています。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2013-11-06 23:39:14 / Last modified on 2013-11-06 23:39:14 Copyright: Default

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