| 韓国:サムスン半導体の故パク・チヨン氏、最後の陳述文公開 | |
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サムスン半導体の故パク・チヨン氏、最後の陳述文公開「サムスンを選択した私が悔しくて後悔します」
パノルリム/ 2010年04月09日15時40分
この文は2009年5月15日に勤労福祉公団の天安支社で開かれた諮問医師協議会に 参加したパク・チヨン氏が最後に陳述した内容だ。諮問医師協議会は、パク・ チヨン氏の白血病が業務上の災害かどうかについて2:3で不承認と判定した。病 気の身を率いて苦しい闘病中の労働者が直接訴える話を聞いても、3人の医師は 病んだ労働者の切実な願いを無視した。サムスンを選択した自身が悔しく後悔 していることに胸が詰まる感じがする。(半導体労働者の健康と権利を守る会、 パノルリム)
私は2004年12月27日に温陽半導体(サムスン半導体温陽工場)に入社し、2年8か 月の間、QAグループという検査課で働き急性骨髄性白血病(M1)というガンにか かり、2年間闘病している被害者パク・チヨンです。 入社して2年8か月後の2007年9月12日、21歳の若さで白血病と診断され、5回の 坑癌治療を受けて2008年4月29日にやっと骨髄移植を受けました。 移植後、合併症で3回も応急室に行く程危険な状況もありましたが、峠は越し、 移植から1年たった今、2週間に一度ソウル聖母病院に通院治療をしています。 この1年ほどで病院費だけ数千万ウォンを使い、苦しい暮らしで親孝行しようと 大学もあきらめ、サムスンという大企業に就職したのに、3年にもならず私に戻っ た結果はTVドラマに出てくるような白血病という恐ろしい病気でした。 高等学校の時まで一度も風邪をひかず元気だった私が一日で生死を行き来する 病気にかかったのは夢のようで、サムスンを選択した私が悔しくて後悔しています。 とても若いのに病気にかかったことで、衝撃は大きく、我慢するのも大変でし たが周囲の人々の激励とお母さんの限りない誠意と介護で、屈せず今まで頑張っ てきました。 私が身を置いて働いていた所は第1ラインで、Dram Front工程から、Mold、 Finish、Gate、Test工程までlotationを回り、組み立て、検査工程で製品の外 観検査とX線検査、Finish工程の品質実験特性検査のメッキ接着性実験など製品 の不良有無を検査する仕事をしていました。 Mold工程でX線検査が割合が一番大きく、さらにX-Ray設備は10年を越える老朽 設備で、安全装置などの開閉装置もなく、忙しく働いていると設備が動いてい るかも確かめずドアを開け閉めして作業することも多かったです。 Finish工程ではメッキ工程が終わったLead Frame資材を翼で切ってBake oven 2HR、Steam aging 8HR入れた後、FLUXというどろどろの黄色い接着剤のような 薬品に製品を漬けて、245度の溶けた鉛に漬け、ソルダー(鉛)をかぶせ、製品に ソルダーがよく乗っているかどうかテストするメッキ接着性検査をしました。 ソルダーがかぶっていれば洗浄剤役の141B薬品に漬けた後、SCOPE検査をする作 業を数えきれない程しました。 鉛に製品を漬ける時、白い煙が出ますが、その煙が鼻から吸入すると気持が悪 く、頭が痛くなり、FLUX溶液と141B溶液を交替して扱う過程で手に化学薬品が つくのは茶飯事でした。 綿手袋を着用していましたが、薬品が手に入り、水で洗っても薬品が残って消 えませんでした。私だけでなくみんなほとんどマスクをせず、実験の時に必要 な安全保護装備もきちんとありませんでした。 そしてソルダーポート装置の煙が出る喉頭で火事が起こったこともありました。 こんな危険で劣悪な作業環境の中で働き、健康を失って人生は根から飛んで行 き、今は不孝な子どもになって、大きな傷を残したまま申し訳ない気持ちで一 日一日をようやく生きていっています。 初め診断を受けた病院の教授様は「化学薬品を扱ったか」という質問をし、周 囲に流産した同僚もいて、病気になる何か月か前に生理不順はもちろん下血し て、防塵服に血がにじんだこともありました。 4組3交代が原則ですが、事実上2交代勤務に2週延長夜間日をする時もありました。 このような長時間労働で疲労が累積してストレスが積もり積もって、免疫力が 低下して、放射線と化学薬品に露出していたという点で、業務上の疾病に十分 に関連があると判断し、労働災害申請をするようになりました。 これから5年間様子を見なければ完治したかどうかわからない病気だそうですが、 再発の不安に震えながら生きていかなければならず、再発でもすればもう治療 の費用もないばかりか、稼ぐこともできず、このまま病院費、薬代でお母さん が食堂の仕事で稼ぐ生活費を使いはたしてしまうと生計が維持できずに暮せな くなると思い、病気で不自由なからだを引きずって、いらだたしい気持でこの 場に出てきました。 これ以上私のような病気にかかる人が出てこないことを望み、今後私が病院費、 生活費の心配だけはせずに生きていけるよう、勤労福祉公団は治療費の補償と 生存権の保障について当然責任を持つべきです。 ありがとうございます。 2009年5月15日 天安勤労福祉公団諮問医師協議会でパク・チヨン陳述。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2010-04-19 02:02:17 / Last modified on 2010-04-19 02:02:19 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ | |