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悲しい時代の卑怯な者ども[寄稿]記者会見がなぜ集会なのか答えろ
イ・スホ(民主労働党)/ 2009年11月02日11時42分
メディア法、竜山そして卑怯な判事たち 李明博時代になって、卑怯な人が増えている。権力を持っていたり周辺にいる 人々がもっと深刻なのは言うまでもない。 何日か前、メディア法を審議判決した憲法裁判所の判事たちを見よ。野党の議 員が提起した国会通過過程での問題は、すべて違法だときちんと判決をした。 ところがまさに全体に対してはわれわれは知らないと卑怯に手を引き、結局は 前の違法事項が何の問題もないことになってしまった。これはそれらしい詭弁 の水準にもならない、文字通り卑怯な行動だ。卑怯な行動をするには必ず原因 がある。露骨な外圧に屈服したり、自ら判断していく行為だ。その時代の雰囲 気を自分なりに読み、それに順応するのだ。良心と志を破り、不当権力の侍女 を買って出るのだ。日帝時代の知識人の変節と親日も、みんなそうして始まっ たのではないか。 司法府の卑怯な行為は、さまざまな形態で現れている。合理や親切を装う場合 だ。龍山惨事に関する裁判の場合だ。裁判長は盧武鉉時期の公安事件を確信を 持って判決した判事らしく裁判をしながら、まるで被告人の主張を積極的に傾 聴し、真剣に審理するように見えた。検察が捜査記録3000ページの提出を拒否 した時も、提出するように決めるなど、多少積極的な態度を見せもした。とこ ろがある瞬間に折れ始めた。頑として提出を拒否する検察に何の制裁も加えな いのは言うまでもなく、やっと『不利益を与える』というあい昧な態度を取り、 卑怯な行動を始めた。 新しい弁護士の要求でキム・ソッキなどを証人に採択するなど、裁判過程での 手続き的な積極性を見せるようだった。それで撤去民側弁護人をはじめとする 被告、証人は最善を尽くした。ところがキム・ソッキをはじめとする警察幹部 も。その上の介入を立証する証人の証言はなされなかった。核心証人が出席し なかったり、証拠提出が不十分で判断が難しければ、裁判期日を遅らせてもき ちんと判断して判決するのが堂々とした態度だ。しかし、卑怯になり始めた裁 判所は、法定期日を言い訳にして拙速な判決を敢行した。 3000ページを提出しなければ不利益を与えるという見えすいた脅しは、見えす いた脅しで終わった。判決要旨の説明での『残念』という一言だった。裁判長 は判決文を読む途中、ずっと悲痛な顔だった。あれほど多くの撤去民側証人や 証拠はすべて排斥し、検察の主張は100%引用する、いわゆる維新第三共和国時 代の検事の控訴状を判決文と題名を変え、助詞一つ変えずにオウムのように繰 り返した。ただし維新時代の判事がそのようにしながらも、高圧的で厚かまし かったとすれば、今の判事たちはあたかも悩んで苦悩するように、私も仕方な いように、卑劣な態度が露骨に見られるのだ。民主化10年、やっとやっと持ち 始めた裁判官の独立性と良心が、李明博時代にまた変節している姿だ。 大統領府に近づけない竜山遺族たち
私は10月30日の竜山裁判判決とメディア法関連憲法裁判所の判決に抗議して、 大統領府前で記者会見をして、また警察に不法連行され道峰警察署留置場に閉 じ込められた。大統領府近隣清雲洞事務所の前はくやしい団体や個人たちが大 統領府に抗議したりくやしさを訴える時に使われる場所だ。大統領府正門前の 噴水台広場があって、そこは中国などの外国人観光客を初め、誰でも自由に往 来する所だが、唯一表現の自由による特定の意見表現は許可されないので、や むを得ずそこで記者会見もして、座り込みもするが、警察も認めてきた。とこ ろが唯一竜山問題だけはそこに近づくこともできなかった。 その日も氾国民対策委代表らは遺族と共に記者会見をするためにそこに行った が、孝子洞入口の道から理由なく警察に制止された。千辛万苦の末、そこに到 着してやっと記者会見をした。警察が集会だと主張するスローガンも叫ばず、 ようやく記者会見を終えると、記者の写真撮影のためにわれわれの意思をスロー ガンに縮約して、拳をあげて大きく叫んだ。その時どういうことか警察の警告 があった。われわれはそれとは無関係に記者会見が終わったので解散した。記 者会見はそれが全てだった。その後、しばらく時間が過ぎた後、私たちのハン スト者代表4人は歩道に並んび、李明博政権に抗議する座り込みを始めた。そし てわれわれは捕まった。近くの三人も一緒に、七人全員が道峰警察署に逮捕連 行拘禁されたのだ。 逮捕適法可否審理を申請する とてもくやしく、苦々しかった。私たちが法的にできることを考え、民弁のキ ム・スンギョ弁護士と話合って逮捕適法可否審理を申請することにした。逮捕 の不当さを救済されるために用意された逮捕適法可否審理は、制度上の限界な どでほとんど活用されていない。不法逮捕されたと判断されれば、弁護士の助 力を受けて法院に適法可否審理申請ができ、その適法可否審理も24時間以内に 行われる。結局、法的拘禁時間の48時間を実際に満たすことになるとか、もし 棄却されると裁判の時間は拘禁時間から除外されるので、実際の拘禁時間が延 びるという矛盾がある。 それでも私たち七人が強いて逮捕適法可否審理を申請したのは、私たちがもし 48時間以上営倉暮しをしても、私たちの行為が本当に逮捕要件になるのかの判 断を受けたかった。記者会見と集会の違い、そして記者会見であれ集会であれ、 その周辺の人まで一方的に連行、拘禁する警察の過剰不法逮捕に対して法院は どんな判断をするのか知りたかった。ところがこれまでくやしい逮捕に対して 逮捕適法可否審理を申請すると、検察は適法可否の審理が行われる前に卑怯に も釈放して、実際の適法可否審理を無力化させる。それで実際適法可否が審理 される事例はあまり多くないということだ。 竜山氾国民対策委代表者が負担を抱いて挑戦してみた。なぜなら、これは今後 の竜山闘争や他の問題にも大きな影響を与えるからだ。適法可否審理裁判を受 けに行くところは遠かった。雨が降る十月の最後の日の週末、午後の道は混ん でいたが、道端のイチョウ並木は黄色く染まり、鳥小屋車に乗ったわれわれは みんな複雑で息苦しかった。
判事たちの頭から消えた法の精神 大韓民国で生きることが、これほど苦しいのか。互いに話はしなかったが、突 然、週末の計画をつぶしてしまったわれわれ七人と、突然に青天の霹靂を受け た道峰警察署の護送警察と10数人の表情も歴然としていた。瑞草洞の中央地法 に到着して退屈に待ち、適法可否審理審理が始まった。法によりすべて別々に するのだ。私は一番先に法廷に立った。判事は親切だった。警察が送った現場 写真をいちいちコンピュータを利用して、画面に大きく拡大して見せたり、争 点があれば即席で大法院判例まで検索して表示し、話も自由にさせるなど、外 形ではほとんど審理が現代化、民主化されたような感じだった。 問題は、裁判官の法に対する態度だった。法の趣旨はどこかに行き、ただその 形式的な文句に拘泥する態度がとても苦しかった。集示法は国民の基本権であ る集会とデモを積極的に保護するもので、その基本権がきちんと発揮できるよ うにすることが基本的な精神だ。ところが法の精神の最後の砦である裁判官ま で、絶えず制裁して抑制し、萎縮させる方向で考え、態度を取るのに驚かない わけにはいかなかった。本当にその閉鎖された聴聞中心の閉鎖された法治主義 には、失望を越えて絶望しないわけにはいかなかった。 やっと一人一人への審理が終わり、一時間半ほどで判決内容が降りてきた。判 決文を読めず、具体的な言及は難しいが、記者会見を集会と認めて参加程度に より判断した内容のようだった。記者会見と座り込み周辺の単純参加者3人は釈 放、積極的なに参加者のうち牧師様1人は釈放、あとの集会およびデモの前歴が あると彼らが主張するハンスト者3人に対してのみ棄却決定を下したのだ。 卑怯だった。審理過程でもあらわれたように、現行の集示法によれば、たとえ 記者会見が集示法の禁止範疇に入るとしても、暴力や顕著に公共秩序を害する 行為でなければ拘束理由ではないから逮捕拘禁の必要がない。違法行為があれ ば簡単に人的事項を確認した後、召喚調査すれば良い。警察は現場採証写真一 枚でも如何に多くのキャンドル市民を召還調査して立件しているではないか。 さらに卑怯なのは、同じ行為に対して差別対応することだ。行為の内容が他の 人はそうだとしよう。同じ行為をしたことを調査の過程での態度や職業、前歴 などを問題にして差別対応するのは、警察、検察、法院すべての過度な恣意的 な判断の範囲だ。法院が重刑を宣告する時、類似の犯罪行為の前科や、他の社 会に対する善行などを考慮して刑量を加減するのは、裁判官の法と良心に従っ た裁量といえるが、現行犯の逮捕拘禁に適用される時は、かわいい奴は大目に 見て、憎い奴は殴って捕まえるという結果として現れる。だから力が強い奴、 金持ちの奴、権力ある奴は捕まらず、貧しく、くやしくて、学のない人だけが 特別でもないことで無条件に捕まえられて、逮捕、連行、収監、拘束状態で自 分の防御もきちんとできないうちに、くやしい罰金を払って獄中生活をするのだ。 なぜ明確な答えないか 今回われわれは、集示法の範囲と逮捕、拘禁の不当性に対してその原則と実際 の適用の問題点をすべての情熱で法院に提起した。ところが法院はこれもあれ でもないあい昧なひどい判決を下した。まるで憲法裁判所の判決のように。 いったい何か。記者会見は集会なのか。不特定多数を対象せず、被害を与えな い座り込みは逮捕の対象なのか。なぜ明確に答えないのか。法的には問題ない のに、その中で嫌いな奴は逮捕してもいいというのが今回の適法可否審理判決 のようだ。これは検察の顔色を見ているのか。いつから検察が法院の上にいる のか。こうした疑問がぬぐえない。韓国社会は李明博体制以後、新しい権力を 中心に新しい権力再編がなされている。独裁体制が構築されている。それに足 なみをそろえて、法院は、いや裁判官らは卑怯になっている。 断食一週間、鉄格子の中で十月の最後の夜を送る気持は、外で降る雨音のため に憂鬱なのではなく、韓国社会が退行する姿で悲しい。私は悲しければ腹が立 ち、腹が立てばまた悲しい。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2009-11-19 01:51:42 / Last modified on 2009-11-19 01:51:43 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ | |