撤去民のお母さんの叫び
[人権オルム]韓国都市研究所が1998年に出した「撤去民がみた撤去」
リュ・ウンスク/ 2009年02月12日11時53分
私が初めて撤去民を見たのは小学校の時だった。パラムコゲ(風の頭)と呼ばれ
る丘の周辺にぎっしり建てられた家に、知っている姉さん、兄さん、友人がた
くさん住んでいた。ある日から家が消えて石の小山だけが残った。そしてビニー
ルテントが1つ、2つと増えた。状況を知らない私がただ気になったのは、中が
よく見えるそのビニールの家で、どうして服を着替え、用便はどうするかだっ
た。そんなある日、一人の友人の涙を見た。ビニール家で暮す友人だった。一
人でビニール家に座って(とても寒かった)洗濯物を乾しながら、その友人はずっ
とつぶやいていた。「うちの母さんにどんな罪がある、うちの母さんがどんな
悪いことをした..」。幼い私は状況を知らなかった。後日、その涙に含まれた
佗びしさを察するようになった。
自分にも似たようなことが近づいてきたためだ。撤去ではないが、一間の部屋
まで借金取りに取られることがよくあった。何回も同じことを体験して知った
のは、地上屋は必ず明け方4時頃にくるということだった。寝惚けた家族が目を
覚ます暇もなく、彼らは暮らしを外に投げる。冷たい明け方の風で目を覚まし
た家族が諦めて一つ一つ荷をまとめ始めると、彼らの乱暴な手がちょっと弱く
なった。お母さんが飯粒で壁に貼った賞状が破れ、食卓がこわれた後、道端に
投げ出されたみずぼらしい家財道具を拾い集めた。ふとんの包みの上に座って、
仮住所を探しに行ったお母さんをいつまでも待った。兄弟はは恥ずかしがって
どこかに隠れてしまい、私は独りでみすぼらしい家財道具を守ってふとんの包
みの上に座っていると、私と家財道具を見る人々の視線は私とは違う世の中で
暮す人々のものだった。
大学の時、撤去地域で少し勉強部屋をした。ほとんどみなつぶれた町内でも、
半分ぐらいつぶれた家の2階を掃除して用意した家で一週間に一回ずつ子供たち
の宿題を見て、一緒に遊ぶ活動だった。学年も性別も違う子供たちは勉強には
集中しようとせず、なぜか一緒に行った男子学生たちは子供たちが何度も馬に
なれと言われ、腰が折れそうな状況だった。学校祭で一週間行かなかった間に、
勉強部屋は惨めにつぶれていた。すでにつぶれた家だったが、勉強部屋が目ざ
わりだったのか、撤去班員が勉強部屋への階段まで壊してしまった。子供たち
との別れのあいさつもできず、もう会うこともできなかった。
人権運動を始めて少し後、こんな文書に接した。『世界住居権会議』というも
のがあるのだが、そこでは韓国を南ア共和国とともに世界で最も非人間的に撤
去をする国家だと非難したというものだった。『本当に良くないことだが、こ
うしてでも深刻性を認めてくれる人がいるんだ』という気がした。
住居権に対する最も権威ある国際法的解釈は、1991年に発表された国連社会権
委員会の「適切な住居の権利に関する一般論評4」だ。これによれば、住居権は
物理的な住居だけでなく、安全に、平和に、尊厳をもって住む権利をいう。
「適切な住居」の概念には、さまざまな要素が含まれるが、そのうち代表的な
ものは『安定して住める』ということだ。この言葉は、自分の家を所有しなけ
ればならないという意味ではない。家を所有しても、賃貸してもいい。しかし、
所有しようが賃貸しようが、どんな方式でその空間で暮そうが、安定して暮す
権利は守られなければならない。賃貸した家から突然追い出されたり、家が撤
去されたり、またはその家で暮せないように強い脅迫・暴力に苦しむ場合、安
定して暮しているとは言えない。突然、居住空間を奪われたり威嚇される場合、
国家は被害者を保護したり安定した住居を提供しなければならない。
国連ではまた、こうした住居の安定性が脅かされる代表的な現象を指定した。
それはまさに土地投機と不動産投機で、土地没収と収用、土地所有の不平等、
土地派閥の成長を統制できない政府の無能力だ。また、低所得者が生計に欠か
せない土地と不動産に接近できるように措置を取らなければならず、そうしな
い政府の市場介入の消極性を問題だと指摘した。
龍山惨事が起きて、本当に悲しいことがたくさん続いた。撤去民を擁護したり
攻撃する側の対立も少なくない。人間の死の前ですべきではないことが多い。
そのうち専門家という人の言葉が気に障った。『私人間の紛争になぜ警察力が
割り込んだか』というような話だ。果たしてそうか? この事件は、国家が基本
的に保障すべき住居権を疎かにしたことで起きたものだった。原因はそこにある。
初めから住居権という人権が、私人間の紛争にならないように社会経済的強者
の貪欲を統制して、弱者を保護することに国家が乗り出すべきだった。ところ
がそうはしなかった。私的暴力の用役がきて困らせれば、公権力が撤去対象の
人々を保護しなければならなかった。ところがそうはしなかった。むしろ共に
手を握って踊った。私人間の紛争にわけもなく割り込んだのではなく、公権力
は故意に遅くきて、そのつもりで彼らの側に立った。
法は強者に厳しく、弱者の悲しみを受け止めることで本来の役割ができる。そ
うでなければ社会的強者も弱者も法を無視するだろう。強者はあえて法を守る
理由がなく、弱者は『法に訴えても』と諦めてしまうからだ。いや、諦念は、
すでにかなり前から始まっていた。法があり、公権力があり、生計の訴えに耳
を傾ける当局があったなら、櫓が作られただろうか。あなた方の世の中と、あ
なた方の法と、あなた方の公権力に対する諦念が何に変わるかは誰も知らない。
だが、あなた方が処理できない何かになることは確実だ。
〈撤去民がみた撤去〉、1998
撤去班がくる子供たちは遊んでいても、「お母さん、撤去班のおじさんがツル
ハシと棒を持ってきた。はやく出てきて!」と大声を出します。あたふたと裸足
で飛び出して、鍋釜をまとめて板が壊れるかと思い、一つ一つはがす時は本当
に息もできず、心臓が高鳴って我慢できません。それでも板でもなくなれば、
とにかく一カ所で寝なければならない私たちのとしては、お願いをしてみます。
「おじさん、頼むから私たちが取るから壊さないで」と両手を合わせて切なく
哀願しても、「偉い人が上で見ているから困る」と言って容赦なく壊してしま
い、部屋のオンドルまでツルハシで乱暴に壊して行きます...(1975年、中浪チョ
ンビョン撤去民『お母さんの叫び』)
私たちが望むのは、豪華な住宅や高級アパートでもありません。ただ人が、こ
どもたちが住める土地と家です。天と地を人に与えた神様、なぜ私たちは韓国
で生まれ、土地も家もなく追われて暮さなければならないのでしょう? 金を稼
ぐために良心をもって一日中働いても、土地も家も買えないのに、どうすれば
この土地で暮せるのでしょう? どこに行っても土地も家もたくさんるのに、う
ちの土地は空にでもあるのでしょうか。しばらく暮す土地も家もなく、どうす
れば子どもたちと暮せるのでしょう? 63階のビルで生きている水族館の魚は、
どんな待遇を受けているのか神様はご存知ですか? 死なないように数億かけて
生かしています。
同じ1票の投票権があっても、なぜ私たちは追われ、獣扱いもされず、大声を張
り上げれば殴られ、首をしめられ、監獄に入れると叱り飛ばされるのでしょう?
神様、韓国をこうまでしなければなりませんか。そうすれば世界の発展した国
の隊列に入れるのですか? 私たちも盗んで、殴って、殺して、よく発展した社
会を作って暮せと子供たちに教えればいいのでしょうか? 何をしてでも金さえ
儲けて、土地と家を用意して、豊かに暮せと教えて、投機、投機、投機を続け、
金持ちなって暮せと言いましょうか? (1984年木洞、新井洞『借家住いのお母さん
の叫び』)
私たち借家人も同じように住民税、財産税、汚物税など、住民として、国民と
して払う税金はみな出して暮してきました。守れという方はみんな守り、国民
としての義務を果たして生きてきました。ところがなぜわれわれは地域開発と
いう名の下に、国民としての義務をすべて尽しても、権利を求められずに追わ
れなければならないのでしょうか。アパート入居権は何の話でしょうか、入居
権を得て、そのアパートに入れる人がどれほどいるでしょうか。さらにこの地
域の住民のうち、多くの人々が月払の借家人です。そんな借家人たちにも何の
対策もなく、ただ出て行けと言うだけでは、出て行って死ねといった話ですか。
このように追われて出ることはできません。とてもわたしたちは出られません。
閣下! 他人が金を稼いでいる時、なんで今になって我を張るのかとおっしゃる
かも知れませんが、われわれは誰よりも一番さらい作業場で豊かに暮らそうと
頑張りました。でも世の中は私たち思いのままになりませんでした。盛んに勉
強する年齢の子供たちまで社会に飛び込んで、家庭を助けましたが、われわれ
はなかなか貧困から抜け出せませんでした。私たちはあえてこう思います。貧
困も不渡りも、みんな社会が作り出したと。それで社会が貧困の責任を取らな
ければならないと思います。それで社会福祉という言葉ができたのでしょう。
..とりあえずの行き場がないので、借家人が集まりました。そして何十回も区
庁にも行き、市庁にも行きました。そして世の中の人々に、このかなしい事情
を少し聞いてほしいと、やむを得ずデモもしました。ところが結果はさまざま
な侮辱と殴打、その上頭が切れ、顔が血だらけになることまで行われました。
私たちがどんな悪いことをしましたか。生きたいから、暮らせるようにしてく
れとわめきたてる私たちに、これほどまでしなければならないのですか。正義
社会具現がこれなのですか。無力で貧しく、それでも生きているから暮らして
いきたいという私たちを軍靴で踏みにじり、裕福で金持ちの人々のために豪華
なアパートを作り、その金で公園を作るのが正義社会なのですか?(1985年木洞、
新井洞地域住民)
再開発がいったい何だといって、こんなに戦争でない戦争のように人を傷つけ
て担架に乗せていき、血の涙が止らないのでしょうか? つまり金で金を稼ぐ投
機屋の不動産投資で金持ちになった富者と財閥会社のための事業ではありませ
んか?
だから金を持ち、権力のある人々が、金を稼ぐためなら何でもそれがみな法に
なる世の中です。それに反対すれば無条件に違法になるのです。権力とお金が
グルになって、チンピラを立てて、暴力請負に出して、私たちを殺しにくるの
に、それでも私たちは静かにバカのように死んだようにひざまずかなければ、
人ではないのですか? 子供たちの前で恥ずかしくないように堂々と戦わなけれ
ばなりません。
民主愛国市民の皆さん!
根本的なことは、貧しい国民が家の心配をせず暮せる住宅政策を立てることで
すが、この政府はその責任を私たちのような撤去民に負わせ、ただ一方的にや
られろというのです。なぜ私たちが犠牲になりゴミにならなければならないの
でしょうか? この国の政府は、根本的に貧しい国民は人扱いもしない証拠がま
さに殺人撤去であり、金があり権力がある人どうしがこの国を食いものにする
もうひとつの証拠がまさに再開発事業なのです。(1985年舎堂洞撤去民)
難しい教育環境の中でもきちんとこどもを育てるために心労焦燥する先生に申
し上げます。知恵も足りず分別もない子供たちですが、いつも愛で対して下さ
る先生の有難い心を常に胸にきざんでいます。ここにきて子供の相談もして、
感謝の気持ち伝えたかったのですが、余裕のない生活に追われているので気持
ちだけですね。しかも対応できずに突然やられた強制撤去で子供たちの学習の
準備どころか、食べものや着るものも取りまとめられず、学校で子供たちの問
題でさらに大きな心配をされると思うと心苦しいです。あらゆる世の中の波風
を味わって生きてきた大人たちは、それなりに辛抱して生きるとしても、誤っ
た現実により、小さな子供たちまでこうした途方もない苦痛をあじわわなけれ
ばならないという事実が、両親としては耐え難い精神的拷問です。
...私たちはこうした現実の中でも戦わなければならず、これからも戦わなけれ
ばならないということを明確に知りました。それは、私たちの人生を私達の子
供には譲れないということを知ったからです。先生! 私たちがこのように暮し、
もしかするとまた強制撤去がきてどこかに行くことになるかも知れません。警
察署かもしれませんが。彼らが言うには、蘭芝島に私たちの荷物を捨てるとも
言うので、これからの事は予期できず、こうした状況で子供たちが登校できな
くなるかも知れません。この点を理解してあげて、私たちを励まして下さい。
(1990年瑞草3洞撤去民父兄一同)
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原文(チャムセサン)
翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可( 仮訳 )に従います。
Created byStaff.
Created on 2009-02-15 02:12:49 / Last modified on 2009-02-15 02:12:51 Copyright:
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