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龍山には大統領がない[イ・ドクチェのズームイン ズームアウト]大統領という亡者と撤去民という亡者
イ・ドクチェ(編集委員)/ 2009年08月20日13時36分
龍山には大統領がない。大統領『様』はなおさらだ。盧武鉉前大統領であれ、 金大中前大統領であれ、龍山には大統領がない。ただ民衆しかいない。 国がまた追慕の熱に包まれる局面だ。朴正煕軍事独裁者以後、数年ぶりの初め ての国葬だといい、すでに全国各地に故金大中大統領の焼香所が出来ている。 しかし1月20日、理由は生きたいと言うこと一つ、龍山から追放されると行き馬 がなく、もう一度生きたいと櫓を作り抵抗した人々が無惨に虐殺されてから7か 月がたったものの、お金がなくてバックもない撤去民の霊魂は、大統領の遺体 安置所に置かれた多くの菊一輪の香りさえ受けられずに今も九天をさまよって いる。 大統領という亡者と撤去民という亡者の間には、死んでも階級的な差別が存在 するのか、誰かは国葬にするとか国民葬にするとか、経済危機を考慮して、6日 葬はどうかなど意見も入り乱れ、亡者の魂をなだめるのに余念がないのに、龍 山で頭蓋骨が陥没し臀部が砕けて死んでいった亡者の魂にはハンギョレも京郷 も何の言葉もなく、金大中前大統領の『政治功績』をたてるのに忙しい。 パク・ノジャは2000年に金大中前大統領が金正日国防委員長と会い、6.15宣言 を発表した直後のロッテホテル労働者弾圧事態に言及した。パク・ノジャが話 した通り、その当時政府と警察当局は大事な外賓の雑音公害を減らそうと、自 国の労働者を弾圧する醜態を見せ、無慈悲な暴力で労働者を弾圧した。 新経営技法が導入されたのは金大中前大統領の国民の政府の下ではなかったか。 構造調整による解雇をさらに洗練されたのが新経営技法ではなかったか。金大 中前大統領の強力なリーダーシップとは? そのリーダーシップは労働者を切る リーダーシップではなかったか? 我々の時代の最後のカリスマだ? そのカリス マは、韓国の労働者民衆を殺したカリスマではなかったか? パク・ノジャがあ の当時のロッテホテル労働者弾圧を見て、暴力主義と事大主義がこの国を治め 続けているという悲しい考えを持ったように、李明博政権による強要された自 殺とそれによる衝撃の死は理解できるものだったにせよ、持てる者が貧しい者 の運命はこれほど簡単に捨てられ忘却され廃棄されるんだなあと思うような 悲しい考えが目じりから流れる。 今この時代に労働者民衆はかわいた小川の魚のように暮している。いつも悠々 と水でと戯れていた魚は、川が日照りで干涸らびて、小川の底に集まっている。 暮すために、生存するために水を探すために、すべてが水溜りに集まる。今の 時代の労働者は経済恐慌という日照りで、生存権を死守するために平沢塗装工 場に、龍山の櫓に、集まった。しかし水の流れは切れ、魚はまるで鍋に閉じ込 められたように、公的資金という水の流れは切れ、櫓で殺され、塗装工場で白 旗をあげてしまった。賃金という水を探して、生存権という水を探して、抵抗 して闘争したが、彼らが得たものは敗北と惨めな死だけだった。 しゃにむに水を探し、地面に潜り込んだ魚たちをそっくり取り出して飽食した のは、釣り人ではなく韓国の資本と国家ではなかったか? 金大中前大統領の国 民の政府の時から、国家と資本は労働者民衆の膏血を絞る太公望の釣糸、いや 投網を労働の市場に投げて、バッテリーで労働の川の水を沸かして労働者民衆 の生存権を野蛮な解雇と撤去で略奪して行ったのではなかったか? ところが、盧武鉉前大統領と金大中前大統領の亡者に対する個人的な悲しみ以 外に、なぜ誰も、なぜ誰も、これほど徹底的に龍山を忘却の川に投げ込んでお くのか? 国民が国の主人だ、国民の政府だといったのではないか? 国民の参加 が必要だと言い、参与政府だと言っていたのではないか? しかし国民は言葉だ けの国の主人で、労働者民衆の生存権は国家が抑圧し、国家が国民の上に君臨 したのではないか? 大統領は国民のためなら、やるべきではないこともすると イラクに派兵し、国民の政府の新自由主義政策をもっと高い段階にアップグレー ドして韓米FTAを推進したというのか? 大統領と親しくない一介の国民は、市民は、労働者は、民衆は、警察のこん棒 に全身が真っ青になるまで殴られても、声を失った者のように、亡者の身を半 年以上、冷凍庫に入れておかなければならないというのか? あなたたちは誰な のか? 労働者民衆の喉を切開し、声さえ奪って行ったあなたたちは? 大統領は 国葬にして、撤去民は愛する自分たちの夫を葬儀も行えず亡者の霊魂が腐って も放置しておくというのか? 大統領の肉身を国葬にして、国民葬にする時、あ なたたちは一度でも労働者民衆の死を共にしようと、葬儀を共に行おうと話し たことはあるのか? 大統領の遺体安置所にこの時代の悪霊が徘徊する時、あな たたちはその悪霊の無関心な釣糸にかかり、理由もわからずに死んでいった人々 の霊魂を振り返ったことがあるのか? ダーウィンが人間の生存競争を熱帯の自然での生態闘争に喩えたように、この 時代の労働者民衆が生きるために全身の力を振り絞ってどこかのスキ間を、そ れがいくら狭苦しくても、潜り込んであくせく生きる姿を想像してみよう。資 本主義の最悪の産物である例の『競争』市場に各々が生存のために打ち込んだ くさびを想像してみよう。手の平ほどの労働市場の中をいくら小さなスキ間で も身をすぼめて暮そうと足をばたばたさせる労働者民衆の血がにじむような人 生を想像してみよう。それは想像でなく、この時代の現実であり、とても直視 できない実在の現実だ。 ところが、ところが、龍山の撤去民がその残酷な実在の現実を突き抜けようと 櫓に上がったのに、暇さえあれば開発差益を取ろうと考える投機屋と開発業者 どもの汚い欲望、都心再生事業という美名で建設資本-地方自治体に私的な利益 を集めてやる国家と資本の卑劣な欲望に抵抗しようと櫓に上がっても、民衆に は『死の廃棄』が、大統領には『死の昇華』が待っていたということか? 金大 中前大統領も、国民を敬うとは話ったが、国民がなぜ、どうして、大統領より 高いところにいなければならないのか、とても理解ができず、その国民が労働 者民衆であるとは夢にも考えられなかった。 あなたたちは誰なのか? 二回の大統領の追慕政局に、労働者民衆龍山撤去民の 人生をこれほどおとしめる者は? 国家と資本の汚い欲望で虐殺された私たちが、 今はその汚くて醜悪な欲望を殺す時だ。龍山には大統領がない。その欲望に抵 抗し、抵抗を組織する労働者民衆の声だけが存在する。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2009-08-30 00:54:20 / Last modified on 2009-10-03 13:01:09 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ | |