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韓国:用役暴力で江南駅露天商修羅場、これが「江南スタイル」
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用役暴力で江南駅露天商修羅場、これが「江南スタイル」

[インタビュー] 79歳露天商の嘆き、「露店はゴミだって」

ユン・ジヨン記者 2014.11.06 20:20

一日の流動人口だけで100万人、歓楽街のあかりが昼夜の境界をなくす江南駅の通り。 最近、そこは毎日暴力と悲鳴で修羅場になる。 生活の基盤を守ろうとする者と壊そうとする者が入り乱れて戦っているためだ。 江南駅の通りは日ごとに変わるが、そこに生活の基盤を設けた人たちの時計の針は、今も止まっている。 毎日毎日、繁華街の路上で生存権闘争をする江南の人々。 彼らは他でもない、街頭の露天商だ。

[出処:民主露天商全国連合]

江南区庁が雇用した若い用役班は、最近になってほとんど毎日露天商を襲う。 リヤカーを奪い、壊し、倒す。 露天商はリヤカーをつかんで粘ってみるが、八十になる老人が若者の腕力を勝つには力不足だ。 それで毎日傷つき、奪われ、悲鳴をあげる。 その一方で、重い病気にかかったからだを率いてまた江南駅に来る。 彼らにとって江南駅の通りは、30年の歳月を支えた生活の基盤だからだ。

毎日押しかける用役班、「企業型露店」と非難する江南区庁
「世の中にどんな親が自分の子供に露店をさせるか。私の場所は一つだけだ。」

11月5日の晩、江南駅11番出口大通り。 通りのあちこちにいた数十の露天商が明らかに減っている。 その代わりに、露店テント1か所に三、四人の露天商が入って狭苦しそうに働いていた。 理由を尋ねてみると「合同商売」をしているという。 毎日毎日押しかける用役班のために、とても一人では耐えられないからだ。

「世界貧困退治の日」だった10月17日の朝、江南区庁は用役班100人ほどを動員し、露天商のところに押しかけた。 暴力と悪態が乱舞し、露天商は傷ついた。 その日、顔に傷を負ったイ・ヨンスン(64)氏の顔には今もその時の傷がそのまま残っている。 だがこれは始まりでしかなかった。 11月2日と3日、4日まで、用役班は毎日毎日露店を襲った。

江南駅シティー劇場前、合同商売をしているテントの中で露天商のユン・チュネ(79)氏と会った。 ユン氏に江南駅露店撤去の状況を聞くと、一気に鬱憤に充ちた言葉を吐き出す。 彼女は足を引きずりながらやってきて、道端で長い話を始めた。

▲30年近く江南駅道路で露天商を運営しているユン・チュネ(79)氏

「昨日も、一昨日も、週末にも用役が押しかけた。 長い間、露店をしてきたのに、こんなに激しいのは初めてだ。 シン・ヨニ(江南区庁長)が私たちを殺そうと思っている。 最近1か月でリヤカー二十台程度が壊れた。 だからリヤカーも良いものが使えない。 いつ奪われて壊されるかわからないから。 リヤカーが壊れたら自分で金を払う。 金がないから借金して直したり。 リヤカー一台、何百万ウォンもする。 しかたがない。死ぬわけにはいかないでしょう。

最近は用役がリヤカーを奪っていかない。 ただ倒してしまう。 そうすると売っている食べ物や、製品がみんな路上に散らかり、リヤカーは壊れるでしょう。 それを見ていなければならないから、とてもつらい。 からだも丈夫ではない。 われわれは力がないから、入れ墨までした若くて恐い用役に押されたら、倒れるほかはない。 昨年10月頃に用役班が押しかけて、私を打ち倒し、その上にまた誰かが乗った。 当時、足の軟骨を手術した状態だったが、病院に行くとまた手術をしなければいけないと言われた。 しかしまだ行けない。こんな状況なのに、どうして入院できるか」

露天商は江南区庁の黒色宣伝で、心にも深い傷を負っている。 江南区庁は江南の通りの露天商を「企業型露店」と非難する。 1人がいくつかの露天商を運営しているということだ。 うわさはうわさを生んだ。 露天商は1か月で数千万ウォンを稼ぎ、ベンツまで乗り回しているという噂が広がった。

「企業型露店? 世の中にどこの親が自分の子供に露店をさせるか。 話にもならない。 私も自分の場所、たった一つしかない。 いくつもない。 1か月で数千を稼ぐというが、自分たちで直接商売をしてみろ。 トッポッキ1人分で3千ウォンだ。 100人分を売らなければ30万ウォンは稼げない。 常識的にどうして私たちが数千万ウォンも稼げるというのか。 私は観光にも行ったことがなく、メーカーの服も来たことがない。 子供を食べさせるために出てきた。 一日に二回食べられれば有難くて感謝するように暮らしてきた。 企業型? 適当に仕事しなければ。

私はもうすぐ八十になるのに、ここ以外には行く所がない。 死んでもここに埋めてほしい。 われわれは本当に暮らす方法がないから、これをしている。 江南も3年前とはずいぶん変わった。 江南でもみんな豊かに暮らしているのでもなくて、江南もとても貧しくなった。 最近はみんな財布を開かなくなった。 私たちが無条件言い張っているのではない。 秩序正しく、合法的に商えるようにしてくれといっている。 私たちは税金も払っている。 税金も払うので、ただここにいさせてほしいと」

李明博-呉世勲の「デザイン通り」造成、暴力摘発が活発
「デザイン通り」で民間企業は特典、露天商は追い出される

ユン・チュネ氏が江南駅の道の上に初めて屋台を出したのは1986年。 すでに30年という歳月を江南大通りの上ですごした。 初めは1男2女を育てるために、今は単独で生計を立てるために露店をしている。 ユン氏が暮らしているのは城南だが、30年の生活の根拠地はここなので、彼女は江南の生え抜きと違わない。

「86年に始めたから30年になる。 ここが私にとっては故郷で、生活の基盤だ。 子どもを教えて食べさせて育てたところだ。 初めには花を商売していたが、15年ほどやってとても疲れるので帽子の商売に変えた。 私の娘はもう四十になったので、とても歳月が流れた。 とても悲しいのは、私が娘を生んですぐ露天に出てきた。 国民学校の入学式、卒業式、運動会、何も行けなかった。 それがとても哀れで。 娘はお母さんが苦労すると大学にも行かなかった。 いつも申し訳ない。 それでも今は慶南河東に嫁入りして、良く暮らしている」

ユン・チュネ氏は江南駅で露店をしながら、全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)、金泳三(キム・ヨンサム)、金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権をすべて見てきた。 厳しい時期だったが、当時は露店摘発はそんなにひどくなかった。 暴力的な露店摘発がいつも頻繁に行われるようになったのは、李明博政権になってからだ。

李明博前大統領と呉世勲元ソウル市長は、2009年に江南駅を「デザイン通り」にすると言って大々的に工事を始めた。 江南駅から大韓教育保険タワーまでの760mの区間を「U-ストリート」にして、高さ12.3mの22本のメディアポールを設置する作業だった。 当時の工事により、江南駅の通りの露天商はみんな追い出された。 約2年間、露天商は仕事を止めて生計に苦しんだ。 しかし何と85億ウォンを注ぎ込んだメディアポールの運営権は無償で民間企業に渡った。

[出処:民主露天商全国連合]

「2009年に李明博がデザイン通りを作ると言った時、ソウル市から300人の用役班が出てきた。 用役が私のからだを捕まえてリヤカーからすべての物を奪っていってしまった。 そこにはカバンがあった。 鍵と靴と交通カードと現金80万ウォンが入っていたカバンだ。 それでカバンだけでも返してくれと頼んだが、そのままみんな持っていってしまった。 カバンも返してもらえなかった。

そして2010年までほぼ2年間、仕事を休んだ。 江南デザイン通りを作るために工事をしているので、露店は生活の方法がない。 それで2010年のワールドカップの時に物(ワールドカップ用品)を売るために出てきた。 小さな屋台を出したのに、夜に奪われてしまった。 半月あとに返すって。 しかし、その時でなければ売れない物でしょう。 売れないものをどうして受け取りに行くか。 父母の日にもちょっと花を売ろうとしていたのに、それもみんな持っていってしまった。 2年休んでいた間、私はずっと江南駅に出てきた。 とてもあきれて、毎日江南駅で出てきて、そのままぼんやりと座って家に帰ったりした」

「露店ゴミ? 生まれた時から露天商に生まれたわけではない」

シン・ヨニ江南区庁長は昨年、不法広告、不法露天商、ゴミ無断投棄、不法駐停車、不法建築物、不法風俗店の5大分野を不法、無秩序追放課題に選び、大々的に摘発すると宣言した。 露天商は江南区庁との対話を望んだが、区庁は扉を閉ざした。 面談に応じなかった江南区庁は対話ではなく「強制撤去」の刀を抜いた。

[出処:民主露天商全国連合]

「奪われた物を探しに区庁を行くと、担当主任は私に無条件殺すという。 この前にも江南区庁トイレの前で会ったが、私に殺すって。 それで殺せといった。 私も死んで、あんたも死のうと。 私たちがあれほど江南区庁長との面談をしようと要求したのに、絶対しない。 私たちが行けばまずシャッターを下ろす。 警察だけ呼んで。 シン・ヨニは無条件だめだとだけ言う。 大通りではなく、裏の路地に行って商売をしろって。 ここに25台のうち11台がそこにいる。 しかし車がとてもたくさん通って危険だ。 事故も起きて商売もできない。 それでまた降りてきた。 それならいっそ、私たちを島に送ったらいい。

私は実は、朴槿恵大統領が当選して喜んだ。 お父さんの時から尊敬していた。 シン・ヨニが江南区庁長になった時もうれしかった。 女が区庁長になる世の中がきたことがとても不思議でうれしかったんだ。 ところがそうではなかった。 シン・ヨニは私たちをゴミだって。 露店ゴミ。 暮らすために出てきて商う人にゴミだなんて。 私の頭ではとても理解できない。 それにしてもやり過ぎだ。 私たちも税金を払う市民だ。 私たちが生まれた時から露天商として生まれたのではない。 子供を食べさせて育てるために出てきたのに、こうして私たちを踏みにじってもいいというのか。 とてもうらめしくて、くやしくて」

露店摘発の程度が高まり、二十五人の露天商が共同対応を始めた。 市民社会と共に江南駅の通りにテントを設置して座り込みに入った。 だが座込場は撤去され、結局コンテナボックスが臨時座込場として設置された。 露天商はもう1か月と7日、江南駅の通りの上で生活している。

11月5日の晩、民主露天商全国連合などの連帯団体がコンテナボックスに色々に飾った。 あるいはあるかもしれない行政代執行に備えて、連帯団体と露天商が座込場の前に三々五々集まった。 彼らはいつ用役班が押しかけるかもしれない毎日毎日、不安な戦いを続けていた。

「基金を作るために合同商売をしている。 ここで夜を明かしているが、それでもご飯は食べなくちゃ。 昨日もリヤカー一台が奪われた。 くやしい。 私たちにはそれが全財産だ。 今、事務局長が監獄に行っている。 公務員を殴ってもいないのに殴ったと言われ監獄に連れて行かれた。 とても優しい人だったのに。 監獄に行ってもう2か月を越えてしまった。 用役と戦えば罰金が何十万ウォンから何百万ウォンまでも出て行く。 鼻にかければ鼻輪、耳にかければ耳輪だ。 戒告状もないまま突然やってきて壊してしまう。 法も何もない。

公務員は私たちを殴ってもよくて、私達は公務員を殴って拘束されるなんて、いったいどこの国の法だ。 用役はかなづちや切断機のような凶器を持っていてもいいんだ。 用役が持っているのは武器ではなく、私たちが持てば武器だって。 私有財産を奪って露天をひっくり返してしまうのは罪ではないの? 私たちに罪があるなら、金がなくて貧乏になった罪しかない。 江南区庁は数億かけて用役を雇う。 しかしどこにも露店がない国はない。 私たちは税金も払い、清潔で秩序正しく商売している。 頼むから物を奪っていかないでほしい」

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2014-11-07 11:20:40 / Last modified on 2014-11-07 11:20:41 Copyright: Default

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